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第四章:『価値観相対性理論』あるいは『ひとつの終わり』

第四章:『価値観相対性理論』あるいは『ひとつの終わり』


 召喚の儀式を終えて目の前に現れた姿を見て、ミコナは混乱していた。

 そこへ勇花たちが飛び込んできた。

 取り乱したミコナは彼女たちの方を見ながら叫ぶ。

「どうして!? これは滅びの魔物でしょ!? わたし、間違ってない、失敗してないはずなのに!」

 勇花が慌てて駆け寄ろうとすると、ミコナは横になっている人間を挟んだ反対側へと逃げた。それ以上距離をとられても困るため、勇花は立ち止まって呼びかける。

「早く! こっちへ! その近くにいたらダメだ!」

 しかし、裏切られたと思ったミコナは首を振る。

「いやよ! ユーカはわたしの味方じゃないもん! 今度こそ、ちゃんとした救世主にわたしを守ってもらうんだから!」

 勇花は苦悶に顔を歪めて叫ぶ。

「ごめんなさい!! 私がわるかったのは謝るから! それはそんなのじゃない! 姫が想像できるより遥かに滅びの魔物なんだ!!」

 謝罪の言葉を叫び、本当にミコナを気づかうような勇花にミコナは戸惑った。

 ココロは勇花に続いて入って来た後、すぐに足を止めて遠目に品定めするようにそれを見ていた。

 千平は彼女の横で固まっていた。信じられないものを見て蒼白になり、思考が停止している。

 召喚されたのは、人間の男。

 中肉中背の中年の男は目を開いて上体を起こすと、額を抑えて眠気を振り払うように首を振った。

 周囲の状況に目をやりながら、見慣れない場所、不可思議な格好の者たちに嫌悪のような表情を見せる。

 彼の姿を見たとき、千平は全身が凍った気がした。数拍の後、一気に血流が怒涛のごとく全身を巡るのを感じる。

「まさか……そんな……」

 どうにかしてミコナを説得しようと必死な様子を見せていた勇花は、千平の様子を見て狼狽した。

「黒野くん……思い出したの?」

「……あ、あれは……」

 指をさして言葉が出ず、呻くようにした後で何かに気づいた千平は、今度は理解できないように自分の両手を見た。

「……俺は、なんで……?」

 記憶がフラッシュバックしていた。

 そうだ。自分は刃物で刺されたのだ。それが、こちらに来る前の最後の記憶。それを今思い出した。

 学校帰りに、通り魔が人を襲おうとしている現場に遭遇したのだ。勇花が逃げる子どもたちをかばって殿のように引き受けようとしているのを見て、咄嗟に大声をあげながら突進した。そして振り返ったその男に刺されたのだ。その手ごたえと深さ、位置は明確に感じた。そして出血のひどい量に反して、すぐに痛みはほとんど感じなくなった。朦朧として、でもどこかはっきりした意識で、死ぬことを確信したのをおぼえている。

 その通り魔が、目の前の男だ。

 死んだはずの自分がここにいる。

 千平は勇花を見た。彼女は狼狽しているようだった。

 千平はどうにかして勇花たちには助かってほしいと思ったのだが、彼女がここにいるということは。

 呻き、混乱する千平を勇花は少しだけ気づかうような顔で見ていた。と、その右手を大きく振り被り、思いきり平手打ちをかます。

 乾いた音が響き、ココロとミコナがひどく取り乱した。彼らの感覚では、相当に非人道的な行為だ。

「黒野くん、君が今何を考えてるかわからないけど、ここが自分だけで見てる夢の世界だって可能性を考えてるかもしれないけど、それはわたしも同じなんだ。そしてそれは問題じゃない。君がいて行動できて、この世界が本物で、あそこにいるあれが本当だという可能性がある限り、どうにかしなくちゃいけない。それはわかるよね」

 まくしてた勇花の言葉と現実としか思えない痛みで千平は理性を取り戻し、頷いた。

「ありがとう」

 痛めつけられて感謝を述べたことに、ココロとミコナは驚愕した。

 千平の反応に勇花も少し驚いていた。事態に対する彼女の懸念の表情は消えず、それでも微笑みを浮かべる。

 彼女に適切に事態を理解していることを伝えるべく、千平は口を開く。

「どうにかできるのは、きっと俺と君だけだね」

 そこには様々な意味が込められている。

 男は彼らのやりとりを理解できないように見ていた。

 ただ、敵視されていることは明確に感じ取り、身じろぎをする。

 一番近くにいるミコナを見て動こうとするところを、勇花は逃がさない。

 不特定多数の子供を刃物で襲おうとした人間であり、実際に千平を躊躇いなく刺した者である。

 今手元に武器が無いとは言え、ミコナを人質のように使って何かをしようとする可能性は高い。

 勇花は足を踏み出しながら叫ぶ。

「展来編現!」

 ペンダントが光を放ち、走る彼女の服が天衣へと変わった。動きやすいデザインの白いドレスで、そのところどころに装甲を配されている。背中には白い翼が生えていた。

 勇花は、意味不明な事態に愕然として動きを止めている男とミコナの間に割って入った。

「なんなのよ!」

 勇花は戸惑うミコナを無理やり抱え上げ、彼女に暴れて抵抗されて苦戦しながらも入口へと引き返す。

 千平は自分が刺された瞬間のことを生々しく思い出していた。足が震える。

 拳を強く握り、深呼吸する。

「だいじょうぶ。天衣じゃない相手ならだいじょうぶ……」

 今までの模擬戦でことごとく役に立たなかったそれだが、さすがに天衣ではない相手に対してなら性能はじゅうぶんすぎるはずだ。

「展来編現!」

 光を帯びて展開するとき、腕輪は電気回路がショートするような様子を見せた。

 不安と驚きを感じた千平だが、甲冑は無事に全身を覆った。多少の違和感があるものの、丸腰の相手に対する分には問題は無さそうだった。あまりに古いからか、性能に比して模擬戦で与えた負荷が大きすぎたか、いい加減ガタが来ているのだろうか。

「おとなしくしろ。どこかに閉じ込めさせてもらうけれど、命までは奪いはしない」

 一歩踏み出し、千平はうわずりかける声でなんとか警告を発した。

 その発言、特に「命までは奪わない」という部分にはココロとミコナは非常におどろいていた。どうしてそういう発想が出てくるのか彼らには理解が困難なのだ。

「はいそうですかって言うわけねーだろうが!」

 捕まるわけにはいかないということは明白で、男は勇花がいない方、ココロの側から千平を回りこむように部屋の出口を目指そうとした。

 甲冑でそう身軽に動けないだろうという推測、勇花の先程の身体能力への警戒、ココロを人質にとれるかもしれないという判断。咄嗟にしてはわるくなかった。

 しかし千平の動作速度は彼の予想をはるかに上回っていた。速やかに立ち位置を変え、進路をふさぐようにあっさりとラリアットを繰り出す。

 それは繰り出した本人の予想も上回る強烈な威力だった。

 男は数メートル吹っ飛んで、後ろの壁に叩きつけられた。模擬戦での散々な戦績から、千平は天衣の性能を読み誤っていた。

 あまりに残虐な行為にココロとミコナは、そしてそれを行なったのが千平であることに特にココロは驚き、混乱していた。

 相手の吹っ飛び方にやりすぎたかと思ってガントレットに覆われる自分の腕を見た千平は我が目を疑った。

 そこには亀裂が生じていた。天衣に損傷を与えられるのは、よほどの衝撃などか、理力が介する現象だけのはずだ。それだけ打撃が強すぎたのか。

 生じたひび割れの破片がカタカタと動き、落下するのかと思われたそれは唐突に水平に飛んだ。うめき声をあげて身じろぎした男の身体に貼りつく。

 混乱しながら男と亀裂とを見比べる千平の視界の中、亀裂はどんどん大きくなり、破片が続々と男の方へと飛んでいき、その全身を覆い始める。

 誰もがそれを愕然として見守っていた。

 すべてが終わったとき、男は鱗に全身を覆われる怪人のような姿になり、千平はパンツ一枚になっていた。

 男は自分の身体の状況を確認しながら立ち上がった。

 戸惑ったのはわずか、すぐにそれの使い方を理解したような様子を見せる。

 その表面の鱗は、まるですべてが群れる魚のように別の生き物であるかのように、さざめいて動きを見せる。

 眼窩のような窪みは不気味に赤い光を放ち、尻にはトカゲのような長い尻尾が生えている。

その姿は、千平と勇花にとっては、まさに人型の魔物のように見える。

 突然、彼は右手を千平の方へと向けた。

 長い指、鋭利な爪を伴うそれは全身から集まった鱗で伸長され、槍の穂先のような先端を持つ触手のように突き出された。

 思考が追いつかずに棒立ちしている千平の無防備な上半身、心臓のあたりを狙って伸ばされたそれを、割って入った勇花の剣が押さえた。双方が纏う理力で反発する。

「ち……」

 魔物は次の出方を考えるように顔を歪めた。

「展来編現!」

 叫んだのはココロだ。

 その姿が光に包まれ、紫を基調とした天衣が現れる。すらりとした軽くて動きやすそうなドレス風で、ところどころ肌が露出している。天衣の腰から翼が生え、背中から生える自前のものとで二対になっていた。

