EPISODE1
~EPISODE 1~
「最近の若いモンは…」
俺の口グセである。仕方がない。本当にそう感じることばかりが起こるからだ。就職して約30年。ずっとこの会社に貢献してきて、今は部長としてチームを率いる立場に居る。新入社員はどいつもこいつも宇宙人みたいで、言葉が通じなくて困る。俺の同期の子供が、ちょうどこのぐらいの年齢だ。
「ヤマはさぁ、頭カタいんよ」
これは、同期の藤井によく言われる言葉だ。俺とは正反対の人種で、「最近の若いモン」に対しても柔軟な対応が出来る。会社に入った時、藤井は既に結婚していて子供も居た。ハタチの時に就職したが、その会社が倒産したため再就職先を探しており、ここに辿り着いたらしい。
俺は大学院を卒業してすぐ、ここに来た。中学の時から、大学院行きを決めていた。俺の周りがそうだから、何となくそうなるもんだと思っていた。その大学院に行くと、就職先は大抵決まっている。だからそれが当たり前だと思って面接を受けて、合格したから今もここに居る。
約30年間、自分で言うのも何だがよくやって来たと思う。今、部長という肩書きなのも、その「よくやって来た」結果だ。しかし、この所どうもおかしいというか、時代の流れというのか…。俺には理解不能なことがよく起こる。度々頭を悩ませていると、藤井がさっきのようなセリフを吐く。藤井は俺と違って、いちいち悩まないタイプだ。「なんとかなるさぁ」「力抜いてけ」と笑っている。確かに俺は、考え方が古いというか、これまでの30年間で培ってきた知識と経験を置いてはいけない脳ミソになっている。若い社員達とのコミュニケーションは、正直言って俺には難しい部分が大いにある。
俺は結婚もしていないし子供も居ない。と言うか、結婚したいなんて思ったことがない。独りが気楽だ。もう55だし、今更結婚なんて面倒だし、何より仕事が忙しくて、心の余裕がない。あと5年で定年だと思っていたが、もしかすると、定年まで居られないかもしれないという不安が頭をよぎる。それだけ、時代が変わったということなのだ。
休憩室で缶コーヒーを飲んでいると、「ヤマ!」と声をかけられた。
「お前、背中が寂しいのぉ」
「藤井はいっつも元気よのぉ」俺は、藤井と同じ言い方で返した。
「まぁ、孫も生まれるし、頑張らんとな」
「孫ねぇ…」
「子供がおるっちゅうーのは、あれじゃね。ジェネレーションギャップっていうの?あれを毎日感じるけぇね。勉強になるんよ~」
「ほぅ…」
「わしが今、若いモンと普通にやり取り出来とるのは、子供らのおかげじゃわね」
「ほーぉ」俺は、半分聞いていて半分聞いていないという顔をわざと見せて、缶コーヒーを傾けた。
藤井は、一旦呼吸をして、笑顔で言った。「ヤマ、休んどるか?」
「休みィ?んなモンあるかい」
「やっぱり」今度は眉を八の字にした。そして続けた。
「休むのも、仕事のひとつ。部下のためにも、会社のためにも、ヤマは休まんといけん」
「なん言いよるんよ」俺は目を逸らした。
「本気で、言いよるんよ。ヤマ、ちゃんと休め。」
ふと時計を見ると、19時を過ぎていた。ため息をつきながら周囲を見渡すと、誰も居ない。もう帰ったのか。全く、最近の若いモンは…一言、部長に言うことはないのか。
取りあえず、今日出来ることはした。もう一度、今度は大きなため息をつき、休憩室で藤井に言われた言葉を思い出していた。
―「ヤマ、休め」―
「そんなこと言ったってなぁ…」
俺は部長だ。休めない。俺が居なかったら、ここに居る若いモン達を誰が指揮するのだ。誰が指示を出すのだ。誰が取り決めるのだ。俺はここの部長だ。少なくとも、ここでは俺がリーダーで、俺が指示を出して、俺が決める。俺が休んでいる間、誰にそれを任せるというのだ。任せられるヤツなんか居ない。というか、任せたくないのが本音だ。もしも任せてしまって、それが上手くいったとしたら、俺の居場所はどうなる?55のオッサンの居場所は、一体どうなってしまうのだ?
