夫婦でも喧嘩するのだからそれ未満は勘違いの連続
奈緒はたいして驚いた様子もなく、私の目を見据える。
微笑を浮かべた彼女は尋ねる。
「面白い冗談ですね」
「本当に冗談みたいな話だよ」
「一番身近な人が真犯人だったなんてありがちな話、今時流行りませんよ」
「王道ともいえるよ」
「黒木が聞いたら没ですよ、そんなの」
「そういえば文学部だったね、黒木さんって」
「毎回文学部の部室借りてたのにそれは酷くないですか」
奈緒はカフェラテを口へ運び、間を置く。
「どうしてそう考えたのかお聞かせくださいませんか?」
「今回の騒動って、星さんがいたからやたらややこしくなったけど、もしいなければ簡単な構図になるんだよ。私が転校して、やり過ごしてお終い」
「たしかにあの人がいなければそういう流れになっていたでしょう。けれど、それではいつまで経っても隠れなければならないのでは?」
「これは憶測でしかないけど、いつでも尻尾を切る準備はできていたんじゃないかな」
「もしそうだったとしても、自分がお嬢様を危険に晒す理由がわかりませんね」
「それは構図から繋がる話かな。この転校がキモで、私と奈緒の望みが叶うための手段だと思ってる。私にとっては好きな格好ができること、奈緒にとっては主である私を清麗様にして自慢できるってことかな」
間を置いて、奈緒は言う。
「たしかにシルキーは主が偉い人で、その右腕ともなれば同族からは尊敬の眼差しを受けますね」
「動機としてはそんなところかな」
「証拠はないのですか?」
「ないよ。だって奈緒はそんなもの残さないでしょう」
「お褒めに預かり恐縮ですが、それでは追求の意味をなさないのでは」
「そうだね。このやり取りは単なる確認。高校卒業までにやり残したことをやってるだけ。でもさ、私たちの間なら証拠なんていらないよね」
「……そうですね。その通りです」
奈緒は立ち上がり、頭を下げる。
「今までお世話になりました」
顔を上げた奈緒は、涙が滲んだまま立ち去ろうとする。
慌てて奈緒を追いかけ、捕まえ、泣きじゃくる奈緒をもう一度席につかせる。
クビにしたいわけじゃないと言い聞かせて、どうにかこうにか泣き止ます。
私たちの間柄ならば、クビにしたいわけでも、責めたいわけでもないと察してくれると安易に考えていた。親しい人だから甘えてしまっていた。
「奈緒、私は感謝しているんだよ。こんな格好で外を歩けているのは君のおかげだ。クビになんてするわけがない。恨みもない。最後にこういう機会を作ってくれた君には感謝してもし尽くせない」
奈緒のぐしゃぐしゃの顔の中に驚きの表情が現れる。
「……最後って、どういうことですか……?」
ハンカチーフで涙を拭う。
「元々隠れてやってた趣味だけど、大人になると身体も環境も変わる。隠れて続けはするだろうけど、趣味レベルに収まるよ。私はどうやら星さんみたいに公私混同できない質で、公私の私がおざなりになりがちとこの一年で思い知ったよ。だから大手を振ってやるのは残りの数ヶ月だけ。やり残したことのない良い一年だったよ」
拭ったはずの涙がまたポロポロと流れ落ちていく。
「だめですよ。だめです。ずっとやってきたことじゃないですか。自分は、お嬢様を、主を思って転校させたのに。ここなら主の優秀さもわかってもらえるし、同じ高校に通えるし、望みであった美の追求だってできたじゃないですか。それを最後の思い出にしないでください。やりたいことを続けてください……」
奈緒の嘆願に、心が揺らぐ。
誰にも言わず心の中で描いていた夢の一歩を踏み出す覚悟が問われていた。
みんなのため、ひいては自分のために。
「奈緒、私のために力を貸してくれないか?」
涙を自らの袖で拭う。
「どんなことでも仰ってください」




