青が消えた空①
小学校に入学してすぐに友達ができた。明るい性格でクラスのムードメーカーだった青山陽一という子だ。
「この学校にいる全員と友達になる」
彼は口癖のようにそんなことを言っていた。
到底できることではないと思っていた俺は「全員は無理だよ」と陽一に言うと、
「蒼空はすぐに無理って言葉使うよな。やってもないのに出来ないって思うのは勿体無いぞ。大抵のことは自分次第で変えられるんだよ」
まだ小学一年生なのに、何十年も生きてきたようなことを臆せず言うような子供だった。
「はい、はい。頑張って。陽一なら“きっと”できるよ」
「蒼空、俺のことちょっとバカにしてないか?」
「ちょっとじゃない、かなり」
「おい!」
こんな下らないやりとりをいつもしていたが、俺はこの空気感が居心地良かった。
『有言実行』
スポーツ選手がテレビで言っていたが、陽一はまさにそれだった。
瞬く間に友達を増やしていき、四年生に上がる頃には学校の半数と仲良くなっていた。
「言っただろ。自分次第でなんとかなるって」
学校帰り、ドヤ顔で陽一にそう言われた。
「でも全員じゃない」
本当はすごいと思っていた。
でもドヤ顔がイラッとしたので否定的な言葉で返した。
「今のペースで半分てことは、六年の終わり頃には全員になるからいいんだよ」
「自慢げな顔で言うなら、全員友達になってから言うべき」
「うるさいな、半分でもすごいだろ」
「まあまあかな」
「本当、蒼空って捻くれてるよな」
陽一の言うとおり、少し捻くれているかもしれない。
どこか冷めた目でクラスの子らを見ていたような気がする。
それが原因かは分からないが、友達も陽一だけだった。
遊びに誘われても他の奴がいたら行かなかったし、よく知らない人と一緒にいるのが面倒だった。
「でもさ、全員と友達になるって無理だよな」
陽一は、空を見上げながら嘆くように言った。
「さっきと言ってること違うじゃん」
「そうなんだけどさ、三宅とは友達になりたいとは思えないんだよな」
三宅は一年の頃から同じクラスだった。入学したての頃は気の弱い生徒だったが、三年生になってから背が大きくなり、それと並行して横柄な態度に変わっていった。
しかも先生がいないところで『死ね』『ブス』など、人を傷付けるような言葉を平気で浴びせている。
「あんなやつ友達にならなくていいよ」
「だよな。三宅は全員から外すわ」
「それでいいよ」
陽一は誰にでも優しかった。だから三宅とも仲良くすると言いだしたらどうしようかと思っていたが、そうでないと知り、胸の辺りのモヤモヤが消えていった。
*
四年生の秋ごろ、事件が起きた。
音楽の授業中、先生が急用で席を外しているときのことだ。
「三宅、お前良い加減しろ」
「うるせえな、お前に言われる筋合いねーんだよ」
音楽室の後ろで対峙する二人を、クラスのみんなが固唾を飲んで見ている。
壁に貼ってある偉人たちの目線も、そちらに向いているように感じた。
きっかけは、三宅がクラスの女子に「ブスがこっち見てくんじゃねーよ」と言って泣かせてしまったことだ。
その子は顔を両手で覆い、音楽室の隅で座り込んでいる。
彼女のそばに行き「大丈夫?」と聞いたが、啜り泣く声だけが返ってきた。
「多田に謝れよ」
陽一は今まで見せたことのない顔をして、怒りを露わにしている。
「ブスにブスって言って何が悪いんだよ」
「多田はブスじゃねーだろ。お前みたいな性格の奴をブスって言うんだよ」
「性格にブスなんてねーだろ。頭おかしいんじゃねえの」
陽一は容姿ではなく、内面で人を見る。だからそう言ったのだろう。
「なあ、多田はブスだよな?」
三宅が近くに座っていた女子に問いかける。
「ブスじゃないと思う……」
目線を下に落とし、か細い声でその子は答えた。
「は? 聞こえねーよ」
三宅は女子の髪の毛を掴んで顔を上げさせる。
その子の表情は恐怖で歪んでおり、目には涙が浮かんでいた。
「三宅!」
怒声の後に女子が悲鳴をあげた。陽一が三宅を殴り飛ばしたからだ。
陽一は「あっ」と小さく零し、頬を抑えながら床に倒れている三宅を見下ろしていた。
音楽室には、指先すら動かせないような緊張感が覆っている。
「てめえ、やったな……」
三宅は憎悪を含んだ言葉と共にゆっくりと立ち上がる。
殺気の込もった形相にビビり、俺は体を動かすことはおろか、声も出せなかった。
「ぶっころ殺す!」
三宅は叫びながら陽一を押し倒すと、そのまま上に乗り首を絞めた。
「はな……せ……」
陽一は三宅の腕を掴み抵抗しているが、体格差があるためびくともしない。
俺は止めようと駆け寄り、三宅の肩を掴んだ。
すると、この世のものとは思えない形相でこちらを睨んできた。
生まれて初めて本当の恐怖を抱き、殺されるかもしれないと思った。
その瞬間、全身に震えが起きる。
「やめろよ……」
力なく言った言葉では、三宅を止めることができなかった。
首を絞められている陽一の顔は苦しそうに歪んでいく。
