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孤独は夜空で星を結ぶ  作者: 最下真人
【一章 星と空】
7/42

薄命の空①

 日曜日は晴天に恵まれた。空を漂う雲が青に映える。

 今日の私は少しオシャレだ。

 白のワンピースの上にグレーのニットを重ね着し、足元は黒のスニーカーできめた。

 そしてお気に入りの白のショルダーバック。

 いつもはもっとラフな格好だが、今日はデートだからそれっぽくしたい。

 他人からしたらオシャレじゃないと言われるかもしれないが、私がオシャレだと思っているからそれでいい。

 蒼空と付き合える可能性はほとんどないかもしれない。

 だけど少しでも可愛いって思ってほしかった。

 緊張とワクワクを交えながら駅の前で待っていると、「ごめん、待った」と蒼空が駆け足で来てくれた。

 待ち合わせの時間よりも十五分早いのに。


「ううん、八時間くらいしか待ってない」


 私は、緊張をほぐすように冗談を言う。


「八時間ならそんなに待ってないな」


「どんな倫理観のもと育ってきたんだよ」


 一昨日のことがあったから少し不安だったが、いつも通りに話せそうだ。

 良かった。


「どこ行くの?」


「内緒」


「じゃあ楽しみにしてる」


「楽しみにしておけ」


 今日は想いを伝える。

 昨日の夜に改めて覚悟を決めた。

 怖いけど一歩踏み出したい。

 私はずっと言えなかった二文字を握りしめながら、改札に入った。


 *

 

 背伸びをしてオシャレなカフェに来た。

 店の奥に大きな窓があり、そこから海が一望できる。

 まるで絵画のような景色を拝めながら、オムライスを口に運ぶ。

 蒼空はクリームパスタを頼んでいた。


「オムライスが五臓六腑に染み渡る」


「女子高生はそんな表現しない」


「男子高校生はクリームパスタを頼まない」


「クリームパスタは普通に頼む」


「海の見えるカフェでクリームパスタを頼んだら、隣の女子高生がオムライスを食べながら臓六腑に染み渡ると言っているが、女子高生は普通そんな表現をしない」


「勝手にラノベを始めるな」


 こんなオシャレな場所でする会話ではないが、どんな場所でも同じでいられることは心地よい。


 蒼空は大人ぶって、食後にコーヒーを頼んだ。

 ブラックで飲んでいる。カッコつけやがって。

 私はクリームソーダを頼んだ。

 メロンソーダの上のアイスがくまになっている。耳はクッキーで作られ、顔はチョコで描かれていた。


「可愛いね」


 ふと蒼空の方に視線をやったら、私の目を見てそう言ってきた。


「え?」


 急に何だ? もしかしてこのままキスされるんじゃないか。

 嫌じゃないけど、もっと他に場所があるだろう。

 私のファーストキスだぞ。

 せめてアルプス山脈の麓でブランコを漕ぎながら、立ち上がるクララを横目にこっそりとするとかあるだろう。

 クララがみんなを引きつけている間にするのが令和の主流だろ。

 なんのためにクララが立つんだよ。

 クララの気持ち考えろよ。


 私の妄想が暴走していると、


「くま、可愛いね」


 と、蒼空が囁くように言った。


 そっちかよ。

 何で私を見た。

 勘違いするだろう。私のファーストキスを返せ。

 いやまだしてない。


 それよりも、私より先にくまが可愛いと言われた……


 おしゃれした私よりも先に……


「可愛いよね、くまって。頭カチ割りたくなるよね」


 目の奥が笑っていない笑顔を浮かべて、アイスで作られたくまの脳天にスプーンを入れる。


「ならねーし、怖えーよ」


 世界に無数ある可愛いを、この世から一つ消した。


 *


 クラゲが夜を彷徨っていた。

 暗い水族館は好きだ。夜を泳ぐような魚たちが幻想的に美しい。

 その中でもクラゲ別格だった。

 暗闇に映し出される水槽の中の青を、雲のように彷徨う白いクラゲたち。

 まるで空を見ているみたい。

 私は釘付けになっていた。初めて青空を見た子供のように。


 後ろから「クスッ」という笑い声が聞こえる。

 振り返ると、蒼空が幼い子を見るような目でこっちを見ていた。


 たぶんこう言う――子供みたい。


「子供みたい」


 ほらね。絶対に言うと思った。


「だって綺麗なんだもん」


 蒼空が私の隣に来て、クラゲの泳ぐ水槽を見る。


「可愛い」


 くまに続いてクラゲにも言った。

 私にも言え。オシャレしてきたんだぞ。


「ええ、クラゲは可愛いですよ。とても」


 拗ねたように言う自分は、本当に子供みたいだと思った。

 素直にそうだねって言えばいいのに。

 こういうところは治さないといけない。


「クラゲじゃなくて、千星の今日の服」


 え?


