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趣味・術符生成



「なるほど」


 薄い水色の瞳がきらりと光った。



「燃えますね」



 リド・ハーンという男を舐めてはいけない。



 見かけは中性的でふんわりとした柔和な空気をまとう青年だが、芯の部分は漢だ。


 そんなところを一瞬で見抜いてかっさらって伴侶にしたスカーレット・ラザノの野生の勘は賞賛に値する。




「バーナード・コール氏のお住まいはバジェス領のナヴィ湖の南岸のこのあたり…で、間違いないでしょうか」



 いつもの食堂で会議が始まった。



 サイモン・シエルがテーブルの上へ地図を広げ、コールに確認を促す。



「はい」


 指先で指し示しながらコールは頷き、補足説明をする。



「ここは実家の元家令の家なのですが、彼は現在この一帯を所有していて、軽い自給自足程度の半農半酪をしています」


「ということは、近隣に人目や民家はないと」


「そうです。一番近くでこのあたりに隣人が」



 とん、とコールが指を置くと、逆側の地点をシエルは指さす。



「わかりました。ということは、移転座標をここに指定しても大丈夫ということで?」


「はい。そこは果樹園の筈ですから」



「尚更良いですね。開けすぎるとうっかり誰かの目に留まる危険がありますから」


 あくまでも、極秘に行うというのが総意だ。


「わかりました。リド」


 シエルは顔を上げ、ハーンを呼ぶ。



「うん」



 ハーンは軽くうなずき、地図の上に手のひらより少し大きな紙を置き、真ん中に羽ペンのペン先を置いた。



「いくよ」



 言うなり、さらさらと書き込み始める。



「うわ・・・。こんなんなんだ」



 壁に背を預けて背後から様子を見ていたミカが感嘆の声を上げた。


 ハーンの白くて細い指先が中心点から途切れることなく細かな線を作り出す。


 それはまるでヘレナの編むボビンレースのように繊細なうえ緻密で美しい。



 そして。



「すんごい、執拗なんだね・・・」



 ひたすらくるくると紙の上で線が踊り続け、それはなかなか終わらない。


 紙を細い線で埋め尽くすことに執念を燃やしているようにも見える。



「はい。ここまで書けるのはこの国ではリドくらいでしょう。その分、間違いがないから安心ですよ」



「こんなに大変な術を即座にして頂けるなんて。なんてありがたい・・・」



 テーブルの向かいから作業を見つめるヘレナはネロを抱きしめて呟く。


 今まで魔導士が術符を書いているところを見たことがなく、相当な集中と気力を要するのだと目の当たりにし、

つい気軽に頼んでしまったことを反省した。



「ああ、気にしないでください。リドのこれはラザノ様と同じく、半ば趣味に近いので」



 シエルが言い終えたところでハーンの指が止まった。



「よし」



 ふっと息をつくと、親指と人差し指をぱちんと軽く鳴らす。


 その瞬間、小さな火花が散ってハーンの人差し指にすっと一筋の切り傷ができた。



「あ・・・っ」



 白い指に血がにじむのを見たヘレナは思わず声を上げる。



「大丈夫。いつものことです」



 いつの間にかヘレナの背後に回っていたシエルがネロごと両腕を前に回して抱きしめ、耳元にささやいた。



「そんな・・・」



 術に集中しているハーンはヘレナの動揺に気付かぬまま、術符の中心に一滴の血を落とし、それを爪の先で軽く伸ばしながら何かを描いた。



 そのさまを見ているだけで血の気が引いてしまったヘレナをシエルは即座に抱えて手近な椅子の上に腰を下ろした。



「あの・・・」


「もうすぐ終わります、それまでどうぞこのままで」



 しーと、あやすように囁かれ、口をつぐんだ。


 椅子に座るシエルの膝の上に横向きに座り、ローブの幅広い袖の中に包まれる。



「ええと・・・。はい」



 彼の両腕の力が意外に強く、そのまま素直に身体を預けた。


 シエルの身体は意外と大きくて、ヘレナはすっぽり埋まってしまう。



 じんわりと全体から伝わる彼の体温に戸惑うが、ヘレナの腕とシエルのローブに包まれたネロがなぜか、ピンと伸ばした前足を握ったり開いたりしながらごうごうと喉を鳴らしだす。


