【9】探偵になった理由(ワケ)
【シリーズ】「ちょっと待ってよ、汐入」として投稿しています。宜しければ他のエピソードもご覧頂けますと嬉しいです!
【シリーズ】ちょっと待ってよ、汐入
【1】猫と指輪 (2023年秋)
【2】事件は密室では起こらない (2023年冬)
【3】エピソードゼロ (2011年春)
【4】アオハル (2011年初夏)
【5】アオハル2 (2011年秋)
【6】ゴーストバスターズ? (2024年夏)
【7】贋作か?真作か? (2024年秋)
【8】非本格ミステリー!?(2024年冬)
【9】探偵になった理由
探偵になった理由 第一章
ぎゃーてーぎゃーてーはーらーぎゃーて、と読経が聞こえる。それを耳にとらえながら、なんとか遅れまいと経本を目で追い心を込めて小声で唱える。僕の右隣には汐入、左には千本松くん、梅屋敷さん、大森さんが座っている。
僕、能見鷹士は個人事業主としてコンサルタントを生業としている。元は大手シンクタンクで働いていたが、ブラックな企業風土に嫌気がさし、三十路が見え始めた28歳で退職。一念発起し、中小企業に特化した地域密着のビジネスコンサルタントとして起業した。
そして隣に座るのは汐入悠希。亡き父親の残した探偵事務所を継いでいる。汐入とは中学時代の同級生なのだが、当時はあまり親しくはなかった。女子剣道部にいたかな、ぐらいのうっすらした記憶しかない。高校は別だったが通学の電車が同じだったので話すようになり、それから親しくなった。そして高校二年の秋、汐入のお父さんが亡くなった。
今日は汐入のお父さん圭一郎さんの十三回忌の法要だ。湿っぽい雰囲気はなく、法要が終わったら汐入は
「今日はありがとうな。あっちの世界では十三回忌は一つの節目の様だ。だから、これを一つの区切りにしようと思う。次の法要からは家族だけでやるよ。さ、今日はせっかく集まったんだし、なんか旨いもんでも食べよう!ちょっと早いが飲んぢゃお!」
と誘ってくる。
皆、賛同したのでまだ15時過ぎだが、もんじゃ焼き屋に入った。
「よし、生ビール5つ!もんじゃはどうしようか?やっぱ明太チーズは外せないよな。豚肉もトッピングしよう。お、変わり種のイカスミもんじゃなんてのもあるぞ。広島風のお好み焼きもいいな!」
と汐入が率先してオーダーしてくれる。
だが千本松くん達はいつものテンションよりちょっと低めだ。梅屋敷さんが汐入に話しかける。
「なあ、汐入。あの時、俺たちは・・・」
「梅屋敷、また、その話か?もう13年も昔の話だろ?それに悪いのは犯人の奴らさ。皆が気にすることなんて何にもない。そもそもワタシが拉致られたのが悪い。それにワタシは皆に助けられたんだぞ。さ、献杯だ。千本松、大森もグラスを持て。飲むぞ!」
「あ、ああ。献杯。頂くよ」
何故こんな微妙な空気になるのか。それは13年前に遡る。汐入のお父さんは事件に巻き込まれた。通り魔に刺されたのである。
汐入の父、圭一郎さんは探偵業を営んでいた。元々刑事だったが、法の正義と道義的な正義の板挟みにあい、法の正義を守らざるを得ない警察の立場にジレンマを感じていたそうだ。そして選んだ道が探偵だった。
法の許す範囲でできることをし、少しでも道義的に正しい人に寄り添おう、丁寧に調査をし、事実に基づいて困っている人の手助けをしよう、と言う信念から探偵の仕事を始めた。
汐入の祖父、嘉文さんは弁護士をしていた。法こそが正義であるという価値観だった嘉文さんは、「道義などみる人の立場によって変わるのだからそれを拠り所に正義を語るのは傲慢だ」と主張し、一方で圭一郎さんは「立場が変われど人として正しいこと、揺るがない正義はある筈だ。法は社会的には正義だが、常に道義的にも正義であるとは限らない」と主張し、全く相入れない。
