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だいかんげい?




「旦那様、なにもご自身がいかずとも、私共が案内しますので!」


 玄関ホールで待機していたホール係や侍女たちが慌てた様子で駆け寄るのを、リチャードは手を挙げて制す。


「いや、ここは私が行く」


「しかし外はもう暗い上に、風も強まって雨が降り出しました。お身体に障りがありましたら…」


「構わない。どうせすぐ近くだ。とりあえず傘を用意しろ」


 きっぱり断られ、ホール係がクローゼットから人数分の傘を出して戻ってきた。

 居合わせた者たちはいちように落ち着きがなく、そわそわしている。

 おそらく、当主自らヘレナの住まいへ足を運ぶのは予想外だったのだろう。

 ならば。

 ヘレナが確信を深めるなか、彼らは中級使用人たちの様子に目を向けぬまま素直に傘を受け取り、外へ出る。


「…馬車はどうした」


 ポーチに出るとリチャードは地を這うような声で問いただした。

 外は地面を叩く雨音が聞こえるのみで何もない。


「は、はい、ただいま…っ」


 下男の一人が雨の降りしきる中駆けだした。


 つまりは、馬車で行く距離なのだ。

 このゴドリー伯爵邸は帝都にあるにもかかわらず、結構な広さの敷地を有している。

 しかも、ここより北には貴族の邸宅どころか庶民の住まいも途絶え、雑木林から森へと続く。

 要するに、ゴドリー伯爵邸より先は郊外。

 別邸はその境界線ぎりぎりにあるわけありの館ということなのだろう。


「こうなるともう、わくわくしてくるわ…」


 いろいろな意味で。


 ヘレナの独り言は次第に激しくなっていく雨の音にかき消された。

 馬の蹄と御者たちの声がだんだん近くなっていく。


 そうしてたどり着いた別邸はヘレナの予想通りの状態だった。


「これは…」


 リチャードの呆然としたつぶやきが、玄関ホールに落ちる。

 そして、まるで狙ったかのように外を稲光が走り、がらんどうの室内を照らした。


「どういうことだ、ウィリアム…」


 立ちすくんだまま当主は傍らの執事に尋ねるが、相手も目を見開いたままだ。


「申し訳ありませんリチャード様。私も驚いています。これはいったい…」


 外観も枯れた蔦の茎がびっしりと絡まり、崩れていないのが不思議なくらいの廃れぶりだった。

 屋根裏付きの二階建てなのだが、石造りではあるものの本邸の近くにいくつか建てられた使用人の棟の一つと変わぬ規模で、正直に言えばブライトン家のタウンハウスよりはるかに小さい。

