星の境界線②
もう少しで四限目の授業が終わる。
方程式の説明をBGM程度に聴きながら、私は五分後に来る怪物のことを考えていた。
高校生活において最も不自由で自由な時間、昼休みだ。
理想を言えば、蒼空と一緒にカリブ海を見ながらトルティーヤを食べることだが、この学校はカリブ海が見えない。
文明が進化した時代において、カリブ海が見えないというのは間違いなく校長の怠慢だ。
私が校長ならそれくらいは見えるようにする。
ここが私と校長の格の差だ。
蒼空といると他の人間もやってくるため、昼休みは一人で弁当を食べる。
一年生の頃は一緒に食べていたが、二人になることはほとんどなかった。
最初は二人だったとしても、次から次に人が来る。
そしていつの間にか、大所帯になっていたことも。
その場にいれば私にも話が振られる。
それが苦痛だったし、蒼空が他の子と楽しそうにしているのも嫌だった。
私のような人間からすると、グループという場所は孤独の餌場だ。
いつからか耐えられなくなり、蒼空に誘われる前に教室を出ていくようになった。
昼休みぼっちには、ミッションが課される。
場所の確保だ。
私はいくつかの基地を持っている。
まずは第一支部である校庭のベンチ。
ベンチはいくつかあるが、テーブルがある場所が望ましい。
だが大人数が座れるため、陽キャ軍団か友達連れ、青春しているカップルの支配下に置かれている。
仮に席の確保ができたとしても、後からくる人間たちに『一人なのにそこ使うのかよ。お前みたいな寂しい奴は、カブトムシと一緒に地べたでゼリーでも食ってろよ』と言う目で見てくるため、テーブル席は諦める。
となれば、校舎裏に置かれたベンチに向かう。
ここはほとんど人が来ないので、一人になるには最適な場所だ。
だが、ぼっち同士が鉢合わせすることがある。
「あ、仲間だ」という共感と、豪華客船が沈没したときの失望感。
この両方が味わえる場所でもあった。
第二支部は屋上前の踊り場。
この最上階に位置する空間は閉鎖感があり、ぼっちにとっては都だ。
欠点があるとすれば逃げ場がないこと。
下の階から声が近づいてくるときの恐怖感は、ジェイソンに追われたブロンド高校生に近いものがある。
『もしここに来たらどうしよう』という焦燥感で、弁当に手をつけるスピードが早くなる。
そのときの私は爆発物処理班のような気持ちになった。
楽しむための食事が、一瞬にして残り数秒で爆発する爆弾に見えてくる。
このときに誰か来たら、弁当を階下に投げ「伏せろ」と言ってしまいそうになる。そしたら次の日には処理班というあだ名が付くだろう。
もし私が芸能人になってインタビューを受けたとき、
「高校生の頃のあだ名はなんですか?」
「処理班です。主に弁当を処理していました」
と答えなければいけない。この場所はそれなりのリスクが伴うのだ。
第三支部は学校の外にある公園。
ここはブランコと滑り台、砂場という簡素な公園だ。
ベンチがニ基あり、大抵はそこで弁当を食べる。
意外にも学校の生徒はあまり来ず、ぼっちにとっては緊急避難場所にもなる。
だが世の中はそう甘くない。ここの欠点は親子が来ることだ。
親はなんとなく察してくれるが、子供は『高校生なのに一人かよ。お前みたいな寂しい奴は、カブトムシと一緒に地べたでゼリーでも食ってろよ』という目で見てくる。
世界はぼっちに冷たい。
他にもいくつかあるが、主にこの三つが主要の支部になる。
今日はどこにしようか迷っていると、チャイムが鳴ってしまった。
教師もいつの間にか授業を締めていたらしく、すでに周りの生徒は立ち上がっている。
完全に乗り遅れた。
公園が埋まっていたら、最悪トイレだなと考えていると、「千星、一緒に食べよう」という天使のような声が鼓膜に届いた。
顔を見なくても誰だか分かる。
ニヤつきそうになる顔をギュッと結び、声の方に視線を向けると蒼空が立っていた。
誘ってくれたのは久しぶりだったので嬉しかったが、他の人が来るのは嫌だ。
すぐに二つ返事で返したかったが躊躇ってしまう。