「いつもより大人っぽい」


 ちょ、おい……あの……え、いや、その……なんていうか、ほら……あの……えっと、その、というか、あの……


 嬉しすぎて語彙が死んだ。

 周りが暗くて助かった。

 今の私の顔はポストのように赤いと思う。

 ここが街中だったら、子供が私の口の中に手紙を放り込んだだろう。


――ちょっとお姉ちゃんはポストじゃないよ

――赤いからポストかと思った

――あ、赤くなんてないよ

――赤いよ。あっ! もしかして隣のお兄ちゃん彼氏?

――か、彼氏なんて、そんな! 確かにそう見えるかもしれないけど、彼氏じゃな……

――俺の彼女だよ

――蒼空……

――千星、今日も可愛いよ


「こんな街中で、恥ずかしいだろバカ」


「恥ずかしいのはこっちだよ」


 ハッとなって我に返る。

 悦に入り妄想が爆発してしまった。

 しかも現実世界に声をお届けしてしまうし、周りの人たちがこちらを見て笑っている。

 めっちゃ恥ずい。とりあえず、一旦冷静になってから、


「あ、ありがとう」


 本当に嬉しかった。

 ちゃんと見てくれていたこと。

 それを言葉に乗せてくれたこと。

 また一つ宝物をくれたこと。

 好きな思い出がまた一つできたこと。


 何でもないことが特別に感じる。

 何となく蒼空も照れてるように見える。

 それがちょっと可愛かった。


「蒼空も可愛いよ」


 からかうように言ってみた。

 怪訝な顔でこっちを見てきたが、知らんぷりしてイワシの群を見に行った。


 そしてもう一度「ありがとう」と伝える。


 蒼空には拾えないほど小さな声で。


 *


 高層ビルが立ち並ぶ夜の街は、イルミネーショに彩られていた。

 道路に沿って植えられた木々に電飾が施され、青いトンネルが作り出されている。

 このあと私は気持ちを伝える。

 歩くたび早くなっていく鼓動が、周りの喧騒をかき消して心音だけが頭に響く。

 隣で歩く蒼空は今何を思っているんだろう。

 もし「好き」と伝えたら驚くかな? 

