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ホットケーキ会議


 まずはボウルの中で膨らんだ生地にバターミルクと一つまみの塩と重曹を入れてかき混ぜ、馴染んだところで火にくべて温まったスキレットにバターを落とし、油分が広がった上に玉杓子ひとすくい流し入れた。


 スキレットをゆすって丸く広がった生地からバターとそば粉の香ばしい香りが鼻をくすぐる。



「私はせっかちなので、小さく薄く作ります」



 ヘレナはコールに説明しながら表面が泡立ってきた方を軽く振って一回転させ、もう一方の生地の様子を見て、どんどん焼きあがったパンケーキを一つの大皿にどんどん積み重ねていく。


 そばではミカがコーヒーの支度をしながら、食事のための設営をしていた。



「慣れていますね」


 ヘレナとミカ。


 二人の間合いは絶妙だ。


 どちらも手際が良く、野外にもかかわらずあっという間にすべてが完了する。



「アタシらは食いしん坊だからね」


 農夫たちが着るような作業用の衣装に身を包み、無造作に髪を一つにくくった少女たちは笑いながらパンケーキを数枚積み重ねた上にざっくりメイプルシロップをかけたものをフォークと一緒に差し出した。



「ふわふわでアツアツのうちに召し上がれ。疲れがふっ飛ぶよ」


「・・・ありがとうございます。いただきます」



 横倒しの大きな丸太の一つに腰掛けて、コールはホットケーキを口に入れた。


 きめの粗さが逆にメイプルシロップをほどよく浸透させてじわっと甘さが口に広がる。


 絶妙な弾力とふわふわとした生地の口どけ、そしてそば粉と全粒粉ならではの素朴な力強さに驚く。



「・・・うまいな」


 近くの切り株に座って食べているクラークがぽつりと言った。



「でしょ。これはヘレナの里のレシピだよ」


 コーヒーをマグカップに注いでそれぞれへ配ったミカが自慢げに胸をそらす。


 やがて火をはさんで向かいに落ち着いた二人も、それぞれフォークを操りながら食べ始めた。



「私の母の生家は山岳地方ですから。そば粉やライ麦をよく使いますし、これなんてパンの度合いの強いケーキなのですよね」


 ヘレナのそばでは大型犬と黒猫が並んでミルクをご相伴に預かっている。


 なんとも平和な光景だ。


 ほんの少し前まで屋敷の執務室で窒息しそうな思いをしていたコールは、今の状況を夢のように思えて仕方がない。


 あたたかな焚火、力強い味のケーキ、香り豊かなコーヒー。


 朝から一緒に作業をしていたらしいクラークはすっかりヘレナたちになじみ、森の中のことをなんやかやとにぎやかに話している。



「そういやヘレナ。あっちのほうに楓があったよ。今度仕込んどく?」



「良いですねえ・・・って、コール卿、この森の所有者はどなたでしょう。樹液を採取しても大丈夫ですか?」


 薪とキノコを集めておいて言うことではないが、さすがに樹木に穴をあけるのは気になる。



「・・・ああ。問題ないでしょう。この森でメイプルシロップを作ろうとする人間はあまりいないので」


 二人が何をしようとしているのか的確に察知したコールは苦笑する。



「・・・一応帝都ですものね・・・」



 ヘレナも生粋の帝都育ちで貴族だが、生活の感覚としては庶民だ。


 ここまでくると、もう郊外の農業従事者に近い。



「そのうち、ミツバチを飼うとか言い出しそうだな、お前たち」


 クラークがからかうと、ヘレナは困ったように眉を下げた。



「ああ・・・。言わないでください。言霊が魔導士庁を呼びますから・・・」



 一番通っているヒルから仕事の合間に少しは聞いているが、魔導士二人組が次から次へと斬新な試みを持ち込んでいるようだ。


 おかげで、あの別邸は堅固な守りを布陣した、まるで聖域のような場所になりつつあると。


 言われてみれば、門柱を通り過ぎた瞬間にふと肩のあたりが軽くなる。


 こうして彼女たちに接して食事を分けてもらうひと時も。



「そういや、今日はどうして抜け出せたの?この様子だとリチャードご夫妻がお出かけってことかな」


 勘の良い護衛兼侍女がにやりと笑った。



「その通りです。アビゲイル伯爵より所領での狩猟と夜会のお招きがありまして」



 アビゲイル伯爵家の家格も侯爵家に次ぐ規模で、所領の屋敷は豪華絢爛だ。


 王族が滞在することもしばしばで、招かれること自体に意味がある。


 そこへ、リチャードはコンスタンスを妻として伴って向かった。



「アビゲイルだとドレスだの侍女だの連れて片道二日の行程だから・・・。一週間くらい不在かな?」



 旅慣れたミカが指折り数えて日程を想定する。



「それは・・・」



「だな。ゆっくり滞在して二週間後に帰宅のご予定だ」


 どこまで話すか迷うコールに代わり、クラークが素直に答えた。



「そっか。でも、クラークさんと執事さんがお留守番って珍しいんじゃないの」



 少し前までコール、クラーク、ヒル、ホランドの四人はリチャードの背後に侍るのが定位置だった。


 それが、変わっていく。



「・・・ああ、まあ。コールと俺は内政と執務の取りまとめがあるから残った。リチャード様付き従僕は育った奴を数人付けたから問題ない。俺たち四人の中で今回の同行はライアンのみで、本当はヒルも副団長に任せて抜けるはずだったんだが・・・」