 魔王は勇者と並び、千平をかばうように立った。

 魔物は右手を大きく掲げた。そこに鱗が集中して巨大化する。

 皆が攻撃に備える中、振り抜かれたそれは出口側の彼らへ向かわず、横の壁に叩きつけられた。石組のそれに穴が開き、魔物はそこへ飛び込んだ。

 二体一。状況と相手、そして今の自分の情報の不足から、逃げることを選んだのだった。

 無人の部屋の中を見回し、すぐに魔物は扉へと向かった。

その扉からイヌミが駆けこんできた。勤勉なのが災いしたと言える。

「なんなのワン!?」

 勇花たちがすぐに後を追って来ており、魔物は焦っていた。入って来たイヌミを巨大化した手で掴み、無造作に横に投げる。

 棚に叩きつけられたイヌミは地面に倒れた。衝撃で壊れてバランスを崩した棚が彼女の上に倒れこむ。

 這いだすように起き上がろうとして痛みに顔をしかめて動きを止めた彼女に、千平とココロが駆けよった。

 勇花は一瞬だけ迷ったが、ふたりが駆けよったのを見て、部屋を出て通路を走って行く魔物をすぐに追いかけ始めていた。

「だいじょうぶですワン。ただ、やつを追いかけたり戦ったりはできそうもないですワン。もうしわけありませんワン」

 耳を伏せてしゅんとするイヌミに、ココロは気づかうような微笑みを浮かべる。

「気にするな、休んでいろ。我に任せておけ。民を守るは支配者の努めよ」

 千平がイヌミの負傷の度合いなどを確認する様子を見ながら、ミコナは悩んでいた。

 自分が呼び出した救世主、勇者であるはずの存在がこんなことをした。

「滅びの魔物、あんたは、あれが何か知ってるの?」

 千平がミコナの方を見る。駆け出そうとしていたココロも足を止めた。

「あれは、俺と白井さんと同じ生き物だよ。そして、俺と白井さんが前いた世界で、俺と、たぶん白井さんを刃物で刺して殺したんだ」

 千平の言葉に三者三様、尋常ではない驚きを表す。

「『勇者』も『滅びの魔物』も、同じ生き物なんだよ。君たちの感覚では思いつかないことを知ってたり、とてもする気にならないことをできたりするから、それは使い方次第で大きな力にもなる。役に立ったか、災いの種になったかでどう呼ばれたかが違うだけだと思う。君が呼んだのは、俺たちの種族でも特にずば抜けて危ない個体なんだ。魔族だけじゃなくて、人間だって何をされるかわからないよ」

 ミコナは言葉を失った。

「お前が名乗りもせず、丸腰の相手に天衣で攻撃するとはおどろいたが、それだけの行為すら及びもつかない悪事を成すというのか」

 ココロの問いに、千平はうなずく。

「言った通り、俺と白井さんは、子どもたちを無差別に殺そうとしていたあいつを止めようとして殺されたんだよ。あいつがここに来たっていうことは、自分で使った凶器で刺されたか、俺たちの世界の治安を守る兵士みたいな人に殺されたか、そういう人たちから逃げられなくて自分で死んだか、わからないけど」

「そんな生き物がいるなんてワン……」

 イヌミも絶句した。

 ミコナは蒼白になりながらも、どうにかして言葉を絞りだそうとしていた。

「……だから、だからユーカは二度と使うなと言ってたの……?」

「そうだよ。英雄召喚の儀と、滅びの魔物を呼ぶ儀式はまったく同じだったんだ。たまたま、前回はそれぞれがそう呼ばれるようになるようなことをしただけだと思う。自分で言うのもアレだけど、俺だって比較的マシな部類で、いくらでも、想像つかないようなレベルで、この世界にとって、魔族だけじゃなくて人間にとっても危険すぎる存在が召喚される可能性はあったんだよ。今回はその中でも最悪なのが来たけど」

「……そんな……」

「俺たちの同類だからね。俺と白井さんでどうにかしたかったんだけど……」

 千平はパンツ一枚の自分の格好を見て狼狽した。

 ココロはにやりと笑う。

「気にするな。我が配下のすべきことは、我のすべきことでもある」

「でも、たぶん、あれを止めるっていうことは……。だから、俺と白井さんしかできないんだ」

 千平は最悪殺すことになると暗に示した。この世界の住人にはできないだろうし、させるわけにもいかない。できるかと問われれば自信を持って肯定できないが、それでもできる可能性はこの世界の住人たちよりははるかに高いはずだ。

「それが本当に必要ならば、むしろ支配者である我がなさねばなるまい」

 悲壮な覚悟と強烈な信念。凄みを帯びたココロの顔は、まるで魔王のようだった。


 通路へと出たココロは壁へと手を触れた。全身が光を帯び、その手が特に輝く。彼女は目を閉じた。

 ココロの後を千平が追おうとしたときだった。

「センペーどの。これを……だワン」

 呼びとめたイヌミが差し出したのは、彼女の天意結晶がついたチョーカーだった。

「でも、三魔騎士のは専用だって聞いたけど……」

「私の理力をできるだけこめておきましたワン」

 よく見ると、嵌められている結晶がすでに輝きを帯びている。

 千平は半信半疑ながら手を伸ばして掴んだ。どちらにしても彼女は戦えないし、自分は天衣が無い。藁にもすがりたいのはたしかだ。

「ありがとう」

 千平はチョーカーを掲げた。

「展来編現!」

 結晶は、彼の言葉に呼応して蒼い光となって弾けた。

 常ならば着衣と同化する形になるわけだが、それは単に装着箇所にすでにあるものと重なるために混じり合うだけであるようで、彼の肌と同化するようなことはなかった。

 光が治まり現れた姿は、イヌミが纏う時の装甲を各所に持つドレス型とは異なっていた。

 左右で紅と蒼に別れ、炎と氷を意匠としたような大枠はそのまま。全身を覆う甲冑から部分的に装甲を省いて動きやすくしたようなデザインだ。

 三魔騎士の専用と聞いていた割に、むしろ前の滅びの魔物が使っていたという天衣を纏った時よりも装着プロセスには違和感が無かった。

「私の代わりに、おねがいするワン」

 真剣な顔で頼まれ、千平は頷いた。

「うん、やってみる」

 ココロは壁に手を当てて目をつぶったまま口を開いた。

『皆に通達、城内に危険な化け物が出た。センペーとは違う滅びの魔物だ。追っている勇者は味方だ。纏える者は全員天衣を纏い、それらしい物音などがする方から協力して逃げよ。ウサノとネコエは天衣で追跡せよ。我と合流するまでは近づきすぎるな。繰り返す。勇者が追っている化け物から天衣を使って逃げよ。ウサノとネコエは天衣で追跡せよ』

 発せられた声が壁面を伝わり増幅され、それは城内全域に響いたようだった。

 ココロが瞼を上げる。

「今いる位置がわかった」

 言った彼女の背中の翼が広がった。天衣の翼からも巨大な暗い紫色の光の翼が展開する。

 千平の姿を見たココロは、軽く感心のような色を顔に浮かべた。

「では、お前も行くか?」

「うん」

 天衣に身を包むココロは、唐突に千平をお姫様だっこした。予想外だったために硬直してしまった千平は、されるがままだった。

 その身体が宙にふわりと浮く。

「では、行くぞ」

 二組の翼が連動して羽ばたき、その動きに合わせるように急激に身体が上昇する。天井にぶつかりそうな勢いをそのままにココロは器用に上下反転し、天井を床面のように蹴って走る。そのまま斜めに走って壁を床がわりに走る姿勢になったと思うや大きく沈みこませた体勢から強く踏み切った彼女は、反対側の、上へ向かう階段へと飛びこんだ。

 先程勇花たちが走って消えたのは、今の通路の先だった。

「し、下じゃないの?」

 千平が舌を噛みそうになりながら尋ねた。

「その通りだ」

 言ったココロは上がった先にある執務室へと向かう。

 ちょうど、そこにいた者たちが扉を開けて状況を確認しようとしていたところだった。

 ココロは彼らとすれ違いざま指示をとばす。

「化け物は下だ! お前たちはこのあたりで警戒せよ!」

 ふたりが執務室へ入ると、バルコニーに面した窓が換気のために開けられていた。

 まさかと思い青ざめた千平の予想は的中し、ココロは彼を抱いたまま空中へと大きく飛び出した。

 放物線を描きながら、ココロは身体を傾けて器用に旋回する。

 城の輪郭をなぞるように高度を落とす彼女。その目指す地点に迷いは無かった。

 視線は、城から街へと前庭を通る屋根つきの石畳の道へと据えられている。城側の扉が開け放たれ、そこから魔族たちがわらわらと庭に溢れて来ていた。

 自由落下とまではいかないまでも急激に高度を下げて千平の身体が浮きあがり、ほとんどココロの腕から浮き上がった状態に、彼はジェットコースターを連想していた。問題は、こちらは安全性を考慮して設計されたようなものではなく、彼女が失敗すれば千平はあっさりと地面に叩きつけられることだ。天衣をまとっていればあまりダメージは無いのかもしれないが、それでも本能的な恐怖を消すことはできない。

 ココロは地面のそばでふわりと減速し、両腕と全身をうまく使って千平をやわらかく受け止めた。

 魔族たちの視線が集まる。

 千平は石畳横の地面に降ろされた時、足が震えてまともに立てなかった。

「……漏らさなかった自分をほめてあげたい」

 ココロは怪訝な顔で彼を一瞥し、彼がなんとか自分の脚だけで立ったことを確認し、城の入口の扉を目指そうとした。軽く滑空しながら周りに声をかける。

「皆、街まで逃げて、街の者たちにも念のため警告をしておいてくれ! 城から離れておくこと、逃げるため、周りが逃げるのを手伝うためにも天衣を使うことと、化け物とは戦ったりせずに逃げること! 警告にも天衣を使え!」

「はい!」「わかりました!」

 魔族たちは口々に返事をした。

 天衣を纏う者たちが、飛び、跳ね、あるいは動物などの形をした独立別形態の天衣に跨るなどして先行し、一部は天衣を持たぬ者に手を貸す。残りもまた彼らを追うように自分の足で街へと向かった。

