星の境界線①
通学路には嫌悪があふれている。
秋を貪る残暑、固結びされたように手を握る男女、女子高生のお揃いのファッション。
空から嫌悪が降り注ぎ、地上にも嫌悪が這いつくばる。
私のような人間にとって、この世界は地獄の予行練習のようなものだ。
いや、地獄のほうが天国かもしれない。
視界に入る高校生たちは楽しそうに話しながら青春を謳歌している。
準ぼっち属性の私には、他人の笑い声は煩わしい蝉の声と一緒だ。
蝉は夏の訪れを知らせるが、同級生たちの笑い声は『お前は一人だ』という現状を知らせれくれる。
その瞬間、心の隙間に空虚が佇む。
いつもならイヤホンで遮断するのだが、今日は充電を忘れてしまった。鼓膜に嫌悪が纏わりついて気持ち悪い。
それと、少しだけ湧き上がる羨望が嫌になる。
だけど友達がいないというわけではない。
たった一人だが、その一人が私と世界の結び目になっている。
外の世界から逸れそうになったとき、彼が道標になっていた。
孤独は人を殺す。
ゆっくりと静かに囁くように命を蝕む。
でも彼が処方箋になって痛みを和らげてくれる。
生きたい理由であり、死にたい理由にもなるけど、彼がいたから生きてこれたと思う。
「千星」
背中を叩く声で振り返ると、蒼空が優しい笑顔で駆け寄ってくる。
「おはよう」と言われ「おはよう」と返す。
世界と私の間にある解けた糸が、その言葉で結ばれる。
「千星が言ってたバンド聴いたよ。すげー良かった」
私が最近見つけたバンドを昨日話した。さっそく聴いてくれたらしい。
「でしょ! 私も初めて聴いたとき、ピーマンが反乱を起こして地球を侵略してくるぐらいの衝撃を受けた」
良いものを見つけると人に話したくなる。
でも私には蒼空しか話す人がいない。
だから好きのものを話すときは興奮気味になり表現がおかしくなる。
「ピーマンは子供に嫌われてるから反乱起こしても驚かない。朝起きたら両親がピーマンに変わってるぐらいの衝撃だった」
訳のわからない比喩を言っても怪訝な顔もせず返してくれる。
自分が受け入れられているようで安心できた。
「両親がピーマンになることは、たまにあるから驚かない」
「いや、ないだろ。どこの血筋だよ」
他人が聞いたら訝しがるかもしれない。
でも私にとってはすごく心地いい。
さっきまで心の真ん中で胡座をかいていた孤独は、今は片隅で正座している。
こんな冗談を言い合えるのは彼だけだった。
他の人にはきっと一生言えないと思う。
二人でいると世界に迎合しているような気分になる。
周りの笑い声から嫌悪が剥がれ落ち、この瞬間だけは普通の高校生になれる。
蒼空は小学校からの幼馴染だ。
優しい雰囲気を纏い、全日本爽やかグランプリがあったら三連覇を達成してそうな顔立ちだ。
私がそうめん工場の工場長なら、毎年彼にそうめんを送るだろう。
それぐらい爽やかという言葉が奥村蒼空には似合う。
目に少しかかる前髪もそうめんに見えてきた。
この場にめんつゆがあったら前髪を浸してしまいたい。
そんな気持ち悪い妄想をしていると学校に着いてしまった。
蒼空との会話で孤独を埋めていた私は、憂鬱という名の校門をくぐる。
少しでも長くこの時間が続いてほしいので歩幅を狭めていたら、「おはよう」という言葉が投げかけられた。
私にではなく蒼空に。
蒼空は友達が多い。
常に周りには人がいて、学校では近づくことができない。
いや、正確に言えば近づくことはできるが、人間嫌いの私は蒼空以外の人と一緒にいたくない。
だから学校では一人になることが多かった。
下駄箱で靴を履き替えてるだけで数多の「おはよう」を間接的に浴びる。
私は他人という存在を避けてきたし、世界を嫌悪してきた。
小学六年生のあの日から。
教室に入ると「おはよう」という言葉が蒼空に目掛けて飛んでくる。
隣にいた私は「おはよう」の流れ弾が来ないよう、速やかに自分の席に着いた。
基本は声をかけられないが、蒼空といるとおまけ程度に挨拶される時がある。
普段、人と接していない人間からすると、急な声掛けは心臓に悪いし、話そうとすれば、
――うざい
あの日、言われた言葉が呪いのように脳裏に響く。
小学六年から高校二年の五年間、その呪いは今も纏わりついている。