そう。本当は、怖いのだ。分かっている。世代交代とか何とか言って、要は頭のカタいヤツなんかよりも柔軟なヤツの方が、これからのリーダーには必要だという話を、あちこちから聞いている。つまり、こんなオッサンは不要ということだ。あと5年で退職のハズが、もっと短くなるかもしれない。そうなった場合、俺はどこに行けばいいのだろう…。
こんなことを考えながら、いつものように、いつもの道を歩き、いつもの居酒屋へ行くのが、最近の俺だ。いつもの通り、「たちまちビールで」と注文し、まずはグイッと飲み干す。いつもと同じ餃子を食べて、ビールで流し込む。これが俺の、仕事帰りのお一人様タイム、とでも呼ぶべき時間なのだ。誰にも邪魔されなくていい。好きなものを好きなだけ食べられる。このために俺は、朝早くから夜遅くまで仕事を頑張っている、と言っても過言ではない。もはや俺には、仕事以外何もない。
「お客さん、今日はペース速いッスね」
「ん?そうかな」
「えぇ。なんかありました?」
「ふっ…なんもない人生なんか…」
「…大丈夫…ですか…?」
店員が去った後、何杯か飲んだ。あまり記憶がないのだが、俺はいつもの道をいつものように歩いて帰ろうとしていた。が、突然眠気に襲われ、目の前が真っ暗になった。
「うぅぅ…頭痛ぇ…ん??」
どうやら、電柱にもたれかかって眠ってしまったようだ。体中が痛い。頭もズキズキする。飲み過ぎたか。
「…ん…どこだ…?」
周りをキョロキョロしてみても、見覚えのある建物はないし、電柱に番地も書かれていない。俺は一体、どこまで歩いて来たのだろうか。現在地を調べようと、カベにもたれかかった体勢のまま、スーツのポケットからスマホを出そうとした。
「ん?…あっ!!」
数メートル前の上空で、何かがチカッと光ったように見えた。その下には、人が歩いている。「危ないっ!!」と声を挙げたが、その人は全く反応を示さなかった。俺は咄嗟に目をつむった。と同時に、何か陶器のようなものが割れる音が耳に響いた。
数秒経ったか、いや十秒程だったか、俺はうっすら目を開けると、粉々に割れた花瓶だけが、そこにあった。「あれ…?」
確かに人が居たハズだった。夢なのか?まだ俺は酔っているのか?スマホを見ると、画面が真っ黒だった。電源ボタン、ボリュームボタン、どこを何度押しても、ウンともスンとも言わない。起動しないスマホは、ただの四角い塊だ。
「えーっ…こんな時に…」
ここはどこだ。今何時だ。とにかく何か情報が欲しい。誰か…誰か通らないか。誰でもいい。
俺は、フラフラしながらも歩いてみた。とにかく人に会いたかった。いつもは独りがいいとか言ってるくせに。
それにしても、本当にここはどこなのか、全く見当も付かない。広島県なのか、岡山県なのか、大阪なのか東京なのかも分からない。日本なのか外国なのかさえも、見当が付かない。居酒屋を出てから、そんなに遠くまで歩いたのだろうか。昨日は結構飲んでしまった。そう言えば、店員にも心配されたような気がする。そんな状態で、遠くまで歩けるものだろうか。とにかく…とにかく誰か…。
当てもなくひたすら歩くと、人影が目に映った。咄嗟に声を挙げた。
「あっ!人!すいませーーん!」
俺は、数メートル前を歩く、青年らしき人に向かって大声で叫んだ。が、その青年らしき人は俺のことを完全に無視して、ジーンズのポケットに手を突っ込んだまま、スタスタと歩いていった。辺りには人がおらず、俺しか居ないのに…普通は声を聞いたら、どこから声がするのか周りを見るだろう?自分には関係ないと思っているのか。どういう教育を受けて来ているんだ、この若いモンは。
「うわ…ひっでぇなぁ。会社だったらあり得んど…部長を無視するとは」
腹が立ったので、駆け寄ってすぐ後ろで大声を出した。
「あのーっ!もしもしー?そこのおにーーいさーーん!」
こんなすぐ後ろで、こんなに大声で叫んでるのに無視かよ?イヤホンもヘッドホンもしていないし、絶対に聞こえてるハズ…。オヤジの声は全無視か?こんなオッサンの声は、無視ですか?だから最近の若いモンは…こうなったら…。
俺はそいつの前に回った。「あのー!」
そう叫んだとほぼ同時に、その青年とやらは「うあぁぁぁっっ!!」と声を出し、転んで尻餅をついた。ここまで見事な尻餅の瞬間を見たのは、55年生きてきて初めてだった。なんて、悠長なことを言っている場合ではない。
「あっ…あ、すみません…何度呼んでも振り向かないんで、つい…」
その青年は、しかめっ面をしながら俺のことをじっと見るだけで、動かない。いや、尻餅をついたのだから、正しくは動けない、のかもしれないが。マズい。もしかしたら、骨盤が折れてしまったとか?そんなに驚くとは思わず、さすがの俺も反省した。
俺はしゃがんで、青年と目線を合わせ、「あっ、あの、ケガ、ないですか?」と聞いた。
すると、青年―中性的な顔立ちで、ショートヘアーの人物―は、尻餅をついた状態のまま、右手で腰の辺りをさすりつつ、左手の人差し指を俺に向けた。そして次に、右手の人差し指を右耳、左手の人差し指を、少し開けた口の近くで同時に2回動かした。耳のそばで音が行き来している感じと、口から何か出ている感じの動きだった。最後にまた左手で俺を指差し、何かを尋ねているような、そんな表情をした。
「えっ…あ、な、なんでしょうか…」
全く意味が分からない。え?日本人ではないのか?顔立ちや背格好は、どう見ても日本人だが、アジア圏の人間は見た目で区別がつかない。あ、もしかしたらハーフで、日本語が分からないのか。留学生か。いやそもそも、どうして喋らないのだろう。さっき、「うあぁぁぁ」と声を出していたから、話せない訳ではないと思うのだが…。と言うか、こんな若いモンに、こんな至近距離で指を差されて嫌な気分だ。「人を指差すな」と教わらなかったのか。こんなことなら、大声を出してまで呼び止めなきゃ良かった。
そうこうしていると、目の前の人物が再び、ジェスチャーのような動きを見せた。まず、左手の人差し指で、自分の胸を指差した。「自分」という意味だろうか。次に、左手で耳を塞ぐ動きをした。つまり、耳が聞こえない、ということなのか?
「えっ、あの、耳、聞こえない?」と言いながら、俺は動きをマネして、右耳を塞ぐ動きをした。その青年らしき人物は、うんうんと頷いた。
すると次の瞬間、俺のスマホがバイブレーションと共に、まるでドッキリ大成功のようなメロディーを奏でた。不思議に思ってポケットから出すと、さっきは真っ黒だった画面が、キラキラと可愛らしいエフェクト付きで、「10ポイント」という表示に変わっていた。
「10ポイント…?」全くもって、本気で意味が分からない。俺は酔っているのか。これは夢なのか。夢であってくれ。