 唯一彼らと反対の方向へと向かったココロの進路、城の出入り口から、鈍色の大トカゲが飛びだしてきた。

 吹き飛ばされるように出てきたトカゲは、転がった後で体勢を立て直す。

 すぐにココロは街へ向かう道を塞ぐように、逃げる魔族たちと大トカゲの間に立ちふさがった。

 彼女を警戒する化け物は、背後、自分が出てきた城の方も窺う。

 そちらからは天衣のところどころに弾けた形跡のある勇花が出てきた。ここに至るまで、すでに戦いを繰り広げていたのだろう。

 彼女と比べると、トカゲは攻撃をもらった箇所を動く鱗が塞いだものか、あまり見た目にダメージがあるようには見えない。

 勇花に続いて、こちらは損傷の無い天衣を纏ったウサノとネコエが現れる。

 ココロが指示を飛ばす。

「囲め! ウサノ、ネコエ、名乗る必要は無い! 一対一ではなく全員でかかるぞ! あれは人だと思うな!」

 前半を聞いて包囲するように動きながら、ふたりは後半にやや戸惑う様子も見せた。しかし相手の見た目が人型でないことから、すぐに割りきったようだった。

 千平もココロと並んで戦列に加わる。

 空を飛べるココロとウサノ、勇花は立体的にも包囲する動きを見せた。

 状況が飲み込めず、また人ではない存在との戦いに慣れていないらしいウサノとネコエは動きに精彩を欠いていた。

 ココロは割りきっているが、やはり人でない生き物とは戦い慣れていないようだった。

 勇花も元々は戦いなれていたわけではないが、一番動きがいいとは言える。ただし、城内で戦い続けてきたダメージと疲労が目に見えてある。

 千平は自分が剣を持っていないことに気づいて当初焦った。しかしイヌミの戦い方を思い出し、熱と炎、冷気と氷をコントロールする方法を模索する。結果、拳撃や蹴りに合わせて炎と氷を放出できるようになった。だが今回の相手に炎はあまり効果が無いようだった。一方で氷は、個別に動いている無数の破片を固めて動きを止めることができた。ただし、トカゲの全身の動きに連動して力任せで短時間で砕かれ、再び動き出せばやはりダメージは無いようにしか見えない。

 千平は氷で脚などを狙って固める援護を優先することにした。

 直接格闘攻撃をするということに、ココロや三魔騎士は驚きを見せた。彼らは様式化された戦いしか知らず、そのような概念は無いのだろう。あるいはあまりに非道な行為と捉えるか。理力を介して戦う以上、何を用いても大差は無いと千平には思えるのだが。

 大トカゲは、自分の周りを跳ね回り、また飛び回る相手に対して尾を振り、前脚を振り回し、噛みつこうとする。天衣自体の勝手が掴みきれない千平を含め、誰もがなかなか有効打を当てられなかった。

 時折トカゲに攻撃が当たっても、魚の群れのように蠢いて輪郭を構成する鱗のような金属片が生じた穴をすぐに埋めてしまうため、ダメージとして蓄積されているのかどうかがわからない。

「ニャンニャカニャンニャンニャーン!!」

 痺れを切らしたらしいネコエが印を組んで叫んだ。

 実体は無い、見た目だのけのみっつの分身がネコエから飛び出した結果、トカゲは動きを止めた。だが、トカゲに集中していた一同も、反射的に分身との衝突を避けて動きに乱れが出てしまう。

 それがトカゲにとっては絶好のチャンスとなった。分身を含めて全員を尻尾と前脚でまとめて薙ぎ払う。分身は突き抜けるだけで消えはしない。

かわせたのは一度大きくはばたいて高度をとったココロと、自由に動けたネコエ本人だけだった。

 千平と勇花は比較的軽い当たりですんだが、勇花はこれまでのダメージの蓄積が大きい。

 空中でネコエの分身をかわそうとして無理な挙動をして動けない状態にあったウサノは前肢が直撃して弾き飛ばされていた。

 地面をごろごろと転がっていき、天衣が完全に弾ける。

「……ピョン」

 目を回しているようだが、本人自体には特にダメージは無いようだった。身を起こした後、しゅんとして地面にへたり込む。

 ネコエは耳をぺたりと寝かせ、半ばパニックになっていた。コントロールを失った分身は消えてしまう。

「ご、ごめんなさいニャーーッ!!」

「いいから、一度離れて落ち着け!」

 ココロの指示は少し遅かった。

 ネコエは動きが止めていたところを尻尾の強烈な一撃で吹き飛ばされ、もんどり打って倒れ込んだ。天衣が弾ける。

「……ニャ」

 彼女はもう動く元気は無いように、倒れたまま顔だけ向けて落ち込んだ様子で戦いを見守る。

 三対一になり、相手が少なくなったトカゲもだが、同士討ちの可能性が減った千平たちも動きやすくなっていた。

 ココロは勇花の立ち回りを参考にし、相手に合わせた戦い方や天衣の新しい使い方を模索しているようだった。

 元々の能力が特に高いココロの動きがよくなるにつれ、大トカゲは目に見えて翻弄され始めた。

 破片の動きが鈍って再生も明らかに追いつかなくなり、隙間から男の姿もちらちらと見え始める。形態の維持・形成自体は理力か何かに依存し、無尽蔵ではないということだろうと推察された。

 このまま押し切れるだろうという思いを皆が抱き始めていた。

しかし、ひとりで先に戦い始めていた勇花はすでにかなり体力を消耗していた。足がもつれて転んでしまう。

 好機とばかりに振り被っての強烈な一撃を、咄嗟に千平がその身を呈して防いだ。

 千平の天衣が弾け、彼はまたパンツ一枚になる。

 それを構わず、千平はすぐには起き上がれない姿勢だった勇花を抱えて距離をとろうとした。

 その生身の背に向けて、トカゲがさらに前肢を振りかぶる。

 勇花は反射的に記憶を揺さぶられた。


 ミコナに召喚される前の記憶。

 通り魔に遭遇して子どもたちを逃がそうとした自分。その自分たちを守ろうとして相手に立ち向かい、刺された千平。彼は刃物を突き立てた相手の腕を意識のつづく限りそのまま押さえ、抵抗したのだ。完全に死を覚悟していただろうその状態で尚、勇花たちの安否をこそ気づかうような視線を向けながら。

 結果、彼が稼いだわずかな時間で、駆けつけた者たちが犯人を取り押さえ、犠牲者は彼だけですんだ。

 刃渡りと傷の深さ、そしてその出血量。彼が死んだのは明白だった。

 救急車に積み込まれたその遺体は、運ばれている間に文字通り消えた。

 犯人の取り押さえに協力して多少打撲を受けていた勇花は、それも含めてクラスメイトであるということも説明した上で同乗を希望した。だから彼女はその時、救急隊員と一緒に遺体とともに救急車の後部に乗っていたのだ。彼らの目の前で、たしかに千平の遺体は掻き消えたのだ。

 死体の消失は大事件となった。

 通り魔事件自体の目撃者は多数。現場は商店街であり、監視カメラに一部始終なども映像として残っており、現場や凶器の血液のDNA鑑定によっても千平であったことはほぼ確実とされた。

 勇花は警察から事情聴取をされ、千平の家族からも質問をされることとなった。

 家族は千平と同じような柔和な人柄の人たちで、間違いなく千平であったこと、死んだこともまず間違いないと伝えるとき、勇花自身、信じたくない事実をあらためて突きつけられる以上にひどく心が痛んだ。けれどそれが自分の責務だと感じた。

 人がそんなことを行なえるのだと認めたくないような凶行と、人として尊ばれるべきありようを示した人が失われる理不尽とを目にしたこと。毎日顔を目にして好意的な人物のひとりととらえていたクラスメイトの喪失。そしてその亡骸の消失というありえない事態とに、勇花はひどく陰鬱な気持ちを抱いて時を過ごすこととなった。

 学校では彼を知る者たちの多くは悼み、よく知らない者の中には非日常的なイベントに色めき立つ者もいて。生徒たちを始めとした人間の持つ様々なありようにもまた心がざわついた。

 コンビニのアルバイトではいつも通りに千差万別様々な客に対応し、人々の言動のいつも通り不愉快な側面は、いつもならばそういうものと流せたのに、いつも以上に彼女の心へと突き刺さった。

 そうして数日が過ぎてアパートに帰ると、珍しく家に母親がいた。

 居間のテレビでは、千平の死体消失についての番組が流れていて。

「あんただったらよかったのにね」

 母親のそんな発言には慣れていたのに。

 勇花は思わず家を飛び出した。

 幼い頃、彼女は自分が「いい子」ではないから母から愛されないのだと思っていた。だから母親にほめてもらえる「いい子」になろうとがんばった。そうではないことに気づいてからは、自分が母のありようが好きではないからこそ、人に誇れる自分でありたいと思ってきた。

 偶然通り魔に鉢合わせした勇花は、冷静に状況を整理して、理性でどう行動するかを選択した。それは打算的でもあり、いっそ自分が英雄のように死ぬのもいいかもしれないとさえ心のどこかで思いながら子供たちをかばったのだ。

 同じようにその場に居合わせた千平を見ていた彼女は、彼が考える余裕などとても無い状態で、咄嗟に、必死に、それだけが唯一の選択肢であるように身を呈したのを見た。

 彼のそのあり方と、メリットやデメリットなど行動に伴う様々な結果を考慮した上で選びとった自分を比べたとき、勇花は自分がとても汚いもののように思えた。「本物」にとっては、違う選択をした時のデメリットなど、まるで関係無いのだ。

