空は夜を纏い、星を掬う①
千星は一人でいることが増えた。
仲の良かった明里から『うざい』と言われてたことで「他の人も同じように思ってるかも」と、不安を浮かべながら話していた。
「俺はそんなこと思わないから。だから一人ぼっちにはさせない」
どう返したらいいか分からなかったが、陽一なら何て言うかを考えた結果、この言葉が出た。
「ありがとう」
照れ臭そうに答える千星を見て、こちらまで恥ずかしくなる。
三宅は度々、一人でいる千星を見て茶化してきた。
その都度、取っ組み合いになったが、俺も参戦して三宅に勝利することが増えていった。
正直言うと今も三宅は怖いが、『千星を守るため』と考えたら不思議と体が動いた。
段々と大人しくなっていく三宅に安心したが、千星が日に日に人を避けるようになり不安を覚えた。
あの日の出来事で人を信用することが怖くなってしまったのなら、俺だけは絶対に裏切るようなことをしてはいけない。
そんなことをすれば、もう千星は笑えなくなる。
俺は屈託なく笑う千星の笑顔が好きだったから、それを守りたかった。
「蒼空の家に行ってみたい」
そう言われたため、明日ならいいよと言った。
本当は今日でも良かったが準備をしたかった。
「藤沢千星っていう子が、明日家に来たいって言ってるんだけどいいかな?」
リビングでテレビを見ていた両親に千星のことを告げると、二人とも驚いたような顔をしていた。
それもそうだ。陽一すら呼んだことがないので、学校の人を連れてくるのは初めてだ。
陽一は他人の家で遊ぶのを嫌った。
だから行くことはあっても、家に来たことはない。
「クラスの子?」
お母さんが目を丸くしながら聞いてきた。
「うん。その子、色々あって学校に居場所がなくなったから、俺がその子の居場所になりたいって思ってる。だから千星を家族みたいに思ってもらいたい。一人ぼっちにさせたくないから」
「分かった。家族と思って接する」
母は優しく微笑みながら頷いてくれた。
「その子に何があったかは分からないけど、一緒にいて安心できる存在になってあげな。そういう人がいるだけで不安が和らぐから。一人でも自分に寄り添ってくれる人がいるだけで、優しさを持つことができる。そしてその優しさが、いつかその子の救いになる」
この時はまだ、父の言葉を理解することはできなかった。
でも大切なことなんだろうと思い、胸の中に仕舞うことにした。
*
「お、お兄ちゃん、明日友達来るの?」
夕飯のとき、美月が目を丸くさせながら聞いてきた。母と同じような反応だ。
「うん、同じクラスの藤沢千星って子」
「そ、そうなんだ」
なぜか分からないが美月は動揺しており、水の入ったグラスにスプーンを入れて掬っていた。
たぶん隣にあるスープの入ったカップと間違っている。
「会ってみる?」
美月は小学校に入学してから、誰かと遊んでいるところを見たことがない。
両親はそれを心配しているようだった。
「だ、大丈夫、私は部屋にいるから。お兄ちゃんたちの会話を、盗み聞きなんてしないからね」
たぶんするな。
「分かった。一緒に遊びたくなったら、いつでも来て」
「うん……」
もし美月と千星が仲良くなってくれたら……
このとき、そんな想像を膨らませていた。
千星に美月のことを話すと「蒼空の妹なら友達になれる」と言ってくれた。
実際、家に遊びに来たときは、前のような千星の姿を見ることができた。
居場所になれていると思い、嬉しくなる。
だが中学に上がっても千星は変わらなかった。
俺以外の人と接することなく、友達を作ろうとすらしない。
それを見て、自分は友達を多く作ろうと思った。
学年の中心にいれば何かあったときに守りやすくなるし、千星がいじめらる確率は低くなる。
できるか不安だったが、千星を守るためなら頑張れると思った。
陽一と千星しか交友関係がなかったため最初は苦戦したが、学年の中心にいる何人かを参考にして、自分の中に落とし込んでいった。
観察していて分かったのは、人それぞれの価値観の違いだ。
距離感、悩み、環境、求めるものや大切にしていること、人によって踏み込んではいけない範囲、絶対に馬鹿にしてはいけないものなど、多様で繊細なグラデーションで円を描いていた。
自分の色を出せる人もいれば、周りの色に染められてしまう人もいる。
多岐にわたる色彩は、学校というキャンパスでは上手く混ざり合うことは難しい。
ならせめて、俺といるときにその色が一番美しく輝ければ、居心地のいい場所になる。
