夜にだけ咲く花②
登校する生徒たちで賑わう昇降口に花山の姿を見つけた。
昨日家に帰ってから考え、今日は話しかけない方がいいと判断した。
無理に近づけば傷を付けるかもしれないので、自重する。
花山の後ろ姿を横目に、大人しくしていようと自分に言い聞かせたが、昼休みになって事情が変わった。
私が屋上前の踊り場で昼食をとっていると、階段を上がってくる足音が耳に入った。
この場所は人が来ることはあまりないが、たまに隠れんぼや鬼ごっこをしている生徒がやってくる。
そういう場合は心の中で『クソ野郎』とつぶやき、私がここを離れる。
今日も同様、弁当を素早く片し、心の中で『クソや……』と言おうとした時だった。
「用って何?」
一つ下の踊り場で足音が止まり、聞いたことのある声が聞こえた。
この場所は、階段を上がった横のスペースは壁に覆われており、下からは見えないようになっている。
私は壁に身を隠しながら、そーっと下を覗くと女の子が立っていた。
対面する形でもう一人いるみたいだが、もう少し身を乗り出さないと見えない位置にいた。
でも声を聞いて、その相手が誰かは想像できた。
「急に呼び出してすいません。あの……」
敬語だから一年生なのかもしれない。
女の子は緊張しているようで、後ろで組んだ指先が忙しなく動いている。
あの……と言ってから彼女は何度も小さく息を吐く。
自分を落ち着かせているのだろう。
そして大きく息を吐いたあと、勢いよく頭を下げた。
「連絡先を交換してくれませんか」
勇気を出した彼女に心の中で拍手を送る。
その一言はきっと、何度も喉元で引っかかっては胸の奥に戻っていっただろう。
よく言った、そう思いつつ不安はあった。なにせ相手が相手だから。
「何で俺なの?」
「前からかっこいいなと思って」
女の子は頭を上げ、照れながら答える。
「俺の噂とか聞いてないの?」
「噂って何ですか?」
やっぱり一年生だった。上級生に知り合いがいないのかもしれない。いたら聞いているだろう。
「そういうの……やめてほしい。面倒だから」
女の子は今にも泣きそうな顔をしている。
勇気を出して言った言葉は、咲くことを知らないまま枯れていった。
いや摘み取られた。
「そうですよね……ごめんなさい」
涙を堪え、声を震わせながら彼女は階段を降りていく。
それを見た私は、一瞬で感情が沸点を超えた。
「花山!」
私は階段を降り、花山に詰め寄った。
『何でいるんだよ』そんな顔をしている。でも知ったこっちゃない。
「お前……」
花山が何か言おうとしたが、その言葉食って感情を吐き出した。
「あの子は勇気を出して花山に連絡先を聞こうとしたんだよ。教えるか断るかは好きにしたらいい。でもね、その勇気を踏み躙ることを私は許さない。好きな人に傷付けられることが、どんなに辛いか分かる?」
もし蒼空に同じことを言われたら……そう思うと胸が張り裂けてしまいそうだった。
あの子は今日まで気持ちを抱えながら、花山に言葉を届けたのだと思う。
それを無下にしたことが許せなかった。
「ていうか何でお前がいるんだよ」
「私が先にいた」
「そうだとしても、お前に言われる筋合いはない」
「そうだよ。私はまったく関係ない。でも言う」
呆れたように息を吐いた花山は、その場から立ち去ろうとする。
「待て、まだ終わってない」
花山は立ち止まって振り向く。
「だから何度も言ってるだろう。もう俺に関わるなよ。関係ないことまで口を挟むな。迷惑なんだよ」
「迷惑だろうが関わるよ。だって蒼空に頼まれたから」
花山は怪訝な顔をした。
その表情の意味が分からなかったが、少ししてから自分の言ってしまったことに気づいた。
「あの……前にそう言われた」
勢いを失くした言葉が、私と花山の間を漂う。
「そうだとしても、もう関わるな」
「嫌だ」
「だから関わるな」
「絶対嫌だ」
「だからそういうのがうざ……」
吐いた言葉を花山は飲み込んだ。
昨日、雪乃に言われたことを思い出したのかもしれない。
「お願いだから関わらないでくれ。苦しくなるだけだから」
花山は目を伏せながら言った。たぶんこれ以上は踏み込んではいけない。
そう思ったが、その苦しそうな声と表情は助けを求めてるように聞こえた。
「何でそんなに人を避けるの? 中学のときに何があったの? 私は花山の口から聞きたい。他人の言葉ではなく花山の言葉で」
一瞬だが、花山の目に涙が見えた気がした。
でもすぐに背を向けられたため、それが何かは分からなかった。
「もういいから、ほっといてくれ」
その言葉を残して、花山は階段を降りていった。
*
花山はホームルームが終わるとすぐに教室を出た。
私に話しかけられるのを嫌がったのかもしれない。
それを見て私の中に迷いが出た。
冷静になって考えたら自分勝手すぎたと思う。
私の考えを押し付けて花山を困らせている。
でもこのままでいいのかという想いもある。
私はこの短い間で考え方が変わった。
この変化は私にとってものすごく良いことだった。
だからこそ花山にも押し付けてしまいそうになる。
これが自分よがりで迷惑なだけなら、今すぐにやめるべきだ。
私も今まで人を避けてきた。
他人と接するという経験値のなさが自分の行動に迷いを生む。
何が正解か分からない。
そう思いながら校門を出ると、「お姉ちゃん」という声が聞こえた。
誰だと思い振り向くと、駆け寄ってくる蓮夜くんが視界に入った。
「どうしたの?」
そう問いかける私の顔に困惑が滲んでいたのか、払拭するように説明を始めた。
蓮夜くんが言うには、今日は創立記念日のため半日で学校が終わったらしい。
ここまでの道はホームページで調べたみたいだ。
手には印刷した地図が握られている。
「すごいね、一人で来たんだ」
「うん」
「でも、お兄ちゃん帰っちゃたかも」
「知ってる。さっき見たから」
よく分からなかった。兄を迎えにきたのではないのか?
