青が消えた空②
終業式が終わり、空を染める早咲きの桜を見上げながら教室に向かっていた。
体育館では綺麗に並べられていた列も、一旦外へ出てしまえば大人が作った統率は乱れていく。
最初は二列を作って歩いていたが、今は膨らんだり、隙間が空いたりで原型を留めていない。俺はその隙間を一人で歩いている。
陽一が学校に来なくなってから二ヶ月経ったが、何もなかったかのようにクラスの奴らは笑って話していた。
その光景に怒りが湧く。
なんでそんなに無関心なのかということと、何も出来ないでいる自分にだ。
三宅は最近大人しくなった。
理由は分からないが、暴言を吐いているところはほとんど見ない。
「奥村くん」
背中から声をかけられ振り向くと、藤沢千星の姿があった。
「陽一が何で学校に来なくなったか分かった?」
藤沢は陽一が来なくなってから、毎日のように理由を聞いてきた。
「分からない」
その度に同じように答える。
「そっか……他の子に聞いても、みんなそう言うんだよね」
本当は知っている。でも言えなかった。陽一に言うなと言われているからだ。
いや、嘘だ。
本当は三宅が怖いだけだ。もし藤沢に言ったらきっと三宅のところへ向かう。
そしたら告げ口をした人を探すだろう。
たぶん俺が一番疑われる。
バレたら殴られるかもしれないと思うと、想像しただけで全身が震えた。
自分が傷付いたとしても……なんてことを思っていたが、実際には恐怖で何もできない。
そんな自分が嫌いでしかたなかった。
勇気を持てない臆病な自分を殺してしまいたいと思うほどに。
「何か分かったら教えてね。陽一の家に行っても会ってくれないからさ」
小さく頷くと、藤沢はクラスの輪に戻っていった。
俺は家に行くこともできなかった。
もし陽一の親に学校での様子を聞かれたら答えないといけない。
仮に三宅のことを言ったとしても、あいつは大人の前では反省するだろう。
だが教師や親の目が届かない場所では、俺たちに鬱憤をぶつけてくる。
それが何より怖かった。
勇気を出して先生に言おうと思ったこともあったが、テレビで流れていたニュースを見て、覚悟が萎んでしまった。
陽一が学校に来なくなってから数週間が過ぎた頃、夕方の報道番組でいじめが原因で自殺した子が取り上げられていた。
その学校の校長は『いじめなんかない』と言っていたが、翌週にはそれが嘘だったと判明。
それが、口を閉ざす原因にもなった。
先生に言ったとしても、誰も守ってくれない。
不安だけが胸に積もり、希望が見えなくなった。
でも助けたいという気持ちはまだ消えていない。
たった一人の親友が苦しんでいるのに、何も行動を起こさないのは卑怯だと思った。
*
ホームルームの時、先生が悲しそうな顔で教卓に立った。
「実はね、家庭の事情で陽一くんが転校するの」
転校することを知らなかったため、頭が真っ白になった。
周りの子たちはみんな目を伏せている。
「本当はもっと早く伝えたかったんだけど、陽一くんに今日まで言わないでほしいって頼まれたの」
「なんで……」
思わず声が漏れると、斜め前に座っていた三宅が睨んできた。
臆病な俺は目を逸らし、視線を机に向ける。
「陽一くんが学校に来なくなって、みんなも心配してたと思う。それは私も一緒。だから家まで言って話を聞きに行ったけど、陽一くんは何も答えてくれなかった。むしろ詮索しないでってお願いされた。先生としては何があったか知りたかったけど、陽一くんを傷付けてしまう恐れがあるから、余計なことをしてはいけないと思った。でも後悔してる。ちゃんと話しあえば良かったって。本当にごめんなさい。私が不甲斐ないせいで、こんなことになってしまって」
先生は涙を拭う仕草をした。
でも、目には何も流れてはいなかった。
「先生は悪くないです」
三宅はアニメに出てくる好青年のような声をあげ、立ち上がった。