目の前にいる親友が殺されそうなのに、俺は何もすることができなかった。
「先生呼んでくる」
女子の一人がそう言って音楽室の扉を開けた。
その声にホッとしたが、すぐに恐怖は帰ってきた。
「横山! 呼びに行ったら殺すぞ」
三宅が怒りに満ちた声を上げると、横山は足を止めた。
そして陽一の首から手を離し、彼女の方へと向かっていった。
「大丈夫か?」
咳き込みながら悶えている陽一に声をかけると、三宅の背中を指差していた。
横山を救え、という意味だと思う。
だが自分の足は震えており、立つことができなかった。
「どこ行くんだよ」
その声で視線を上げると、三宅は先生を呼びに行こうとした横山の肩を掴んでいた。
「いや……」
横山は震えていた。今にも膝から崩れてしまいそうだ。
「呼びに言ったらぶっ殺すぞ」
「……」
「聞こえてんのかよ? 返事しねえとぶっ殺すぞ」
「先生は……呼ばない」
教室の空気が一層重くなるような怯えた声だった。
三宅は教室の中央に足を運ぶと、椅子の上に立ってクラスのみんなを見渡した。
「いいか、今度俺に逆らう奴がいたら、本当にぶっ殺すからな。それと今から全員で陽一を無視すること。話した奴はぶっ殺す。あと親や先生、他のクラスの奴に言ったらぶっ殺す。いいな」
この日、クラスに稚拙な独裁者が生まれた。
人を傷付けるだけで何も生み出さない、愚かな独裁者が。
三宅は椅子から降りると、こちらに向かってきた。
俺は恐怖で支配されたかのように、全身が固まって動けなかった。
「奥村、絶対にこいつと話すなよ」
三宅は俺の前に立つと、苦しそうな表情で床で悶える陽一を指差して言った。
「嫌だ……」
「何?」
弱々しい声だったからか、三宅は手を耳に当てて聞き返してきた。
「……」
「おい! 聞こえてんのかよ」
髪の毛を掴まれ、顔を近づけてくる。その目には明らかに殺気がこもっていた。
――できない。陽一は俺の親友だから
本当はそう言いたかったが、怖くて言えなかった。
自分の情けなさに涙が零れる。
「こいつ泣いてやがる。男のくせにダッサ」
絡まれたくないからか、クラスの子たちは大声で笑う三宅から視線を外していた。
その反応は理解できた。
自分が第三者なら同じようにしていたかもしれない。
だけど、一人くらいは手を差し伸べてほしかった。
俺にではなく親友に。
陽一を見ると、肩を小刻みに揺らしながら腕で目を隠している。
頬には涙の跡があった。
*
それから三ヶ月が経った。
クラスのムードメーカーで、いつも人に囲まれていた陽一の周りには誰もいなくなっていた。
他のクラスの人が陽一に話しかけても、自ら距離を取り一人になることを選んでいた。
後で知ったことだが、
「お前と仲良くする奴は全員ぶっ殺す」
三宅は陽一にそう言っていたそうだ。
誰も巻き込まないようにするのは陽一らしかったが、そんな優しさを俺にまで向けないでほしかった。
「今日は一緒に帰ろう」
「バカ、三宅に見られたら、次はお前がターゲットにされるぞ」
昼休み、昇降口で声をかけたらそう言われた。三ヶ月繰り返されたやりとりだ。
「蒼空、俺のことは気にしなくていい」
「でも……」
「意外と一人でいるのも楽しいんだよ。誰にも邪魔されないからな」
屈託のない笑顔を作り、俺の肩を叩いた。
「あと千星には絶対言うなよ。俺がクラスで無視されてるって知ったら、三宅と殴り合いになるから」
藤沢千星は陽一と同じようにムードメーカー的な存在だった。
別のクラスということもあり、俺はそんなに話したことはなかったが、陽一は仲が良かった。
「三宅がクラスの奴に言ってる。藤沢だけには絶対に言うなって」
「三宅も千星は怖いんだな。昔あいつらが喧嘩したとき、千星が三宅の腕に思いっきし噛みついたことがあってさ、たぶんそれが今も忘れられないんだよ」
陽一は昔話を楽しそうに話している。その姿で心が苦しくなった。
「だから絶対に言うなよ。今でさえ『なんで私を避けるの』ってうるさいんだから」
「どうにかなんないのかな?」
分からなかった。また陽一がクラスに溶け込むために何をしたらいいかが。
「このままでいいよ。俺は一人が結構気に入ってるから。だからもう気にするな」
こんな状況なのに、一切弱気を見せない陽一をかっこいいと思った。
自分なら絶対に耐えられないし、周りの人間を恨むかもしれない。
それどころか、俺の心配までしてくれている。
それが一層、自分の弱さを引き立たせているように感じた。
「誰かに見られたら面倒だから、もう行くわ」
そう言って陽一は去っていった。
俺は三宅の前では話しかけない。
それは怖かったからだ。
この臆病さを何度恨んだか分からない。
親友のために自分を犠牲にできない俺は、友達失格だと思った。
でも必ず、みんなの前で笑える日を迎えられるようにする。
たとえ自分が傷付いたとしても。
去っていく背中を見ながらそう誓ったが、その誓いが果たされることはなかった。
この日を最後に陽一は学校に来なくなった。




