五 図書館の妖精
緑川高校の図書室は、校舎から独立し、中庭近くに建てられている。外壁は白に染められ、螺旋階段で繋がる二階建てだ。学校の創立者が出版関連に勤めていたこともあって、学校ではなかなか見ることがない巨大な図書館が設立された。その規模の大きさから図書室ではなく、図書館と呼ばれる。
昨日、生徒会長から図書委員長にお届け物を預かった俺は、図書館近くの中庭に来ていた。
膨大な植物に囲まれ、人工的な川も流れる中庭は、人一人いなかった。それも当然で先ほどまで雨が降っており、中庭はあたり一面濡れていた。設置されているベンチも漏れなく全て濡れていた。
夕日が差し、雨に濡れた箇所が光に照らされ、キラキラと幻想的に光る。
中庭を通り、目当ての図書館まで足を進める。自動ドアをくぐり、受付に向かう。
図書館には一度行ったことがあるため、場所は大体把握している。受付にいる女性に話しかけようとして――
――時が止まった。
緑川高校指定の制服に胸元には一年生であることを示す薄水色のリボン。肩まで伸ばしたプラチナブロンドの髪に、心の奥まで覗き込まれそうなグリーンの大きな瞳。
まるで花のような可憐な唇に、触れると溶けしまいそうな雪のような白い肌。人里に紛れ込んでしまった妖精のようだ。そのくらい浮世離れして見えた。
「あの……何か?」
少し棘が入っている言葉で我にかえる。
思わず呆けていたのだろう。
受付の女性の瞳には警戒の色が浮かんでいた。失礼な対応をした自分に反省する。
「あ……ごめん。実は図書委員長に届け物があって。生徒会なんだけど、その兼ね合いで」
「……楓さん……いえ図書委員長は今席を外しています。私が届けましょうか?」
女性の瞳から僅かばかり警戒の色が薄くなった。それでもまだ表情は硬い。
「ありがとう。ただ直接手渡したいから、戻るまで時間潰すよ」
ありがたい提案だったが、挨拶もしないといけない。
ただでさえ、失礼な対応をしまったので、これ以上邪魔する前に、この場を離れる。
端の棚から本棚に目を向けた。こういう機会でもなけれはわざわざ学校の図書館には来ないので、興味津々に回る。単行本エリアから文庫本エリア、参考書エリア、資料エリアなど順に目を通す。
おおっと。ふとある本を見つめ、目を留める。
「右四間飛車大全だと……?」
思わず手に取る。
その本は五十ページほどの薄い本で表紙は黒く汚れていた。表紙の王将の駒に汚れがついて、玉ではなく玊になっていた。
思ったより汚れているな……。
少しげんなりする。
と、そこで視界の隅に、ある文字が目に入った。「右四間飛車大全」を戻し、興味を惹かれた本棚まで移動する。低い棚に入っていたのでしゃがんで目を向ける。
「緑川の歴史――我が愛する緑川について――」
面白そう。
中身を確認しようと、本を引っ張り出そうとするが――
「……お、重い」
その本はなかなかの重量だった。一キロはありそうな本を持ち上げ、近くの席に移動する。
重たい表紙を捲り、中身を確認する。
こ、これは……
面白いぞ。
目次の時点で興味をそそられ、夢中で読み進める。
★
四十分ほど経っただろうか。柱時計を確認すると思ったより時間が経っていた。
名残惜しいが、手元の「緑川の歴史――我が愛する緑川について――」を元の本棚にしまう。
受付に向かうと先ほど話した女性が一人で座っていた。
再度話しかけようとして、女性も気付く。
「仕事しているところごめん。委員長ってもう戻ってきたかな?」
「……いえ。まだです」
「あ、そうなんだ。じゃあまだ時間潰してくるよ」
そう言い、先ほどの読書の続きをしようと、その場を離れようとした。
「あ、あの!」
「?」
呼び止められた方向に振り返る。
受付の女性が席を立っていた。
「あ、あの。……委員長が戻られたら呼びに行きますので、館内のどこかでお待ちいただければ」
「え? あ……ただ仕事もあると思うし、大丈夫だよ。ありがとう」
「いえ……今日の仕事はあらかた終わりましたし、それに――」
彼女が周囲を見渡す。
「――もう館内には誰もいませんし。大丈夫です」
周囲を確認する。
本当だ。もう誰もいない。
そんなに遅い時間ではないし、雨の影響だろうか。
「……じゃあお願いしても大丈夫かな?」
「はい」
せこせこと先ほどまで座っていた席に戻る。
読み途中だった「緑川の歴史――我が愛する緑川について――」を再度本棚から引っ張り出す。
静かな空間で自分の好きな本読む時間。とても好きだ。自宅でココミツを飲んでいる時の次に好きかもしれない。
「……」
夢中で読む。
なかなかこのような書籍は図書館でないと出会えない。書店で大型の本はあまり売っていないし、あるとしても専門店だろう。注文すれば読むこともできると思うが、いかんせんお金がない。それにあくまで知っていないと注文ができない。
その点、図書館は想像もしていなかった本に出会える。そして仮に興味を持った場合、買わずとも読むことができる。これが図書館の良いところだろう。
「……」
どのくらい読んでいただろうか。
分厚い本は四分の一まで読み終えていた。
ずっと下を見ていたこともあって首と肩が痛い。肩を回すとゴリゴリと音がした。
少し休憩したいが、続きが気になって仕方ない。別に物語じゃないんだけど、この筆者の書き方だろうか、早く読みたい。
一度席を立ち、身体を伸ばすと再度読み進める。できる限り読んでやるぞ。
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