だから近づかない。
狭い世界で小さく輝きを放ち、私のことを見てくれる人がいればいい。
横目で蒼空を見るとクラスメイトと談笑していた。
その瞬間、孤独が肩を叩き、力強く手を繋いでくる。
さっきまでその隣に私がいたのに、今は別の人間がそこにいる。
元カノを経験したことはないが、何故か元カノのような気持ちになった。
『蒼空の元カノ』
響きとしては悪くない。
別れてはいるが一度結ばれているという観点でみれば、今の私より立場が上だ。
好きな人に告白もできない哀れな私よりも。
でも気持ちを伝えようとしたことはある。
だけど怖くて言えなかった。
もしフラれたらこの関係も終わってしまうから。
今まで築いてきたものが崩れるくらいなら、せめて仲の良い幼馴染という肩書きは残したい。
そんな臆病な言い訳で、私は初恋をずっと握りしめている。
*
本来なら一限目の授業が始まっている時間だが、教師が遅れていて自習になった。
私はこの時間が苦手だ。
雑談という不協和音が孤独にジャブを打ってくる。
蒼空も隣の子と楽しそうに話していた。
その光景を視界に入れるのは自傷行為に等しい。
妄想で逃げようとしたが、蒼空と話している子を脳内で暗殺してしまいそうだったので窓の外に視線を外す。
教室から見上げる空は青く澄んでいた。
空が青ければ青いほど、消えてしまいたいと願う。
太陽が空を照らせば、星の輝きは薄れていく。
そこにいるはずなのに、輝けるはずなのに、光が星を消してゆく。
そして星は太陽を嫌悪する。
だんだんと鬱いできたので、机から小説を取り出した。
私が小説を読む理由は一人でいる大義名分を作れるからだ。
本を読んでいるときは孤独も薄れる。
作者もこんな理由で読まれるのは嫌だろうけど、あなたたちのおかげで孤独な少女が救われるのだ。だから許せ。
そんな私でも、好きな作家はいる。
枯木青葉という作家だ。
都市伝説をモチーフにしており、どの作品にも共通していることがあった。
主人公は孤独を抱えており、世間に恨みを抱いていると言う点だ。
私は共感する部分が多い。
デビュー作はそれなり売れたが、それ以降はパッとしなかった。
でも私は好きだった。
ワクワクできたし、モチーフになっている都市伝説を読後に調べるのも楽しい。
だからネットで酷評を見たときは悲しくなった。
まるで自分が否定されているように感じたから。
それでも次回作を期待していたが、三年前、突如として彼はこの世界から消えてしまった。
自ら命を絶って。
だが一年後、枯木青葉の小説が発表された。
出版社のホームページに書かれていたのは、枯木青葉のパソコンに未発表の作品が眠っており、それを家族の了承を得て発表したらしい。
話題性もあってか、その作品はベストセラーになった。
孤独を抱えた主人公が死んだ人間の未練を叶えていき、周りの人と繋がっていくという物語だ。
読み終わると、孤独に寄り添ってくれる優しさが私の心に横たわってた。
部屋の中で嗚咽しながら嗚咽して、嗚咽する自分に嗚咽して、本を見るたび嗚咽するという、嗚咽祭りが私の中で開催された。
何より嬉しかったのはレビューの評価が高かったことだ。
前作で溢れていた非難は賞賛に変わり、その声一つ一つが献花のように見えた。
この作品も都市伝説をモチーフにしていると思い調べたが、どこにも類似するものはなかった。
なぜこの作品だけモチーフがないのか?
なぜテイストを変えたのか?
そこに疑問はあった。
でも彼が賞賛されるたび、そんなことはどうでもいいと思えてきた。
「遅れてごめん、じゃあ始めようか」
教室の扉が開き、教師が入ってくる。
クラスの子たちは教師の顔を見るなり、嘆きやため息を漏らしたりしているが私は安堵した。
蒼空が隣の子と話すのをやめたこと。
授業中は孤独から解放されること。
楽しそうに話す声が聞こえなくなること。
普通の高校生が嫌うであろう授業は、私にとって憩いの場だった。
別に勉強が好きなわけではない。
授業というものは誰とも話さないことが普通であり、ノートをとって、先生の話を聴くというタスクができる。
だから手持ち無沙汰にならない。
孤独というのは、自由を与えられたときにやってくるのだ。