その一刹那の沈黙を埋めるように、澄んだ声が教室に響いた。
「蒼空」
声の方を見ると、同じクラスである富田雪乃がこちらに向かって来る。
彼女は蒼空と同様、二年生の中心的な存在だ。蒼空とも仲が良い。
肩まで伸びた艶やかな髪の毛、雪を欺く白い肌、女の私も見惚れてしまうほど綺麗な子だ。
『容姿端麗』という雑誌があれば表紙を飾るだろう。
学校の男たちはその雑誌を見て「可愛くね」とか言う。
でも男ならジャンプを読め。
可愛いって言ってる暇があるなら海賊王を目指せ。
もしくは念を習得しろ。
私が妄想で嫉妬していると、蒼空が私に視線を送ってくる。
一緒に食べたいけど、この状況だとこの女も付いてくる。三人は嫌だ。
それに彼女は……
「ねえ」
顔を上げると富田雪乃が目の前にいた。
整った面差しが私の顔を覗き込み、その可愛さに思わず目を逸らしてしまう。
さらに追い討ちをかけるように「藤沢さんも一緒にご飯食べない?」と笑顔で聞いてくる。
急な誘いに驚き「ひぇ?」という、どこから出たのか分からない変な声が出た。
込み上げる恥ずかしさで異世界に転生したくなる。
「あっ、無理にとは言わないよ。嫌なら言ってね。でも人が多い方が食事も楽しくなるから、私は一緒に食べたいかなって」
言葉の隅々に優しさが滲むような喋り方だ。
聖母が語尾にぶら下がっているみたいな。
「私は……」
――うざい
また思い出す。人と距離が近づきそうになるたび、あの言葉が足を掴んでくる。
重い重い足枷のように。
「私は一人で食べる」
一緒にいたらきっと苦しくなる。
なら自分から突き放したほうが楽だ。
富田雪乃からは嫌われるかもしれないが、蒼空から嫌われなければいい。
鞄から弁当を出し、急ぎ足で廊下を出た。
二人の視線が背中に刺さるのが分かる。
蒼空は富田雪乃を下の名前で呼ぶ。
別に同級生ならおかしなことではない。
でも、私はそれが辛かった。
二人はよく噂されている。しかも最近になって二人でいることが多い。
一緒にいる所をよく見かけるようになったのは、一年の文化祭からだと思う。
一年の時、二人は同じクラスで私は別のクラスだった。
何があったかは知らないが、文化祭みたいに男女の距離をつめるイベントは法律で禁止にした方がいい。
あんなイベントで付き合うカップルは牢屋にぶち込んで、鼻の穴に木綿豆腐を入れてやればいい。
蒼空は付き合ってないって言ってたけど、気持ちまでは分からない。
もしかしたら好きなのかもしれない。
懐疑的な中での名前呼びは少し応えた。
三人でいたら何回聞くか分からない。
もはや拷問だ。
私がもし法を犯して罰を受けるなら、法廷に蒼空を呼んで「雪乃」と叫ばせればいい。
きっと二秒で死ねる。
特に目的もなく教室を飛び出してきたので、どこで食べるか昇降口で一考し、第三支部の公園に向かうことにした。
*
ありがたいことに公園には誰も居なかった。
だが味気ない風景が私の心を映しているようで少し憂いた。
ベンチに座り空を仰ぐと、太陽の光が視界を覆う。
その光に自分が薄れていくような気がした。
白日の星が青に飲み込まれていくように、
世界との結び目が解けていくように。
自らの力だけではこの世界では輝けない。
多くのものは太陽という絶対的な存在があるから生きていける。
私は空のようになりたかった。
太陽によって不条理に色を変えられても美しく居続けられる。
澄んだ青も、
溶けるようなオレンジも、
真っ黒な夜も、
すべてが自分らしく見える。
どんな環境に置かれても空は空だ。
星は太陽のもとでは輝けない。
夜空がなければ星は見えない。
悲嘆混じりのため息を空に吐くと、隣に誰か座った。
私はベンチの端に座っているから、確かにスペースはある。
でも、だからといって普通は座らないだろう。
しかもベンチは二基あり、一基は空いている。
こんな白昼に女子高生の隣を堂々と座れるのは一人しかいない。
そう、変態だ。
もしくはベンチの愛好家か、さらに選択肢を広げるなら野生のパンダだ。