そうすれば友達だって増やすことができると思った。
二年に上がる頃には学年の中心に位置するようになった。
ほとんどの人と友達になったが、三宅や明里、佐藤とはあまり話さなかった。
千星が見たら悲しむだろうから。
三宅は小学校の時と比べて、だいぶ大人しくなった。
同学年に三宅より体格のいい安西という子がいて、俺はそいつと仲が良かった。
安西は三宅と違って優しいやつだ。
だから純粋に友達になりたいと思い、仲良くなった。
「蒼空、付き合ってほしい」
同学年の女子から告白されることがたまにあったが、全部断っていた。
恋愛に興味がなかったからではなく、好きな人がいたから。
*
「おい蒼空、早くスペードの3を出せ。持っているのは分かっているぞ。さっきチラっと見たからな」
ある日の日曜日、俺の部屋で千星と美月と共に七並べをしていた。
「いや、勝手に見るなよ。ルールは守れ」
「千星ちゃんもダイヤの10出してよ。私が上がれない」
「なんで私が持ってるの知ってるの?」
「千星ちゃんがお兄ちゃんの手札を見てるときに、こっそり見た」
「卑怯だぞ。人の手札を見るのは道路交通法に引っかかる行為だ」
「人のこと言えないだろ。しかもなんで道路交通法なんだよ」
「とにかくスペ3を出せ、蒼空」
千星は俺の手札から、無理矢理スペードの3を引っこ抜こうとする。
「おい、やめろ」
抜かれるのを阻止するため、力強くカードを握る。
「3を寄越せ」
「美月、今のうちにダイヤの10を取れ」
美月が千星の手札からダイヤの10を取り、ダイヤの9の隣に置いた。
「あー! ずるいぞ、この極悪兄弟め。か弱き女子中学生から、命に等しいダイヤの10を奪うなんて。それでも地球人か」
「せめて人間か、だろ。規模がでかいんだよ」
「私のバックには火星人がいるかなら、お前ら覚えとけよ」
「千星ちゃん、火星にお友達いるの?」
美月は目を輝かせながら聞いた。
「火星生まれ、水星育ちだから」
「千星ちゃん、すごい。宇宙人みたい」
「信じるな美月。千星の言うことを聞いてたら知性レベルが著しく落ちるぞ」
「おい蒼空、次に私を蔑んだら、役所に行って婚姻届け提出するぞ」
「千星ちゃんがお姉ちゃんになるの?」
再度、美月は目を輝かせる。
「そうだよ。今日からお姉ちゃんて呼びな」
「勝手に決めるな」
「お姉ちゃん」
「もう一回」
「お姉ちゃん!」
「お前らやめろ」
こんな下らないやりとりをよくしていた。でも居心地が良かった。
千星は学校で冗談を言ったり、笑ったりすることはなかったが、俺や、俺の家族の前ではよくふざけたことを言ったり、笑ったりしていた。
自分にだけ見せるような顔もある。
それが何より嬉しかった。
この頃には陽一に託されたからではなく、俺の意思で守りたいと思っていた。
世界で一番大切な人だから。
幸せなんて贅沢なものを望まない。
平穏な日常があればいい。ただ笑って過ごせる場所を作りたい。
それが、俺のできる精一杯のことだった。
*
「高校どこに行くの?」
一緒に帰っていたときに千星に聞かれた。
「昭栄に行こうかと思ってる」
「偏差値高いよね……」
昭栄は県内でもトップレベルの高校だ。それを聞いた千星は表情を曇らせていた。
「千星は?」
気になっていた。千星はこんな感じだが、それなりに成績はいい。だから少しだけ期待していた。
「私も昭栄に行く」
「じゃあこれから毎日勉強しないとな。しょうがないから付き合ってやる」
「べ、別に教えてなんて言ってないもん。私の力で昭栄くらい受かるもん」
「じゃあ一人でいいな」
「嘘です。教えてクレメンス」
嬉しかった。千星が同じ高校を目指してくれるのが。
また一緒に通えることを想像したら思わず表情が綻ぶ。
「何で笑ってるの? あっ! 私と一緒の学校に通えて嬉しいのでござろう。このドスケベ男子」
なんでスケベなのかは分からなかったが、その予想は当たっていた。
「別に嬉しくはないけど」
嘘だ。めちゃくちゃ嬉しい。
「本当かなー?」
そう言って、ニヤニヤしながら俺の顔を覗いてきた。
「まだ受かってないから一緒のところに行けるか分からないだろ? 俺も受かるか分かんないし」
「私は死ぬ気で勉強する。だから一緒の高校に行こう。蒼空と一緒がいい」
「うん」
俺も千星も必死になって勉強した。
結果はお互い合格し、晴れてもう三年間、同じ学校に通うことになった。
だけど千星は、中学と変わらず友達を作ろうとしなかった。