 そのときはどんな顔をするだろうか。

 混濁する想いが胸を締め付けて苦しくなっていく。


 そんなことを考えているうちに駅前に着いた。

 ロータリーの中央にある大きな木が、LEDという魔法にかけられてクリスマスツリーになっている。

 カップルがツリーを背に自撮りしているのが視界に入った。


 今日は告白するタイミングは何度もあった。

 だけど言い訳しながら先延ばしにした。

 今じゃないとか、あそこで言おうとか、もっと良いタイミングがあるとか。

 でも次に言い訳をしたら言えないような気がした。

 だから、ここで言おう。


 横断歩道を渡り、駅の出入り口付近まで来たあと、立ち止まってツリーに視線を移した。

 想いを伝えるのに心の準備がしたかったからだ。

 ツリーに見惚れてるふりをすれば時間が稼げる。


 程なくして、鼓動の速度が緩やかになった。

 ツリーのてっぺんにある光り輝く星に『想いが伝わりますように』と願いを込め、蒼空の方に体を向ける。


「今日は楽しかった。ありがとう」


 まずはお礼を言う。緊張を慣らす意味でも。


「俺も楽しかった」


 蒼空は優しく笑ってくれた。その顔がとても愛おしい。

 大きく息を吸うと、冬の冷たい風が喉の奥を冷やした。

 言うなら今だ。伝えないと。


「あのね、蒼空……」


 蒼空と目があった。

 その瞬間、すべてが崩れてしまいそうで言葉を詰まらせた。

 覚悟を決めたはずなのに言葉が喉元で痞える。

 いつの間にか目を伏せていた。

 蒼空の視線を感じるが顔を上げられない。

 鼓動が再び早くなる。


 寒さからか、それとも極度の緊張からか、声どころか口すら開けない。

 たった二文字の言葉が霧の中に消えていくみたいだった。

 目の前にあるはずなのに掴むことができない。

 心音をなだめるように息を吐く。

 霧を吹き消すように。


「千星」


 名前を呼ばれたので蒼空を見ると、神妙な顔つきでこちらを見ていた。


「ずっと言おうと思ってたことがある」


 嫌な予感がした。


「俺、好きな人がいて……」


「ちょっと待った」


 私が告白しようとしていたのを察したのかもしれない。

 こっちが言う前に自分から伝えようと。

 もし好きと伝えればこの関係が終わってしまうかもしれない。

 でも私が何も伝えずにいたら、仲の良い幼馴染のままでいられる。

 蒼空のことだから気を効かせたのかもしれない。

 最後まで優しくするなよ、バカ。


 再び視線を下に置いた。

 蒼空を見たらたぶん泣く。

 タイタニックぶりに号泣するかもしれん。今ならジャックの気持ちが分かる気がする。

 いや、全然分からん。

 シュチュエーションが違いすぎる。

 ダメだ、タイタニックを思い出したら余計に泣きそうだ。


「千星、聞いてほしい。俺、好きな人がいて……」


 やめて、言わないで、まだ準備ができてないから。

 絶対に泣くから、今だけは言わないで。


「ずっと言えなかったけど……」


 蒼空はそう言ったあと、言葉を止めた。

 言いづらいことだから躊躇しているのかもしれない。

 もし私の想いを察しているなら、死刑宣告をするようなものだ。

 孤独に突き落としかねないから、言葉を選んで頭の中で推敲している可能性もある。


 色んな考えが交差し始めると、沈黙の中を彷徨っているように感じた。

 目的地が分からない電車に揺られ、扉が開くのをただ待っているだけのような、そんな沈黙だ。


 十秒ほど経っても蒼空は何も言ってこない。

 心配になって、顔を上げようとしたときだった。


「雪――」


 その言葉を聞いて思わず走り出してしまった。

 ほとんど無意識だと思う。防衛本能だったのかもしれない。

 傷を付ける覚悟より、傷が付くことの拒絶が上回った。

 本当に何をやっているんだろう私は。自分の臆病さが情けない。

 視界がぼやける。いつの間にか涙が出ていたみたいだ。

 でも泣いている姿は絶対に見せられない。

 蒼空に私の気持ちが伝わってしまうかもしれないから。

 そしたら言い訳もできないし、話すことすら憚られる。


「千星」


 背中から蒼空の声が聞こえる。すぐ後ろまで来ているのが声の大きさで分かった。

 今追いつかれたら泣いているところを見られてしまう。

 涙を袖で拭い、青信号が点滅する横断歩道を走り抜けようとしたときだった。

 鮮明になった視界に二つのものが目に入る。

 小学生くらいの女の子が空を見上げながら渡っている姿と、速度を落とさず横断歩道に向かってくる車だ。


――轢かれる


 その瞬間、自然と体が向かっていた。

 私は女の子の体を守るように強く抱きしめると、強い光が横から当たった。

 顔を向けると、車が私たちの方に突っ込んでくる。


――あっ、死んだ


 そう思ったとき、周りのものがスローモーションに流れた。

 死ぬ間際に時間がゆっくり流れる現象があると、テレビで見たことがある。

 確かなんだっけ、サキイカ? いや、タキなんちゃら現象だったかな。

 鮮明なほどに一つ一つのものが視界に入ってくる。

 車に乗っているのはカップルだろうか。二人とも窓の外を見上げてなんか言っている。

 何を見てるんだろう。いやそうじゃない。よそ見するなよ、運転に集中しろ。死ぬぞ、女子高生と幼い女の子が。

 呆気ない最後だ。

 結局、蒼空には何も伝えられなかった。

 こんなことになるなら言えばよかった。

 でもこれでよかったのかもしれない。

 どうせ一人になるなら、いっそのこと死んだほうが楽かも。

 いや、やっぱり伝えたい。

 『好き』って言いたかった。

 伝えたいことがたくさんあったけど言えそうにないや。


 ごめんね、ありがとう。


 それと……バイバイ蒼空。


 死を受け入れたとき、体が前方に飛ばされた。

 轢かれた? 

 いや、そしたら横に飛ばされるはずだ。

 背中を誰かに押されたような感触がある。

 それと何か衝撃音のようなものも耳に入った。


 肩から地面に落ちる。

 ほぼ無意識で体を捻り、女の子が頭を打たないように庇っていた。

 腕の中の女の子は何が起こったのか分からないという表情をしている。

 それは私も同じだった。


 意識がはっきりしたのは、女性の悲鳴が聞こえたときだった。

 その声で咄嗟に振り返ると、視界に入る光景に意識が飛びそうになった。


 なんで……ウソだよ……やめてよ……


――千星


 車に轢かれそうになったとき、背中から聞こえてきた声が再生される。


 嫌だ。嫌だ。嫌だよ。


 あのとき背中を押したのって……ウソだ……嫌だよ蒼空。


 周りの人が蒼空のところに集まって来る。

 私の方にも女性が来て声をかけてくるが、言葉が耳に入ってこない。


 昏迷した私は、血を流して倒れている蒼空を、ただ呆然と眺めることしかできなかった。

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