一人暮らしだと太るか痩せるかの二択
件の魔女は文芸部らしい。ただ一人の部員で、放課後はいつもそこで読書に耽っている。古典的ではあるが文学少女の見た目を想像した。長い黒髪を持ち、華奢な体。黒縁のメガネなんかも掛けていそうだ。性格もお淑やかだと勝手に思い込んだ。事前情報で心が弱いと聞いていたからそう思い込んだのかもしれない。そんな子が人前で運動するのは心理的ハードルが高いのだと推測した。だから私はスポーツで人と競い合うことの素晴らしさを教える前に、体を動かすの楽しさを教えようと考えていた。
色々考えながら、奈緒に連れられてとある部室の前に到着する。
奈緒は扉をノックすると中から「どうぞ」と声がする。
扉を開けて、中に入る。
そこに文学少女なんていなかった。
いたのは椅子に胡座をかき、念動力でポテトチップスを一枚一枚宙に浮かせてそのまま口へ運び、漫画本を読み耽る、いわゆる怠惰な人間だった。私が想像した文学少女との共通点は長い髪を持ち、黒縁メガネをかけていることぐらいだった。あと、肥えたという相談内容で理解しておくべきだったのだが、顔に丸みを帯びていた。
けれど一つ幸いな点があった。
その相談者、恥の概念は残っていたらしく私の姿を認めると慌てた様子で佇まいを直してくれた。
「……柴田さぁん……その方はどなたですか?」
相談者が漫画本で顔を隠し、奈緒に尋ねる。
隠す様子を見るに、心が弱いというよりは人見知りなのだろうか。
「白鳥から聞いてないの? この方が今日、黒木のダイエットの相談に乗る方よ」
「……聞いてないよぉ。てっきり、さくらが付き合ってくれるものだと」
「その白鳥からの推薦よ。観念して自己紹介でもしなさい」
漫画本から顔がほんの少しばかり上向く。二つの眼が私に向けられる。それに込められたのは警戒、恐怖、猜疑心というもの。それは心理的外傷を受けた被害者が持つ目の色と酷似していた。
私は微笑みを絶やさず、話しだそうとする黒木さんから言葉が出るのを待つ。
「……く」
言葉が出かかる。
待つ。
「…………」
待つ。
「黒木……愛子……です」
一秒待ち、それに応える。
「三宮美月です。よろしくね」
より明るい笑みを作ってもみたが、それが逆に良くなかったのかまた漫画本に隠れてしまった。
「黒木、失礼よ。ちゃんと顔を見せなさい」
奈緒が注意すると、漫画本を盾にするのを止めた。
それから私達は黒木さんと向い合うようにして座り、世間話がてら「奈緒と黒木さんって仲が良いの?」と訊いてみた。
それには奈緒が黒木さんが話し出せないことを見越してか、先んじて話し出す。
「黒木とは、黒木が街中でスマホを落として困っているところを見かねて助けたのをキッカケに知り合いました」
奈緒はこう見えて面倒見が良い。屋敷では後輩であるメイド見習い達の世話を率先して行っている。同僚や上司からは安心して仕事が任せられると評判だ。にわかに信じられないが、メイドたちへの当たりはとても柔らかい。見習いからは尊敬を集め、同僚や上司からは信頼を寄せられている。その優しさを私や白鳥さんにも少しばかり分けてくれと思わないでもない。
「それはいい出会い方したね。ところでスマホはどこに落ちていたの?」
そう思っても口には出さない。
口に出したら、睨まれると知っているから。
これで機嫌を損ねて、スキンケアをサボる口実にされたら堪らないからだ。
「普通に交番に届けられていました。もっとも黒木は交番勤務の方にすら話しかけるのが恐ろしいようでしたので自分が付き添った形です」
この街の治安を見るに、警察は信頼できそうだと感じたので想定以上に気が弱いのかもしれない。ダイエットをしたいという気持ちが本人にあるとして、私や奈緒が無理強いして痩せても、すぐに体重が戻る。むしろ、増えるだろう。ひどく我慢した分、どこかでストレスのぶつけどころを探し、開放してしまうのだ。
私は苦笑して、これからどうやってダイエットしていこうと脳内で模索していると奈緒から「ところで黒木は太ったから痩せたいみたいだけど、どうして太ったの? 初めて会った頃は痩せてたじゃない」と切り込んだ。
黒木は再び漫画本で顔を隠す。
「……恥ずかしい」
本を奪い取る奈緒。
「口外しないから言いなさい」
傍から見れば酷い上下関係があるように思えるが、黒木さんが奈緒に対して酷く怯えた様子を見せないところから察すると、奈緒を信頼しているのだろう。
「……実は年明け頃から親が海外に出張してて……初めての一人暮らしで好き放題してたらこうなっちゃったの……」
奈緒は隣の私へと顔を向ける。
「お嬢様、黒木はとてもハードなトレーニングがお好みのようですね」
その顔には、とても明るい笑顔が張り付いていた。