清麗様とはかくあるべし
日差しが調子に乗り始める季節が訪れた。
春の浮ついた陽気はいつの間にかイケイケドンドンな勢いで肌を焦がし尽くそうとする熱線だけだった。温暖化も進んで、日焼け止めもどこまで効果があるのか不安になる季節だった。
夏は嫌いだ。
前世も今生もいい思い出はない。
男らしさが持て囃された前世は、小麦色に焼けた男の肌はステータスであった。白は軟弱だと揶揄され、日に焼けることは絶対の正義であった。ゆえに男が日焼け止めを使う行為に理解を得られず、夏は大人しく無防備な地肌を太陽の下に晒さねばならなかった。
今生においては、紫外線対策と称して日焼け止めを塗る権利を得ることはできた。それでも嫌いなのは、私が私であるがためだ。
私は物事を評価する基準を二つ持っている。
一つは正義。
一つは美しさ。
社会的な私と個人的な私。
自己犠牲の精神を持った私と自己を大切にしたい私。
それは前世の私と今生の私とも言える。
その二つの価値観は相反した。その違和感に気付いたのは今生での幼い頃。いずれ二つの価値観は馴染み、違和感を覚えなくなるだろうとたかを括っていた。そうはならず、違和感は次第に大きく乖離し始めた。
夏はそれを色濃く浮かび上がらせる季節だ。
奈緒はよく口を尖らせた。
「次期当主として、何百万を率いる心構えをしてほしい」
ゆえに奈緒は私をことあるごとにリーダーに仕立て上げようとした。
清麗様への推薦も将来のためを思ってやったことだろう。
前世の如く、上の立場を進むことを仕方ないなと思う私がいた。
今生は好きに生きたいからやめてほしいと思う私もいた。
今日は、清麗様を決める選挙日だ。
気持ちの乗らない選挙日であるが、心穏やかだった。
事前の支持率調査で私の支持率は七割。残り三割は生徒会長支持に回っていた。清麗様になるには全校生徒八割の支持が必要となる。ゆえに私の代では清麗様になる人物は現れない。
今生において、好きになれそうな夏になりそうだった。
登校すると、廊下ですれ違う多くの生徒に「応援しています!」と声をかけられた。落ちることを事前に知っているとはいえ、その純粋な気持ちからくるものを無碍にすることはできずに笑顔で応えていた。
笹原さんとすれ違うと、彼女は険がない顔をしていた。いつになく穏やかな笑みを浮かべて「ごきげんよう」と頭を下げられた。何事かと思ったものの、選挙当日になり「やるべきことはやりきった。あとは支持者に懐深いところを見せよう」という考えからくるものなのかもしれない。
だから、それを後押ししてあげようと「おはようございます」と返し、そのまま近づいて世間話を始めた。
「三宮さん、聞きましたわ。虐待をされていた子を保護し、さらには虐待をしていた親からナイフで切り付けられても怯えることなく取り押さえたそうではありませんか。その美貌だけでなく、優しく強い在り方に強く感銘を受けました」
美しさを褒められた肯定感で、お世辞だとわかっていてもニンマリしてしまいそうになる。
顔に力を入れて平静を装う。
「いえいえ、お転婆なところを皆様に知られてお恥ずかしい限りです」
「初代様もお転婆だったと聞きますし、グランマが貴女を推薦した理由の一つなのでしょうね」
これは言外に初代様と酷似したことを言って正当性を高めるなと言われているのだろう。
「初代様の時代から百年近く経ちますし、尾ひれもついているでしょう。きっと初代様は今基準からすればきっとお淑やかな方だったと思いますよ」
「校内風紀を取り締まるために鉄拳制裁するような方は今基準でもお淑やかとは言いませんわ」
「それはお転婆とは言わなくて破天荒と呼ぶべきじゃないかなぁ」
「……時代柄でしょうね」
「……時代柄かぁ」
なんともまとまりのない会話を繰り広げたあと、教室に向かうと先に登校していた白鳥さんが「ついに今日じゃん。清麗様になっちゃう気分はどうよ」と訊いてきた。
「支持率足りないから私は清麗様にはなれないよ」
「またまたぁー。そんなこと言っておいてどうにかなるくせに」
「どうにかするのは私じゃなくて他の人だからなぁ」
「そんなもんなん。みんな、美月っちが清麗様になるって言うからもう決まったもんだと思ってたわ」
「奈緒が言うには支持率があと少し足りないみたいだね」
「あっ!」
いきなり何か思い出したように声をあげる。
「そうそう奈緒っち! 奈緒っちが登校したら文芸部に来てって言ってた!」
そんなわけでクラスに到着して席に座る暇もなく、文芸部こと選挙対策本部へ向かった。
その途中、ケンタウロスのカナちゃんに会って互いに頭を下げて挨拶したり、校長に「女学生の象徴である清麗様になる気分はどう?」などとからかわれたりした。
文芸部の扉を開くと頭を抱える奈緒とそれを不安げにソワソワする黒木さんの姿があった。黒木さんはダイエットをまだ頑張っているのか少しスラっとしてきた。
奈緒は私の姿を見ると、何事もなかったかのように立ち上がり「おはようございます、お嬢様」とすました顔を貼り付けた。
「おはよう。難しそうかい?」
「……はい」
「私では力不足だったわけだね。申し訳ない」
「そんなことありません! お嬢様は上に立つべき人間であり、上に立てないのは私が取るべき戦略を誤っただけです!」
「私はそんな人間じゃないよ。ちょっとだけ人に頼られやすいだけのただの凡人だよ」
私の否定に傍で聞いていた黒木さんが片手を挙げる。
「頼りやすい人って、非凡だよ。わたしみたいな小心者には大事なことだよ。それにほとんどの人って臆病者だから、上に立つ人間ってそういう人がいいなぁって思う」