 母親の、千平のそのありようとそんな彼が失われたことを軽んじるような発言に勇花は激怒し、そして死んだのが本当に自分だった方がよかったのにとも思ってしまった。

 胸中でうずまく様々な苛烈な感情を発散するかのごとく、彼女は夜道をひたすらに走った。ひと気の無い神社の境内に辿りつき、彼女は賽銭箱に背を預け、膝を抱えて座り込んだ。ただ苦しくて涙をこぼし、嗚咽を漏らす。

 やがて疲れ切った彼女は自覚無く眠りこけた。

そして次に目を覚ました時、目の前にいたのがミコナだった。

 自分が勇者として召喚されたことや、この世界は人間のためにあるのに魔族が大きな顔をしていることなどの説明を受け、勇花は助力を請われた。

 特に断る理由は無かった。

 そうして自分の行動に疑問を持つ日々を送り、彼と再会することになった。

 千平は端的に言って勇花にとって命の恩人でもあったのだ。

 だからこそ、再会してからは、彼のそばにいて、彼の役に立ち、少しでも恩を返したいと思っていた。偽物の自分が、本物をそばで支える存在でありたいと彼女は思っていた。

 千平に再会するまでは、自分の知識やできることを全力で振るえばこの世界を自分にとって都合のいい「理想の世界」に作り替えることができるのじゃないかと思うことが時々あり、その誘惑に心が揺らぐこともあった。だから彼女は、千平の独白を聞いたとき、この世界にとって滅びの魔物でありえるのは、自分の方だと思った。

 きっとそんなことを言えば、千平は「自分こそ偽物で、勇花こそ本物だ」と笑うかもしれない。そしてそれはきっと、千平と勇花、それぞれにとってどちらも正しい。普遍的な価値観、絶対的な価値観など無く、それぞれに抱く価値観は本人にとっては正しいと、勇花はこの世界に来ていやと言うほど思い知っていた。

 ミコナの価値観を自分にとって都合よいものに捻じ曲げようとする行為は、きっと見方によってたしかに悪なのだ。ココロが捕えた人間たちへの行為を洗脳と自嘲するようにも言っていたのは、そういった側面さえ彼女は自覚した上で受け入れているのかもしれない。


 自分こそが千平を守るべきなのに、また命がけで自分が守られてしまったと勇花は思う。

 それどころか今まさに目の前で千平をふたたび失いそうな恐怖に彼女は囚われていた。

 千平の生身の背中に向けて突き出された鋭い爪を持つ前肢。それは上から飛んできた剣に貫かれた。その余勢でトカゲを転倒すらさせ、地面へと縫いつける。

 それはココロが咄嗟に投げつけたものだった。

 勇花はトカゲの動きが止まったのを見て、正気を取り戻して姿勢を立て直し、逆に千平を抱えて距離を取った。

 貫かれたのはあくまで本体を包むように覆っている部分のみだった。流動する鱗は剣をすり抜けていた。トカゲの前脚が動かされると、地面に刺さった剣はそのままに、ゆっくりと外れそうになった。

ココロは右脚に紫の光を纏い、急降下してその前肢を蹴りつぶした。

 そのまま両手からも理力を直接的に破壊の力へと変化させて巨大な腕を構成し、殴りつける。

 流れるように拳や蹴りが繰り出され、トカゲは一方的に蹂躙される。荒々しい戦い方は、ココロのイメージとはかけ離れたものだった。

 それ自体は、先程の千平の戦い方を参考にしたものとも言える。

 格闘するココロの位置取りの変化に合わせて、千平と勇花に彼女の表情が見えるようになった。

 ココロは、殴りつける自分自身こそ痛みを感じるかのように、凄絶な表情で歯を食いしばっていた。

 その真剣な表情の頬を涙が伝う。

 千平と勇花は言葉を失った。

 この世界で生まれ育ち得た価値観で正義を重んじる彼女にとって、あのような行為をするということ自体が耐えがたい拷問のようなものだろう。

 それでも彼女は、他者のために、魔族たちや人間のために、自ら行なうことを選んだ。

 支配者だから?

 彼女はよくそう言うが、千平は疑問にも思う。魔王だからこそ考え方や感じ方がほかの魔族とどこかちがう部分があるのかもしれないとも思うが、しかし彼女は自分が支配者ではなくてもこのあり方を選ぶのではないだろうか。彼女のありようは、彼女が魔王でなかったとしても、尊敬され、社会の決断をゆだねられる、つまり支配者たるにふさわしい。


 ココロは、城で壁に手をあてて城内の状況を読みとった際に、走りながら戦っている勇花と魔物の様子を見ていた。

 勇花はあの時、逃げる相手を攻撃することに抵抗を感じている様子で追跡していた。

 壁や、果ては天井までを駆けて逃げるトカゲの行く手にたまたま魔族がいた際、トカゲは邪魔だと言わんばかりに魔族を弾き飛ばそうとしたりしていた。

 勇花はそういった際に邪魔をすべく攻撃し、時に身を呈して魔族を守っていた。それでも時折、かばいきれずに薙ぎ払われるなどして負傷する者たちもいた。

 イヌミがされたことを考えても、勇花がいなければ魔族たちがどうなっていたかしれない。千平が言った通り、召喚されたそれが、間違いなく尋常ではない災いを成す存在であることは確信できた。

 ココロが千平を召喚していた時、彼は死にかけていた。

 彼がいた世界ではもう手の施しようが無く、死んでいると見なされることを、当然彼女は知らなかった。

 しかしそれは医学的知識などが無いという意味ではない。

 厳密なことを言えば千平たちと魔族などの体質などは細かい部分では異なっているのだが、おおよそは同じである。

 全身の血流が止まり、時間とともに組織が死んでいく。脳へ送られる血液が止まってから時間とともに回復できる確率が減ること、なんらかの障害が残りうる可能性が増えることなどは、ココロは知っていた。

 大量の血を失い、心臓にも穴が開き、あのまま救急車で搬送されたところで千平が蘇ることは無かっただろう。

 現れたその姿を見て、当然ココロは驚愕した。しかし彼女は、やるべきことの判断は速かった。すぐさま儀式のために用意していた予備の天慧樹の果実を齧り、咀嚼して半分ほどは飲み込み、半分ほどを千平の口に流し込む。召喚で理力の消耗は激しく、医療理術もまた理力を大量に消費する。それは理力の補充でもあり、また同質の理力を共有することで浸透がさせやすくなるという効果があった。

 彼女は天衣を纏い、千平の全身の死にかけている細胞に直接生気を送って機能を回復させていった。食道と胃、消化器を強制的に動かして果実の消化を進行させながら、病原体などをはじめとした異物を排除して心臓や血管等の外傷を治癒させて閉じつつ、造血細胞に血液の生産をハイペースで行なわせる。

 身体の持つ自己治癒能力を活性化させるだけの回復理術は技術体系の中では基礎にすぎない。多用な知識と高度な技術を活用して複合的・並列的にこの水準で処理できる魔族は、そういない。

 酸素、栄養素の供給無しにほぼ理力のみで全身の細胞機能を回復・維持するのは非常に負担が重かったが、果実の消化が進んで理力が千平の各組織に浸透するにつれ、加速度的に作業は楽になっていった。

 できた余裕で脳のダメージの把握と回復に努め、血液がじゅうぶんな量に達したところで、ようやく心臓を強制的に拍動させる。

 それが、千平が目を覚ます前、血や体液などの汚れを落とし、また全身の代謝を円滑にするために浴槽に浸けられる直前の出来事だった。ココロも処置にあたって自身についてしまった血などを落とし、自分の疲れを癒すためにも一緒に入っていたのだった。

 滅びの魔物を召喚したらすでに死にかけているというのはひどい話だったが、そこからココロは様々に推測をした。

 そのひとつが、滅びの魔物同士の戦いなり殺し合いだった。

 魔族たちの文化、感覚では到底理解できるものではない。しかし、天衣にさえ頼ることなく、混沌と恐怖を振りまいたとされる存在だ。そう考えるとありえないことではないと、可能性だけは考慮に入れていた。

 千平の先だっての説明によれば、今回の魔物が千平を凶器で刺した存在だと言う。千平が剣を支給されるときの発言を思い返せば、たしかに彼の文化圏ではありえることなのかもしれないと思える。

 千平は彼なりにこの世界にやり方に合わせようとし、時に失敗もするが、迷惑をかけた相手に謝り、反省する。彼は魔族たちに気を使い、無闇に傷つけたりすることはないようにしている。勇花に聞いた話では、自分たちのいた世界とは異なるこちらの正義に合わせようと努める一方、こちらの世界では誰も困らないことでは、元の世界での彼なりの正義を貫こうとしているということだった。

 ミコナが召喚してしまった魔物の凶暴さ、他者への気づかいの無さというよりは攻撃性などは、千平たちと同じ種族というのが信じられない話だ。

 無差別に子どもたちを襲い、傷つけようとした話はおそらく本当なのだろう。千平を殺しかけたのが事実とすれば、このまま逃げられたら、どこで何をするかわからない。魔族や人間を殺すなどするかもしれない。

 千平は、最初に天衣をまとって対峙したとき、「閉じ込めさせてもらう」と言った。

 あれが彼らの文化と関係あるかはわからないが、とりあえずの処置としては最良に近いと思われた。

 ならば、相手が抵抗する以上、天衣を剥がして捕縛するしかない。

 名乗り合いもなく、一対一でもなく、果ては剣さえ使わず。

 相手がこちらの流儀に合わせないのであれば、ココロもなりふり構ってはいられなかった。民の命がかかっているのだ。

 しかし彼女は真面目すぎた。

 彼女にとって守るべき規律は理性よりも遥かに深いところに根付いており、それを踏み越えるのは並大抵ではない心理的苦痛を伴っていた。

 