「通過予定の峠で野盗が出るかもとか?」


 パンケーキをほおばる合間にミカが合の手を入れる。


「まあ、そんな感じだ。騎士団は上位騎士を二、三十人ほどつけたはずなんだがな・・・」


「侍女長は?」


「今回は同行している。コンスタンス様付きの侍女は総勢六人、料理長も一緒だ」



 騎士団は馬上としても、追従者たちのための馬車は何台にもなっただろう。


 なんとなく数日前から本邸周辺が騒がしいと思っていたが、今朝は早くから森に出ていたのでまったく気にしていなかった。



「ずいぶん大仰な隊列だね」


 要するにこれは正式な新婚旅行のようなもの、というよりコンスタンスの凱旋だ。



「アビゲイル伯爵はリチャード様の長年の友人だからな」


 言外に含まれていることをあまねく読み解いたミカが肩をすくめた。


「そりゃまた。こちらのお友達もたいしたお人だことで」


「まあ・・・。そうだな・・・」


 クラークとコールは無意識のうちにコーヒーに口を付ける。


 口の中に少し苦みが広がった。


 何とも言えない沈黙が落ちる。





「ええと・・・。ちょっと良いでしょうか」


 ふいにヘレナが手を上げた。


「なんだ?」


 クラークが目をやると、ヘレナが小さく首を傾げ、考え考え言葉を口にする。



「今のお話で行くと・・・。今日からおよそ二週間あまり。ゴドリー夫妻とホランド卿、侍女長、部屋付き侍女、侍従、そして騎士団。コンスタンス様の腹心がほぼほぼ不在ということで合っていますか?」



「ああ・・・。そうだな」


「あの。あまりにも都合が良すぎて何かの罠かな?とも思わなくもないのですが・・・」


「罠」


 三人は同時に呟く。



「本邸大捜索の好機ですよね?コール卿の叔父様の、元執事さまの紛失している文書を探すなら今かなと」


「あ・・・」


 確かに、本邸は今、がら空きだ。


 そして、かつてないほど自由の利く状態。



 コールは目を見開く。



 認知症で引退した叔父バーナードの荒れ果てた執務室及び私室の整理と確認は先日終了したが、奇妙な欠損が多く、理解に苦しんでいた。


 誰かが、故意に隠したのか。


 それとも、叔父がどこかへ隠したのか。


 それらは権利関係も伴う重要度の高いもので、逆に見つからないことで多額の資産の流出を今のところは防ぐことができていた。


 しかし、ほころびが出るのも時間の問題だ。



 それなのに、状況を聞いた主は上の空でおそらく事の重大さが分かっていない。


 ここはもう、彼を飛び越えて侯爵夫妻へ連絡を取るべきなのか。


 だが、不確定要素が多すぎる。



 行き詰ったコールは、リチャード一行を送り出した後、すぐに庭師に頼んで荷馬車と馬を借り、ヘレナたちがいる森へ向かった。



 理由は何もない。


 ただただ、一時でもこの閉塞感から解放されたかった。




「今なら叔父様に会いに行くことができます。そしてゆっくりお話ができるでしょう。何にも煩わされることなく」


「しかし・・・。叔父の療養している家まで片道三日はかかります」


 馬を飛ばしても三日もかかるから知人に預けたまま、今まで訪れることができなかった。


「うーん・・・そこはですね・・・やはり」



「魔導士さまさまにお願いってとこでしょ」


 ミカがすぱんと会話に加わる。



「私ら、魔改造生物の観察日記でずいぶん貢献しているし。チョロいもんでしょ、移転スクロールのご用意なんて」



 樹木に山羊に鶏に牛に犬に猫。


 どれをとっても普通でない生物に囲まれて生活するのは、図太くなければやっていられない。



「なんなら、その元執事さんをちょっと診てもらおうよ。ヘレナもそのつもりだったんでしょ」



「うん・・・まあ、そんなとこです」



 乾いた笑いを浮かべるヘレナの膝の上では、魔改造猫が仰向けになって腹を撫でろとせがんでいる。


 なんて強烈な誘惑。



「ぴゃー・・・」



 ネロはなぜか一般的な猫の鳴き声ができない。


 もしかしたら知らないのかもしれない。


 そこがまた可愛くてたまらない。


 まだ子猫の成分が残っているネロの腹の毛は超絶柔らかく、極上の手触りだった。



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