最初はそれでもいいと思っていたが、段々と不安が募ってきた。
高校を卒業したら、別々の道に行くかもしれない。
そしたら千星は一人ぼっちになる。
この三年間で俺以外の友達を作ったほうが、今後の糧になるんじゃないかと思った。
だが仲の良かった明里から『うざい』と言われたこと、これが今も尾を引いている。
だからこそ友達選びは慎重にしないとダメだと思った。
高校でも学年の中心になれるように努力した。
それは中学の時と同様だが、信頼できる人間を探したかった。
千星が不安なく一緒にいれて、笑って毎日を過ごせるような相手を見つけるために。
色んな人を見てきて、富田雪乃が一番信頼を置けると思った。
周りから聖母と呼ばれるほど優しく、裏表も“あまり”感じなかった。
だが、どこか取り繕ってるように見えるときがある。
それは悪い意味ではなく、周りに合わせて無理しているような感じだった。
富田とよく話すようになったのは、一年の文化祭のときだ。
クラスで演劇をすることになり、富田は脚本を書くことが決まった。
うちの高校のバスケ部は強豪で、朝練も早くからある。
富田の成績は学年トップだったため、きっと部活が終わってから家で勉強をしていると思った。
最初は変わろうかと思ったが、たぶん富田は断る。
富田は何でも自分一人で背負い、そのすべてを完璧にこなそうとする性格だった。
だから富田には言わず、こっそりと脚本を書いた。
もし必要なければ捨てればいいし、必要だったら協力する形で渡せばいい。
富田の様子を見ると、寝不足気味だったのが顔に表れていた。
それを見て昼休みに声をかけた。
富田は図書室で作業をしていたのだが、頭を小刻みに揺らしている。たぶん眠いのだろう。
机の上にはノートが開かれていたが、何も書かれていない綺麗な白が視界に入った。
自分で書いた脚本は三分のニほどしか出来上がってなかったが、口頭で説明した。
本当は書いているものを直接見せようと思ったが、一人で背負うタイプの人間ならプライドを傷付ける可能性がある。
『俺が作った』ではなく『一緒に作った』の方が、富田は受け入れやすいと思ったからだ。
これをきっかけに、よく話すようになった。
実際話してみて、富田なら信用できると思った。
だから千星のことをよく話し、興味を持ってもらおうと考えた。
親友とまではいかなくても、千星に友達を作ってほしい。
過去という足枷が外れれば、もっと自由に生きられる。
*
「蒼空、知ってる? 花山が中学の時にクラスの奴を殴ったこと」
昼休み、校内にある自販機の前で、同じクラスの金村にそう言われた。
「金村、花山と同じ中学だっけ?」
小銭を自販機に入れながら聞いた。
「俺は違うけど、三組に相澤っているじゃん? あいつが同じ中学で、そう言ってたらしい」
緑茶にするか、ボトル缶のコーヒーかで悩む。
「何で殴ったの?」
ボタンを押し、取り出し口からコーヒーを取る。
「殴った奴に金を貸してたみたいなんだけど、勘違いかなんかでトラブったらしい。結構な怪我を負わせたんだって」
花山は目つきが鋭く、入学当初からみんなに怖がられていた。
理由は分からないが、人を避けるように常に一人でいる。
「最低だよな。まあ、あいつならやりそうだけど」
金村は隣の自販機でコーラのボタンを押し、そう言った。
このとき、陽一の顔が頭に浮かんだ。
陽一も殴ったことがあったが、あれはクラスの女子を三宅から守るためだった。
殴るという行為を肯定するわけではないが、『なぜ殴ったのか』という理由が大事だ。
三宅のように気に食わないだけで人を殴ったなら軽蔑する。
でも他に理由があるなら、それを聞いてからでないと判断はできない。
「花山にそのこと聞いた?」
「無理、無理。そんなこと聞いたら、殴られるかもしれねーじゃん」
金村は顔の前で大きく手を振りながら答える。
「知らないなら、あんまり言わない方がいい。尾ひれが付いて、話しが誇張されるかもしれないから」
「わーった」
不貞腐れたような表情で頭を掻きながら、金村は言った。
*
絵具を買うため、千星と画材屋に来た。
美月が学校に行かなくなってから一ヶ月が過ぎた頃だった。
母が学校に行かない理由を厳しく問いただしていたので、俺は何も言わないことにした。
拠り所となる場所がなければ、孤独を感じてしまうと思ったからだ。
千星に相談しようと思い誘ったのだが、やっぱり言わないことにした。
