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オジサンクエスト~脳内革命~  作者: 細川あずみ


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EPISODE2

~EPISODE 2~


 このよく分からない世界に来て、おそらく1時間くらいが経過したように感じる。現在の時刻は分からない。いつここに来たのかもハッキリしない。何となく、1時間くらい。そんな感じだ。

 俺に驚いて尻餅をついたあの人物は、「マル」という名前らしい。見た目は20代男性。生まれつき左耳が全く聞こえないらしい。右耳はわずかに聴力があり、補聴器を着けていた。後ろからだと、髪に隠れて見えないのだ。マルの前に立つ際、左側から回ったので、右耳に装着されたブルーの補聴器には全く気が付かなかった。俺は、補聴器とやらを初めて見た。何となく、ベージュの小さな補聴器をイメージしていたのだが、マルの補聴器は耳に掛けるタイプのものだった。しかも、明るいブルーで、印象は「キレイ」「カッコイイ」だった。これも時代の流れというやつなのか。

「右側から話しかけられると、少しだけ音が入って来る」

 両手の親指を使って、高速でスマホに文字を打ち、マルは自身のことを話してくれた。そうか、だから、後ろからの大声も聞こえないし、俺が左側から回ったせいで、突然視界にオジサンが入って来て驚いたという訳だ。

 マルは、俺が今居るこの世界のことも、教えてくれた。

「ここは、耳が聞こえない人が住む世界です」スマホに文字を打って、俺に見せた。

「耳が、聞こえない…」この声も、マルには届いていない。

「今、かわいそうって思った?」

 マルはスマホを見せつつ、真っ直ぐ俺を見た。マルは身長165㎝くらい、俺は170㎝くらいで、身長差がほとんどないため、マルの視線は本当に「真っ直ぐ」だ。俺は目を逸らしてしまい、それはマルの言葉に「イエス」と言ったも同然の反応だった。

「正直な気持ちを話して欲しい」

 マルのスマホに書かれた文字は、マルの心をそのまんま表していて、俺の心にザクザクと刺さってきた。俺は、先ほどの軽快なメロディーとバイブレーションでいつの間にか復旧したスマホに、ポチポチと文字を打った。フリックは苦手で、ひとつずつタッチして入力するタイプなので遅い。本当ならガラケーがいいのだけれど、それこそ時代の流れで、スマホに変えざるを得なかった。俺がポチポチと文字を入力している間、マルはじっと待っていてくれた。マルの静かな呼吸音だけが聞こえて来た。

「ごめん。正直言って、こんな若いのに大変だろうなって思った。どうやって生きてくんだろうって。喋れないって、ツラいだろうなって」

 マルはフッと笑って、軽くうんうんと頷いた。

「聞こえてても、ツラいことはあるでしょ?」マルはそう言った。と言っても、声ではなく文字で、だが。

「ん…そうじゃな…」俺は、マルが示すスマホの画面を見ながら頷いた。どんな表情をしたらいいのか分からなかったし、自分がどんな表情をしているのかも分からなかった。

 マルは、右手にスマホを持ったまま、俺を見つめ、左手の親指と人差し指を2回、チョンチョンとくっつけた。

「ん?」と、俺は表情で尋ねた。

「同じ」

 マルは文字でそう示して、再び先ほどと同じ動きをした。俺もマネして、「同じ」と呟きながら、右手の親指と人差し指をチョンチョンとくっつけた。マルと目が合い、何だか気持ちが通ったような、胸の辺りがぽわわんとした。

 すると、再びスマホが例のメロディーを奏でた。もちろんバイブレーションも忘れず。今度は、「20ポイント」と表示された。

 マルは嬉しそうな表情で、グーを鼻の前に置き、「鼻が高い」といった感じで少し斜め上に動かした。後にそれは、「良かったね!」という意味だと教えてくれた。

「これ…なんなんじゃろ」俺がスマホを見ながらボソッと独り言をこぼすと、俺の視界でマルが、「ねぇねぇ」といった感じで、左手をヒラヒラとさせた。マルを見ると、ニヤニヤしながらこんな表現をした。

