表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
87/332

【閑話】カタリナの仕置き(完) ~断罪~


 そして、鼠色の魔導士はティースプーンとガラスのコップ二つ、水の入ったピッチャーを並べて差し示した。


「ご存じかと思いますが、魔力持ちと言っても、その種類と量はそれぞれ違います。推測に過ぎませんが、ルイズ様とクリス様は同等の魔力量を内包していたと思われます。それは、けっして多い方ではありません。ルイズ様達の魔力量をこのコップ一杯としたら、私とリド・ハーンは中央聖教会本拠地全体の敷地くらい。それほどの個人差があります」


 中央聖教会の本拠地は王城に匹敵する。


 ハンスも何度か足を運んだことがあるので、彼の言わんとすることが理解できた。


「そんなに・・・違うのか」



「はい。魔力量のみで判断するならば、お二人は魔導士庁の職員にはなれません。そして、ヘレナ様の魔力量はこのティースプーン程度。一般には微弱魔法と言われる量です。ただし、三人とも、それを補う才能をお持ちです。魔導士庁も把握していない、カドゥーレ独特の秘法で、少ない魔力で高位魔術を繰り出すことができました。それが、クリス様の視覚阻害とルイズ様の数々の法術、そしてヘレナ様の魔力注入」



 言いながら、空のグラスにゆっくりと水をそそぐ。



「人は一定の時間をかけて、己の器の中に魔力をためていきます。それらを使って魔法を放つのですが、それがたまる速度も人それぞれ。クリス様とルイズ様はほぼ同じ速さ。ヘレナ様の容量は小さいけれど貯まるのは三倍速ぐらいなのだと思います。だから、ルイズ様はヘレナ様から魔力を貰っていた。魔法を使うたびに」



 グラスの中の水をスプーンですくって、ティーカップへ移す。



「しかし、肉体の機能が止まり始めていたルイズ様にとって、魔力を使うことは寝台からいきなり飛び上がって天井に手を着くようなものです。行うたびに確実に身体を蝕んでいき、魔力の器も痛んでいった。貯まる速さも遅くなったでしょうし、あちこちがひび割れて漏れ始めていた。そこにきて、あの夜です」



 水がさほど溜まっていないほうのグラスにシエルが手をかざすと、グラスのあちこちに細かなひびが入り、その隙間から水がこぼれテーブルに染みを作り出す。



「正確に言うと、このグラスを握りつぶしたような状態だったと推測されます。魔力持ちにとって、この器は第二の心臓。健康体で運が良ければ、無能力者になる程度で済みますが、彼女はあの身体で大鉈を振り回して戦ったようなものです。即死しなかったのが不思議なくらいでしたがなんとか這ってヘレナ様の部屋へたどり着き、寝台に横になることができました。そして、消えかかるルイズ様の命をなんとかもたせようと、ヘレナ様は手を握って魔力を注ぎ続けた」



 語りながらもシエルは、スプーンですくった水をひび割れたグラスへ移す作業を規則的に行う。


 しかし、水はどんどんテーブルにこぼれていった。



「まさに、この状態でした。注いでも注いでも、ルイズ様の器にためることができない。ヘレナ様はおそらく限界突破の状態で魔力注入を行っていた。そこに」



 からん、とシエルはスプーンを放り出した。



「クリス様に起こされて駆け付けたハンス様が部屋に飛び込んできた。そして、ヘレナ様を突き飛ばしましたね?」



「あ・・・っ」



 覚えている。



 闇の匂いのする忌まわしい子が妻の手を掴んでいたから慌てて引きはがし、遠ざけた。



 それからまもなく。


 ルイズは、ゆっくりと目を閉じて呼吸をやめてしまった。


 何も語ることなく。



「もしも、ですが。その時ヘレナ様と手をつないだままだったなら。貴方様が奥様と最期に一言交わすぐらいはできたかもしれません。・・・まあ、今更ですが」



 グラスの中はすっかり空で、テーブルに水たまりと染みが広がっていった。



 重い沈黙が落ちる。


 誰もが、石像のように固まって動かない。




「おれが・・・。俺が、ルイズの息の根を止めた…そういいたいのか」



 ようよう口を開いて、尋ねた。



「少なくとも、ヘレナ様でないことは確かですね」



「そんな、ばかな・・・」



 自分は悪くない。


 悪いのは・・・。


 ヘレナの、はず。



「ルイズ様の体格がわりと小柄な方だったとは、お聞きしています。しかし、それにしてもおかしいと思われたことはありませんか。ヘレナ様とクリス様は標準よりもずっと発育が遅いことに」



