鍵と牙
転送の光が収まると、そこは朽ちた石畳が斜めに崩れた広場だった。
(みんなバラバラか……どこにいったんだろ)
そんなことを考えながら、静かに瓦礫の隙間を縫って歩いた。しばらく歩くと一番開かれた場所に出た。
地面には赤黒い染み、焦げ跡、剥き出しになった骨のようなもの――戦闘の痕がいくつもあった。
アサヒは息を呑んだ。風が吹くたび、何か焦げたような匂いと鉄の臭いが鼻についた。
アサヒはとっさに自身の携えている剣を握った。
地面には倒れたまま呻き声を上げる兵士――否、選手たち。国籍の違う紋章の装備をつけたまま、誰かに一撃で打ち倒されたようだった。
その中央。
一人の少年が、血溜まりの中心に立っていた。銀白の仮面、肩に乗る黒猫。そして手にした、黒く煌く「鍵」。
目が合った。仮面の奥の瞳が、鋭くアサヒを射抜く。
「……君が、やったの?」
思わず問いかけてしまった。
その少年は何も答えない。ただ、黒猫が低く喉を鳴らし、尻尾をくるりと揺らした。
次の瞬間、呻いていた負傷者の一人が咳き込んだ。その様子にアサヒは咄嗟に駆け寄り、手を差し出した。
「大丈夫、大丈夫だから……っ」
指先から光が溢れる。
手の甲の“石”が淡く輝き、負傷者の身体に柔らかな波紋のような光が走る。
血が引き、骨が鳴り、傷が塞がっていく。
苦悶の顔が穏やかになり、静かな寝息が聞こえた瞬間、アサヒはほっと胸を撫で下ろした。
ユルザでの一件以来、力の使い方には少し慣れてきた。
クロガネに剣を直してもらってから、何となく、剣も石も自分に応えてくれる気がしていた。
ふと気配を感じて顔を上げる。
仮面の少年――アギルが、こちらを凝視していた。
その瞳には、驚きと……焦りのような感情が浮かんでいる。
視線の先には、アサヒの手の甲の石と、腰の勇者の剣があった。
「その力……」
アギルが囁いたように言ったかと思えば、次の瞬間には空気が裂けた。
「っ――!」
反射的に飛び退く。刃が目の前をかすめ、アサヒの肩を浅く裂いた。
痛みに顔をしかめつつ、剣を抜こうとしたその手を、アギルの脚が狙う。
一瞬のうちに間合いを詰めてくるその速度と技量に、アサヒの防御は間に合わなかった。
地面に転がる。手から滑り落ちた剣。
アギルが鍵を拾うと同時に通信機が起動する。
微かな音声が漏れた。
『……良い素材だな。生かしておけ』
男の声。冷たい、感情のない命令。
アギルの表情がわずかに揺れたように見えた。だがすぐにその顔は、仮面の下に沈む。
「……了解」
そう言葉を放つと、アギルは踵を返した。黒猫が静かにそれに従い、再びアサヒの方を振り返る。
何か言いたげな気配だった。だが、言葉にはならない。
気づけば、アサヒの周囲に異音が満ちていた。
地面が揺れる。影が増える。……這い出してくるのは、魔物たちだった。
腐臭と瘴気を纏い、複数の影がアサヒを包囲していく。
「…えぇ…うそぉ……」
魔物たちは、アサヒの持つ石と剣に反応するように、低く唸り声を上げた。
その気配に、全身がこわばる。
アサヒは震える手を無理やり落ち着かせ、勇者の剣を握る。構える。
そのとき、最も大きな獣の唸りが辺りに響いた。
「やっぱ、無理かも!」
アサヒは叫びながら、剣を抱えて魔物たちの間をすり抜け――全力で走り出した。
***
木々のざわめきがやけに近く、足元の草が濡れていた。
レイは転送の光が収まるなり、すぐに辺りを見回した。だが、誰の姿も見えない。
(……バラバラに飛ばされたか。アサヒ……大丈夫かな)
心臓が妙に早く脈を打っていた。嫌な胸騒ぎが、ずっと消えない。
風に煽られる枝を手で押しのけながら、森をかきわける。
そのときだった。
すぐ前方、茂みの向こうに人影が見えた。反射的に身構えたが、その輪郭は見覚えのあるものだった。
「……兆?」
兆は、倒れた魔物の横に立っていた。血飛沫を浴びた腕を無造作にぬぐい、振り返る。
「お前か。えっと、アサヒ?」
「俺はレイ」
どうやら兆は双子の見分けがまだついていないらしい。
「弟か?」
「兄」
地面には、すでに二、三体の魔物が倒れていた。兆の息は乱れていなかった。
レイは小さく息を吐いた。
「……一緒に動こう。無闇に離れるのは得策じゃないし」
兆は頷いた。
しばらく森の中を抜けて歩くと、霧の向こうに黒い尖塔が見えた。
魔力が滲むように流れ出している。塔の中腹にある赤く光る装置――いかにも鍵が隠されてそうな雰囲気。
「あそこか」
「鍵……探しながら、アサヒも探さなきゃ」
そう言ったレイに、兆が目を向けた。
「なんでだ?」
「……あいつは、戦闘向きじゃない。し……見習い、だし……」
言いながら、自分でも歯切れが悪いと思った。
理由はいくらでもあるはずなのに、うまく言葉にならなかった。
兆は、一拍だけ間を置いてから答えた。
「そうか」
ただそれだけだった。
レイは思わず言葉を失った。
もっと何か訊かれると思っていた。理由を問われるとか、心配しすぎだと笑われるとか――。
「……いや、そんなあっさり……」
「お前が気にしてるなら、探せばいい。それだけだろ」
兆は淡々と言い、前を向いて歩き出す。
その背中を見ながら、レイも小さく笑った。
何かを深く掘り下げるでも、否定するでもない。ただ、まっすぐに前を向く兆のその姿に、少しだけ救われた気がした。
「……うん、そうだな」
小さく呟いて、レイもあとに続いた。
***