第4話:銀 涼姫、あるいは若き副隊長
「お、おま……っ!」
狼狽気味の蓮史の呻き声を聞き取ったその少女の顔がこちらに向けられた。
絡み合う視線。頭の中を駆け回る驚愕と疑問。彼女がここにいるということは、まさかまたあの吸血鬼とやらが現れるのか? などと反射的に思ってしまう。
蓮史を目にした少女の方も確かに驚いていた。しかしその度合いは蓮史に比べて格段に小さく、棒アイスを食べてたら当たりが出た、くらいの驚きレベルだった。そのことがまた無意味に憂慮を駆り立てる。
「あなた……」
少女は席を立ち、ピンと背筋を張った綺麗な姿勢でこちらへと歩いてくる。自然と蓮史は身構えてしまうが、少女はそれに気に留めることなく会釈をして、
「あなたが虎次郎さんの息子の、達城蓮史さんですね。はじめまして」
「……あん?」
はじめまして、だと? 若年性痴呆症なのかこいつは。
「わたしは銀涼姫という者です。この度は急な来訪となってしまい申し訳ございません。ですが、可及的速やかに対処すべき問題が発生してしまったためこうして、」
「待て、止まれ、ストップ」
「はい、なんでしょうか?」
「お前、俺をおちょくってんのか?」
「いえ、そのようなことはありませんが……わたしは何か、あなたの不興を買うような粗相をしてしまったのですか?」
軍服姿の少女――銀涼姫は、蓮史の言いたいことがわからないのかキョトンとした顔つきで問いかけてくる。どうやら洒落や冗談ではなくマジで言っているらしい。
「お前、さっき俺と会っただろう。路地裏で。忘れましたとは言わせねえぞ。あれだろ? えーっと、なんだっけ……そう、浄伐者とかいう奴なんだろ?」
「え……? あなたとあの人は、同一人物だったのですか? よく似た人だなぁとは、思いましたが」
「いやいやいや、見ればわかるだろうが。それとも何か? 俺の顔は視界に移してから数分後には忘却しちまうほどなんの特徴もないのかよ」
「そうわけではありませんが、世の中には自分と瓜二つの人間が三人はいると言いますし」
「……」
もしかしたらこいつは存外アホなのかもしれない。蓮史は心中で涼姫をそう評した。
「なんだお前達、知り合いだったのか? それならそうと最初から言えばいいものを、水臭い。それともまさか、父である俺には公言できないような間柄だったとでも?」
会話の終了を見計らって虎次郎がしゃしゃり出てくる。とりあえず黙ってろ。蓮史は虎次郎を睨めつける。そして涼姫はと言えば、落ち着き払った態度で淡々と説明を開始した。
「彼と出会ったのは今日が初めてです。つい先刻、吸血鬼に襲撃されていたところをわたしが救助しました。そのときはまさか、虎次郎さんの子息だとは思いもしませんでしたが」
「なにィ!? やっぱり襲われていたというのか!」
虎次郎が血相を変える。
「やっぱりってなんだよ」と蓮史。
「あなたは現在、吸血鬼の標的となっているのですよ」
「は、なんだそりゃ?」
「あなただけではありません。あなたの家族や、その他にも狙われている人は大勢います」
「俺があの男に襲われたのは偶然じゃねえってのか?」
「いえ、そうではないでしょう」
涼姫は首を横に振った。
「例の吸血鬼の言動から察するに、奴はあなたが達城蓮史だと承知の上で襲い掛かったようには思えません。これは推測になりますが、恐らく奴は分身を使って人の血を収集している最中に偶然あなたと遭遇しただけでしょう」
そういえばあの男は蓮史に向かって、上質な血の匂いがすると言っていたし、蓮史の血液以外の目的を持って攻撃してきたとは思い難い。吸血鬼にとって自分の血の味が如何ほどのものなのかなど知らないが、あの男は確かに、たまたまそこを通りがかった蓮史を気まぐれで襲った風に思うのが妥当だろう。