そんな感じで探偵を始めて以降、圭一郎さんと嘉文さんとの溝は徐々に広がっていってしまった。汐入家は所謂地元の名家で代々大きな屋敷に住んでいたが、圭一郎さんはなんとなく屋敷に居づらくなり、特に追い出されたわけではないが、ほとんど探偵事務所で寝泊まりしていた。
余談だが、圭一郎さんが事務所を探す時、なぜか汐入が熱心に物件を探していた。理由を聞くと「どこか駅近くにワタシも息抜きができる第二の拠点をつくるのさ」とのこと。そんな目論見を喋っていたら、大森さんが「ウチの喫茶店の2階、今、空きテナントなんだ」と耳寄りな情報を汐入に提供したらしい。
そんな次第で圭一郎さんから引き継いだ汐入探偵事務所は今も大森珈琲の入る建物の2階にある(圭一郎さんが不在になってからは汐入が祖父に頼み込み、なんとか事務所を維持していたようだ。そう、汐入家は裕福なのだ)。今、汐入が探偵業のない時に大森珈琲でバイトに精を出せるのもその立地の近さが要因だ。探偵事務所のドアに「下ノ喫茶店ニ居リマス」と書いたプレートをかけているという訳だ。
話を戻そう。圭一郎さんが亡くなった後、探偵事務所に残された業務日誌やクライアントファイルを見たけど、情報を秘匿するためか、肝心な部分は文章化されていなかった。クライアントの依頼時期などの日付も暗号化されている上に、本名などは記載されていない。おそらく圭一郎さんにしかわからないのだろう。
だから、あくまで想像になるけど圭一郎さんはクライアントからの依頼を調査しているうちに、反社会的な勢力のイザコザに巻き込まれたのだと思う。
元警察の人間だから、反社と分かれば毅然と依頼は断ったことだろう。きっと狡猾に一般人を装い依頼をしたのだろう。具体的にどの様な依頼内容かはわからないけど、良からぬクライアントからの何らかの依頼案件が絡んでいる可能性は極めて高い、と汐入も僕も考えている。
当時、僕らは高校生だったから圭一郎さんの仕事の詳細は知らなかった。だからこれは当時の僕から見た十三年前の出来事だ。
探偵になった理由 第二章
十三年前のある日、特に変わったこともなく汐入はアジ三(東亜細亜大附属第三高等学校、通称アジ三)から帰宅の途についていた。帰宅と言っても今日は父親圭一郎さんの探偵事務所に寄り道をするつもりでいた。汐入が圭一郎さんの事務所の100メートルほど手前まできた時、突然後ろから大型のバンが現れ、汐入の脇に停まった。
あっと思う間もなく、ドアが開き汐入は車内に引っ張り込まれ、車が発車した。僅か数秒の出来事だった。
ただ幸運だったのは、その場面を同じく帰宅の途についていた大森さんが目撃していたことだった。大森さんは即座に梅屋敷さんに連絡した。
「梅屋敷さん!ヤバイ!汐入が拉致られた。あっという間に車に連れ込まれた。黒のデカいワンボックスだ。フルスモークで金のエンブレムだった。国道方面に走り去った!ナンバーは最後の二桁が96だった」
これを受けて、梅屋敷さんは即座に千本松くんに連絡すると同時に、近隣の走り屋達にその車を探すように命じた。幾つかのチームも協力してくれ総勢200台ほどのバイクが国道を中心に街中を虱潰しに探した。ものの10分で黒のワンボックスは見つかり、国道を南下中と連絡を受けた。
既にバイクで車の捜索に向かっていた千本松くん、梅屋敷さんは即座に国道に向かった。免許を持っていない僕は大森さんに拾ってもらいバイクの後ろに乗り、国道を南下する。
国道を飛ばしに飛ばして黒のワンボックスに追いつき、千本松くん、梅屋敷さんの後ろに付けると、これまでバレないように距離をとっていた走り屋の仲間達が続々と後ろに列をつくった。梅屋敷さんが右手を掲げて、前に出ろ、と合図をすると、20台程度のバイクがワンボックスの前に出て進路を塞いだ。