 展開は一方的だった。

 ココロの理力を束ねた強烈な攻撃は鱗のような破片を塵のように砕いて消し飛ばして再生を妨げる。トカゲはどんどんと小さくなり、輪郭も穴が空いて、中の男のどこかしらが常に見えるような状態となった。

 魔物は消耗した破片を集約して姿を変える。新たな形は、角が生え、蝙蝠のような翼を持つ悪魔のような人型だった。

 期せずして、角と蝙蝠のような翼とを持つ者同士の対峙となる。

 相手が人型になったことで、ココロは「ひとを殴る」という行為を感覚的に喚起させられることとなった。

 ココロの動きが止まった理由を魔物は知らない。しかしその機会を逃さなかった。

 勝ち目が無いと思った悪魔は、一気に距離を詰める。

 突き出された鋭い爪の攻撃をかわし、腹を狙った攻撃が外れたのだとココロはそう思った。そのせいで反応が遅れてしまった。実際には狙われたのは翼だった。

 かろうじて直撃は避けるが、天衣の翼の一部が弾ける。

 それを確認するや、悪魔は一気に上空へと高度をとった。

 ココロは後を追おうとするが、翼が機能不全を起こしてすぐに落ちてしまう。それを勇花が咄嗟に受け止めた。

「すまない」

 千平たちの視線の先で、悪魔は上空から世界をぐるりと見渡した。

 その表情は遠過ぎて千平には見えなかった。

 やがて向きを定め、魔物は降下し始めた。

「まさか……」

 愕然として見つめるココロたちの視線の先、悪魔が向かったのは天慧樹だった。

 その最も色づいている実のあたりへ。

「天衣の使い方といい、やつは感覚でわかるのか?」

 ココロはもう一度飛べるか試そうとして軽く浮いてみるが、やはりバランスを崩しておぼつかない。

「このままでは……」

 焦燥感を露わにつぶやくココロ。

 天衣がボロボロの勇花が飛ぼうとすると、ココロが彼女の腕を掴んだ。

「お前は行くな。そんな状態では無理だ」

「でも……!」

「私たちに任せなさい!!」

 割り込んできたのはミコナだった。

 めずらしく眠気をあまり感じていない様子で真剣な顔のクナイがそばにいる。イヌミもまたふたりについて来ていた。

「ここに来る途中、怪我してる魔族たちを治したりしてたから遅くなったのよ。あいつをほっとくわけにはいかないんでしょ!?」

 怒りに燃えた瞳で魔物の方を見るミコナを、千平も勇花もココロも意外さを含んだ驚きの目で見つめる。

 彼らは置いて行かれた後、勇花たちが消えた方向へ進むことを選んだのだった。

 イヌミの嗅覚を頼りに道を選び、そして道すがら出会った怪我をしている魔族を治療もしつつ、彼らはようやくここへと辿りついた。

「この世界はわたしのものよ!! 滅茶苦茶にするなんて、絶対にゆるさないんだから!!」

 千平たちは納得して肩を落とした。

「展来編現!!」

「……展来編現」

 ミコナの腕輪の結晶、クナイの指輪の結晶がそれぞれに光る。

 ミコナは白を主体に水色を配し、金色で装飾されたドレスタイプの天衣だった。腰背部に巨大なリボンがあり、そこから光の翼が展開している。腰に佩いていた剣はどういうわけか、身の丈ほどの巨大な斧へと姿を変えていた。

 クナイは白銀の兜にガントレットにブーツと、それらは甲冑を思わせるごついデザインでありながら上腕、腿などは剥き出しだ。加えて胴はぴったりとした群青色のウェットスーツのような構造で、非常にアンバランスな見た目だった。右手に巨大なランス、左手には巨大な盾を持つ。彼女の背からは金属質の猛禽類のような翼が二対生えていた。


 滅びの魔物を召喚してしまった後、勇花やココロたちを通路で見送ったミコナは呆然としていた。

 勇花が英雄召喚の儀を使うなと言っていたのは魔王たちのためではなく、人間たちのためでもあり、ミコナのためでもあったのだ。。

 千平の手を借りて壁に背中を預けて床に座り込んだイヌミは、苦しそうな表情だった。彼女が傷つけられたのは、ミコナが勇花の言うことを聞かなかったからだ。

「わたしのせいで……。──クナイ!」

 クナイの名前を叫んで探しに行こうと踵を返したミコナは、いつの間にか後ろに佇んでいた当人にぶつかった。

「……姫」

「クナイ、お願い、治してあげて! わたしの理力を使っていいから!」

 クナイはきびきびとした動作でイヌミの傍らに跪いて回復理術を使い始めた。

「礼を言うワン」

「……いい。お世話になってるし」

 無表情なクナイの言葉にイヌミが微笑み、ミコナはクナイの手に自分の手をそえて理力を注ぎ込む。

 やがて治療が終わらないうちにイヌミは立ちあがった。

「……まだ」

「ありがとうワン。もう、行かないとだワン」

 まだ痛みが完全にひいていないのだろうことが表情からわかる。それでもイヌミは歩きだそうとした。

「なんで、命令もされてないのに、行こうとするのよ! また怪我をするかもしれないし、死ぬかもしれないのに!」

 感情的に叫んだミコナを、イヌミは不思議そうに見返して足を止めた。クナイが治療を再開する。

「ココロ様が大好きだからワン。大切な人を守りたいのは当たり前ワン?」

 これを聞いたミコナは涙を浮かべた。自分と人間の関係を考えると、まるで自分が否定されているような気がした。

「大切なのは、魔王だからでしょ? あんたたちの支配者だからでしょ?」

 イヌミは眉を寄せた。

「ちがうワン。魔王じゃなくたって、偉くなくたって、みんなをしあわせにしたい、笑顔にしたいとがんばってる人は、大好きになるワン。ココロ様が魔王じゃなくたって、私はココロ様の言うことを聞きたいワン。守りたいワン。だから、そんながココロ様が支配者で、私はしあわせなんだワン」

 まるで当たり前に語られた言葉に、ミコナは愕然とした。

 ココロが支配者じゃなくたって、言うことを聞きたい。

 ミコナは街で色々な民に食べ物などを持ち寄られて困っていたココロを思い出した。あれは命令されたわけではなく、民がみんな自分の意志で行なっていたことだ。

 本当に民はココロのことが好きで、それは彼女がみんなのしあわせのために仕事をしているからで。きっと彼らもまた、イヌミが言うように、何かをココロに言われたら、よろこんで従うのだろう。ココロが支配者ではなくて、それが命令ではなかったとしても。

 ミコナは翻って、自分のしてきたことを思う。大抵の場合、自分のために、相手がいやがることでも命令をしてやらせてきた。だからミコナは人間に好かれておらず、彼女たちがそれを選べる状況では煙たがられ、さけられた。もしも自分が姫ではなかったらと考え、自らのしてきたことを振りかえると、それは当たり前なのだ。

 ココロが支配者でなくなったとしても、ココロに何かあれば、きっと民は彼女を助ける。

 では、ミコナが支配者でなくなったら?

 すでに彼女は、昼食の際にその断片を突きつけられた。そうなれば、自分だって笑顔でいられないのだ。

 もしもミコナが、人間たちが笑顔で暮らせるようにがんばっていたらという実例が、きっとココロだ。

 相手が笑顔なら自分も笑顔になれて、そしてきっと自分だけの時よりも気持ちよく笑える。

 ミコナは口元を引き結んだ。

「魔王になんて、負けない!」

 彼女の突然の宣言に、イヌミとクナイはおどろいた。

「絶対、わたしのほうがみんなを幸せにして、もっと好かれる支配者になるんだから!!」

 決意を胸に、人間の姫は走りだしたのだった。


 天衣を纏ったミコナはココロを睨み、突き放すように言う。

「魔王、あんたはどうしたいの?」

 問われたココロはにやりと笑った。

「我は支配者だからな。民と国を守るが我が努めよ」

 ミコナもまたにやりと笑い、ココロに右側から肩を貸す。反対側からはクナイが無言で支えた。勇花が不安を露わにした表情で、先程投擲された剣を抜いてココロに差し出した。

「礼を言う」

 ミコナがふと思いついてココロに言う。

「これで、今までのおごりのぶんはチャラね」

「あれを呼んだのはお前だろう。本来、ひとりでかたづけてほしいところだ」

 魔王の指摘に姫は真っ赤になった。

 その時、天慧樹の中ほどで闇が弾けた。

 角度的に魔物の姿が見えなかった位置に、目に見えて巨大なドラゴンが現れる。

 光沢を帯びる黒の甲殻に身を包むその魔物は、紅の眼差しで世界を睥睨した。

 ココロたちのところへ歩み寄っていた三魔騎士が、一様にその魔物に愕然とした様子で視線を送る。

「……あれも、魔王さま……? ピョン?」

 呆然としてウサノがつぶやいた。

 察したようにココロが苦渋に表情を歪めて推論を語る。

「やはりそうか……。色づいていた果実、あの時見たよりも少しは成熟が進行していただろう。それを食べ、候補者どころか、尋常とは異なる存在であれば、『魔王』としての性質を獲得していてもおかしくない」