「というかよ、さっきから訊きたかったんだが、お前のその格好はなんなんだ? コスプレか? コスプレなのか?」
「これはれっきとしたわたしの制服です」
軍服の左肩の部分を撫でながら、
「煉月聖教という機関をご存知ですか?」
脈絡もなしに涼姫は唐突な質問を投げかけてくる。迷うことなく蓮史は「知らないな」と返した。悩むまでもない。聞き覚えなど欠片もなかった。
「そうでしょうね。それが普通です。煉月聖教は世間に公にされることのない団体ですから。それでは、それをお話しする上で改めて自己紹介をさせていただきます」
涼姫は短い呼吸を挟んでから、
「わたしは煉月聖教の浄伐部隊で二號隊の副隊長を務めている、銀涼姫です」
「はあ? じょうばつぶたいぃ? 副隊長ぉ?」
今までの人生とは縁もゆかりもない単語の連発に蓮史は困惑する。涼姫はそれを悟っているようだが、今は質問を受け付けないとばかりに一気呵成に言葉を紡いでいく。
「煉月聖教は吸血鬼の保護と監視、及び鎮圧を主だった役目としています。簡潔に纏めてしまえば、吸血鬼専門の治安組織です。彼らが一般人に害を及ぼさぬよう一箇所に閉じ込め、見張り、火急の際には力ずくで拘束して、最悪の場合は殺害する。わたしはそういう機関の一員なのです」
「……………………」
「どうしたのですか、ぼんやりとして。理解ができていないのですか? わたしの解説は言葉足らずだったでしょうか? では、もう一度はじめから説明しますと、」
「いや、いい。もう充分すぎるほどお腹いっぱいだから。おかわりいらないから」
蓮史は長ったらしい講釈をやり直そうとする涼姫を制し、混乱する頭で現状を懸命に整理した。今さっき涼姫が長々と並べたセリフを思い出し、咀嚼して、合点に努め、最初に出てきた疑問をそのまま口にした。
「……で、なんの因果で俺や、俺の家族が、吸血鬼さんに狙われなけりゃならんわけだ?」
「端的に言ってしまえば、復讐だろうな。英語で言うところのリベンジである」
涼姫に向けたクエスチョンを横取りして虎次郎が腕組みをしながら悠然と答える。
「俺は吸血鬼に付け狙われる羽目になるようなことをした覚えはねえぞ」
「ふむ、そうだろうな。奴らの第一目標は十中八九、俺だ。お前などは正直オマケのようなものだろう。もののついで、というやつだ」
「あぁん? お前は何か吸血鬼から恨みを買うようなマネをしたのか?」
「ふっ、昔の話だ。もう十三年も前のことになるな」
そこで虎次郎は若かりし日を思い出すように遠い目をした。何をたそれていやがる。常日頃から浮かべている不敵な笑みとあいまって、どこかムカつく蓮史だった。
「十三年前がなんだってんだよ」
知りたいことがいちいち後回しになるものだから、次第に蓮史のイライラは募りつつあった。もはや何もかもが意味不明である。もうこんな話題はどうだっていい。こちとらゆっくり休みたいのだ。
「煉月聖教、一號隊、隊長」
「なに?」
涼姫の呟きに応じて蓮史の仏頂面の向きが変わる。
「虎次郎さんのかつての役職ですよ」
「……へっ?」
素っ頓狂な疑問符が蓮史の唇からこぼれ出た。いや、既に涼姫の言いたいことは理解できているのだ。いくらなんでもそこまで間抜けではない。だが、脳味噌がその情報を受け入れることを拒否しているのだ。
トドメを刺したのは、虎次郎だった。
「俺は十三年前まで吸血鬼を相手に戦っていた、ただそれだけのことだ。……ん? どうしたんだ蓮史よ、そんなアホ面を晒して。ははぁん、なるほど。さては敬愛する父の意外な一面を垣間見て、より一層の憧憬を感じている真っ最中だな?」
そのときの蓮史には、馬鹿の戯れ言につっこむ余裕もなかった。