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第2話:出会いはいつも唐突に、あるいは神様のきまぐれ

 美しい少女だった。

 精緻な目鼻立ちに腰元まで伸びた長い黒髪、それに凛とした佇まい。刃物のように鋭い切れ長の瞳には強い威圧感があり、年齢は蓮史と大差ないだろうが、その迫力からまるで年上の女性を前にしたような錯覚を感じた。

 そんな容姿の少女だからこそ、その服装の奇妙さが浮き彫りとなっていた。

 彼女が着ているのは軍服だった。

 旧日本軍の着衣に採用されているような、なんの飾り気もない深緑色の軍服。肩には黒色の外套をマントのように羽織っていて、ご丁寧なことに軍手や軍靴、軍帽まで身に着けており、肌が露出しているのは顔のみだった。とはいえ、刀を持つ分には相応しいと言える格好だが。


「逃げなさい」


 油断ない目つきで男を睨みながら、少女は凄みを帯びた声で言った。

 蓮史はそれが自分に向けて発せられた言葉だとすぐに気づくことができなかったが、刀を正眼に構える少女は続けて、


「何をしているのですか。聞こえてないわけではないのでしょう。早く逃げなさい」


 答えたのは男だった。


「そいつは困るなァ、お嬢さん。そこの少年は俺が先に目をつけたんだぜ?」

「食料として、でしょう」

「いけないかい? お前達人間だって動植物を利己的な理由で殺して殺して殺した上に食生活を成り立たせているんだろう。それと同じさ。吸血鬼は人間の血を飲まなければ死んでしまう。だから血を求める。さて、俺のしていることはあなた方人間様と、一体どこが違うのでしょうかァ? んン?」

「黙りなさい。問答の余地などありません」

「ははは、こいつは手厳しい」


 大袈裟に肩を竦める男はあくまで楽しげだ。

 ……チャンスだ。

 蓮史はようやく冷静な思考を取り戻した。

 男はすっかり少女に気を取られていて、明らかにこちらへの注意が逸れている。攻勢に転じるような様子もないし、しかも右腕をなくしている。逃げるなら、今のうち。背を向けて、躊躇わず、振り返らずに、走るのだ。

 だが。

 この少女を置き去りにして、この少女を囮にして、それでいいのか?


「どうにか話し合いで解決できないか? 俺ァこう見えても平和主義者でね。戦わずに済むなら、それに越したことはない。お互いそうだろう?」


 男の飄々とした声は依然として続いていた。

 少女だけじゃない、背後で倒れている女性のことも気がかりだった。ここで見捨てたら、彼女はどうなるんだ? 死ぬのか? それとも助かるのか? そもそも、彼女はまだ生きているのか?

 そしてあの少女は、この奇怪な男に勝つことができるのか?

 命がかかっているというのに、素直に逃げ出すことができない愚かな自分に腹立ちながら、自問自答を繰り返す蓮史はちらりと少女を見据え、それから倒れている女性を肩越しに覗こうとした、その瞬間。


「――ああ、いけないなァ少年。逃走するときは、迷いを捨てないと命取りだ」


 氷柱を突き立てられたかのような、強烈な寒気が背筋を走った。


「そんなに隙だらけだと、つい殺したくなってしまう」


 蓮史が視線を前に戻すのと同時、男は切断された右腕の切り口をこちらに突きつける。

 そこから細かな血の塊が無数、まるでマシンガンのように発射された。


「伏せて!」


 叫ばれる前に屈みこもうとしていた蓮史だったが、それは果たされなかった。蓮史が動くよりも圧倒的に速く、少女が蓮史を思い切り蹴り飛ばしてたからだ。無様に地面を転げる蓮史の横合いで、少女は血の弾丸を刀ですべて弾き落とすという人間離れした業を披露していた。


「はっはァ! やるねえ浄伐者のお嬢さん!」


 直後、男は千切れた右腕から突出した真っ赤な剣を――あれも血なのだろうか――振りかざし、真っ直ぐに少女へと突っ込んでくる。盛大にうろたえる蓮史に背を向けながら、少女は決死の形相で踏み込み、刀を振るい、

