ダメ人間に期待してはいけない
「元の場所に戻してきなさい」
まるでお母さんのようなことを言うのは我がメイドである柴田奈緒。正座するエルフを指差し、その隣で同じように正座する私に強く促していた。ざっくばらんに表現すると怒り心頭だった。
「お嬢様、この方がどなたかご存知ないと思いますが訊きます。どういった方だと思いますか?」
「羅生門に出てくるお婆さんと同類な人」
「それも正解です」
エルフが「乞食扱いはやめて欲しいですぞ」とやんわり抗議するが聞き届けられることはなかった。
「この方は留年生です。引きこもってゲームばかりして、出席点が足りずに留年した口です。それだけでは飽き足らず課金し過ぎて同級生から食費をカンパしてもらった金もゲームの課金に回す、おおよそ人間としての尊厳を与えてはいけない類の人間です。ここで自然淘汰されるのならば然るべき摂理と考えるべきなのです」
まさしくダメ人間だった。
ギャンブル中毒者に近い思考回路をしている。倍にして返すからという理論で借りて、実際に倍にしてもすっからかんになったと言い張るダメ人間の思考回路だ。
「えーっと、その、名前を存じ上げないのでアレですが、さすがにそんか言われては拙者も泣きたくなるので手心を加えて欲しいのですが……」
エルフがチラリと上目遣いで奈緒に視線を送る。だが奈緒は一度、大きく床を踏み鳴らし、エルフの視線を床へと戻させた。
「貴女のようなクズとこうして会話をしている時点で手心は加えているわよ」
「……もし手心を加えてなかったら?」
「寮から叩き出してる」
「手心していただき感謝致します」
奈緒の話を聞いている限り、おおよそ関わり合いを持つべきではない人間のクズだと理解はした。しかし、どんな人間でも健康で文化的な最低限度の生活を送ることができるのが我が国である。
「生活保護は受給できないよね?」
「お嬢様、まずは頼るべきは管理人辺りだと思います」
そう指摘されて、それはたしかにその通りだとぐうの音も出なかった。
私と奈緒の間で管理人に連絡を入れる方向で話し合っていると、エルフが小さく手を挙げた。
「……管理人には黙っていて欲しいだが駄目ですかな?」
人差し指同士を合わせてもじもじとするエルフ。
「一応聞いておくけど理由は何?」
殊更厳しい視線を送る奈緒。
「管理人には年末同じような状況で助けてもらっていて次同じことあったら本格的に生活に介入するって脅されてるからご報告は御免被りたいですぞ」
私と奈緒の間に流れる静寂。
「奈緒」
そう呼ぶだけで「了解しました」と意を解してくれる。
私がエルフを後ろから羽交い締めにして、奈緒は管理人を呼びに管理人室へ駆け出した。奈緒が去った部屋には「後生じゃからー!」とエルフの叫びが木霊した。
本寮の管理人はグランマという愛称で親しまれる恰幅の良いシニア世代の女性だ。温和な性格で寮生の多くは彼女を慕っている。卒業生の中には、グランマとの別れを惜しみ、退寮の日に泣き崩れる人も少なくないらしい。
私からしてもグランマは人の良いご婦人のように見受けられた。強い言葉を決して使わず、その包容力で寮生の生活をサポートし、道を外さないように見守る。人を導くという意味では教師よりも教師らしい働きをしていると奈緒も褒め称えていた。
そんなできた人物から脅されるとは、なかなかやらかしていると言えよう。
奈緒がグランマを連れて帰ってきた。
この時、不謹慎にもクズ人間とグランマがどういう応酬を繰り広げるのか期待してしまった自分がいた。
グランマは部屋について早々「三宮さん、ご迷惑かけちゃってごめんなさいねぇ」と私に謝罪の言葉を述べる。
「いいえ、グランマのせいではありませんので」
グランマは立ち膝になって正座するエルフと視線の高さを合わせる。
「星恵さん」
エルフの名を呼ぶグランマ。
ここでようやくこのダメエルフの名を聞いてすらいなかったことに気づいた。
「次、また人にタカろうと寮から追い出すと言いましたよね」
「……タカろうとしてたんじゃなくて喜捨をしてもらってたというか」
「今回の件は親御さんにも連絡しますから」
「……その親と連絡が取れないからこういう真似したっていうか」
「なら直ぐにオレのところに来たら良かったでしょう」
グランマの一人称がオレということに驚いた。昔や田舎の出の方の女性は、オレという一人称を使うと聞いたことがあった。しかし、実際に使う人を見るのは初めてであった。
「まっこと気まずかったゆえ……」
グランマは頭を抱えて溜息をこぼす。
硬直状態に入ってしまう。このままではいつまでも何も変わらないまま、時間だけが過ぎ去ってしまう。ヤクザとマル暴が路上でパタリと会ってしまい、互いのメンツでいつまでも睨み合いを続けているような様だった。互いにいい加減帰りたいのに、周囲の目もあるから帰れないのもまったく同じだった。
だから我ながら困った癖がでる。
助け船を出してあげたくなってしまったのだ。
「今回は親御さんがいなくなってしまうアクシデントがあったから多目に見てあげてはどうでしょうか」
「そうは言ってもねぇ、これで見逃したら三回目なのよねぇ」
仏の顔も三度ぶっ飛ばしていたら、そりゃあ仏も観念してアックスボンバーを喰らわせる。
「あら、そういえば三宮さんって色んな人のお悩み相談を受けているのよね?」
何処から話を聞きつけたのかグランマは白鳥さんや黒木さんの悩みに相談に乗っていた件について知っていた。そうなると、話の流れ的に嫌な予感しかしない。それは奈緒も感じ取ったようで「グランマちょっと待って」と話な割り込もうとした。
しかし、出遅れ。
グランマの「この子の浪費癖を直してくれない」に掻き消された。
「オレからのお願い聞いてくれないかしら?」
駄目で元々あっけらかんとした様子でお願いするグランマ。
藁にもすがる思いなのかチワワのようなわざとらしい潤んだ瞳で私を見てくる星さん。
「グランマ、それはしかるべき機関に診療をお願いするべきでは」
私の提言にグランマは「それもそうね」と納得する。
「じゃあゴールデンウィーク明けに引きこもり生活を辞められるようにリハビリしましょう。駄目なら親御さんに連絡することにします」
それには奈緒が今度こそとばかりに強い語気で「グランマ」と呼び止める。
「お嬢様と自分にはそれをやる義務はありません。助ける利益もないです」
「んーそれもそうねぇ」とグランマは考える素振りを見せる。「後生ですから拙者に更生の機会を与えてくだされ」と奈緒のみっともなく足に縋り付く星さん。そのみっともなさをここまで追い込まれる前から更生の意気込みに注いでいたらこうはならなかっただろう。いや、追い込まれるからでないと本気を出せないからダメ人間なのだろうが。
グランマが天啓を得たとばかりにパンと両手を合わせる。
「清麗様に推薦してあげるわ。柴田さんも仕える人が清麗様なら鼻が高いわよね」
「それは確約できますか?」
「なんなら他の卒業生にも声かけるわ」
「お嬢様にお任せください。必ずや大型連休明けに、この堕落した森人を学びの箱庭に戻すと約束しましょう」
奈緒とグランマの間に交わされる熱い握手。
"せいれい様"とは何か分からないまま、私はこのエルフの社会生活復帰に力を貸すことか決まってしまった。