「我々は、あれと戦えませんワン」

 申し訳なさげのイヌミの発言に、ココロはうなずいた。

「構わん。我の仕事だ」

 千平と勇花は顔を見合わせていた。「魔王」が「魔族」の上に君臨するというのは、やはり理性を超えて刻まれたルールなのか。

 ココロはミコナの顔を見る。

「念のため確認するが……」

「この世界はわたしのものなのに、気にくわないやつと戦えないわけないじゃない」

 不安は軽く一蹴され、ココロは苦笑した。人間は魔王に逆らえる。それは時に、味方としての強みにもなるのだ。

「では、行くか」

「行くわよ!」

 ココロと彼女を支えるミコナ、クナイはドラゴンに向かって飛び立った。


 悠然と世界を見渡したドラゴンは、あらためて飛び立とうかというときに、自分の方へと向かってくる小さな者たちを発見した。

 まん中には、先程の強敵であるココロ。

 ミコナとクナイは勢いをつけた後、ココロを押し出すように投下した。その後で、ふたりも加速して後を追う。

 それぞれの勢いをつけた攻撃を、ドラゴンはその翼と前肢で受け止めた。

 弾かれた三人はそれぞれに体勢を整えて着地する。

 巨体の硬質の甲殻には微かにヒビが入ったのみだった。

「信じられない!! あれも天衣なの!?」

「効いていないわけではない。どうにかするしかあるまい」

「……めんどうだけど、そう」

 ぼんやりした発言から想像つかない俊敏さで、クナイが突進した。鼓舞されるようにミコナも続き、ココロもまた格闘を始める。

 ドラゴンの巨体のパワーこそ圧倒的で甲殻の頑強さも尋常ではないが、三人は数の利を生かして相手を翻弄する。

 それぞれに連携し、時に他者をクナイが盾から展開する理力で守り、隙を見てミコナが斧を大きくふりかぶった渾身の一撃を当てる。三人は持久戦を有利に運んでいた。ただし、攻撃の成功頻度の話で、相手の見た目にはあまり手ごたえが感じられない。

 ココロは連戦による消耗と疲労で動きが鈍り始めていた。前肢による薙ぎ払いを回避し損ね、天衣がほとんど弾けてバランスを崩す。

 さらにそこにとどめを重ねるべくドラゴンが振り被る。

 ミコナとクナイは位置、姿勢的にフォローできる状態になかった。

 攻撃が繰り出され、ココロが反射的に硬直する。

 瞬間、彼女を斜め上から急降下した影がかっさらった。

 それは千平だった。背中に飛行機の羽根にも似た硬質の翼がある天衣をまとっている。

 彼は離れたところへとココロを降ろした。

「ココロは、ここで待っていて。君には君の役割があるから」

「しかし……」

「俺とみんなを信じて、待ってよ。君は魔王だけど、みんなが従うのはそれだけじゃない。君が魔王でよかったって魔族はみんな思ってるから、だからたぶん君は勝てる。信じて、待っててよ」

 笑顔で言われ、ココロは押し黙った。うろたえ、悩み、それでも理性は納得しない。

「だが、魔族では相手になるまい。そもそもやつに刃向かうことが……」

「うん、それもわかった上だから。剣は借りてくよ」

 微笑みのままで返され、吹っ切れたようにココロも微笑んで剣を差し出した。

「よかろう。くるしゅうない。では、任せるぞ」

「うん。三魔騎士にお願いして天衣を借りてきて、逆に頼まれもしたからね」

 千平が今纏っているのはウサノから借りた天衣だ。

 イヌミの時と同じく所有者の時と形状が異なり、ウサノの場合頭部についているのと同じような機能を持つらしい翼が背中についている。

 彼は手に持ったイヌミのチョーカーとネコエの脚輪を見た。それぞれの結晶が弱々しく光っている。

 三人には無理を言って、今ある理力を全部注ぎ込んでもらってきた。結果、三人とも身動きできないぐらいに消耗してしまった。

 ミコナたちの戦いを見て、千平は逡巡する。

 無理に理力を絞り出してもらったために、今彼が纏っているものは、天衣の形は保っているもののどうにも出力はおぼつかず、本来の機能を出し切れてはいないようだった。ともすれば今にもほどけてしまいそうにすら思える。

 おそらくほかのふたつも同様だろう。使い捨てるように続けて使っても、そう長く持つとは思えない。

「天衣は、服を着ていると同化する。本来は、装着者の理力で稼働する……。俺の理力で使えるようになっても、それは一回で終わりだよね……」

 千平は天衣の性質を思い出し、思索を巡らせる。

 彼は迷った末、真剣な顔でネコエの脚輪を掲げた。

 ココロが目を見開く。

「展来編現!」

 展開した天衣がすでに纏っているウサノのそれと融合し、形を変える。

「反発とかしたらどうしようかと思った……」

 心底安心したように千平は溜息をついた。表情をあらため、イヌミのチョーカーを掲げる。

「展来編現!」

 さらに天衣が展開され、ふたたび天衣は姿を変えた。

 全身左右が紅と蒼の色を持ち、背には翼、全身各所に透き通る結晶。三魔騎士の天衣が融合したことをたしかに思わせる意匠。ココロの天衣の影響を受けている剣もまた姿を変えていた。

「なんという発想をする……」

 感嘆するココロに、千平は気まずそうな顔になる。

「漫画アニメばかり見るなって言う人もいたけど、人生、何が役に立つかはわからないよね」

 何を言われたかわからないココロを置いて、千平はドラゴンへ向けて突進した。


 ミコナとクナイはふたりきりながら、相手の強さを考えると善戦していた。

 戦いについては一対一を前提とした世界だが、クナイは普段から常にミコナのわがままに振りまわされているため、彼女の思考に合わせるのは慣れている。ふたりは阿吽の呼吸で矛と盾の役割をこなしていた。

 疲れが蓄積していたミコナがバランスを崩した。

 ドラゴンがそこへ爪を振り降ろす。

 諦めて身構えるミコナの前を斜めに横切り、千平が現れた。彼女をかばうつもりで目測を誤って行きすぎたように見える。

「せーのっ!!」

 構えは、剣術ではなかった。千平は、バットのようにそれを振り被っていた。どうせ剣の心得は無い。どうせ刃で切るのではなく、理力の衝突が威力を生む。ならば慣れた動作の方がいい。そう思った。彼自身、そう野球に馴染みがあるわけではないが、イメージとしては掴みやすく、剣よりはまだ経験がある。

 混じり合った天衣はそれぞれが弱々しかったため、合わさってようやくイヌミの天衣を借りたときの、おそらく通常の強さ程度になっていると千平は感じていた。

「俺の理力……、俺の理力……」

 天衣は本来、装着者の理力で動かすものだ。三魔騎士のものは専用で、起動キーを兼ねるように彼らの理力も注ぎ込んでもらったが、それとは別に千平自身の理力もおそらくあるはずなのだ。

 勇花も天衣を三魔騎士などと同レベルの強さで使いこなしていた。そしてもうひとりの滅びの魔物がこれだ。ココロを超える力の大きさに、他と一線を画する柔軟さ。ならば同様に召喚された千平だって、三魔騎士に近いぐらいの理力があってもおかしくはない。

 自分の中から天衣に力を送り込む感覚は、イヌミの天衣を借りたときに掴みかけていた。

 自分の中心から、その力を全身に、天衣の隅々まで。

 呼応して膨れ上がったそれは、千平の予想以上だった。

 天衣が変形し、その全体が光を放つ。

繰り出した腕ごと光をまとった剣に打ち返され、ドラゴンは戸惑った。

「うわ、堅すぎでしょ……」

 千平は思わず漏らした。

 威力こそすさまじかったのだが、相手がわるすぎたと言える。これまでの戦いを考えれば相手の手に生じた罅は大したものだったが、繰り返して勝てるかというと、そうは思えなかった。

 ミコナもまた、相手の損傷の軽度さに呆れ、諦めたような顔になっていた。

「勝てると思う?」

 訊かれた千平は力なく笑う。

「無理かな……」

「無理」

 何を感じているか表情からわからないクナイも完全に同意した。

 千平はミコナたちに笑いかける。

「逃げてもいいよ」

「ぜっったいにいや!!」

 ミコナは憤激して答えた。

 クナイは無言で構える。それが意志表示だろう。


 千平は、ミコナよりも攻撃力もあったろうが、援護を主体としていた。

 炎を時に目くらましにし、氷で相手の各所の動きを阻害し。

 ネコエの天衣の能力は、使いこなすのになかなか熟練がいるようだった。そもそもネコエがした失敗を繰り返してもしょうがないので分身が使えないのは構わないとして、姿を消して時折死角から攻撃を試みることは効果的だった。一番威力のある一撃がどこから来るかわからない──それも今の千平は空を飛ぶ──ので、ドラゴンは警戒する範囲を広くとらざるをえず、ミコナとクナイへの注意は散漫になる。

 さらに、ネコエの天衣の能力が光学的な操作らしいことを理解した千平は、ドラゴンから見たミコナとクナイの位置を時折誤認させ、空振りを誘発することに成功していた。蜃気楼の性質の要領だ。可視光線が届く角度を変化させるのである。自身の分身を作りだすよりも、これは遥かに容易だった。

 空振りした攻撃が足場を叩いて強い衝撃で振動とひび割れを起こす。

 援護ばかりで千平が積極的に攻撃しないせいでかえって戦いづらくなっているとミコナは受け取っていた。

「センペー、真面目に戦いなさいよ!!」

 疲れ切った彼女は不満をぶちまけた。

 彼女の指摘は一面正しい。千平は、時々攻撃していたものの、それはあくまで特に強烈な一撃を警戒させるための頻度に留めている。攻撃回数を増やそうと思えばできないわけではないのだ。