 執事が鍵を回して扉を開くと、さあっと風が通り抜けた。

 そして、黴と埃の匂いが漂う。


「手入れをするよう、言いつけていたのですが…」


「確認していないのか」


「申し訳ありません」


「お前らしくない…っ」


 言うそばから、ぴちゃん、と水がリチャードの頭頂部に当たり、彼はびくりと身体をふるわせた。


「おい、雨漏りが」


「いえ、雨漏りというより…」


 執事が手を上げ、生活魔法で室内の灯をともす。

 そこでようやく全体が見えた。


「…窓が割れています」


 割れている、というより、割られていた。

 ガラスの破片が室内に散乱し、拳ほどの大きさの石が転がっている。

 そこから雨が降りこみ、室内を濡らし始めていた。

 そして、ヘレナを含めた六人が立つ吹き抜けのホールの床に投げ散らかされていたのは。


「これは、私が先ほどホール係に預けた荷物ですね」


 ヘレナが唯一持ち込んだスーツケースは叩き割られ中身を床にぶちまけられた。

 さらにはその上を複数の土足でダンスした形跡が誰の目にもはっきりとわかる。

 用心のために金目のものはもちろん入れていない。

 とりあえず詰めた粗末な衣装と下着数点、縫物道具とお茶とビスケット程度だったが。

 どれもこれも無残な姿になっていた。


「たいしたものですね」


 想像以上の歓迎ぶりだ。


「いや…そんな。こんなことは命じていない、決して…」


「私も、客人をもてなすようにとしか…」


 リチャードと執事は動揺し、残りの三人はただ立ちすくんでいるだけだ。


 使用人というものは、上の者たちの態度に敏感だ。

 敬うべきかそうでないかを瞬時に判断する。

 そして突然発生した、別邸に人を隔離する準備をするようにという命令。

 彼らは貧乏貴族がやってきて娘を売り飛ばした様子をつぶさに見ていたし、コンスタンスは変わらず女主人然としている。

 そして結婚式に現れた少女は路上で暮らす子供のように貧相で、リチャードたちは存在を完全に無視し、連れて帰る指示も下されなかった。

 こんな面白い話はあっという間に広まる。

 つまりは。

 署名さえしてしまえばお払い箱で。

 生贄の羊なのだと理解した。

 そんなヘレナを別邸にご案内するのが今夜の仕事の締めくくり。

 夕食前の娯楽だ。

 彼らは存分に楽しむことにした。



 父親に売られた哀れな貧乏令嬢は、荒れ果てた家の中で泣くだろうか。

 それとも、使用人たちに取りすがって慈悲を乞うだろうか。

 もしかしたら、本邸に怒鳴り込んで喚くかもしれない。

 彼らは、ヘレナの反応を楽しみに待っていたのだ。



「もしかして、もう既にわたくしの墓穴をご用意されていたのでしょうか」



 雨は霙になりかけているのか、ばらばらと叩きつけられる荒い音が聞こえてくる。

 皆の吐く息も白い。

 今夜はおそらくかなり寒くなる。

 このままここに放り込まれて放置されたなら、確実にどうにかなるだろう。


 ヘレナのしずかな一言に男たちは青ざめる。



「まさか、俺たちがそんな非道な人間に見えるのか!」


「いえ、多少の嫌がらせは想定していたのでご確認いただくためにご同行願ったのですが、こうなると死をお望みとしか…」


「いや、いやいやいや。それはない。お前の役目はこの先まだある!」


「役目とは?」


「私の両親と引き合わせるから口裏合わせるようにと契約書に書いていただろう!」


「ああ、そうでした…」



 殺す気はなかったのかと、少し安堵した。

 あり得ない話ではない、と思っていたのだ。

 幼いころは貴族の友人も多くいたが、落ちぶれてからは途絶えてしまった。

 いなくなっても誰も気づかない女なら、年齢と容姿が多少違ってもすり替えられる。



「そういやそうですね…って、お前はいったい…」


 リチャードはイライラと片手で髪をかき上げうなる。

 そして深々と息をついた後、指示を飛ばした。


「ウィリアム、ライアン。まず、これの部屋を本邸にとりあえず設けろ。それとこの件に関わった者を処罰するように」


「は。わかりました」


「かならずや」


 執事と秘書は深々と頭を下げる。



「ヴァン、ページル。その荷物をまとめて馬車に詰め込め」


「はっ」


 侍従と騎士はすぐさま床に膝をつき、散らばった破片をかき集めて出ていった。



「行くぞ」


「…はい?」


 ヘレナの返事を聞く間もなく、いきなり胴に腕を回し、荷物のように脇に抱える。


「え? え、ちょっと…」


 犬か山羊かのようにぶらんと手足を宙に浮かせ釣り上げられたまま、馬車へ向かって大股に歩きだした。

 いくらヘレナが小柄でも、軽々と持ち上げて瞬時に動いた機敏さにはさすがに驚く。

 リチャードはいずれ侯爵へとなる男だ。

 心身ともに父のような優男なのだろうと勝手に思い込んでいた。

 提督の仕事は、親の七光りからの名誉職ではなかったのだ。


「あの…」


 それにしても、太い腕が腹に食い込んで結構痛い。

 脇腹も、腕も、この男は固い。


「ここに残っても冷えるだけだ。今後のことは明日また決めなおす」


「…はあ」


「それにしても、この軽さはなんだ。どう考えても十二歳だろう。お前は本当にヘレナ・リー・ブライトン十七歳なのか?」


「うう」 


 ヘレナは小さくうめく。


 お前呼ばわりしかしないので、名前など記憶していないのかと思ったら違った。

 ご丁寧に年齢まで理解しておられるではないか。

 いや、ブライトンからストラザーンへの変更はなされていない。

 それよりとにかくこの雑な抱え方を終了してほしい。

 この世にコンスタンス以外の女は存在しないのか。

 歩きながらしゃべられると、痛い。


 腹を圧迫されたまま声を絞り出した。


「お疑いなら、神皇庁へお問い合わせください。一応貴族の端くれなので血液は届けております」



 この国の法律で、貴族の子は生まれたらすぐに足の裏に針を少し刺しハンカチに血を吸わせて神皇庁へ提出するよう義務付けられている。


 そして、そのハンカチを奥の院にある祭壇の魔方陣の上に置けば血統を探ることができる。

 これは子供の取り換えを防ぐとともに諸事情で野に下った私生児の回収に有効で、相続をめぐる裁判などで特に役立つ。

 つまり、本来ならばヘレナを殺してコンスタンスをブライトン子爵令嬢として世に送り出すことは不可能なのだ。


 とはいえ、金の力で詐称することは本日の結婚式の状況から鑑みて十分可能なのかもしれない。



「まあ、どうでもいい。お前が十二だろうが十七だろうが。とにかく帰るぞ」



 そのまま乱暴に馬車に押し込まれ、大きな男たちに囲まれ、来た道を帰る。


 雨は奇跡的にやんだ。

 風も止まった。


 しかし御者も馬も、異様な空気に縮み上がっている。

 車内の沈黙がとてつもなく重く、ヘレナは窒息しそうになった。




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