 気味悪いほどに幼い外見だった二人。



「それは、妙な力をもっているからで・・・」



 髪の一筋も自分に全く似ていない二人。



「違います。お子様たちは普通の子どもの何倍も、ありえないほど魔法を使い続けた。そのせいで身体が育たなかったのです」



「そんな・・・そんな証拠がどこにある。それはヘレナに肩を持つお前の勝手な言い分だろう」



 結婚式の時に知り合ったと言っていた。


 契約結婚に同情して、いいように解釈しているに違いない。



「いいえ。その後も劣悪な環境にいたヘレナはまだはっきりとは変化が出ていないけれど、クリスは私たちが引き取ってから確実に変わったわ」



 妹が横から口をはさんだ。


 そして、彼女の指示で侍女がグラス類を撤去してテーブルを拭き上げ、二つの衣類の山を置いた。



「右が、一か月前のクリスの制服。そして、左が数日前のクリスの制服よ」



 侍女がまずはシャツ同士を重ねて見せ、次にスラックスも同じように並べた。


 裾も長さも幅も全く違うものだった。



「全然違うでしょう。

 十五歳は成長期でもあるけれど。

 私と夫がクリスの養子縁組直後に学院へ一緒に乗り込み周囲にそれを公表したら、馬鹿どものちょっかいはぴたりとやんだ。

 まあ、彼らの親にも抗議の通達をしたし、教師たちにも釘を刺したから。

 視覚阻害もやめさせたし、十分な食事と快適な部屋も用意した。

 そうしたらすぐにぐんぐん大きくなって、外見もずいぶん変わったわよ。

 ハンスあなた知ってた?最近のクリスは私の息子に似てきたわ」


 

 カタリナの息子のユースタスは二十歳。


 髪や目は父のエドウィンを受け継いでいるが、目鼻立ちや体格はフォサーリ侯爵家の特徴が色濃い。



「ヘレナはそもそも、十一歳のアグネスと耳の形が全く同じなのよね。鼻筋も特徴が似ているし」



 カタリナの娘のアグネスは、誰もが賞賛する分かりやすい美少女だ。



 それは、最高の環境で養育されて、磨きつくされてこそ。


 もしも、ヘレナたちがもう少しまともな環境で育っていれば、違った容姿だったのではないか。


 二人は、父の悪友たちの目に留まらぬよう目立たない外見になろうと無意識のうちに防御していたのかもしれない。



「そんな・・・そんなはずは」



 耳の形?


