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第9話:死ぬか逃げるか、あるいは奇跡か

 心臓が止まるかと思った。


「……よ、よかった……」


 町中をさんざっぱら走り回ってようやく発見した涼姫があの男と対峙していて、しかもいきなり二人に増えて涼姫の背後に回ったときの蓮史の慌てぶりといったらない。一瞬活動を停止した心臓が、今はドクドクと猛スピードで動いている。

 その光景を目の当たりにしてとりあえず何かを叫んだ蓮史だが、幸運なことにそれが功を奏した。

 涼姫はしっかりとその隙を有効活用し、吸血鬼の魔の手から逃れることに成功した。成功してくれた。涼姫の無事を認めた蓮史は安堵感で膝から下が砕けそうだった。

 だがホッとしている暇などはない。

 蓮史は目の前のフェンスを素早く乗り越え、涼姫の許へと向かう。彼女もそれに気づいたようで、こちらを横目で見ながら仏頂面を作った。恐らく蓮史も似たような顔をしていたことだろう。


「涼姫、お前……」

「蓮史、あなた……」


 二人の声が重なる。


「何をやってるんだよ!」

「何をしているのですか!」


 彼らの合唱は止まらない。


「勝手に家出て勝手に戦って勝手にピンチになってんじゃねえ!」

「あの男がいるのは見ればわかるでしょう! 早く逃げなさい!」


 言い終えてから蓮史は「あん?」と呟いた。お互いが同じタイミングで喋ったため、相手が言ったことが何一つ耳に入らなかったのだ。それは涼姫も同様だろう。


「おいおいそこの少年少女よォ、俺を置き去りにして仲良く喚き合ってるんじゃねえよ。嫉妬しちまうじゃねえか。俺も仲間に入れてくれや」


 レイヴンの言葉に蓮史と涼姫は一緒に奴の方を睨む。


「なあ、少年。お前、そのお嬢さんとどんな関係なんだ?」

「なに?」

「出会ったのはあのときが初めてなんだろう? にしては随分と仲睦まじいご様子じゃねえか。どう見ても、たった今偶然再会した風には思えねえ。……あの後、何があったんだ? 善良な一般人である俺にもわかるように教えてくれよ、少年」

「なに言ってやがんだ、お前ら吸血鬼が、」

「蓮史、いけませんっ」


 涼姫は小声だが鋭い声音で蓮史の機先を制した。

 ああ、そうか。蓮史の頭に理解が広がる。

 この男――レイヴンは、蓮史が虎次郎の息子であることを知らないのだ。ここでもし蓮史が一般人には知られざる秘密を口にしたら、自分は涼姫の護衛対象だと言っているのと同義だろう。そうでなければ涼姫が煉月聖教の機密を漏洩するはずがないのだから。

 だが奇しくも、既に手遅れだった。


「なあ、お嬢さん。お前達煉月聖教の浄伐者は、アルトール達が狙っているかつての一號隊の連中を守るために動いているんだよな?」

「……なんの話ですか」

「ははっ、隠すな隠すな。それくらい俺達だって把握してるさ」


 涼姫は険しい顔つきで唇を引き結ぶ。蓮史の位置から見えるその横顔は、無表情を装いながらも焦っていることがわかった。


「まさか副隊長であるお前が任務をすっぽかして男と遊んでいるわけはないよなァ? つまり、お前はその少年と知り合うべくして知り合ったわけだ。それは何故か? 答えは簡単、少年が護衛の対象に含まれているからに決まっている」


