隠された二人の令嬢
ざわざわと、枯れて乾燥した草のざわめきが風にのって強くなったり静かになったりしながらヘレナの耳に届く。
「今日もたくさん収穫できそうね」
膝近くまで伸びている黄金色の枯草を鎌で刈り取り、ある程度の束になったら作っておいた縄で縛り、放る。
ヘレナが枯草の束を作るたび、そばにいるパールが鼻を近づけくんくんにおう。
「ヘレナ、ほどほどにしてよね、作り過ぎたら運ぶのが大変になるからさ」
すぐ近くでざくざくと豪快に刈るミカが注意をしてくるが、どう見ても彼女の方がひと刈りの量がヘレナの三倍以上だ。
「うん。でも、もうすぐ雪が降ると思うと、焦ってしまうというか」
ヘレナは腰に手を当てて背中をまっすぐに伸ばし、ぐるりと周囲を見回した。
「それにしても、広すぎる屋敷というのも管理が大変なのね」
別邸の周辺は閑散としている上に野草が生え放題で、山羊たちの飼料として全部刈り取ればひと冬越せるのではないかと思う。
「いや、こんなに管理できていないのもどうかと思うよ。ストラザーン邸だったらあり得ない。昔はこんなんじゃなかったはずだけどな。母さんもびっくりしていたし」
「ああ、マーサは昔、ここに来たことがあったのよね」
ミカの母マーサは、十代前半のころのカタリナの護衛侍女の一人だった。
「うん。カタリナ様がゴドリー侯爵の妹君とちょっと親しかったからね。病気療養されている間に何度か見舞ったらしい」
「妹君?リチャード様の叔母様にあたるということかしら」
「そうそう。ゴドリー侯爵家は人の出入りが激しくてせわしないから、この鄙びた伯爵邸の方が落ち着くだろうということだったらしいけれど、どうだか」
「んん?」
「本当に大切なら、侯爵邸で治療したいと思わない?アタシなら余命わずかの娘と片時も離れたくないと思うね」
侯爵邸は王宮に近い。
この国では王族と侯爵家がおおむね王宮の周辺に居を構える。
伯爵家はそれぞれ郊外と境目に広大な土地を有し、子爵男爵は城下町で裕福な商家とまじりあう形で住まう。
「たしかに、ゴドリー侯爵家からここまでけっこうな距離ですね」
屈んだままざくざくと草を刈るミカの背中を、ヘレナは眺めた。
スミス家は愛情深い。
稼業も子育ても親族一丸となって行うからこそ、ゴドリー家のありように違和感を感じるのかもしれない。
「そういや、リチャード様が現在ゴドリー伯の爵位を継いでいるのは、父君のベンホルム様が十年くらい前までそうだったからよね?」
ベンホルム・ゴドリーは侯爵家の次男。
もちろん侯爵家は長男が継いだため、伯爵としてこの邸宅で暮らしていた。
しかし諸事情で空席になった侯爵家にベンホルムが納まり、しばらく伯爵家を兼任ののち、成人したリチャードが伯爵位を継いだ。
だからこそ、使用人はベンホルム夫妻の腹心たちが仕え洗練された空間だったはず。
叔母とマーサはその頃の記憶があるのだろう。
「まあ、次兄が末の妹君の看病をしても不自然ではないけれどね。本邸からの離れっぷりとこの場所の寂しさ、おかしいと思わなかった?」
「まあ・・・。隠れ家的な?」
別邸敷地の北には石積みの塀があり、それより先は草原と林と時々ぽつりぽつりと小さな家が見える程度。
郊外との境目と言っても良い実に寂れた場所で、 人目をはばかるにはもってこいだ。
「単純に、これって愛妾別宅だよね」
「ははは。まあ」
「それと、幽閉にもってこいだろうな」
「そこまで言いますか」
「だって、ここの本邸だってあれほど広いのだから、わざわざ離れた小さな屋敷に送り込まなくてもいいはずでしょ」
「・・・たしかに」
「あと母さんから聞き出したんだけど、ベンホルム様の妹君の病気療養中にもう一人のご令嬢が後から入ってあの別邸で暮らしたらしいんだよね」
「・・・え?」
「そっちは、奥様の妹君」
「・・・となると、クラインツ公爵令嬢ということですね」
ベンホルム・ゴドリー伯爵の妻となったのはマリアロッサ・クラインツ公爵令嬢。
妹となると同じく公爵令嬢だ。
「正解」
「ええと、マリアロッサ様には何人か妹君はおられましたよね・・・」
ヘレナは頭の中で素早く貴族年鑑をめくっていく。
先日、ストラザーン伯爵家で見せてもらったのは最新版。
何らかの理由で抹消されていない限り…。
「単純に考えて叔母様や侯爵令嬢と同年代でしょうか?未婚のまま病気で亡くなった方はおられなかったように思うので、全快されて別邸を出られたということでしょうか」
「アタシもそう思うよ」
二階の二部屋と一階の客間のどれも若い女性向け内装で設えてあった。
どの部屋で誰が過ごしたのかはわからない。
ただ、二階の最も広く充実した内装のものが侯爵令嬢の病室だっただろうと推測できる。
余命わずかの侯爵令嬢と、なんらかの理由で身を寄せた公爵令嬢。
人目のある場所から遠ざけられた、二人の少女。
現在のゴドリー侯爵夫妻は人格者として名高い。
そんな彼らが、どうして。
『・・・ここは、生と死が同時に存在した場所なのですね』
『あら、おわかりになるのね』