「陽一が何かに悩んでいるなら、俺が気づいてあげるべきだった。全部俺のせいです。だから自分を責めないで下さい。俺は先生が担任になってくれて本当に嬉しかったです。本音を言えば、卒業までずっと担任でいてほしい。先生のおかげで毎日楽しく過ごせているから」
先生は再度、涙を拭う仕草をした。
今度は本当に涙が出ていた。
「ありがとう三宅くん。先生も君みたいな生徒を持てて嬉しい。教師っていう仕事はものすごく大変なの。でもそういう言葉をもらえると、やってて良かったって思える。四月からは別の先生が担任になるかもしれないけど、私はみんなのことを忘れないからね」
いつの間にか、会話から陽一がいなくなっていた。
それどころか先生と生徒の感動的なシーンが繰り広げられている。
悔しいが三宅は賢かった。
大人に何を言えば喜ばれるかを知っている。
そして大人は、自分を褒めてくれる子供に愛情を注ぐ。
「みんなで寄せ書きをしましょう。こんな素晴らしいクラスだってことを知れば、陽一くんも笑顔でお別れできる」
――反吐が出る
漫画に書いてあった言葉だ。
その意味を父に聞いたが、目の前の人間がまさにそうだと思った。
俺たちは保身のために陽一を無視した最低のクラスだ。
寄せ書きなんてもらっても嬉しくないし、みんな何を書いていいかも分からないだろう。
そんなことも知らず、浮かれた顔で色紙とペンを持つ大人が憎たらしかった。
*
学校が終わると、寄せ書きを届けるために陽一の家に向かった。
先生が言うには、今日の夕方には次の引越し先に向かうらしいので、家が近い俺が頼まれた。
だが寄せ書きはゴミ箱に捨てた。
みんな『元気でね』『ありがとう』と無難な言葉を添えていたが、三宅は『仲良くしてくれてありがとう。陽一のことは絶対忘れないから』と書いていた。
こんなの見せられるはずがない。
あいつのせいで陽一は学校に来れなくなったのだから。
ちなみに俺は何も書かなかった。
というより書けなかった。
親友を見捨てたくせに、調子良い言葉を使いたくなかったからだ。
それに直接謝りたかった。
逆の立場なら、陽一は俺のために戦ってくれていたと思う。
自分がターゲットにされようが、みんなの前で話しかけてくれたはずだ。
なのに俺は……
情けない自分に嫌悪していると、陽一の家が視界に入った。
家の前には白い車が止まっており、運転席には男の人が乗っている。
誰だろうと思っていると玄関が開き、リュックサックを背負った陽一と、大きな鞄を持った陽一のお母さんが出てきた。
先に気づいたのは陽一のお母さんだった。
目があったとき思わず顔を伏せてしまったが、再度見るとこちらを指差している。
すると、陽一がこちらに駆け寄ってきた。
俺はどんな顔をすればいいのか分からなかった。もしかしたら「お前が助けてくれなかったから」と言われるかもしれない。
だが何を言われようと仕方ないと思った。
最近は大人しいとはいえ、それでも三宅を恐れ何もできなかったのだから。
「よう」
目の前に来た陽一は平然とした顔でそう言った。
いじめられたことなんて、なかったかのように。
「ごめん。自分が臆病だから陽一の居場所を作ってあげられなかった。友達なら助けないといけないのに、三宅が怖くて怯えてるだけだけだった。本当にごめん」
目一杯頭を下げた。それでも足りないと思ったが、他に償う方法を知らなかった。
「バカ、そんなの求めてねーよ」
ゆっくりと頭を上げると、陽一は笑っていた。
「お前は何も悪くない。だから気にすんな。それより俺以外に友達できたか? どうせ出来てないだろ。いつも一人ぼっちだとつまらないから、絶対に友達は作れ。蒼空はどっか捻くれてるから、それは直せよ。じゃないと友達できないからな」
陽一は優しい。こんなときにまで俺の心配をしてくれる。
なのに自分ときたら……
そう考えたら涙が出てきた。
「おい泣くなよ。そんなしんみりされたら俺も泣くぞ」
「だって陽一が優しすぎるから。一番辛いはずなのに、俺のこと責めてもいいはずなのに……それなのに人の心配するから……俺は自分を守ることを考えてた。何もできなかったのは、自分が一番だったからだ。本当にごめん。俺が弱いから陽一が学校に来れなくなった。こんな人間が……友達なんて言葉使っちゃいけないよね」
