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ある日、勇者の剣を抜いた。  作者: N.ゆうり
第九章 ゼフェリカの黙示録
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甘い匂い

 観客席の上段――各国の元首が並ぶ特別席。

 そこに控えていたはずの、ユルザの女王代理・セレナの護衛の一人が、突如、通信から姿を消した。

「……反応がありません。遮断されました」

 耳元で囁かれたその報告に、光の表情がわずかに変わる。

 裏方用通路の魔導端末をいくつか立ち上げ、同時に別ルートからの監視記録をチェック。

(消えたのは……セレナの随行、第一護衛班。しかも、この時間に――)

 この本戦の最中、敢えて“今”。

 それは単なる通信障害ではない。

 ――意図的な「揺さぶり」。

 光はすぐに理解する。

 セレナという存在が「女王代理」であること、そしてその命が奪われればユルザは混乱する。

 試合の勝敗すら意味をなくす可能性がある。

(……本当に、戦場はアリーナだけじゃないんだな)

 光は、小さく目を細めた。


***

 ――フィールドに、再び鐘の音が鳴り響く。

「次鋒戦、開始の準備をお願いします!」

 アナウンスと同時に、観客席の一角がざわめきに包まれる。

「ミィナ様~! 可愛すぎる〜!」

「マジ天使……あれは反則でしょ……!」

 やけに熱のこもった声援が、波のように広がっていく。

 出場ゲートが開かれると、そこから現れたのは――

 まるで舞台に立つ女優のように気品と存在感を纏った少女。

 金糸のような髪、ティアラ、軽やかなドレスアーマー。

 〈ラウ=ミディア帝国〉王女、ミィナ・エイゼル。

「……また、会ったわね?」

 ミィナは唇を弓のようにやわらかくゆがめて、手を振る。

 その視線の先には、キサラギと焔羅。

 予選で戦ったときと同じ、あの甘い匂いが空気に混じる。

 焔羅が不意に目をそらした。

「おい……なんだ急に」

 隣のキサラギが眉をひそめる。

 ミィナは微笑を崩さぬまま、一歩踏み出す。

 そして、ごく小さく――

「……編みなおし、開始」

 ふわりと、空気が震えた。

 魔力の糸のような波紋が彼女の周囲に広がる。

 観客席すら、一瞬その視線を奪われる。

 会場の熱気が膨れ上がる。まるでアイドルのライブ会場のような錯覚。

 焔羅とキサラギの目も、否応なく引き寄せられていた。

 二人の瞳の奥で揺れる“何か”。そこには――小さなハートが浮かび上がっていた。

「…か、かわいい」

「…天使だ」

 ――バキィン!!

 控え席の後方から、硬質な音が響く。

 紫が大剣を床に叩きつけ、柄の先端を深くめり込ませていた。

 鋭い眼差しが、二人の背を貫く。

 その音に、二人の意識がはじかれる。

「焔羅、今のお前……なんか、おかしくねぇか」

 キサラギの声が鋭さを取り戻す。

 焔羅は目を瞬かせた。

「……いやお前こそ……てか、あれ、なんでだろ」

 わずかに柔らかくなった口調。

 気が抜けたような構え。

 まるで“戦う気”そのものを吸われたようだった。

「……ちっ」

 キサラギが舌打ちする。剣を構え直しながら、目線を鋭くする。

(まずいな……ミィナの魔術、“感情”を歪めてくるタイプか)

 そのとき、ミィナの背後からもう一人の影が現れる。

 重装の騎士――ファーニス。

 巨大な盾と長剣を抱え、鉄面皮のまま、無言で歩み出る。

 その動きは、まるで感情というものが存在しない“兵器”そのものだった。

 ファーニスが盾を構えて突進する。

 まるで重量すら無視するような、重騎の突撃。

 キサラギが銃を構えて応戦する、金属と金属のぶつかる音がフィールドに響きわたった。弾き飛ばされる弾丸。

「っ……くそ……」

 腕に残る衝撃が、体ごと吹き飛ばすような圧だった。

 一方そのころ、焔羅は――

 ミィナの視線を受けていた。

「焔羅くん。そんな顔しないで。あなたは、もっと笑ってたほうが……ね?」

 囁きにも似た声。耳元に直接届いたような気がした。

 瞬間、視界がぐにゃりと歪む。

(っ……なんだ、また来た……)