『はい。祝福と嘆きと…。色々な感情が複雑に絡まって澱んでいたようですが…。ヘレナ様がここで過ごされることで浄化されるのではないかと』
祝福と、嘆き。
そして、浄化されるべき瑕。
「正確には何年前か、わかりますか」
「うーんと、二十五・六年、かな。カタリナ様が十二歳から十三歳になる直前だったから」
「二十五年前・・・。その頃ってたしか・・・」
ヘレナは記憶をたどる。
ぱらぱらと脳内の貴族年鑑のページをめくった。
そして、祖父の遺した文書の数々。
貴族で、その頃に亡くなった人々の名前。
消滅した家門。
そこで、一つの可能性が編み出されていく。
まさか。
まさか。
でも。
「あのね、ミカ・・・」
ザーッと風が押し寄せてくる。
刈れ草がしなり、まるで浪間のように流れていく。
「うん?」
ミカも草刈りの手を止めて身体をまっすぐに伸ばして振り向いた。
「その頃に、亡くなった・・・。いえ。消えた人々がいるの」
風に乗って、ヘレナの沈んだ声がミカの耳に届く。
「ヘレナ?」
「パット男爵家。祖父の弟夫妻と二人の息子たち・・・。次男は父の『ご学友』だった、ミカエル・パット」
「あ・・・」
ミカは、自らが作った数え歌を思い出す。
むかしむかし、『華の七人組』と呼ばれた七人の男たちがいたよ。
仲良しこよし、『華の七人組』。
ルル、ルル、ララ、ラララ。
彼らはたいそう美しく、女はみな虜になっちまう。
彼らが行く道には、花でうめつくされ。
彼らの過ぎた後にはため息が落ちる。
彼らの名前は、ミカエル、ギブリー、ドナルド、マイク、デイビッド、ジェームズ、ハンス。
ミカエルは川で足を滑らせていなくなり・・・。
「溺死体で見つかった、ミカエル・パット?」
ハンス・ブライトンの従兄のミカエル。
五歳のハンスを川へ突き落した、少年。
「そう。父とミカエルは互いの母親が異母姉妹で、生まれた時期も近かったから、王立学院に入学する頃に再会してまるで双子のように似ているという祖父の記述をみたことがあるの」
数か月の違いだったが、学年はミカエルが一つ上だった。
少し癖のある明るい金髪と青い目が愛らしく、名前そのままの『天使』と形容された。
「ミカエルが川に落ちる直前、パット男爵夫妻と長男の三人は、領地から帝都への移動中の事故に遭って死去。そして、パット男爵家自体が消滅して爵位と資産の全てが国へ戻された・・・っておかしいわよね。もともとはフォサーリ侯爵家の所有していた爵位の一つだったのに」
パット男爵家はもともとフォサーリ所有の休眠爵位で、ハンスの母アザレア・フォサーリがブライトン家に嫁ぐ際、異母妹と男爵位と僅かな所領が下賜されブライトンの次男である大叔父が受けた。
「それに、あの、ブライトンの屋敷を本拠に変えたのはその頃…」
莫大な資産を有していた祖父は帝都でも一等地に屋敷を構え、ヘレナたちが暮らした屋敷は来客用に所有していたにすぎない。
よくよく考えたら、昔、執事が漏らした言葉があった。
ブライトン子爵家は、あともう少しで伯爵位に上がれるはずだったと。
それが取り消しになったのなら、すべての根源は二十五年前。
「つまりは、連座ね。それならすべての謎が解ける」
パット男爵家は、公に出来ない罪を犯した。
おそらくは高位貴族に対して私的な、取り返しのつかないことを。
その報復として全員私刑に遭い、消滅。
そして、ブライトン子爵家は縮小。
取り潰しにならないで済んだのは、全くそれに関わりがないことが歴然としていたこともあるだろうが、祖父の事業がいたって健全で国の根幹にかかわっていたからか。
しかし。
その後は転落の一途をたどり、栄華を取り戻すことはなかった。
最後のピースをはめ終えた途端、ヘレナはあることに思い至り、頭痛を覚える。
「リチャード・ゴドリーは、全く何も考えていなかったのね・・・」
よりによって、パット男爵家の親族を、妻として籍に入れるとは。
「・・・侯爵夫妻はお怒りでしょう。今度こそ、殺されてもおかしくない案件だわ」
彼らはまだ外遊中だが、いい加減耳に入っているだろう。
「ヘレナが言いたいことはだいたい分かった。ちょっといい加減真相を私らに教えてくれるように母さんに言うよ。このままじゃ真綿で首を締めるようなもんじゃん」
鎌を肩に担いで、はあああーとミカがため息をつく。
「でもまあ・・・。今更あがいても仕方ないか」
太ももにぴたりと頭をすりよせ、瞳をキラキラと輝かせながら尻尾を振るパールにヘレナは苦笑した。
「なるようになる・・・ね?」
額を撫でてやるとパールの高い体温が手のひらからじんわりとヘレナの身体を温めていく。
振り向くと、緑の生垣に囲まれ、大樹とともにぽつんと佇む屋敷が目に入る。
それは一見、寂しい光景に見える。
でも。
「あ、ヒル卿が来たわ」
茶色の馬にまたがる大柄な男が騎士団詰所の方から屋敷を目指して馬を歩かせ、門柱の前で降りた。
不在に気付いたのか、頭を巡らせ振り向いた彼に、ヘレナは手を振る。
「いったん、ご飯にしましょうか」
「そうだね」
鎌だけを手に、ヘレナとミカとパールは歩き出す。
もう、あそこは住みかになりつつある。
寂しいことは、何もない。