視界が歪むほど涙を流した。その歪んだ隙間に陽一の顔が映ったが、同じように涙を流していた。
「正直、みんなに無視されて辛かった。一人でいるのがこんなに苦しいなんて思わなかった。本当は弱音を吐きたかったし、助けてって言いたかった。だけどお前らまで巻き込みたくなかったんだ。大切な友達だから。蒼空や千星が話しかけてくれて嬉しかったよ。お前らがいなかったら、もっと辛かったと思う。ありがとう……俺の友達でいてくれて」
「ごめん、陽一」
「謝るなよ、バカ」
しばらく二人で泣きあった。涙に限りがあるとしたら、きっとこの先出ることはないだろう。
「なあ、蒼空」
お互いの涙が枯れた頃、陽一が口を開いた。
「千星のことをよろしく」
「藤沢?」
「うん。三宅が千星のことをいじめたら助けてあげてほしい。俺さ、あいつのこと好きなんだよね」
陽一とはそんな話しをしたことがなかったため、好きな人がいることすら知らなかった。
「だから、お前に託す。いい?」
「絶対守る」
俺がそう言うと、陽一は嬉しそうに笑った。
「捻くれたお前でも、千星とだったら絶対に友達になれる。だからよろしくな」
こっちは分かったと言えなかった。
親友を見捨てた俺に、友達を作る資格なんてないと思ったから。
何も答えずにいたら、陽一のお母さんが来た。
「もう行かないと」
「……うん」
これでお別れだと思うと、陽一の顔を照らす夕日がどこか寂しさを感じさせた。
胸の中には言葉にできない感情が漂う。
「じゃあな、蒼空」
「またね、陽一」
陽一は微笑みを残し、車の方へと向かって行く。
俺はゆっくりと去っていく背中を見ながら『ごめんね、力になれなくて』と心の中で呟いた。
「蒼空くん」
陽一のお母さんが俺の目線に合わせてしゃがみこむ。
夕日のせいかは分からないが、目が少し赤くなっているように見えた。
「ありがとね、陽一に話しかけ続けてくれて。無視されてたのが本当に辛かったみたいで、家でもあまり笑わなくなってたの。でもね、蒼空くんと千星ちゃんの話しをする時だけは嬉しそうな顔をする。二人のことが本当に好きなんだと思う」
「無視されてたのを知ってたの?」
「陽一に聞いた。それで私が無理して行かなくていいって言ったの」
「先生はそれを知ってるの?」
「相談したから知ってる」
確か、『陽一に詮索しないでとお願いされた」というようなことを言っていた気がする。だから自分は何も知らないと。
あれが嘘なら、先生は陽一を見捨てたということになる。
そう考えたら、急に怒りのようなものが湧き上がってきた。
「先生は三宅くんに聞いたみたい。クラスの子に陽一を無視するよう指示したかって。本人はそんなことしてないって否定したらしいけど」
「したよ。三宅が命令したから、みんな無視するようになったんだ」
「分かってる。だけど、その時に陽一が手を上げちゃったんでしょ? 三宅くんは先生や親に言おうと思ったけど、陽一が可哀想だから黙っていたみたい。それを聞いた先生は、『三宅くんはとても良い子だから絶対に人が嫌がることをしない。むしろ人を殴った陽一の方に問題がある』って言ってた」
「三宅が女子の髪の毛を掴んだからだよ。陽一はそれを止めるために手を出したんだ。悪いのは三宅だよ。陽一は意味もなく人を殴ったりしないし、怒るときはいつも友達のためだった。誰よりも優しくて、いつもみんなを笑わせてた。俺みたいに捻くれた奴の友達になってくれた。なんで陽一だけが悪者になるの? こんなのおかしいよ」
先に手をあげたのは三宅だ。なんで陽一だけが悪くなるのか理解出来なかった。
三宅なんてクソだ。なんで大人はあんなクソみたいな奴を庇って、陽一みたいな優しい人を見捨てるんだ。
世の中腐ってる。絶対に間違っている。
「蒼空くん……」
陽一のお母さんを見ると、目に涙が浮かんでいた。