 ・・・とてもとてもご機嫌だ。



 そして、パールはのっそり近寄ってきて、ヘレナの膝に顎を乗せて目をつぶった。


 大型犬の温かな鼻息がヘレナの頬に届いてくすぐったい。



 魔導士と魔改造犬と魔改造猫の結界の中に閉じ込められているような。


 身体の中から妙に力がみなぎってきているような気がする。



 そもそも、この状況は何なのだろう。


 はたから見ておかしいのでは。



 思わずコールとミカを探したが、ハーンの作業に魅入られているのか二人ともちらりともこちらを見ようともしない。



「あれは署名であり封印のようなもので、術が完了したら血も止まります」


 つむじのあたりからシエルの柔らかな声が降ってきて我に返る。



「それでは・・・今まで頂いた術符も・・・」


 ハーンとラザノには数えきれないほどの術符を貰った。



「いえ、全ての術符に刻むのではなく・・・。そうですね、ものによります。今回は複数の人間を運ぶ移転術ですし、ヘレナ様もご一緒なので、ちょっと念には念を入れたかったのでしょう」



 説明の終わるころに、ハーンが指を紙から離した。



「うん。上出来」



 満足げに唇を上げ、すっと体を起こす。


 そして、もう一枚の白紙と重ね、両手の中でぴたりと合わせて呟いた。



「反転」



 すると、ハーンの合わせた手の中に閃光が走る。


 少し何かが焼けるような匂いがしたと感じていると、彼は二枚の紙の合わせ目をゆっくり剥がした。



「うん、これで行って帰ってこれますよ」



 右手に記入した術符、左手に重ねた方の紙札をつまんで見せてくれた。


 白紙だったはずの紙には、元の術符と左右対称の図柄が映っている。



「すごい・・・」



 何度目かわからない感嘆の声をヘレナはあげた。




「転移の往復術符です。これ、術式と柄がすっごく面白いんですよね。ああ、気持ちよかった・・・」



 水色の瞳を潤ませ、ハーンはほう、とため息をつく。


 真珠のような白い肌をうっすら染めて妙になまめかしい。



「・・・は?」



「すみません、このまま勢いに乗って、同じ座標であと数枚書いても良いですか?」



 右手に羽ペン、左手に白紙を握りしめて食い気味に提案する。



「ちゃっちゃとやればあっという間なので。ねえ、良いでしょう?」


 上目遣いにねだられて、「んんっ」とヘレナは色々飲み込む。



「まあ、あの・・・確かにあれば助かります・・・ね」



「ありがとうございます!十分。十分で三~四往復。使い心地もさらに改良してお作りしますね!」



 ハーンはどこまでもハーンだった。



 嬉々としてテーブルに伏せ、作業を再開した。




「・・・ちょっと、なんか淹れてくるわ」


「手伝います」



 ミカとコールはそそくさと厨房へ向かう。



「あ、えっと・・・」



 ヘレナも立とうとするが、ずっしりと固められて動けない。


 膝に乗ったパールの顎、腹から胸にはネロ、そして意外と固くて重いシエルの両腕。



「あの・・・」


「いい機会です。ちょっと今のうちに目を休めましょうか」


「いや、でも」


「しー。大丈夫。時間はまだたくさんあります」



 低い声が降り注ぐ。


 この声は反則だ。


 一切の反論を封じ込める。



「あ・・・」



 つむじに暖かなものが当たり、彼の滑らかな濃灰色の髪がひと房、ヘレナの頬を撫でる。



「・・・」



 瞼が、とてつもなく重い。



 すとんと、眠りの中に落とされてしまった。



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