 そんな時、ついに、受けた強烈な一撃でクナイの盾が砕け散って彼女は吹き飛ばされた。転がった先で天衣が弾ける。

「クナイ!?」

 気をとられたミコナも立て続けに攻撃を喰らい、吹き飛ばされて天衣が消失する。

 天衣のあちこちが壊れかけていた千平は、ふたりの安否を確認すべくそちらを見た。そしてほっとしたように溜息をつく。

「どうにか間に合った、かな……?」

 金色のどらごんが一頭、背に天衣をまとったマリスを乗せてこちらへ飛んで来ていた。

 千平の戦いは、始めから時間を稼ぐためのものだったのだ。

 何を察したものか、ドラゴンは目の前の千平を無視して飛び立った。

「まさか!?」

 千平はすぐに後を追う。

 どらごんを狙った一撃を、千平は自身を盾にして防いだ。

「センペーさん!?」

 マリスが蒼白になる。

「いいから、ココロに!!」

 両腕が剥き出しになって持ちこたえた千平に、マリスは泣きそうな顔で口元を引き結んで応じる。

「はい!!」


 上空では千平が、日光を収束、屈折させてドラゴンの目に当てるという地味ながら強烈な足止めをしている。

 ほとんど自由落下したどらごんが足場につく前にマリスは背から落下した。衝撃で、なんとか形を保っていた彼女の天衣が弾ける。マリスは駆け寄ってきたココロにペンダントを差し出した。

 その天意結晶は、虹色の眩い光を宿していた。

 ココロは紫の瞳にその色を映し出しながら、呆然と口を開く。

「これは……」

「勇者の天衣です。わたしたち、みんなの理力を込めました。センペーさんが思いついたんです」

「みんな?」

 思わず、ココロは城の方を見降ろした。避難を言い渡したはずなのに、どういうわけか、街から集まったらしい人だかりが城の中庭にできている。


 ココロとミコナ、クナイたちから遅れて勇花が飛び立とうとした時、今度は千平が彼女を引きとめた。彼女はとても戦える状態には見えない。

「センペーさん!!」

 突然呼ばれて彼が振りかえると、天衣をまとったマリスが街の方から駆けて来ていた。

 間を置いて、門のあたりで様子を見ていたらしい天衣を纏った者たちがぞろぞろとついてくる。城にいた者たちだけという数ではない。天衣を纏える街の住人なども加わっているようだ。

「どうしたの? ココロは逃げろって言ったのに」

 おどろいて尋ねた千平に、マリスは不安そうに答える。

「わかっています。だけど、魔王様があんな言いかたをするってことは、きっとすごくあぶない相手だろうと思って……」

「だから、逃げないと」

「いえ、だからあたしたち、みんなで相談したんです。魔王様が負けてしまうかもしれないし、もしかしたら死んじゃうかもしれない。そしたらあたしたちもどうなるかわからないし……」

 俯いて涙を浮かべたマリスは、自分の発言の未来を具体的に想像したように身ぶるいをした。追いついてマリスのすぐ後ろに来た者たちも、同様に沈鬱な顔になる。

「だから!」

 マリスは顔を上げた。

「だから、みんなで魔王様の力になろうって、そうきめたんです!! わたしたちが助かっても魔王様がいなくなるのはやっぱりいやだし、すこしでも力になりたい、戦おうって」

 後ろの者たちもまた、怖いのに我慢するこどものように、こくこくと頷く。

 千平は呆気にとられて固まった後、ココロの発言を思い出した。「魔王の命令に魔族は逆らえない」。

「君たちは、あそこにいるのが新しい魔王かもしれないのはわかる?」

 マリスたちは、一度天慧樹の中ほどを見た。

 マリスは落ち込んだ顔で頷く。

「わかります。けれどわたしは、ココロ様が好きです。ココロ様が魔王でいてくれる方がいいです!!」

 他の魔族たちも「わたしも」「わたしも」と続く。

 千平は失笑してしまった。「魔王の命令に魔族は逆らえない」。それは先程の三魔騎士のドラゴンとは「戦えない」という言動からも事実なのだろう。システム的に組み込まれた、逆らえない本能的な何か。

にも関わらず、ココロは被支配者の意志を尊重し、自主的に支持される道を選んできたのだ。いくらでも、それこそミコナよりもひどい独裁だってできたのだろうに。とんだ暴君だ。

 こんな状況で笑った千平に、マリスたちは不思議そうな顔をする。

 彼は気を取り直した。自分にできることを考える。滅びの魔物にしかできない役割だってあるのだ。

「君たちは、もしも戦えるなら、あの化け物と戦いたいんだね?」

 真顔での千平の問いに、マリスたちは真剣な様子で頷く。

 千平は、自分の発言が彼女たちにとってひどい恐怖を引き起こすのを知った上で、だからこそあえて脅かすように問う。

「君たちだって死ぬかもしれないんだよ。あの化け物は、攻撃されて天衣が外れた君たちだって攻撃して、斬り裂いたり、殴り殺したりするかもしれないんだ」

 武器庫での一件を思い出しながら紡いだ彼の言葉に、魔族たちは慄いた。

 やはり皆青くなり、意識を失いかける者を慌てて近くの者が支える。

 マリスは先ほどよりも涙を溜め、今にもこぼしそうな顔になっていた。

「それでも! それでもあたしは手伝いたいです! ココロ様を助けたい!!」

 恐怖を受け止めて乗り越えた彼女の叫びに、他の魔族たちも各々に頷いたり同意の声を上げたりする。

 千平は思わず口の端にわずかに笑みを浮かべた。

 魔族が魔王に従わなければならないとすれば、本来、新しい魔王に従うか、少なくとも中立となるのが適切ではないだろうか。

 いずれにせよ、新しい魔王は順次産まれ来るのなら、魔王の命令に背いてまで魔族が命を賭けて守る必要はない。

 それでも彼らは命を賭けてココロの味方となることを望む。魔王の命令に背いてまで。

 システムにあぐらをかかず、利用することなく、そして自らを魔王という立場に置いたシステムを凌駕する。

 これがココロの統治の結果だ。だが、ココロはそれが特別だとか、すごいことだという自覚はないだろう。

「白井さん、天衣を解いて、できるだけ理力を込めてペンダントを貸してもらえる?」

 勇花は戸惑いながらも素直に応じる。

「マリスちゃん、みんなでこれを順に回して、できる限りみんなの理力と思いを込めて、後で届けて。ココロに」

 マリスは頷いた。

 千平は三魔騎士に向き直った。

「イヌミさん、ウサノさん、ネコエさん、無理を言ってわるいけど、天衣に理力を込めて貸してもらえる? 俺は時間を稼いでくるから」

「こちらこそ、お願いするワン」

「戦えなくてごめんピョン」

「ココロ様をよろしくニャ」

 三者三様に応え、彼らは本当に動けなくなるまで理力を込めた。

 そうして、集まった魔族たちの間でリレーが始まっているのを見届けた千平は飛び立ったのだった。


 そんなことをマリスが伝える時間は無い。それでも、マリスと千平の言動、中庭の様子から、ココロは大凡を理解する。

「人間まで協力してくれました! みんなは、あの魔物じゃなくてココロ様が魔王でいることを望んでいます! だから!!」

 ココロは呆けたようにペンダントを見つめた後、口の端を吊り上げた。

「望んでいる、か」

 千平の発言を思い出す。「君は魔王だけど、みんなが従うのはそれだけじゃない。君が魔王でよかったって魔族はみんな思ってるから、だからたぶん君は勝てる」。

「そうあってほしいとは思っていたし、そうあるようにとしてきたつもりだが、そう言えば、きちんと確認したことなど無かったな」

 ココロはペンダントを右手で掴み、涙を浮かべるマリスを左手で撫でた。

「民に望まれては、支配者としては勝つしかあるまい」

「はい!」

 にやりと笑ったココロに、涙をこぼしていたマリスも思わず笑顔で応えた。


 空中では、ついに千平が足止めをし切れずにとどめを受けた。

 天衣が弾けてパンツ一枚になり、高所から真っ逆さまに落下する。

 それをココロがお姫様だっこで受け止めた。

「大儀だったな」

「くるしゅうない」

 それだけは天衣と関係が無かったために残っていたココロの剣を差し出しながら、しれっとして千平が言うと、ココロは吹き出した。

 足場へと彼を降ろし、剣を受け取りながら言う。

「まあ、見ておれ。我にお前やユーカ、民がもたらしたもの」

 彼女はあらためて目の前に降りてくるドラゴンを睨みつける。その巨体の各所には小さな亀裂があるものの、ほとんどダメージは無いように見える。

 ほとんど残っていないボロボロの天衣を纏うココロは左手のペンダントを掲げた。

「展来編現!」

 ココロ自身の天衣に強烈な虹色の光がまとわりつく。

 彼女の身体には協力した魔族たち、人間たちの理力が流れ込み、心には彼らの思いが流れ込んできた。

 激烈な熱のようなものが全身隅々に行きわたる、しかし心地よいその感触に、彼女は瞼を閉じる。

「そうか……。皆、本当に望んでいてくれたのだな……」

 白い頬を、透明な涙が伝う。

 あらためて瞼を上げた彼女の身を包んでいるのは、ところどころが虹色に光を弾く、白いドレスのような戦装束だった。その背の翼は、純白の鳥の羽根。剣も形が変わっている。

 今の彼女は、まるで戦いに赴く天使のようだった。

 天使に狙いを定め、ドラゴンが急降下する。

 交錯の直前、ココロが大上段に構えた剣が光を放ち、その切っ先は天を衝いた。

 勢い余ったドラゴンは、剣を振り降ろしたココロを遥かに過ぎて、足場の端ぎりぎりで踏みとどまった。あまりの衝撃に、足場が砕け、揺らぎ、端が手すりごと崩れ落ちる。

 ゆっくりと踵を返したココロの天衣の胴体には、軽く爪の痕が残っていた。その天衣が弾ける。すべてを出し切ったココロはふらつき、駆け寄ったマリスに支えられた。

 皆が見守る中、ドラゴンの正中線がゆっくりと光り、その身体が爆散した。

「これが我が民の力、つまり我の力よ」

 勝ち誇ったような顔で満足そうに放たれたココロの言葉に、思わず千平は苦笑する。どこかミコナの発言に似て、けれどその意味はきっとかなり違う。

 ドラゴンの中から現れた男の白目は、果実を食べた影響によってか深紅に染まっていた。天衣を失ったことに驚愕してふらつきながらも、まだ戦意をたぎらせ、力を宿す眼差しでココロたちを睨む。