美月は千星のことが好きだったから、もしかしたら知ってほしくない可能性もある。
画材屋の後に雑貨屋に寄った。
店の奥に行くと、アルファベットのペンダントが並べられている。
A〜Zまでが横二列で並べられており、ポップには『好きな人のイニシャルを持ち歩くと、その人と結ばれるかも』と書かれていた。
適当に見ていると『Y』というペンダントが視界に入り、雪乃のことを思い出す。
好きな人がいて、想いを伝えられずにいると相談を受けていた。
その相手の名前は春野裕介というらしい。
こういう迷信じみたものは信じていないが、雪乃も裕介もどちらも『Y』だったため、少しだけ運命的なものを感じてしまった。
「喉乾いたから、何か買ってくるね」
千星がそう言ったので、ペンダントを見ながら「うん」と答えた。
『Y』のペンダントを手に取って眺めていると、「蒼空も何か飲……」と聞こえてきた。
千星に視線を移すと、愕然とした様子でこちらを見ていた。
なんでそんな顔をしているのか分からなかったが、一通り店内を見たので「俺も喉が渇いたから買いに行く」と答えた。
「買ったら。おまじない程度かもしれないけど、叶うかもしれないでしょ?」
取り繕ったような顔で千星は言ってきた。たぶんペンダントのことだと思う。
千星の気持ちが気になっていた。
たぶんお互いに好きだと思う。
でも陽一のことを考えると一歩踏み出せなかった。
何もできずに守れなかった俺が、親友の好きだった人と結ばれていいものなのかと。
葛藤の狭間で揺れながら、今日まで過ごしてきた。
「千星はさ、好きな人いる?」
迷いながら聞いた。この先どうなるか分からなかったが、本心では進みたいと思っていたから。
幼馴染としてではなく恋人として。
「いないよ、恋愛とか興味ないし」
吹き荒れた嵐ですべての花が散るように、頭の中が真っ白になる。
両思いだと信じていたものは、自惚れた片思いだった。
「そっか」
「買わなくていいの?」
「俺のは……」
悟られないように笑顔を作った。
せめてこの関係性にひびが入らないようにしたい。今までと同じく、仲の良い幼馴染でいられるように。
「きっと叶わないから」
失恋の悲しさを嘘の笑顔で塗りつぶして、俺は店を後にした。
*
母に夕食はいらないと伝えたあと、部屋に行き無気力なままベッドに横たわった。
今日の出来事を早く忘れたくて寝ようとしたが、目を瞑ると鮮明に記憶が蘇ってくる。
――いないよ。恋愛とか興味ないし
好きな人にそう言われるのは、こんなにも辛いものなのか。
ましてや両思いだと思っていたから尚更だ。
でもこれで良かったのかもしれない。
千星が昔みたいに友達を作るようになれば、必ず男友達だってできる。
それを温かく見守ってあげたいし、頑張りを褒めてあげたい。
嫉妬で千星の足を引っ張るようなことは絶対にしたくないから、友達として側にいる方がいい。
それに、俺には付き合う資格はない。
陽一を守れなかったくせに、千星を好きになること自体が間違っていた。
そうだ、これでいいんだ。これで……
葛藤の中を彷徨っていると、千星の顔がよぎる。
屈託のない笑顔、拗ねて頬をふくらます横顔、照れを隠すための変顔。
五年間、隣で見てきた思い出たちが、頭の中を星のように流れいていく。
自分に言い訳していることは分かっている。
言い聞かせないと自分を保てなくなるから、嘘を並べて本音を隠した。
本当は千星に好きと伝えたい。
ずっと側にいたい。
一番の存在でいたい。
俺の隣で笑っていてほしい。
本心を曝け出せば欲望が溢れてくる。
それが悪いことだと、どこかで思っていた。親友を守れなかったから。
ごめん陽一。
俺、お前の好きな人を好きになった。
ずっと罪悪感を感じていたから、告白することができなかったんだ。
絶対に悲しませたりしないから、何があっても守るから、だから……許してほしい。
千星に好きと伝えることを。
覚悟を決め、枕もとに置いてあったスマホに手を伸ばすと、千星から着信が入った。
その名前を目にすると途端に緊張が走った。
落ち着かせるため、一度大きく息を吐いてから電話に出る。
話の内容は、日曜日に出かけようということだった。
突拍子もなく電話をかけてくることはよくあることだし、出かけようと言ってくることもある。
だが今回は自分も誘おうとしていたため、神様が背中を押してくれたのかと思った。
明後日の日曜日、たとえ叶わないとしても星に想いを伝える。