 ひとつひとつ、まるで外堀から埋めていくような言い方だった。レイヴンは粘着質な声で確かめるように、そして言い聞かすように語り続ける。


「少年、それを踏まえた上で改めてお前を見てみると……あの達城虎次郎に似ている気がするなァ。十三年前のあいつにそっくりだ」


 蓮史の心臓が跳ね上がった。蓮史と涼姫の間に緊張が走り抜ける。その微弱な反応をレイヴンは目聡く感じ取り、


「くくく、やっぱりそういうことか。道理で美味そうな血の匂いがするわけだ」


 レイヴンは不気味な笑みをこぼしながらその双眸に妖しい輝きを溜め、蓮史に視線を注ぐ。


「なあ、少年。お前の生首をプレゼントしたら、達城虎次郎はどんな顔で喜んでくれるかなァ?」

「な、なん……っ!?」


 無意識のうちに蓮史は己の首を守るように片手で覆い隠す。


「待ちなさいレイヴン! あなたはアルトールに協力しているわけではないのでしょう!?」


 切羽詰ったような涼姫の叫びにもレイヴンの態度は冷淡だった。


「ああ、そうだ。別にアルトールのご機嫌を取る気なんざ俺にはサラサラねえよ」

「だったら……彼を狙う必要はないはずです」

「そんなことはないさ。言ったろう? 俺は、面白ければそれでいいのさ。それに少年の素敵な生き血を啜らせてもらうだけでも立派な動機になる」


 だから、と言葉を接いで、レイヴンは右手に噛みついた。まるで肉を食いちぎろうとする肉食動物のように。その真新しい傷から、大量の血液が体外に流出する。

 レイヴンが血まみれの右手を蓮史に向かって突きつけた。


「少年、俺の暇を潰すために死んでくれ」


 何もかも、目で見て捉えることはできなかった。

 聞こえたのは、ビュッ! という風切り音だけ。

 次に蓮史の視界に映ったのは、無数の棘のようなものに全身を貫かれた涼姫の姿だった。

 両手両足に加え、胴体からも何本か棘の先端が顔を覗かせている。彼女の着ている白の襦袢があっという間に赤へと染色されていった。


「すず、ひめ……?」


 放心したような蓮史の声。

 返事の代わりに、彼女の手から『白椿』が地面に滑り落ちた。

 レイヴンが行った攻撃は、血液を巨大な茨の鞭に変化させ、それを蓮史に叩きつけるというものだった。蓮史はそれに反応することができなかった。だが、涼姫は違った。

 涼姫は一瞬の判断で身を挺して蓮史を庇うことを決意し、真紅の大茨の進行方向にその身を躍らせた。そしてなんとか急所を狙った棘だけは斬り落とすことができたのだが、それが限界だった。結果として涼姫は即死を免れたものの、重傷を負ったのだ。蓮史の身代わりとして。


「おやおや、どこまでも仕事熱心なことで」


 呆れ果てるように言いながらレイヴンは茨を引っ込め、容赦なく涼姫の体から棘を抜き取った。一斉に血が噴き出し、体がゆらめくが、涼姫が倒れなかった。震える両足でなんとか体重を支え、揺るぎない意志を宿した瞳でレイヴンを睨み続けている。


「れん、じ……にげ……」


 ごぼっと涼姫の口から血が溢れ、彼女はとうとう体を傾がせてゆっくりとバランスを崩した。蓮史はそれを急いで受け止め、涼姫の体を横にする。


「おい涼姫、しっかりしろ! おい!」


 蓮史は今、混迷の極致にあった。

 攻撃を仕掛けたレイヴンに対する怒り。涼姫に庇わせてしまったという自責。腕の中の涼姫が死にかけているという恐怖。そんなものが蓮史の頭を埋め尽くしていく。どうすればいい。どうすれば涼姫は助かる。何もできない己の無能さに気が狂いそうだった。


「あ、ぅっ……、いい、から……にげて……」


 涼姫は苦しそうに呻きながら覚束ない手つきで右の掌を自分の腹に当てた。そこに淡い光が生まれ、不思議なことにその部分の出血が止まった。


「霊力を使った治癒術、か。まだ戦う気なのかい、お嬢さん。見上げた根性だねェ」

「っ! 治癒術だとっ?」 

「ああ。つっても、あくまで傷口を再生する程度だから失った体力までは取り戻せないがな。ま、なんにせよ……俺がそれを完了するまで待っていてやると思うかい?」


 思わなかった。

 だから、蓮史は涼姫を静かに寝かすと、彼女を守るようにレイヴンの前に立ちはだかる。


「れんじ……? 何を、して、いるのです。はや、く……逃げなさい」

「……ここでお前を見捨てたら、一生後悔しそうだからな。だから断る。無駄口はいいから、早く治癒を終えてくれ。頼む」

「おや少年、もしかして俺と戦う気か? こっちは構わないが、勝算はあるのかい? 勝ち目がないとわかっている相手に挑むのは勇敢ではなく蛮勇であって、それは馬鹿のすることなんだぜ?」


 そんなことはわかっている。本音を言うなら今すぐにでもここから逃げ出したい。だが後ろで倒れている傷だらけの少女の存在がその弱音を打ち消すのだ。つまり、所詮俺は馬鹿なのである。勝ち目はなくとも、無策に無謀に立ち向かい、時間稼ぎの真似事ぐらいはやってみようと目論んでみるわけだ。この状況でそんな風に思える自分のことが、ちょっとだけ誇らしかった。家に帰ったら褒美としてフライドチキンくらいは食わせてやる。

 そう、涼姫と一緒に家に帰るんだ。絶対に。

 大きく深呼吸をしてから、蓮史は涼姫が取り落とした『白椿』に手を伸ばした。

 あのときの涼姫の言葉が脳内で再生される。これは、霊刀だ。持ち主に浄化の力を与えてくれる霊力の塊。レイヴンと相対して一秒でも生存時間を上げるには、これに頼らざるを得なかった。


「ほう……」


 レイヴンは蓮史の行動を興味深そうに見学しているだけで止めようとしない。

 そして涼姫は、蓮史の考えを悟って横たわったまま首を横に向けて叫んだ。


「待ちなさい、蓮史……っ! それに触って、は……ぁぐっ……、だ、だめ……」


 喘ぐような涼姫の制止の声を、蓮史は聞き入れなかった。

 決意を固める。

 迷いなどいらない。恐怖などいらない。

 いるのは、この刀を掴んで敵に立ち向かえるだけの勇気のみ。

 俺にはなんの能もない。誰かを救えるような力もない。だから道具に頼るしかない。たとえそれが、生命の危機を孕んでいるものだとしても。

 涼姫は命を張って俺を守ってくれた。だから今度は逆だ。俺が涼姫を守る。いや、守らなくてはいけない。

 だから神様、お願いします。

 今だけでいい。たったの一度だけでいい。

 奇跡を、起こしてください。


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