お年寄りでももはやピコピコとは呼ばない
寮の共有スペース。
いわゆるラウンジのような場所で私と奈緒、そして星さんはグランマが作った朝食に舌鼓を打っていた。いや、舌鼓を打っていたのは私と奈緒だけで、星さんは空腹だった子猫のように遮二無二に食事を胃に掻き込んでいた。
それから食事が終わると星さんは「この御恩は忘れませぬぞ」と一礼してそそくさと帰ろうとしたので、奈緒が首根っこ捕まえて席に戻す。
「離してくだされ。拙者は必要最低限の出席日数だけ出席して卒業するのだ!」
肩を押さえつける奈緒を振り払いたいのかじたばたと体を揺らす。
「その癪な話し方どうにかならないかしら?」
「ふ、この話し方は古来から電子の海に伝わる由緒正しき話し方ですぞ。辞める気はさらさらありませぬな」
「奈緒、私は気にしてないから大丈夫」
「三宮殿は心が広いようで助かりますな」
食事をとって調子が戻ったのか憎まれ口に勢いが見られるようになった。その勢いが腹立たしいらしく星さんの後ろに立つ奈緒の目に怒りが灯るようになった。瞬間風速だけで見れば白鳥さんを相手取った時よりも上回る勢いだ。
「お嬢様、この輩、口先だけ約束してゴールデンウィーク明けに約束を反故する気です。本気で一度〆ちゃいましょう」
肩を押さえつける手に力を入れたのか、星さんは愉快な叫び声をあげて身悶えする。
「〆るのは約束をなかったことにした時かな。星さん、どうして学校に来ないの?」
「ゲームの方が有意義でござるからな。学校に行く意味が見いだせないでござる」
話を聞くと、このエルフ、頭だけは非常に良いらしい。授業は退屈、友達はいないので行く意味がない。だとしたら大検を取って、さっさと大学に進めばいいと思うが、それはそれで面倒だから、登校日を最小限にして惰眠をもさぼる日々を送っている。その日々で何をしているといえば自己研鑽に励むわけでもなくテレビゲームに興じているだけという。その余った時間を部活動に捧げてみてはどうかとも思い、提案してはみたが「三年のこの時期に今更、部活動に入るなんて御免であるな」と一蹴された。
彼女の青白い肌は食事を取れなかったゆえの血色の悪さだけではなく、陽の光を浴びない日々が積み重なってできたものだった。
「友達つくれば学校に来ようと思う?」
そう尋ねた。
最初の留年は怠惰が過ぎてしまったゆえのものだとして、今年のそれは学友がいないことによるものだと考えた。ならば親しい学友を作る機会を設ければ自ずと学校へ向かう足も軽くなるばずだ。
「みんな育ち良くて話し合わなくて無理でござる」
真っ向から拒否された。
「明華生はギャルもいるけど、なんだかんだ育ち良いので話が合わないから無理ですな。てか陽キャ多すぎ。拙者みたいな陰キャには特攻入るでござる」
やれやれといった様子で肩をすくめて小馬鹿にした笑みを浮かべられた。
「陽キャ? 陰キャ? それは分からないけど育ち良い子でも趣味合う人はいると思う。そのピコピコが好きな人も中にはいるでしょう」
私がそう口にしたら、星さんは驚いた顔で固まっていた。奈緒も同じ顔をしていた。その理由はすぐにわかった。星さんが小馬鹿にした笑みと両手の人差し指を私に指して教えてくれた。
「今時ゲームをピコピコって呼ぶ人がいるんですかーっ! 拙者の祖父母だって言いませぬぞ!」
「お嬢様、せめて擬音は辞めてください」
そんなに駄目な言い方だったのだろうか。実際、ピコピコしているではないか。そう反論しようとしたが止めた。これ以上は私の威厳が底値をつけそうな気がしたから。
ゴホンと咳払いをして気を取り直す。
「本が好きな子なら紹介できるけれど、会ってみないか?」
そう提案すると「これみよがしに話題転換したでござるな」と茶化してきたので流石の私も少しばかり苛立ちを覚え始めていた。
それを表に出す前に、奈緒が私に一睨する。
「もしかして黒木を紹介するつもりですか?」
「そのつもりだけど」
「やめてください。黒木が悪い影響受けたらどうするつもりですか」
強い語気で拒否を示す奈緒に星さんは「まるで母親みたいですな」と茶化してくる。その変わらないスタンスを取り続けられることにだんだんと凄さを感じ始めた。
「貴女がちゃんとしていれば問題ないのよ」
苛立ちを隠そうとしない奈緒を前にしても態度を一貫する姿は全能感に溢れた中高生の不良のようであった。些か私が記憶している不良の方が可愛げがあったが。
しかし、学問はつまらない、友人もいない、部活動も拒否、こうなると自発的に登校させるのは難しい。この世の中を舐めきった子は、いつかまた同じ過ちを繰り返すだろう。喉元過ぎれば熱さを忘れるとはよく言ったもので、その時は本気で後悔しても、その後悔の味を忘れる人はよくいる。そして、一度許した人の面子を傷付け、本気の制裁を下されるか。
ゆえに本人に学校へ行きたいという気持ちを出して貰いたい。
さて、どうしたものかと悩んでいると奈緒の舌打ちが聞こえた。その額には青筋が浮かんでいた。
「お嬢様、今回のクライアントはグランマです」
たしかにグランマから頼まれたことだ。
「だから“解決”だけを目指してください」
それは黒木さんの件であった気遣いは今回ばかりは無用ということだった。私は私が考えうる最短の解決を目指すべきだという提言であった。
グランマや星さんの親御さんの気持ちを考えたら、それが一番叶えなければならないことだろう。
「そうだね、そうしようか」
私との合意が取れると奈緒は悪そうな笑みを浮かべる。
「……これって私怨入ってないよね?」
それに奈緒は「ソンナコトナイデスヨー」という白々しい反応があるばかりであった。