 誰もかれもが天衣を持たず消耗している今、あるいは数で劣るその滅びの魔物が一番有利なのかもしれなかった。

「ココロ」

 不意にやわらかく呼びかけられ、ココロは千平を見た。

 パンツ一枚の彼は、うれしそうにほほ笑んでいた。

「お疲れ様。ここからは、俺の役目だから。今までありがとう。これからも、みんなをしあわせにしてあげてね」

 にっこりと笑った彼を、ココロは呆けたように見返した。

「何を……」

 問いかけを最後まで聞かず、千平は走りだした。

 絶対に、あれを野放しにしてはいけない。

 今が最大のチャンスで、自分にしかできず、自分がしなければならない。

 自分の命は、本当は失われていた。ココロに二度目の生を与えられ、彼女と彼女の大切な国、素敵な民たちを守るために使うのならば、惜しくなどない。彼らを脅かす滅びの魔物を()()()()()()この世界から葬れるならば、言うことはない。

 足場の端に立つアレに全力でタックルをすれば、ただそれだけで事足りる。

「やめろ!!」

 意図を察したココロの叫びがちくりと胸を刺すが、予想できたことであり、覚悟はすんでいる。千平は速度を緩めない。

 しかし、千平は自分で思っていた以上に甘かった。

 ドラゴンの巨体を交え、超人的な身体能力を持つ者たちが戦いを繰り広げた。何度も足踏みや攻撃の打撃の巻き添えを喰らっていた足場。最後に勢い余った巨体の着地を受け止めたそれ。亀裂は縦横に走り、不安定になっていた。

 だからこそ、崩れて揺れ動く足場で男がタックルをかわすことはむずかしいと思われた。

 千平が男の近くに達したとき、その衝撃でふたりの下の足場が崩壊した。

 咄嗟にすぐそばの強固な部分に跳び移った千平は、反射的に男に向かって手を伸ばしていた。そのまま落下するところだった男の手を掴む。

 それは完全に無意識の行動で、千平自身が混乱していた。しかし今更手を放す決心はつかない。

 男もまた、自分を殺そうとしていたのだろう相手の行動に驚いていた。しかしすぐに笑みを浮かべる。

男は近くの比較的丈夫そうな突起に左手を伸ばした。それを掴み、足元のわずかなふくらみにつま先をかけ。そして彼は右手で思い切り千平の身体を引いた。

 その衝撃で、うつ伏せでどうにか踏ん張っていた千平の身体の下も崩れ、彼はあっさりと空中へ投げ出された。

 それを見送って満足そうな男が左手で掴む突起は、そっと登るだけならば問題無い程度の強度は持っていた。しかし千平の身体を引いた反動で、構造内部に生じていた亀裂が広がり、それは剥がれ落ちた。

 滅びの魔物たちは、天慧樹の根元、大地に大きく裂けた奈落の底へと墜ちていった。




エピローグ:『滅びの魔物がもたらしたもの』あるいは……

 

 ココロは執務室にいた。書類の処理に一区切りをつける。

「我は今日はここまでにしておく。お前たちも、適当に切り上げていいぞ」

 秘書のふたりは顔をあげて頷いた。悩んだりためらったりすることなく、早速後片付けを始める。

 ココロの執務机のそばに新たに机を設置してもらった勇花は、手元の書類を真剣に読み込んでいた。

「ユーカ、今日もこれから、集団戦の検討に付き合ってもらってもいいか」

 勇花は顔を上げ、呆れたように笑った。

「うん。かまわないよ。ほんと真面目だよね」

 ココロはにやりと応じる。

「なに、支配は我の趣味だからな」

 今、ふたりは外にいる存在の可能性に備えた、新たな防備体制を構築している。

 この星の大きさははっきりとはわからない。つまり今この国と接触が無い危険な国が無いとも限らない。あるいはココロとミコナという複数が召喚理術を受け継いでいたように、異世界からの存在がまた現れる可能性もある。ゆえにココロは、彼女たちの常識の外に備えられる勇花を助言者として活用している。


 ココロと勇花は道すがら、中庭の石碑の元へと辿りついた。

「ユーカにとってはどのような存在だったのか、またあらためて聞きたいものではあるが、やはり我は感謝しているのだ。あれのお陰で我は民の気持ちを直接確認する機会を得た。これまでに想定したこともなかった危機が実在するのだと思い知らせてくれた。あらたな発想や概念を、可能性を、その事態を与えることで現に示してくれた。民に犠牲者が出なかったから言えることかもしれぬ。だが、やはり我は感謝している」

 石碑に向け、ココロは目をつぶって手を合わせた。

 勇花はさびしそうに頷いて、それに倣う。

「うん」

 ココロは少しあわてたように勇花に向き直った。

「もちろん、お前にも感謝しているぞ。我が民、我が所有物は我にとって家族のようなものだからな。失いたくはないのだ。救ってくれたお前には、とても感謝している」

 勇花はくすりと笑った。

「わかってるよ? 言われなくても、よーくわかってる」

「そ、そうか……」

 ココロはほっとしていた。

 勇花がそんな様子に笑みを深め、ココロは気まずそうになる。

「ココロー! 来たわよー!!」

 騒々しく声をあげたのはミコナだった。

 三魔騎士とクナイも一緒にいる。

「勝った方に、負けた方が奢りよ!!」

 ココロを頭上高くから見下ろしながらミコナは宣言した。

「姫、まだ自分では稼いでないんじゃなかった?」

 勇花の指摘に、彼女は膨れる。

「クナイに立て替えてもらう」

「……そういうことばっかり覚えて」

 勇花は呆れるが、クナイに異論は無いようだった。保護者を自認しているのか、諦観しているのか、不満は無いのか、面倒くさいのか。あるいはミコナを信じているのだろうか。

 ココロはふむと思案する。

「今日は三魔騎士と我が組んでいいのか?」

「うん。センペーとユーカはもらうから!!」

 千平は溜息をつきながらミコナを肩車から降ろそうとした。

「まだいいじゃない!!」

「いや、本気で言ってるの? けっこうきついんだけど」

 ミコナは渋々という感じで地面に降りた。

 勇花がココロの手伝いなどばかりしていることに不満を感じていたミコナは、千平が比較的ヒマそうなことに気づいて、逆にいいように使うことを思いついた。元々雑用程度が担当だったし、勇花を占有しがちでミコナに不満を抱かせていたことが気になっていたココロは千平の意志に任せた。同じく自分のありようから後ろめたさがあった勇花もまたちょうどいいとも思っていた。

 結果、つよく反論できない千平は最近ミコナにいいように使われており、勇花もその様子を楽しそうに見ていたりする。ココロと勇花としては、また変なことをしないようにというお目付け役であり保護者であり、ガス抜き要員として見ているのだ。

 千平はうすうす役割を自覚しており、それもあって断るに断れないことが多い。


 あの時、落下した千平は、死を覚悟した。それよりも自分だけが死んで相手が生き残ることでもたらされる未来を想定して恐怖を抱いた。しかし彼の視線の先、相手も落ち始めたことにほっとして。一面よかったと複雑な思いを抱いた彼はしかし死ななかった。

 彼を救ったのは、ぺがさすに乗った勇花だった。もうひとりを救う余裕は無かった。

 視線の先、落ちていく男の姿を見届けた千平の心は、理性とは関係無く痛みに疼いた。 きっとこれが最善なのだと思いながら、正しいことだとは思えなかった。

 ただ、もうどうしようもないのだという言い訳にすがって彼は見届けたのだった。


 勇花の駆るぺがさすでココロたちの元へと降り立った時、ココロはぐしゃぐしゃな顔で号泣し、そして千平の無事を喜んでいた。

 普段の不敵な様子からは想像できない取り乱しように千平は戸惑った。

「お前はっ! 我の所有物なのだから、自ら勝手に死ぬなど許されんのだぞ!」

 縋りつかれ、無茶苦茶な理屈に千平は閉口した。

「でも、俺は滅びの魔物だから……」

 千平は彼女の民ではない。そして滅びの魔物だから。ココロの大切な民を守るためにいなくなることが最善だと思っていた。

「そんなもの! お前とは別の何かが昔の誰かに与えられた呼称だ! ありようで付けられたものなのならば、お前には我が違う名を与えてやる!! 例えば……そう、救いの──」

 千平は困ったように首を振って微笑んだ。そして心の中で噛みしめる。彼女は千平がいることを認めてくれる。望んでくれる。彼はここにいてもいいのだ。

「ありがとう。俺が滅びの魔物ではないと言ってもらえるのなら、それでじゅうぶんだよ」

「そ、そうか……」

 ココロは少し落ち着き、しゃくりあげた。

 千平は勇花を見た。彼女は「勇者」だ。

「そう。俺は千平。黒野千平。それでいい。立派な名前をもらって、行動と一致しなかったりするのも恥ずかしいし、どんな存在かは俺が、これからの行動で判断してもらうよ」

「そうだな。……うむ」

 ココロは取り乱したことを恥じるように気を取り直しつつ、納得したようにうなずいた。

「では、これからも我の所有物として、よろしく頼むぞ、センペー」

 態度をあらため胸をえへんと張っての言葉に、千平と勇花は顔を見合わせた。

 千平は苦笑した後、微笑んだままうやうやしく礼をして応じる。

「よろこんで。わが魔王様」


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