 どんなだったかなんて、わからない。



「スワロフたちがあなたに夜な夜な吹き込んだらしいわね。ルイズ様の不貞の可能性を」



「あ・・・、そ、それは」



 ハンスが目を見開いた。




「あなた、信じたのね。クリスはともかく、ヘレナが自分の子でないかもしれないという妄言を」



 カタリナは深々とため息をついた。



 ハンスの、ヘレナに対するやみくもな恐れはまじない師と母・アザレアのせいだが、そもそもの根源は、友人たちがことあるごとに吹き込んだ悪意のある推測のせいだ。



 あまりにも、ハンスに似ていない娘。


 母親似にしても、おかしくないかと。



 妹カタリナが美しかっただけに、その言葉は信ぴょう性をおび、じわじわとハンスの中に巣くっていった。



「情けない・・・。ルイズ様はさぞ無念だったでしょうね」



 最初は、初めての子で、娘で、かわいかった。


 時折体調を崩して寝込む妻の代わりに娘の世話をして、時には街へ散策に連れて行ったりもした。



 しかし。



 真っ黒な髪。


 灰色の瞳。


 お世辞にも綺麗と言えない地味な目鼻立ち。


 年のわりには利発すぎる言動。



 眺めているうちに。


 ふとした瞬間に。


 いつからか、別の男の影を疑うようになった。



 そして、とてもとても。


 憎くなったのだ。


 愛していたはずなのに。



「今でも、疑っているのね。だから、ヘレナの全てをあなたはいつまでも否定する」



 妹の。


 魔導士の。


 その場にいる全員の憐れみに満ちた視線が痛い。



「わからない・・・。もう、なにかもかもわからない。似ていると言われても、わからない・・・」



 妻は、魔女だったのか。


 不貞は、なかったのか。


 彼女は、何を考えていたのか。


 なにもかも。


 子供たちの顔立ちも姿もどんどん記憶から消えていく。



「どうしたらいいのか。わからない・・・」



 両手で頭を抱えて、テーブルに突っ伏した。



「おれは、どうすればいい・・・?」



 髪をかきむしっても、答えは出ない。



「・・・前にも言ったけれど、ハンス、あなたは少なくとも二年は帝都から離れて身を隠してもらう」



 静かな声に顔を上げる。



「子供たちは、ゴドリーとの契約満了まであなたに会わないと言っていた。考える時間が欲しいそうよ」



「クリス・・・もか」



 明確な拒絶に衝撃を受ける。


 クリスはブライトンの跡取りとして目をかけていたつもりだった。



「そうよ。だから、あなたも二年間じっくり考えなさい。ルイズ様のこと、ヘレナとクリスのことを」



 全ての雑事は取り除いた。


 だから、思考するしかない空間へ兄を放り込むことにカタリナは決めていた。



「そのための最適な所を手配したから、明日には連れていくわ。明朝九時には迎えに行くからそのつもりでいてちょうだい」



「・・・どこへ」



 この期に及んで他人事の兄に、カタリナは鉄槌を下す。




「カドゥーレよ」




「・・・は?」



 予想外の一言に、ハンスは驚愕した。



「ルイズ様の実家が空き家でちゃんと残っているの。そこであなたには自活してもらう」



 家族全員を見送った後、ルイズは家具をそのままに去った。


 その後、親族たちが今までその家を手入れしてきた。


 いつ、彼女が帰ってきても良いように。



「ちょっと・・・ちょっと待て。あそこは・・・」


「ひ弱なあなたがまず選ばないと誰もが思うでしょう。この上なく最適な隠れ家ね」



 カドゥーレ。


 国一番標高が高く、自然も厳しい。


 最初はおそらく高山病に苦しむだろう。


 そして、もう冬が始まっている。


 実質的な軟禁だ。



「どうやって、そんなところで!!」



「大丈夫。きちんと契約をしたから、親戚のみなさんが生活の仕方の指導を懇切丁寧にしてくれることになっているの。でも、教えてもらうだけだから、頼り切っては駄目よ?いずれは身の回りのことも家畜を育てて金を稼ぐことも、独りでできるようになってちょうだい」


 いくらでも追加料金は払うとは言ったが、彼らはかなり手こずるだろう。


 この世間知らずの中年男に。


 申し訳ないとは思ったが、快く引き受けてくれた。



「なぜ!!どうして俺をそんなところへ!おれは、お前の実の兄だぞ!!」



「実の兄でなかったら、とっくの昔に始末していたわ」



「な・・・っ」



「祖父と父が汗水たらして作り上げた莫大な財産を全て友達に献上して機嫌を取り、それなのに妻子には爪の先に火をともすような生活をさせ、彼らの悪意に晒し続けた。

 まじない師に引っかかって病床の妻の命をさらに縮め、娘は悪と断じて路地裏に捨て、妻亡き後は酒におぼれてさらに子どもたちを苦しめ、養育は全くせず、最後は思い出の屋敷を取り返したくて娘を二度も売り飛ばした?

 ねえ、ハンス。あなた、これでも生かしてあげている私ってとてつもなく寛大だと思うのだけど」



 本当は、まだ全然言い足りない。



 何度、殴り殺して路地裏に捨ててしまおうかと思ったことか。


 しかし、子供たちのために、踏みとどまる。


 彼らの未来のために、とりあえず今は、この男を殺さない。




「念のために忠告するわ。もしカドゥーレを脱走したりしたら、追っ手をやって砂漠の真ん中に丸裸で放り出すか、罪人相手の男娼に落とすから。覚悟してね、お兄さま」



 ストラザーンの屋敷でも、公の場でも、兄と呼ばれたのは数えるほど。


 兄妹としての優しい関わりは、思えばほとんどなかった。



「カタリナ・・・」




「これは、私からの最後の温情よ」



 母アザレアによく似た容姿の筈なのに何もかもが全く違う、冷え切った青い光が瞳の奥底から放たれる。



 アザーリの人形。


 人形のように従順であれと言われて生きてきた。


 しかし思えば、自分たちは亡き母の歳をとっくに超えたのだ。


 子供が、大人になるほどに。




「己の罪としっかり向き合いなさい、ハンス・ブライトン」




 審判は下った。



 従うほか、道はない。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
▼Twitterのアカウントはこちら▼
【@aogamure】
感想など頂けると嬉しいです。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