パンダであってくれと願うが確率は低い。
私の計算では25%くらいだ。
正直、超怖い。
ちらっと見て、目があったらぶん殴って逃げるか。
いや、こちらから手を出したら法廷で不利になる。
いくら変態と言えど、法律は適用される。
なぜこの国は変態を殴れないのだろう。
声をかけられたら殴りたい。
むしろかけてこい。
こんな真っ昼間に女子高生に声をかけた時点で変態だ。
うん、殴ろう。
こいつが息を吐いたら殴ろう。
いや、息をしなくても殴ろう。
隣に座った時点で変態だ。
恐怖を与えただけでも十分殴る価値はある。
私は拳を握り、いつでも殴れるよう備えると、
「弁当食べないの?」
声を聞き、私は拳を解いた。
聞き覚えのある声。
驚きと嬉しさが脳内で駆け回り、軽度の混乱を起こす。
私はゆっくりと視線を隣に移すと、蒼空の姿が視界に入った。
「富田雪乃は?」
「クラスの子と食べてる」
「いいの?」
「うん」
私はニヤつく顔をグッと堪えた。恥を忍んでタップダンスしたい。
「何でここにいるって分かったの?」
タップダンスをしようと立ち上がったときにふと思った。
校内ではなく、外に来た私を見つけるなんて難易度が高い。
「千星が校門出るのを見て、付いてきた」
蒼空は弁当の風呂敷を解きながら言った。
「変態」
「何でだよ」
支部長としては侵入を許したことを遺憾に思うが、蒼空なら許そう。
いや、超うれしい。タップダンスしたい。
「まあ、蒼空がどうしても私と食事を共にしたいっていうことなら仕方がない。一緒に食べてやろう」
それは私だろ、と自分にツッコミをいれる。
でも照れ隠しでそう言ってしまう。
私にも可愛いところがあるのだ。
「別に食べたいとは思ってないから、一人で食べるわ」
蒼空は広げた風呂敷を結び直し、立ち上がった。
「嘘です。一緒に食べましょう。お供させて下さい。蒼空さん」
私が焦って言うと蒼空は振り返り、いたずらっ子みたいな笑顔で再びベンチに座る。
「千星がどうしてもって言うなら、一緒に食べてあげる」
この野郎、こっちが下手に出たらツンデレという凶悪な兵器を使ってきやがった。
私もやりたい。
「べ、別に、そういうわけじゃないんだからね。あんたと食べたいとか、そういうわけじゃないんだからね。なんて言うか、そういうわけじゃないんだからね」
私のツンのレパートリーは【そういうわけじゃないんだからね】しかなかった。
放課後にホームセンターに行こう。
あそこなら何でも売ってるから、ツンの別バージョンも置いてあるだろう。
「下手くそなツンデレは置いといて、ご飯食べよう」
蒼空は弁当を開け、何事もなかったように食べ始める。
私のツンを無視して。
一人で食べているときは、時間を埋めるために食事をとっているような気がして、物悲しくなることもある。
出荷されるために餌を食べている家畜のような。
でも蒼空と一緒にいるときは、食事を食事として捉えられる。
同じ物でも、今の自分の心境で見え方も捉え方も変わる。
特に何も感じなかった卵焼きがほんのり甘いこととか。
「ねえ蒼空」
「何?」
「楽しいね」
なんか言いたくなった。
味気ない日常や抱えていた苦しさとか全部忘れて、今だけはこの時間に浸りたい。
「うん。楽しいね」
穏やかな笑顔で返してくれた。
その横顔を思い出に仕舞い、朝に怯えたときに思い出す。
それで少しだけ痛みが和らぐから。
「ねえ、そのコロッケちょうだい」
「嫌だ」
「べ、別にコロッケが食べたいわけじゃないんだからね。美味しそうだなんて思ってないんだからね」
「ツンデレの使い方間違ってるぞ」
「か、唐揚げも欲しいだなんて思ってないんだからね。美味しそうだなんて……」
唐揚げを口の中に放り込まれた。餌付けされるように。
「ふぁいふぁと……」
私はありがとうと言い、唐揚げを噛み締める。
できればイチゴとかチョコのような、可愛いさとロマンチックを兼ね備えた食べ物が良かったが、唐揚げも悪くはない。
少しだけ高鳴る胸の鼓動を感じつつ、唐揚げという青春を味わった。