鍵の前で
***
転送の感覚が消えたとき、紫はすでに剣に手をかけていた。
静まり返った廃墟の一角。風はなく、空気は湿っている。
剣を抜くまでもなく、周囲に敵の気配はない。
だが、紫は気を緩めることはなかった。
(ここは……建物の跡。軍事施設か)
焼け焦げた鉄の匂い。瓦礫の中に混ざる、規則的な魔力の残滓。
何かが封じられていた痕跡。そしてその中心に、光っていた。
赤く脈打つ、鍵。
金属の台座に固定され、周囲には防壁とセンサーが張り巡らされている。
しかし、紫が警戒したのはそれだけではなかった。
金属音。視界の奥、崩れた鉄扉の向こうから、足音が響く。
「……それ以上、近づかないで」
現れたのは、一人の少女兵だった。
灰のような金髪。目元に刻まれた、深い隈。年齢は紫よりだいぶ下だろう――だが、目だけが、異様に老いていた。
少女の手には銃。背には小型の魔導機関が装着されており、装備は重火器に特化している。
国章は潰されていて、どこの国に属するかは判別できない。
「これ以上近づいたら撃つ」
少女はそう言って、銃口をこちらに向けた。
瞳は淡い青。だが、その奥には焦げ跡のようなものがあった。
言葉の調子には、迷いと決意が同居していた。
紫はこういう瞳を知っていた。嫌というほど見たことのある目だ。
「…あぁ…”命に代えても”とか言われてるクチか」
紫の何も包もうともしない表現に、少女は口をつぐむ。
紫は目を細めて観察した。
銃を持つ手がわずかに震えている。けれど、視線は逸らさない。目だけは、殺すことに慣れている目をしていた。
「……ひどい顔だけど、人質でも取られてんの?」
「――あんたには関係ない!」
銃口がわずかに揺れたその瞬間、空気が張り詰める。
少女の身体に宿る魔力が反応し、魔導機関が微かな音を立てた。
紫の足が、一歩動いた。そして紫の眼光が鋭く光った。
「……来んの?」
少女の声が震えていた。怒りか、恐れか、それともその奥にある、別の何かか。
紫はゆっくりと、背中の大剣に手を伸ばした。
その動きに、少女が反応する。
銃口が火を噴こうとしていた。
***
転送の衝撃が抜けたあと、キサラギは淡々と足元の地面を確認した。
小さな砂礫と砕けた岩。魔力の痕跡は薄い。ここは比較的、安全地帯の端にあたる場所――と、判断した。
(……予定通り“ばら撒かれた”な)
空には霧。周囲には丘のような起伏が続いており、目視だけでは索敵も困難だ。
それでも、キサラギの頭の中ではすでに、全体の地形構造が仮想的に組み上がっていた。
耳を澄ます。風の音。獣の鳴き声。金属の反響――。
各地点の微かなノイズが、仲間の存在や敵の活動を示していた。
次に取り出したのは、通信機ではなく解析用の魔導円板。指先で起動し、空中に淡い光の粒子を走らせる。
点と点が浮かび上がる。霧の向こうに隠された“発光反応”。
それは、メンバーが所持している個別信号――
「……兆とレイ、あの塔か」
片側の高地。魔力濃度の高い地帯の付近に、二つの反応が並んでいた。
続けて、もう一つの方向から――微かだが、独自の“音信号”が飛んできた。
※……ピッ、ピ……ピィィ……※
高周波のパルス。共振式の呼び出し。
焔羅が使う、位置伝達信号だ。
キサラギは眉をほんのわずかに動かした。
(あいつ、既に“鍵”の前にいる……だが単独では解除できない構造か)
さらに周囲の信号を調べる。紫、アサヒ、兆、レイ。
誰もが、異なる“鍵”のエリアに近づいている。これは偶然ではない。
――いや。偶然としても、好都合だ。
鍵は全部を取る必要はない。
キサラギの役目は、全員を“勝たせること”ではない。
全体の構造を把握し、必要な戦力を必要な場所に導くこと。
(まぁ、とりあえず、誰も死ななきゃ問題ない)
キサラギは、軽く地を蹴って移動を開始した。
進行方向は――焔羅のもと。最も解除に“協力者”を必要とする地点だ。
走りながら、袖の内側にある小型信号機に触れる。
短く、だが特定のリズムで。
※……タッ、タタ……タタタ……※
今度はこちらからの合図。
焔羅に、**「向かっている」**という旨を知らせるパターンだった。
霧が風に流れ、視界がわずかに開ける。
その向こうに、湿った谷のような地形――
大きく“鼓動”のような魔力の波が、そこから漏れていた。
(……予定より早い展開だな)
キサラギは息を整え、足を止めずに考える。
このまま鍵を誰かが一つ確保できれば、次のフェーズは比較的スムーズだ。
だが問題は――その“スムーズさ”を、誰が壊しに来るかだ。
彼の思考は常に、敵の動きまでを含んでいた。
(来るなら……“ゼフェリカ”か)
仮面の少年。アギル。
キサラギは小さく息を吐く。
「敵も味方もめんどくさいやつが多いな……」
皮肉を呟いて、霧の中へ消えていった。