 「グッド」の親指を曲げたバージョンのような形を、少しクルクルと動かし、まるで腰の曲がった人が歩くようなイメージの表現。次に「オッケー」の形を目の辺りでクルクル動かして、何かを探すような感じの動きだ。マルが住むこの世界では、それぞれ「おじさん」「探検」と言う意味で使うことを教えてくれた。

「おじさん…探検…?」

 マルは、またニヤニヤしながらスマホを俺に見せてきた。

「オジサンクエスト。略してオジクエ」




 こうして、俺のオジサンクエスト、オジクエがいつの間にか始まっていた。どうやってこの世界に来たのかは全く分からないのだが。それに、望んでここに来た訳ではない。全員耳が聞こえないなんて、現実にあり得るのだろうか。まるでアニメの中か、漫画の世界か、小説か…。ここは一体、どこなんだ。俺にとっては、異世界以外のなんでもない。夢ならば早く覚めて欲しい。いつもの世界へ戻りたい。言葉が通じる、いつもの日常に。

 最初は、一刻も早くこの異世界から抜け出したかった。言葉が通じないなんて、困ったなんてレベルじゃない。英語なら日常会話程度出来るが、耳が聞こえない人となんて話したことがない。この55年間、いわゆる「障害者」について考えたこともなかった。学校では習った気もするが、身近には居ない。俺の親は80歳を超しているが、自分で歩き、メシを作り、一人でトイレにも行けるし風呂にも入る。耳は遠いが、補聴器をせずコミュニケーションが取れる。それが当たり前のように思っていたが、それは違うのかもしれない。「当たり前」なんてものは、ないのだ。

 俺は、自分が今まで見て来たものだけを、この世界の全てのように思い込んでいた。だが、世界はそんなちっぽけではなかった。藤井から「ヤマは頭カタいんよ」と言われるのも、全くその通りだなと初めて思った。マルと話して、初めて「最近の若いモン」と対等に話せた気がした。偏見を持っていたのは、自分の方だったのだ。

 ふと、マルとのやり取りを思い出した。俺は、マルを「障害者」とは全く思わず、目の前の人物とただ「会話」を楽しんだに過ぎない。俺が口から発する「声」は、音としてマルの耳に届くことは難しい。が、マルの「声」、つまり文字や手話は、俺の目に届く。お互いに目が見えていれば、耳が聞こえなくても「会話」が出来るのだ。

 ある瞬間、俺は感動というか、コミュニケーションの本質に触れたような気がした。それは、「同じ」という手話をした時に、マルと目が合ったあの瞬間だった。文字を打っている間はスマホを見るので、どうしても下を向いてしまう。そして、マルの言葉を読む時も、スマホを見るので目線が合わない。だが、手話をした時に初めて、しっかりと目が合ったのだ。

 そうか、これなんだ。

 目と目を合わせることを、俺達聞こえる人間は、忘れてしまってはいないだろうか。下を向いていても、背中を向けていても、声が聞こえていれば会話が出来てしまう。お互いに「聞いている」と思い込んで、後から「言った」「聞いてない」とケンカになることもしばしばだ。

 マルは、初めて会った時から、俺の目を見ていた。目で話しかけていたのだ。それが、聞こえない人達にとっては当たり前なのだとしたら、俺達聞こえる人間は、聞こえない人達から学ぶべきことが、大いにあるのでは?と感じた。

「テッテレーー♫」

 また、軽快なメロディーとバイブがお知らせした。今度は「30ポイント」だ。どうやら、「思い込み」に気が付いたり、築き上げてきた固定概念が崩れると、例のメロディーが流れてスマホが震え、○ポイント、と表示されるらしい。思い込みの度合いによって、ポイントが変わるようだ。段々と慣れてくると、昔やった、なんとかクエストというゲームをやっているような気分になってきた。つまり、楽しいのだ。「次は何ポイント稼げるのか」「どんな思い込みに気付けるのか」と、ワクワクしている。こんな気持ちになったのは久々だ。新しいことに心躍るだなんて、一体いつ振りだろうか。それこそ、ウン十年ぶりとか、それぐらいの期間ずっと俺は、ウキウキしていないということだ。大学院を出て就職して、この会社で30年…仕事とは、苦労するものだと思っていたし、そう教えられた。給料は我慢料だと。汗水垂らして、涙流して、やれ血圧が高いだの寝てないだの、不健康自慢の絶えない職場で10年程働き、一度体を壊した。

