鍵の番人、無傷の突破
焔羅は、鍵が埋まった封印器の前に立ち尽くしながら、指を軽く鳴らした。
霧の奥からまたひとり、足音が忍び寄ってくる。
(……これで何人目だよ)
武器を構えた影が現れる。躊躇なく飛びかかってきた。
焔羅は片手で受け、回転を加えて腕を極め、そのまま地面に叩きつける。
「ぐ……っ」
衝撃と共に相手の意識が落ちるのを確認し、焔羅は素早く後ろ手に拘束をかけた。
「殺してねぇから感謝してほしいわ、マジで……」
倒れた身体を谷の外れへと引きずる。
すでに同じような“気絶兵”が三人目だ。
「よくまあ、こんな気味の悪いとこに来れるな……ご苦労なこと」
鍵の存在が周囲には気持ちの悪い力が漏れているのか、それとも“罠”として設計されているのか。
どちらにせよ、黙って立っているだけで次々と人がやってくる状況に、焔羅は心底うんざりしていた。
「……めんどくさすぎィ!早く来てよ、キサラギ……」
誰に聞かせるでもなく、低くぼやく。
その瞬間だった。
――ぞわり、と。
肌をなぞる異質な殺気。空気が変わった。
今までの者たちとは“何か”が違う。
焔羅は即座に立ち上がり、重心を落とす。
霧の奥。赤黒い光が滲む。
現れたのは、白い人影――その気配は、殺気でも焦りでもなく、ただただ冷たい“使命感”のようなものだった。
白装束に赤い模様、瞳は金。無垢な顔立ちに不気味な静けさをもつ少年がたたずんでいた。
焔羅は唇を吊り上げ、口の端をゆがめた。
「……それはそれで面倒かもー……」
***
塔の最上階――そこは、天井も壁も途切れ、外の空がまるごと見える吹き抜けの空間だった。
石造りの床に、蔦のような触手が絡みついている。天井や壁の縁からも、無数のそれが垂れ下がり、中央では異様な光を放つ《鍵》が宙に浮いていた。
「……ここ、か」
兆が口を開くより早く、レイが言った。
どこからどう見ても、トラップの匂いしかしない。
中に踏み込むかどうかを迷っていたその時――
「……だれかぁーーー!!」
外から声がした。
レイの背筋が凍る。
塔の下、瓦礫の中で、アサヒが巨大な魔獣に追われていた。
「アサヒ……!」
思わず身を乗り出したその瞬間、背後の通路が“バタン”と音を立てて閉ざされる。
最後の退路。もう前に進むしかない。
レイは息を飲み、触手の蔦へと足を踏み入れた。
――ドッ。
耳鳴りのような衝撃音が脳内に響いたかと思えば、世界が歪んだ。
「レイ……悪い子ね、アサヒを守るのがあなたの役目でしょ」
暗闇の中、懐かしい声が響く。見知った人影が、そっと頬に触れた。
(……母さん?)
冷たい手。優しげな声。だが、何かがおかしい。
(違う……これは……)
触手が身体に触れるたびに、 懐かしいはずの記憶が、次々と浮かんでは消えていく。
(前にあった……精神攻撃系の幻術だ)
「兆!触っちゃだめだ! これは――!」
レイのその叫びは意味をなさなかった。兆はレイが思うよりもずっと先に進んでいた。
壁からは這い出した触手を、素手で薙ぎ払い続ける。
「うざい、どけ」
苦悶の色を浮かべても、怯む様子は一切ない。
幻覚が見えているはずなのに、それを無視するように――いや、気にしていないかのように、ただまっすぐ鍵へと向かっていく。
「……まじかよ」
唖然とするレイをよそに、兆は触手の渦中を突き進み、ついに鍵を掴んだ。
「取った」
当たり前のように戻ってきた兆は、触手を斬り裂きつつレイの腕を取る。
「……え?」
レイは嫌な予感に小さく声を漏らした。
「行くぞ」
次の瞬間、兆は塔の縁を蹴った。
「ーーーーーーーーー!!!!」
風を切る音とともに、二人の身体が宙を舞う。
加速する落下――だが、兆は瓦礫のわずかな隙間に正確に着地した。
目の前には、魔獣に追い詰められたアサヒの姿。
「レイ! 兆!」
涙目で叫ぶアサヒ。レイは別の意味で涙目だった。
「どけ」
その一言と共に、周囲に爆風のような衝撃が走った。
複数の魔物が吹き飛び、地に伏す。
心臓の鼓動がうるさい。
レイは呆然と口を開いた。
「……あの魔物、相当強力な精神攻撃してたはずなのに。なんで……」
兆はちらりとレイを見て、鍵を軽く持ち上げた。
「え?鍵取るルールなんだろ?違ったか?」
その無垢とも天然ともつかない声音に、レイは言葉を失った。
「それに――お前、弟が心配だったんだろ?」
まるで天気の話でもするような声だった。
「たすかったー!ありがとう!!」
アサヒが泣きながら兆に飛びつく。
その光景を、レイはぽかんと眺めていた。
(……無根拠な行動力……謎の納得力)
レイは頭の中で情報を処理するのにしばらくかかった。