【閑話】カタリナの仕置き⑫ ~ルイズ・ショア~
「まず、ご学友と詐欺師たちが作った『聖水』ですが、最初はただの水でそれがだんだん度を越していたようですね。後半からは尿などのたぐいが確実に混ぜられていただろうとクリス様がおっしゃっていました」
「は・・・?」
あの時、ジェームズが汚水だったとは言った。
しかし、それが具体的にどんなものなのか、深くは考えていなかった。
「まずは、スワロフに自白剤を飲ませて聞き出したわよ。クリスからも事情を聴いたから間違いないわ。ルイズ様は、『聖水』を枕の下に隠した瓶に移し替えて、あなたが所用で家から出たら子どもたちに捨てさせていたの」
妹がたんたんと事実を連ねる。
「ねえ、普通の健康な人間でも、身体に合わないものを飲まされたら具合が悪くなるものだわ。ましてや汚水。さらに尿だの、時には香辛料がたっぷり入っていたそうよ。まともに飲んでいたら、ルイズ様の命はもっと短かった。彼らは面白半分だったから、『意外と死なねえもんだな、人間って』と笑うだけだったみたいだけど」
子供たちが捕まえた虫の羽をむしってみるようなものだ。
罪悪感のかけらもない、ただの悪戯。
「あいつらの目的が嫌がらせであって、暗殺でなかったのと、馬鹿だったのが幸いしたわ。少しでも知恵のある者ならすぐにおかしいと疑い始めるものでしょう。実は飲んでいないのではないかと」
「どうやって・・・」
ハンスは呆然と呟いた。
「だって、俺はルイズが必ず『聖水』を飲み干すように見守れといわれたから・・・」
スワロフたちに。
信じる者こそ救われると・・・。
「不可能だ。俺は、吸い口に『聖水』を入れ、それをルイズの口に差し込んだこともある」
嫌がる彼女の細い肩を抱き寄せ、むりやり口に突っ込んだ。
なんて、なんてことをしてしまったのだろう。
後悔が、身体の奥底からわきだし、胸を締め付けた。
彼女は、何と思っていたのだろう。
夫の所業を。
「できるのよ。ルイズ様はわずかな時間を止める能力があったから」
カタリナの無慈悲な一言に、ハンスの懊悩がぴたりと停まる。
「時間・・・を・・・?とめる・・・のうりょく、だと?」
「ええ。彼女の生まれ故郷の親戚たちに問い合わせをして、確認したわ。ルイズ・ショアは闇魔法の能力者だった」
羞恥と後悔で煮えたぎっていた身体の温度が一気に下がる。
「そんなばかな・・・。結婚するとき、ルイズは魔力がないと」
「彼女は嘘をついたの。・・・いえ。つかざるをえなかったと言うべきね。ハンス、あなたが魔力持ちを忌まわしき者と常々口にしていたから」
テーブルについていた両手がわけもなく震える。
「なんでだ・・・。どういうことだ。だまして、ブライトンの家に入り込みたかったのか」
ブライトンの富が、欲しかったのか。
子爵の妻という地位が欲しかったのか。
「その件については、今は何も言いたくないわ。意味がないから」
ばっさりと妹はハンスの惑いを切る。
「私たちがあなたに告げたい話はそこじゃないの。彼女の闇魔法は『時間をわずかな間止められる』ことが出来た。それで何が起きたかを順を追って話すから、きちんとそれを理解したうえで、ルイズ・ショアという人を考えてちょうだい」
そして、再びシエルが話を始めた。
「まず、彼女の生まれたカドゥーレという地域の特性を一応説明いたします。国境の山岳地帯であらゆる意味で厳しい環境です」
濃紺の瞳が、ハンスをしっかりととらえて離さない。
耳をふさぐことも、聞き流すことも許さないという強い意志を感じ、ハンスは浅く呼吸を繰り返した。
「魔獣、山賊、そしてオオカミや熊の大型肉食動物。さらには、時々起こる国同士の小競り合い。それに巻き込まれる地域の住人たちは、長い年月をかけていくつかの能力に特化するようになりました。それが、『自分以外のものの時間を数分間止める』ことです。命の危険を感じた時、その数分間のうちに武器を持つなり、少しでも安全な場所へ逃げることが可能だからです」
カドゥーレ。
妻から何度か聞いた地名。
時々、その厳しい自然が懐かしいとつぶやいたことがあった。
しかし、あまりにも遠く、辺鄙な場所なので、都会暮らしが気に入っているハンスとしては行ってみたいは全く思わず、適当な言葉で慰めた。
「お子様たちは一度もルイズ様がその術を使っているところに遭遇したことはなかったそうです。ただ、ハンス様が『聖水』を持ち込んだあと、必ず同量の汚水の入った瓶を渡されることから飲んでいないことだけは分かっていた。そして、予測できるのは、『時間を止めて含まされた汚水を吐き出し、残りは全部廃棄した』ことです。そして、それはあの、最後の夜も同じことだった」
「・・・時間を、止めたということか」
最後の夜。
妻が、男たちに犯されたはずの。
「なら、妻は。ルイズは・・・。汚されずに済んだのか・・・」
新たな真実が、ハンスに希望をもたらした。
そして、ジェームズへ思わず振るってしまった暴力への後ろめたさがじわじわとわきあがる。
「はい。スワロフ男爵たちに媚薬を飲むことを強要され、口に含んだ瞬間、彼らが油断したのを見計らって時を止めました。ですが」
シエルは言葉を切った。
「数分間の時間停止。それだけでは、歩くこともままならないルイズ様は逃げきれません」
部屋を出たところで、捕まって連れ戻されるのがおちだ。
ハンスも使用人たちも泥酔していたため、助けを呼ぶことすらできない。
「よって、ルイズ様は更にいくつかの術を掛けました。朝まで目覚めないよう昏倒させること。そして、彼らがその時にやろうとしていた事を完遂した夢を見せ、それが現実だと信じるように意識操作をした」
「なんだ・・・それは・・・」
眠らせて思うように意識操作をするのはまるで。
「ルイズは、魔女だったのか」
清らかで優しい、頼りなげな、庇護欲をそそる理想の女性。
小さな顔、きゃしゃな体。
細い指先、小さな足。
守ってやるべき存在。
それが一気にどす黒いものに塗りつぶされていく。
「・・・そうおっしゃると思いました」
シエルはまるで頑是ない子供を見るような表情でハンスを見つめる。
「あなた様のお気持ちとお考えは、この際、今は否定しないでおきます。とりあえず事実だけを。それが、ストラザーン伯爵様からのご依頼ですから」