 その時、唯一心配をしてくれたのは、他の誰でもない藤井だった。「じゃけ言うたやろ?」と笑いながら、「暇つぶしに」と大量の漫画本とゲームを置いていった。入院期間は2週間と、思った以上に長引いたので助かった。

 退院後、俺は部署を変わった。自ら希望して、異動したのだ。藤井が、「一緒にやらんか?」と誘ってくれた。当時35歳だった俺は、ゲームというものがこんなに面白いことを知らずに生きてきたことを後悔した。藤井はゲームを作るのが好きで、俺には「アイディア出せよ」と言ってきた。俺が案を出し、藤井がそれを形にする。最強コンビのスタートだった。

 そこから月日が経ち、俺は昇進して部長となったが、藤井は「現場が好きだから」と、昇進は望まなかった。妻子持ちで、子育てに金もかかるだろうに、俺は「もったいない」と伝えた。が、藤井は言った。

「カネのために、好きなことが出来なくなるのはぜってぇにイヤなんよね」

 奥さんは何と言っているのだと聞くと、「好きにさせてくれている」とのことだった。男なら稼げよ、と言ったら、藤井はいつもの言い方で、「ヤマはさぁ、頭カタいんよ」と返した。


「確かに、俺は頭カタいよなぁ…」

 藤井の言葉を思い出し、一人クスッと笑った。そして今、ここに藤井は居ない。もしかしたら、もうずっと現実の世界には戻れないかもしれない。藤井と一緒に、ゲームを作ることは、もうないのだろうか。定年まで、あと5年。最後に一つだけでいいから、藤井と一緒に作りたい。あの頃のように。毎日徹夜しても、くたびれても楽しかった、あの頃のように。100個アイディアを出しても、採用されるのは1つか2つ、あればいい方だ。それでも、藤井とあれやこれやと話している時間は、楽しかった。

 いつしか周囲から、「ヤマフジコンビ」と言われるまでになった。が、俺が部長になってからは、藤井と組んでゲームを作ることがなくなり、会社の業績も思うようにはいかなくなった。俺は「部長」という肩書きにしがみつき、本当に楽しいことや好きなことから逃げていた。都合が悪くなれば社長のせい、部下のせい、取引先のせいにして、自分の考え方や態度を改めようなんて、1ミリも考えなかった。なのに、この会社は俺のことをクビにはせず、ずっと置いてくれている。そのことにまずは、感謝しなければならない。現実の世界に戻ったら、いの一番に社長の元へ行き、感謝の気持ちを伝えよう。そして、藤井を誘ってみよう。また一緒に、ゲームを作りたいのだと、伝えてみよう。




 そろそろメシが食いたくなったのだが、飲食店に入るのが少し怖い。どうやって注文すればいいのかが分からない。が、オジクエはポイントを貯めていくゲームだ。出来るだけたくさんのポイントをゲットしたいので、天地がひっくり返るような経験をして、思い込みをガラッと変えてしまえば、早くクリア出来る。ちょっと怖いが、ゲームなのでワクワクしている。「ここの住人は全員耳が聞こえない」と分かっていると、最初のような失敗はもうない。話しかける時は、肩を軽くポンポンとしたり、相手の視界に入る。顔と顔を合わせて、目を見て話す。文字を見せたり、ジェスチャーで何とかなる。よし、腹ごしらえだ。


 丼が食いたくなったので、看板に「どんぶり」とある店に入った。ドアをガラッと開け、店員を探す。ある人と目が合ったので、人差し指を立てて「1」と示した。その店員は、奥のテーブルへどうぞ、といった感じに手で示した。客は数人。もちろん、全員耳が聞こえない。と言っても、確認はしていないが。

 席に座り、タブレットを見ながらどれにしようかなーと考えていると、何故か落ち着かない。何かが違うのだが、何が違うのかが分からない。周りをキョロキョロと見ていると、先ほど席を案内してくれた店員が近付いて来た。

