第5話:知らなかった過去、あるいは隠されていた事実
「親父が……吸血鬼と……?」
蓮史は眉根を寄せてこめかみを押さえた。
波濤のような勢いで驚愕の新事実を次々とインプットし続けた蓮史の頭脳はいよいよ限界だった。脳内で常識論や世界観がごちゃ混ぜの闇鍋状態となり、今にも噴火しそうである。
そもそもこの二人は説明役には向いていないのだ。順を追って話そうとせず、こっちが心の準備をする暇も与えずに重大な秘密をポンポンと暴露してきやがる。ちょっとでいいからこっちの都合も考慮して欲しい。今日一日で向こう一年分は驚いた気分だ。
情報処理が追いつかない蓮史の脳に追い討ちをかけるが如く、涼姫と虎次郎は次なる話題を口にする。
煉月聖教、とは何か。
それは吸血鬼にとって敵であり、味方でもある機関である。
吸血鬼が一般人の目に触れないようにと、閉塞された施設に閉じ込める代わりに、他には何一つ不自由のない生活を約束している。
そして特筆すべきは、その扱いにほとんどの吸血鬼は納得しているということだった。
何世紀か前こそは人間と吸血鬼の関係は険悪そのもので戦いは絶えなかったが、争いが長引くにつれどちらの勢力も磨耗し、次第に話し合いの場を設けるようになった。多岐に渡る交渉の末、ついに両者は和睦。煉月聖教は彼らのために人里離れた山奥に世間には秘密裏に巨大な居住施設を建設し、それ以来吸血鬼達はそこで平和に過ごしていたのだった。
しかし、その結果に異を唱える者もいた。
「その第一人者が、アルトールだ」
そう言って、虎次郎は右腕の袖を捲くって肌を露出させる。そこには手首から肩口にかけて真っ直ぐに裂傷の跡が走っていた。まったく動かせないわけではないが、虎次郎はこの古傷のせいで右腕が肩より上に上がらないのだ。
「この傷跡は十三年前にアルトールから貰ったもので、俺が煉月聖教を辞めた理由でもある」
十三年前の蓮史はまだ四歳で、その頃の記憶などほとんどないが、虎次郎がある日右腕に重傷を負ったことだけは強く印象に残っていた。それが原因で今の仕事をやめこの町に引越し、喫茶店を開いたというのもおぼろげながらに覚えている。
「……いや、ちょい待て。それって昔やってたとび職の現場で痛めたんじゃなかったのか? 俺はそう聞いてるぞ」
「そんなものは嘘に決まっているだろう? 馬鹿かお前は」
しれっと白状する虎次郎。こいつに馬鹿呼ばわりされることほどムカつくことはない。
「当時、アルトールは吸血鬼が人間の庇護下にあるのを良しとせず、少数の仲間と共に煉月聖教の本部を攻めた」
傷跡を指でなぞりながら虎次郎は続けた。
「非常に強力な奴でな。俺が率いていた一號隊の総力を結してどうにか倒すことができたのだ。代償として俺は利き腕を潰されたがな。なんにせよ、それでその一件は片づいた……と思っていたのだがな」
「なんだよ、その含みのある言い方は」
「生きていたのですよ、アルトールが」
涼姫が回答役を引き継ぎ、虎次郎は憮然とした表情で、
「実際のところ、俺は奴の死亡を確認したわけではない。だが、この手で首を刎ねた。そして奴はそのまま谷底に落ちていった。死体は確認できなかったが、それで完全に仕留めたものだと思い込んでいた。が、どうやら奴の生命力を侮っていたようだ」
「……生きてたってのかよ? 首をちょん切ったのに?」
蓮史にはいささか信じられなかったが、
「そうです」
涼姫はあっさりと頷いた。虎次郎もその話を認めているらしい。
「とにかく、アルトールは十三年かけて体を再生し、傷を癒し、復活しました。ですがその目的にもはや吸血鬼の解放はありませんでした。奴の目的は、自分を死のギリギリまで追いやった当時の一號隊への復讐です」
涼姫は僅かに目を伏せ、物悲しそうな面持ちを見せる。
「その一環として、奴は先日、煉月聖教の本部を襲撃しました。なんとか撃退はしましたが……何人かの吸血鬼がアルトールに追従して施設を抜け出してしまったのです」
「追従したって、なんでだよ? その施設にいる吸血鬼は今の境遇を受け入れているんじゃなかったのか?」
「吸血鬼達も一枚岩ではありません。当時のアルトールの仲間はもちろん、アルトールの思想に賛同したものだけでなく、暴れたいだけの者や面白がって連いていっただけの者もいます。路地裏であなたを襲った男――レイヴンもその一人です」
「レイヴン……」
それが、あいつの名前らしい。
攻撃するのにもされるのにも、飄々と笑いながら実行していたあの不気味な男。覚えるつもりはなくとも、自動的にその名が強く記憶に刻み込まれてしまう。
「アルトールとその仲間は統率した行動は取っておらず、各々が好き勝手に動いています。最近、全国の各地で多発している、連続怪奇事件はご存知ですか?」
「ああ、全身の血が吸い出された状態で死んでいるっていうあれだろ?」
「その犯人は間違いなく彼らです」
涼姫は断言する。蓮史の脳裏に一瞬、女性の首筋に噛み付いているレイヴンの姿が蘇った。
「更に彼らの共通の目的として、当時の一號隊への復讐が含まれています。現在確認されているだけで、既に四名の隊士が亡くなられています。アルトール達の手にかかって。中にはご家族ともども皆殺しにされた方もいます」
「……ま、じかよ」
聞き返すまでもないことだった。涼姫がこれほど悪趣味な冗談を言うような少女ではないだろう。それでも、蓮史は問わずにはいられなかった。涼姫は真摯な眼差しを差し向けてくる。それが無言のうちの肯定であることを示していた。
今更ながら、この場に埜乃を連れてこなかった虎次郎の配慮に蓮史は納得していた。どう考えても九歳の子供に聞かせていいような内容の話ではない。
「虎次郎さんはアルトールに致命的と言えるほどのダメージを与えた張本人です。遠からず、奴はこの町にもやってくるでしょう。もしかしたら最後の獲物に取っているという可能性もあります」
「じゃあ、それに対する護衛がお前ってことか?」
「その通りです」
一人で大丈夫なのかと蓮史は不安に思ったが、彼女達は他にも守るべき対象がいるのだということに気づいた。吸血鬼達が次に誰を狙うかがわからない以上、満遍なく守護するためにも人員をバランス良く配置しなければならない。
つまり、涼姫は一人で数人分の実力を持っているということだった。なんといっても副隊長だ、その肩書きは伊達じゃないのだろう。
「と、いうわけでだ」
虎次郎は沈んでいた空気を払拭するように活力溢れる声を出し、
「暫く涼姫には我が家で暮らしてもらうことになる」
「え、そうなのか?」
「離れた場所にいては護衛になりませんから」
当然です、とでも言いたげに涼姫は言った。
「不束者ですが、精一杯頑張りますのでよろしくお願いします、蓮史」
相も変わらず真面目な顔をしながら涼姫は片手を差し出した。嫁入りにでも来る気かこいつは、と蓮史は内心で微かに笑いながら、その手を握り返す。
「ああ……ま、よろしく頼むな、涼姫」
現状に対する懸念は消えないが、蓮史はとりあえずぎこちない笑みを浮かべるのだった。