心の中で腕まくりして「しょうがないな」と意気込む私と「放っておいてくれ」と嘆く私の二人いた。
午後、全ての授業は選挙と差し替えになる。
清麗様は全校生徒八割の支持を受ける必要がある。
それだけ知っていた。
この選挙において匿名性がないとは知らなかった。この選挙では、誰が誰に投票したかわかるようになっていた。生徒一人ずつ投票するのだが、壇上に上がり選挙委員に投票用紙を渡し、そこに書かれた名前を読み上げられるようになっている。
それゆえ、投票期間と集計期間は同一。
午後の間に八割を超える投票数を超えた者が現れたら、その瞬間に清麗様となる。
全校生徒が体育館に集まり、一人ずつ全校生徒の名簿と照らし合わせて一票だけの投票用紙を貰い、投票箱のある壇上へと向かう。
壇上には動き回る選挙委員と、清麗様候補者である私と笹原さんがいる。
私と笹原さんは投票の間、ずっと話をしていた。
なぜ清麗様になりたかったのかとか、清麗様になってどうしたかったのか、誰から推薦を受けたのか、など話すタイミングがなかったことを話していた。
話していくうちに、やはり彼女が清麗様になるべく人間だと思った。初代様を尊敬し、初代様のようになるべく研鑽し、実績を積み重ね、やっと得たチャンスだった。
私のようになんの思い入れがない人間がなるべきではないのだ。
申し訳なさが込み上げ、チャンスを潰したことを謝ろうとした。
けれど、「けれどよかったですわ」と先に笹原さんが機先を制した。
「わたくしは清麗様になることだけを目指してたことを自覚しました。三宮さんのように弱きを助ける精神を忘れていたようです」
そんなたいした精神なんてない。来たものを拒まずだっただけで、自分から助けに向かったことはない。偶然が重なった結果、助けただけの私よりも、人のためになりたいという精神の持ち主の方が尊い。いや、尊くなければならない。
努力が認められない世界は間違っている。
「三宮さん、気づいていますか?」
笹原さんは未だ加算が続いている集計表に目を遣る。それを追うと、不思議なことが起きていた。全校生徒のうち、約七割が投票を終えただろうか。その全てが私に対して投票していた。ただ一人の例外もなく。全てが私の票になっていた。
「笹原さん、何をしたの?」
「まだ何もしていません。わたくしの支持者にはまだ投票をさせていません」
私への投票を終えた後に投票をするつもりだろうか。しかし、それで笹原さんになんの得があるのだろうか。いや、もう七割が私への投票を表明している時点で笹原さんが選ばれることはないはずだ。
私が彼女の意図を掴めずにうんうん唸っていると、笹原さんは「ヒントを差し上げます」と指を一本立てる。
「痛み分けというのはなんとも無粋だと思いませんか?」
笹原さんは立ち上がり、選挙委員からマイクを借り受けた。
「皆様、すでにお気づきの方もいると思いますが、わたくしの支持者はまだ投票しておりません。残りの三割の投票者はわたくしの支持者であり、このままわたくしに投票をしていただくと、わたくしと三宮さん、両者ともに清麗様になることはありません」
生徒全員が押し黙る。
「――それではあんまりではないですか」
期待に弾んだ声が響く。
「わたくしは三宮さんの方が清麗様に相応しいと考えます」
笹原さんが私に視線を飛ばす。
その顔はいたずらっ子のように可愛らしかった。
「わたくしの票は全て三宮さんに投票させていただきます!」
その宣言と同時に笹原さんの支持者が立ち上がり、投票を始める。笹原さんの支持者が私に投票していく。八割を超えて、本来投票を締め切られるはずなのに誰も止めない。
笹原さんの支持者が全員投票を終える。
集計票には笹原さんがゼロ票となっていた。
それを見る笹原さんは満足げでもあり、少し寂しげだった。
「おめでとうございます。数十年ぶりの清麗様ですね」
「ありがとう。でも本当に良かったの? せっかくの機会だったのに」
「どうせ負けるのなら気持ちのいい負け方をしたいじゃないですか。貴女だったら気持ちよく負けられると思ったからやったのよ」
「そっか……ありがとう。その期待に応えられるように頑張るよ」
「あーでもやっぱり悔しいわね。一人ぐらいは貴女のことを認めたくない変わり者がいると思ってたのに」
そう言って笹原さんは涙を指で拭う。
選挙委員は私たちのやりとりを見て、投票締め切りを宣言しようとした。
その時、体育館の扉が開く。
全校生徒、教師陣どちらも体育館に集まっており、新しく誰かが入ってくることはないと思われていた。ゆえに全ての視線はそこに集まった。
そこにいたのは引きこもりエルフの星さんだった。
「あ、もう投票終わったでござるか?」
その質問に「あ、今終了の宣言をしようかと……」という返答を受けた彼女は「拙者も投票するからしばし待つでござる!」と壇上に飛び乗った。星さんは集計表を見て、不敵に笑い、笹原さんに投票すると宣言した。
そして、私を指差す。
「ラブゲームで勝ったと思ったでござるか。そうは問屋が卸さないでござるよ!」
勝ち誇った顔の星さん。恨みを晴らしてやったとか思っているのであろう。
「笹原さん、いましたよ。私を絶対に認めたくない変わり者が」
私たちは笑った。
後世に伝わる美しい話に一雫として落ちた汚点が面白おかしくて。
正義もなく、美しさもない、ただただぎゃふんと言わしめたいだけの汚点が色濃く浮かぶ様が愉快な気分にさせた。
それは好きになれそうな夏の訪れを告げるようだった。