「お姉ちゃんに会いに来た」
「私?」
「うん」
*
十分ほど歩き、住宅街の中にあるパン屋に着いた。
ここは学校の生徒もよく来ているが、放課後は駅前のファーストフードやカフェに行く。今は私と蓮夜くんだけだった。
店内にはパンを販売しているスペースと、飲食スペースが五席ある。
パンと紙パックのオレンジジュースを買い、席に着いた。
私は塩クロワッサン、蓮夜くんはメロンパンを選んだ。
「何で会いに来たの?」
蓮夜くんはメロンパンを口に運ぼうとしていたが、手を止めてお皿の上に戻した。
「兄ちゃんが、もうお姉ちゃんたちは来ないって言うから、本当かどうか確かめにきた」
蓮夜くんは私たちが来たのを嬉しそうにしていた。
それは花山も分かっていただろう。
その上で酷なことを弟に告げた。
それだけ私が嫌いなのか、それとも人と関われな絶対的な理由があるか。
蓮夜くんはメロンパンに視線を預けている。
私を見ないのは、もし本当だったらという気持ちの現れかもしれない。
「分からない」
そう答えたのは、今後の花山と私の関係性次第だからだ。
本当にどうなるのか分からない。
今のところ花山の言ったとおりになりそうだが。
「お姉ちゃんは兄ちゃんの友達なんだよね?」
メロンパンに視線を置いたまま、蓮夜くんが聞いてきた。
店内のBGMは最近流行りのアイドルの歌だった。
先ほどまでは気づかなかったが、今は鮮明に鼓膜に届く。
「ごめん蓮夜くん、嘘ついてた。本当は友達じゃない。ただのクラスメイト」
本当のことを言うことが必ずしも正しいのかは分からない。
目の前にいる男の子は悲しそうな顔をしている。
だけど、このまま嘘をつくのは余計に蓮夜くんを傷付けてしまうような気がした。
私の視線は、いつの間にか塩クロワッサンに落ちていた。
「本当は分かってたんだ」
その言葉で再び蓮夜くんに視線を戻した。
「お姉ちゃんたちが僕に気を遣ってるって。兄ちゃんの良いところをいっぱい言えば、もしかしたら友達になりたいと思うかもしれない。そしたらまた、兄ちゃんも昔みたいにたくさん笑ってくれる……そうなってほしかった。最近の兄ちゃんは、一人でいると寂しそうな顔をよくしてるんだ。僕が話しかけると笑った顔を作ってくれるけど、それを見てるのが辛かった」
河川敷で声をかけられたとき、おかしいと思った。
どこの誰かも分からない人間に普通は話しかけない。
蓮夜くんなりに頑張っていたんだ。大好きお兄ちゃんのために。
あのときの私は怪しい人間だったと思う。
でも蓮夜くんからしたら、希望に見えたのかもしれない。
もしかしたら友達かもと。
家に連れてったり、わざわざここまで会いに来たのは、全部お兄ちゃんのためだったんだ。
「ねえ蓮夜くん、今はただのクラスメイトだけど、私は友達になりたいと思ってる」
蓮夜くんは顔を上げた。
悲しみの底に光が射し込み、それを見上げるように。
私の中に迷いはあった。無理に花山と関わるべきかどうかと。
でも蓮夜くんを見て覚悟が決まった。
この選択が正しいかどうかは、私次第だと思う。
「任せてとは言えないけど、私なりに頑張ってみる」
そう言うと、蓮夜くんはメロンパンを食べ始めた。
泣きそうになる自分を抑えるようにして。
食べ終わると、ごちそうさまの代わりに「ありがとう」と言った。
鼻水をすすりながら。
明日、花山と話してみよう。
迷惑に思うかもしれないが真っ直ぐ向き合いたい。
蓮夜くんを見てそう決めた。