 男の斬撃を潜り抜け、彼の胴体を真っ二つに斬り払った。


「おや? 後れを取ってしまったか。矢張り慣れない剣術で挑むのは舐めすぎたかねェ」


 男の下半身が崩れ、支えを失った上半身は勢いを殺せずに宙を踊る。その顔は、まだ、笑っていた。

 赤いペンキをぶちまけたかのように視界を男の血液が埋め尽くし、バシャバシャと派手な水音を響かせる。その異音に混じって男の薄ら笑いが狭い路地道に反射していた。


「次に会ったときはもう少し本気を出すとするよ、お嬢さん」


 言うが早いか、男の上半身と下半身がその輪郭をどろりと歪ませ、肉塊から血液に早変わりした。一瞬後にはその血も蒸発するように大気に融けていく。蓮史や少女に付着していた返り血も霧散し、男がそこにいた形跡は跡形もなく失われていた。


「……倒したの、か?」

「倒しました」


 蓮史が呟きに少女が即答した。

 少女は手馴れた動作で刀を腰に差した鞘に戻す。鍔が鯉口に当たってチンと音を立て、蓮史は腰が抜けたようにその場に座り込んだ。


「なんなんだよ、ありゃあ」


 疲労感にまみれた声音に少女が反応する。


「吸血鬼……いえ、先程の男は血を媒介にした分身のようなものですから、厳密に言えば違うのですが」


 喋り終えた後に少女はそのことを少しだけ後悔するような顔をして、


「すみません。あなたに説明しても詮無きことでした。今のことやわたしのことは、一日でも早く忘れてください。それがあなたのためです」

「いや、忘れろったってお前」忘れられるか、こんなこと。


 蓮史の訴えを無視して少女はうつ伏せに倒れていた女性に歩み寄っていった。それで蓮史も彼女の存在を思い出し、安否を確認しようと慌てて少女の後を追う。


「大丈夫、死んでいません。生きています」

「そうか、良かった」

「ですが、吸血鬼になりかけています」

「……嘘だろ?」

「本当です」


 少女の口調は淡々としていた。

 吸血鬼に噛まれた者は吸血鬼になる。映画や漫画の創作物の世界ではよく見かける設定だったが、それを目の前で拝むことになるとは夢にも思っていなかった。彼女が吸血鬼になれば、さっきの男のように人を襲うようになるのだろうか。それを未然に防ぐために、さっさと彼女を殺せとでも言うのか。蓮史としてはどちらも拒みたい未来絵図だった。

 だから、少女が口にした言葉は蓮史は心底安堵させた。


「心配しないでください」蓮史を安心させるためか少女は僅かに微笑みながら、「この程度なら、まだ助けることができます」


 言って、少女は女性の首筋に手の平を当てた。男に噛まれた痕がある箇所である。少女の手から淡い優しげな光が生まれ、すぐに消えた。「終わりました」と少女は言った。


「なんだ、何をしたんだ。回復魔法の類か?」

「いえ、彼女の体内に混入された吸血鬼の遺伝子をわたしの霊力で浄化したのです」

「へえ、なるほどな」よくわからん。


 少女はまたも、しまった、という表情を作った。


「これもあなたには無関係なことでしたね。忘れてください」

「いや、だから、そんな簡単に忘れられるかっての。パソコンじゃねえんだぞ。不要な記憶はゴミ箱にポイ、ってわけにはいかねえんだよ」

「わたしは他にするべきことがあるので、そろそろ行きます」

「おい、話を無理やり終わらせるな」

「この女性はあなたに任せます。命に別状はありませんから、じきに目を覚ますはずです。貧血くらいにはなっているかもしれませんが。それでは」

「話聞けって――おい!」


 聞く耳を持たず、少女は地面を蹴って軽々と近くのブロック塀に乗り、更にもうひとっ飛びで一気に蓮史の視界外に消え去ってしまった。取り残されたのは唖然とする蓮史と気を失っている見ず知らずの女性のみ。

 ……なんだったんだ、一体。

 一度に色んなことがありすぎて頭がこんがらがってきた。何もかもに腹が立ち、なんだか無性に叫びたくなってくる。この世界の神様は何を思ってこんな意味不明な状況を用意しやがったんだ。ふざけんな。


「バカヤローッ!」


 耐え切れず、とうとう蓮史は天に向かって吼えるのだった。


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