「最後まで陽一の味方になってくれてありがとう。その言葉だけで私たちは救われる。正直この数ヶ月本当に辛かった。でも、蒼空くんや千星ちゃんの話しをしながら笑顔になる陽一を見て、なんとか耐えてこれたの。二人のおかげ。本当に……ありがとう」
陽一のお母さんは、子供のように泣きじゃくっていた。
それを見ていたら、自分の目にもまた涙が溢れてくる。
「みどり、そろそろ行かないと」
白い車がおばさんの後ろに来て止まると、運転席に座っていた男の人が窓を開けて言った。たぶん陽一のお父さんだろう。
「もう行かないと。ダメだよね、子供の前で大人が泣くなんて」
「ダメじゃないよ。泣きたい時は大人だって泣いたらいいよ」
「蒼空くんは優しいね」
優しくない。俺は陽一を救うことができなかったんだから。
「おばさん」
「何?」
「転校するのは、みんなに無視されたから?」
涙を拭いながら聞いた。おばさんも涙を拭っている。
「パパが転勤になったの。だから転校することは決まってた」
「遠いの?」
「うん」
「引越し先の住所を教えてほしい」
「ごめんね、まだちゃんと決まってなくて教えられないの」
「そっか……」
遠いことにがっかりしたが、少しだけ不安が取れた。
もしいじめが原因だったら自分のせいでもあるから。
だけど陽一が苦しんだことには変わりはない。
それは絶対に忘れてはいけないことだ。
「じゃあね蒼空くん。元気で」
陽一と同様、おばさんは微笑みを残して車に乗った。
それと同時に後部座席の窓が開き、陽一の顔が見えた。
「蒼空」
「何?」
「俺が三宅を殴ったことを千星には言わないでほしい。あいつには知られたくないから。相手がどうあれ、がっかりするかもしれないだろ」
藤沢は三宅と喧嘩したときに噛みついたと言っていた。
そんな奴なら幻滅しないだろうと思ったが、陽一の頼みだから絶対に言わないと決めた。
「分かった」
「ありがとう……じゃあな」
窓が閉まると車が発進した。遠ざかる親友を見てると、一人ぼっちになったんだと実感する。
これからはもっと強くならないといけない。
誰かに頼るのではなく、自分の力で変えれるように。
「奥村くん」
後ろから大声で名前を呼ばれたため振り返ると、藤沢千星が走ってきた。
「陽一は?」
「今、行った」
「うそ!?」
「来るの遅いよ」
「だってさっき聞いたんだもん。今日塾があったから早めに学校を出て……そしたら塾で陽一が今日出発するって聞いたから……だから抜け出して……」
藤沢は膝に手を突き、息を切らしながら話している。
「藤沢も聞いてなかったんだな」
「奥村くんも、今日知ったの?」
「うん」
「何で何も言わないんだよ」
藤沢は俺の胸ぐらを掴みながら、怒った表情で言った。
「俺に言うなよ」
藤沢は胸ぐらから手を離し、項垂れるように地べたに座り込んだ。
「陽一のバカ、クソ野郎、マヌケ、海老天小僧、ゴリラの片割れ、ポンコツ豆だぬき、手に張り付くタイプの鼻くそ」
前半の文句は理解できたが、中盤以降はよく分からなかった。
「ねえ、陽一なにか言ってた? 学校に来なくなった理由とか」
「……言ってなかった」
「本当に?」
「うん」
クラスの人間に無視されていたことを話そうかと思ったがやめた。
もし三宅と喧嘩になったら、今度は藤沢がみんなから無視されるかもしれない。
先生はきっと三宅の方に付く。そしたらまた今回みたいになるかもしれない。
何事もなく卒業まで過ごすことが、藤沢を守ることになると思った。
「引越し先は?」
「遠くって行ってた」
「遠くって?」
「まだちゃんと決まってないから、教えられないっておばさんが言ってた」
「うそ……」
首を垂らしながら、藤沢は落胆した。
「私、塾に戻る」
立ち上がり、肩を落としながら来た道を戻っていった。
陽一は友達を作れと言った。
でも今は作ろうとは思っていない。
親友を助けられなかった俺にその資格はないから。
もし友達を作るなら、それは誰かを守れたときだ。
夕陽が射す藤沢の背中を見ながら、そう思った。