 店員は、人差し指を数回横に振る動きを見せた。これは手話の「何?」で、この場合「どうしましたか?」といった感じの表現だ。よく見るので、これは分かった。

「あ、えーと…自分は、耳、聞こえる」俺は、自分の耳を何度も指差した。手話はほとんど分からない。口を大きく、ハッキリと動かすと伝わりやすいことも経験済みだ。

「あー。そうなんですね!」

 え?と、俺は驚いた。店員が、声を出したからだ。「喋れるんだ?」と、聞いてしまった。

「私、聞こえないんですけどぉ、声も出すんですよぉ。ビックリしちゃった~?」

「え…えぇ…」

 ホントに驚いた。聞こえない人は喋らないと思い込んでいた。よくよく聞けば、発音が明瞭ではない部分もあるが、「聞こえない」と言われても、にわかには信じがたい程の発声だ。

 俺が驚いていると、また例のメロディーが鳴り、スマホがバイブした。今度は30ポイントだ。

「オジクエの人ですねー?」と、店員が嬉しそうに言った。

「あ、ハイ…オジクエの人です…」俺が苦笑いすると、店員がスマホを見せた。

「これ、スキャンしてください」

「?」

 俺は言われるがままに、スマホ画面に表示されているQRコードをスキャンした。ピコン、という可愛らしい音と共に、LINEの友達に追加されたという知らせが来た。店員の名前は、コウジというらしい。

 コウジは、オジクエに参加して来たオジサン達を、サポートする役目があるのだと教えてくれた。24歳と言っていたが、高校生だと言っても分からないほどに若々しいというか、元気な印象だ。生まれつき難聴で、口を読んだり声を出したりしてコミュニケーションを取るのがメインらしい。手話も少し分かるとのこと。耳を見ると、左耳に補聴器を着けていた。コウジの補聴器も耳掛け式で、黒っぽい、紺色のような色をしている。

「やっぱり、声で話せる人が居ると、ホッとするでしょう?」

 コウジは「ホッとする」の部分で、鼻を指した人差し指と中指を、スッと下へ引いた。安心して鼻からため息が漏れるような、そんなイメージだ。ニコーッと笑ったコウジは、オジクエサポーターにピッタリだなと思った。

 確かに、声って安心する。この世界に来てから、ずっと声で喋っていない。コウジは聞こえないが、手話も少し分かって口も読めて、声も出せて、読み書きも出来て、イラストも描ける。この店のメニュー表にあるイラストは、全てコウジが手がけたものらしい。タブレットに表示される料理は写真だが、写真よりもコウジの描いたイラストの方が、美味しそうに感じた。

 コウジは、俺なんかよりもコミュニケーションツールがたくさんある。「耳が聞こえなくて、喋れなくてかわいそう」なんて思った自分を、殴ってやりたい。コウジはカッコイイな、と思った。

 ふと、脳の中で何かがピンと音を立てた。

「そうか…音か!」

「どうしました?」コウジが人差し指を数回横に振る。

「いや、なんか落ち着かないなって思ってたんだけど、ここってBGMないんよね。静かすぎて落ち着かないんだって、今分かった」

 すると、今までで一番大きなバイブレーションと共に、何か当選した時のようなメロディーがポケットの中で流れた。かなり大きな音が流れたので驚いたが、客も店員も全員聞こえないので、誰にも迷惑をかけていない。

 と思ったが、目の前でコウジが驚いた表情をした。

「ん?今の音、聞こえた?」と尋ねると、コウジはこう答えた。

「音は分からないけどぉ、ヤマさんがビックリしたのを見て、ボクもビックリしちゃいましたぁ」

 なるほど…!音が分からないからこそ、俺が突然動いたからそれに驚いたって訳だ。聴覚からの情報がなかったり、少ない場合は、視覚からの情報に頼ることになる。予測していないことが起こると驚いてしまうのは、聞こえていようがいまいが同じだ。ただ、俺は「大きな音」に驚いたのと、コウジは、俺の動きに驚いたという違いがあるのだ。

 段々と、この世界が分かって来た。初めは異世界へ来た恐怖しかなかったが、このオジクエをクリアするのが、楽しみになって来た。

 さて、何を食べようか。コウジのオススメを聞くと、メニュー表のイラストを指して「天丼」と言ったので、迷わずそれにした。

「お待ちくださ~い」

 コウジは、顎の下に手の甲を当て、待つ仕草をした。俺はオッケーサインを示した。

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