 思考にノイズが走る。意識の底に、光が差し込む。

***

 ――夕焼け。

 妹、ユラが、傷だらけ泣いている。

 目の前の大人が、冷たい声で何かを言った。

 焔羅は震える手で、二人を庇った。

 痛みも、怖さも、飲み込んで――叫んだ。

 (強くなる。絶対、誰も泣かせない)

 それが、始まりだった。

 なのに――

「守らなくてもいいのよ」

 別の声が、優しく包み込んでくる。

「焔羅くんが傷つかなくても、誰かが守ってくれるわ。

 ……それって、幸せでしょ?」

 その言葉に、脳の奥がふわりと緩む。

 記憶の色が、ほんの少しだけ――違う色に“編みなおされる”。

(あれ……俺……なんで、守ろうと……?)

 視界の端にミィナの姿がにじむ。

 焔羅は、動きが鈍った。

***

「おい、焔羅! 集中しろ!」

 キサラギの声が飛ぶ。

 焔羅が顔をしかめるように振り返った。

「……あ、ああ。わかってるよ」

 だが、わずかに――その声には“戸惑い”が混じっていた。

 キサラギは焔羅の動きを見て、眉をひそめる。

(……妙だな。あいつの反応が鈍い。ミィナの魔術、まだ続いてやがるのか)

 ミィナは何もせず、ただ小さく笑っているだけ。

 だがその微笑みこそが、じわじわと心を絡め取っていく毒だった。

***

 控室の空気が張りつめていた。

 鋭い眼光の先にはフィールドに立つ赤黒い髪の男。

 紫は、剣の柄を握ったまま、ひざを小刻みに揺らし続けている。

 アサヒがそっと声をかける。

「ゆ、紫、落ち着いて、これは相手の力で、実際は違うと思うし」

「…わかっている」

 短く答えるが、その声は低く、刺すような怒気をはらんでいた。

 兆でさえ、視線を向けず、何かを祈るように沈黙している。

 そして、レイのもとにアサヒが顔を寄せて、小さく囁いた。

「……なんで、あの二人だったの?」

 レイは少し困ったように視線を落とす。


***

 夜の訓練場。

 整備台に腰を掛けたキサラギは、静かに銃の分解整備を続けていた。

 そこへ、レイがゆっくりと近づいてくる。

 レイは何も言わず、その隣に腰を下ろした。

 キサラギは手を止めず、目だけを上げる。

「焔羅とキサラギって、予選のときに思ったけど……相性いいよね」

「……基本、調査隊はどんな状況でも戦えるようにしてるからな」

 キサラギの言葉はいつも通り淡々としている。

「だが強いて言うなら、その中でも安定してるのは――焔羅と紫のペアだな。だからお前らの初任務にも同行させた」

 キサラギはレイのほうを見ず、黙々と鉄の塊に向き合う。

 その手は止まらない。

「……焔羅と紫の組み合わせは、確かに強い。だけど……あれは“強すぎて不安定”だと思った」

 キサラギの手が一瞬だけ止まり、また動き出す。

 無言のまま、続きを促す仕草。

「……なるほどね」

 ほんの一瞬、キサラギが微笑んだように見えたが、それはすぐに消えた。

「それに、多分だけど……次鋒は精神系でくると思う」

「先鋒で勢いをつけて、次鋒は小細工で勝ちを拾いにくる。よくある手だ」

「精神攻撃には、焔羅とキサラギが一番“ぶれない”と思った」

 その言葉に、キサラギは再び無言で作業を続け――そして、ふっと呟く。

「……あいつ、軽そうに見えて激重だからな」

 レイが吹き出しかけて、どうにか飲み込む。

「信じるものが決まってるから、なんやかんやで大丈夫だと思うよ」

「……“なんやかんや”で片付けんなよ」

 列車で撃ち合った記憶が、今では懐かしく思えるほどに――穏やかなやりとりだった。

「……まぁ、お前の予想、当たってると思うぜ」

 キサラギが、ほんのわずかに笑った。

 それは、銃の照準よりも正確に、相棒を信じている証だった。


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