相手の判断は早かった。停車するなり、汐入を車の外に投げ出し、前に群がるバイクの一団に猛スピードで突っ込み強行突破した。かろうじて皆、避けられたのは僥倖だった。数台が、追うぞ、と動き始めようとした時、千本松くんが
「やめろ!深入りするな!」
と制した。千本松くんは、相手が本当にヤバい奴らだと直感的に感じ取った。汐入奪還の目的は達せられたのだ。ここで手打ちにしないと返り討ちに遭うだろう、と判断した。
「汐入!大丈夫か!」皆が駆け寄る。汐入は泣き声こそあげていなかったが、目には涙が滲んでいた。
「・・・大丈夫。ありがとう。助けてくれたんだね。ありがとう」
と何度も涙声で、その場にいた200人近くの一人一人にお礼を言って回った。
そしてこの事件から不幸の連鎖は続いた。それから二週間も経たない内に、圭一郎さんは通り魔に腹部を刺されて帰らぬ人になった。犯人は直ぐ捕まったが、誰でも良かった、人を刺したかった、を繰り返すのみ。圭一郎さんのクライアントとの関連性は全く掴めなかった。
さらに通り魔側の弁護士は心神喪失状態を理由に無罪を主張した。あろうことか判決はその主張が認められた。汐入はショックだったのだろう。正義ってなんなんだろうな、って何度も呟いていた。
想像の域を出ないが、圭一郎さんが調査をしていた案件の何かが反社勢力の不利益に繋がるのだろう。そこで反社組織が、汐入拉致を実行し、それをカードに圭一郎さんに調査を止めるよう圧をかけるつもりだった。
しかし、僕たちが汐入を奪還してしまった。だからそいつらは交渉カードがなくなり、圭一郎さん殺害という卑劣な手段に出た。
もし、汐入が拉致され、解放と引き換えに圭一郎さんが調査を停止していたなら、圭一郎さんは殺されることはなかったのではないか?
目の前の出来事だけで判断し、強硬に汐入を奪還したことは間違いだったのだろうか?
汐入が攫われるのを黙って見ていれば良かったのか?
なんとも言えないわだかまりは今でも僕たちの心に棲みついている。
この日のもんじゃ焼きは、最初こそ少しぎこちない雰囲気であったが、皆でもんじゃを突いている内に、いつものようなただの飲み会と化した。
「おう、じゃあまたな!」
と汐入は元気に別れの挨拶をし、解散した。僕らはそれぞれ歩いて帰路に着く。大森珈琲は店舗のみなので大森さんの住居は別だ。千本松くんと梅屋敷さんは方向が違う。なので、事務所を寝ぐらにしている汐入と僕は帰る方向が同じになる。
二人で歩いていると不意に汐入が
「なあ、能見、今、何を考えている?」
と聞いてきた。
「十三年も経つんだな、って。僕らはまだ真相はおろか、手掛かりも得られていない」
「そうだな。でも貴様には感謝してる。少しずつだがわかってきたこともある。もう少し父の事件の真相解明に付き合ってくれ」
「いや、僕は何も。汐入の話し相手になっているだけだよ」
「それに感謝しているんだよ。一人だと塞ぎ込んでしまう」
「これで力になれているなら、僕は構わないよ」
と、真面目に答える。
「そうだな、フフッ。それだけしかできないもんな!ハハハッ!」
「な、なんだと!汐入!次から相談料、とるからな!」
「そうか。それなら貴様に入れてやる珈琲はスーパーで買ったインスタントに格下げだ!いやそれも贅沢だな。他のお客さんに淹れた出涸らしにしてやる!」
と、冗談の応酬となった頃、汐入の事務所の前に着き、汐入と別れた。
皆に変な責任を感じさせない様、圭一郎さんの事件を未だに調べているとこは僕と汐入だけの秘密にしている。そしてきっとこの事件は、汐入が探偵になった大きな理由の一つなのだろう。大学の物理学科に進学し、大学院まで行ったのだ。そのまま研究者になる道も企業で技術者になる道もあった筈だ。もし事件の真相に辿り着いたら、その後、汐入はどうするんだろうな。
(探偵になった理由 終わり)