女子の不機嫌ほど男が恐れるものはない
久子お姉様から悪習の継承を受けた帰り道。
私たちは行きと同じように神宮寺くんの車に乗って寮へ帰っていた。後部座席に私は座り、インタビューをしたいと西野さんが隣を陣取っていた。奈緒は不機嫌そうに助手席に座り、そんな奈緒に触れたくないのか神宮寺くんは運転に集中するフリをしていた。
「ねえねえ、あのお婆さんって先々代の清麗様だったんでしょ。どんな話をしたのかお姉さんに教えてくれないかな」
西野さんは久子お姉様と話した内容について、発車してからどうにか聞き出せないか、あの手この手で訊いてくる。若くして閑職に飛ばされた彼女は、もう後がないのか、それともそういったことに無関心なのか、恥ずかしげもなく守秘義務がある事にまで足を突っ込んでくる。
「簡単に言えば心構えです。それ以上は清麗様になる方以外に教えられません」
「そこを何とか!」
「ごめんなさい」
「それぐらい良いじゃない。久しぶりの清麗様なんだから、改革したって誰も怒らないって」
「私を推薦した先代や心構えを教えてくださった先々代の顔を潰してしまうことはとてもじゃないですが……ね」
終始その調子だった。
帰り道も半ばになったあたり、流石に疲れてしまった私は「神宮寺さん、飲み物を買いたいのでコンビニに寄ることはできませんか?」と逃げ道を作ろうとした。
神宮寺くんも隣で不機嫌を隠そうとしない奈緒と一方的に話し続ける西野さんで作り出される嫌な空気を変えたかったのか、少し走れば道路沿いにコンビニがあったのに、わざわざ小道に入ったところにある最寄りのコンビニに向かってくれた。
全国チェーンの赤いコンビニに到着すると、私と神宮寺くんは逃げるように社内から逃げ出した。奈緒と西野さん、両名はどうやら車内に残るようだった。
ダラダラと飲み物を購入し、車内にはすぐには戻らず、わざわざ煙草休憩中の神宮寺くんの元へ寄る。彼が煙草を吸うところは初めて見た。
「普段から吸うのかい?」
神宮寺くんに缶コーヒーを差し出しつつ隣に立つ。副流煙が気になるところだが、今この時に少しばかり吸ったところで肌に大きな影響が出るわけがないので許容する。大事なのは今後吸い続けないことと、日頃のケアなのである。
「普段は吸わないすね。ただ、やっぱり上の方が年代的に吸う人多いので付き合い程度には嗜んでる程度っすね」
缶コーヒーを受け取った手で器用にポケットから煙草の箱を取り出す。タール数が少なくメンソール味で非常に吸いやすいと評判の銘柄だった。初心者の人はこの銘柄から入るのが良いと言われており、私も昔付き合いで必要になった際にお世話になっていた。
神宮寺くんは私が煙草に詳しくないと思ったのだろう。銘柄の説明を始めた。全てが知っている情報だったが、高校生の私が詳しいと疑われそうなため、黙って聞くことにした。
話も一通り終えた頃、神宮寺くんはとても嫌そうな顔をして「戻ります?」と訊いてきた。
「そろそろ戻らなきゃいけないだろうね……」
「てか、何あったんすか。あの嬢ちゃん、滅茶苦茶不機嫌振りまいて怖いんすけど」
「大人だろう。小娘の可愛いらしい癇癪とでも思ってくれないか」
「基本、女の不機嫌に男は無力っすよ。そこに大人も子供もねえ。てか御子息の容姿なら大層おモテになるだろうからわかりますよね」
「生憎、恋人がいたことなあからそういったことには無縁でね」
「以外っすね。その顔なら選り取り見取りだと思うんすけど」
「パーティとかで言い寄ってくる子はいるよ。けどそういう子の好意は私が望んでいるものと違うような気がしてね」
長く独り身だったせいだろう。一人に慣れ過ぎて、拗らせ過ぎて、誰かに好意を寄せるという心の持ち方に理想めいたものを持っているのだろう。より正確に言えば、心の底から信頼し合える仲になりたいのだ。肩書きとかそういうのを抜きにして、人間として信頼し合いたい。
「ま、私の話は置いとこう。今はあの車内の空気をどうにかしたい」
「俺とあの嬢ちゃんの付き合い薄いんでわかんないすけど、もっとクールかと思ってました」
「そうかい? 奈緒は結構感情を出すよ。好き嫌いがハッキリしてるからわかりやすいよ」
「そうなんすね」
言葉だけは受け流したものだったが、神宮寺くんの視線が何やらかしたのかと言いたげだった。
「わかった。言うよ。先々代とのソリも合わなければ、色々言われたし、大事な話にも混ぜてもらえなかったからだね」
「わかりました。俺から上手く言うんで合わせてください」
その打ち合わせをする前に西野さんが車内から出てきて「いつまでも煙草吸ってないで出発しますよ」と急かしてきた。
先ほどと同じ座り位置で車を出す。
信号で車が止まった際に、神宮寺くんは切り出す。
「西野さんがずっと聞いてるから気になったんすけど、先々代とは今後も上手くやっていけそうなんすか?」
「いや、よほどのことがなければ今回限りだと思うよ。グランマがようやく推薦した相手だったから顔を見ておきたかったってのが本音らしいし。だから、これからも奈緒に頼りながら清麗様を卒業まで勤め上げる感じになるかな」
神宮寺くんのパスに上手く合わせた。
合わせたつもりだが、女心の理解度で言えば神宮寺くんと似たり寄ったりだろう。
恐る恐る奈緒に目を遣る。奈緒は振り向いてこちらに顔を向けていた。口角が上がり、目も細く、上機嫌いった様子であった。
「お嬢様は仕方ないですね。これからも自分に好きなだけ頼ってください」
隣で西野さんが必死にメモを取っていたので横目で見る。
そこには今の会話と「清麗様とその右腕の美しき友情」というタイトルが書いてあった。




