【閑話】カタリナの仕置き⑪ ~パンドラの箱~
「ちなみに、クリスも風魔法が主よ。魔力量は私に劣るけれど、学校でそうとう腕を上げたようね」
「待ってくれ。クリスは魔法が使えるのか?」
「ええ。学内では視覚阻害をずっとかけ続けて、いじめっ子たちの意識を躱し続けていたそうよ」
「なん・・・なんだ、それっていったい・・・」
ハンスは頭がくらくらし始めた。
まったく知らなかった。
息子が魔力を持っていたなんて。
「そこからは、専門家に説明してもらった方がよさそうだな」
それまで、じっと兄妹の会話を見守っていたストラザーン伯が口を開いた。
「先に食事をすませるために紹介が遅れたが、こちらのお二人は魔導士庁の職員だ。サイモン・シエル氏とリド・ハーン氏」
「魔導士庁・・・。なぜそのような方々が」
友人たちの中でマイク・ペレスのみが魔力があったが、それは代々騎士の家系だったのでさほど気にならなかったが、ローブ姿で魔導士庁職員となると薄気味悪さを感じる。
ハンスは見知らぬ二人の男が貴族の自分たちと同じテーブルで食事をしていることが気になってはいた。
少し離れてはいるが隣と斜め向かいに座って食事しているのをちらちらと盗み見するたびに、彼らはなんて醜い容姿なのだろうと気の毒に思っていた。
生きていくために、魔力を使うことで身を立てていたのだろうか。
「ご紹介に預かりました、サイモン・シエルと申します」
隣に座っていた鼠色の頭の男は、ごつごつとしたあばた顔からは想像のつかないようななめらかな声でハンスに頭を下げる。
「リド・ハーンです。僕たちは前職が宗教者でヘレナ様とリチャード・ゴドリー伯爵の結婚式の立会いをして、その後魔導士庁へ転籍してからも懇意にさせてもらっています」
不揃いな前歯が前に出て、色のない餓鬼のように痩せて顔色の悪い男も、透き通って心地良い声だ。
「ちなみに、ブライトン様から私たちはどのような姿に見えますか」
鼠色の男が分厚く腫れたような唇を動かし尋ねる。
「どのような・・・と」
口ごもると、にいっと笑った。
「気の毒だな、と思うような人相でしょうか」
「ま、まあ・・・」
目をそらそうとすると、手を上げて止められた。
「視線はそのまま。私をじっと見ていてくださいね」
そういうと、己の顔にすっと節くれだった手を上から下へとかざした。
「どうでしょうか。今、あなたの眼に、私はどう見えますか」
現れたのは、妹の美貌も霞そうなほどの、人間離れした顔。
髪の色も手も指も、何もかもが神の作った芸術品と言わしめる姿。
「・・・!」
斜め前の男の方にも目を向けると、彼も薄いレモン色のふわりとした短い金髪にアクアマリンのような輝く瞳の妖精のような男に変わっている。
「これは・・・」
「これが、視覚阻害の魔術の一つです。私たちの場合は魔力量が多いので体格から全て実際と見た目を乖離させています。姿を変えていた理由は、神職の上層部に見目の良い子供を性的に虐待する者が数多くいたためです」
「ちょっと・・・ちょっと待ってくれ。そんな、神に仕える人にそんなことがあるわけは・・・」
神に仕え、清い生活をすることにより規律と節制を説く場所に身を置く人にそんな。
「なるほど・・・。本当に、筋金入りの『淑女』であられる」
唇をほころばせて笑われ、血がざっとめぐった。
「な・・・っ」
「高位貴族であろうが王族であろうが、善人も悪人も存在するように、教会内部も同じです。立場の弱い人間を、支配する誘惑に勝てないのは」
プラチナのような銀色の睫毛に彩られた濃紺の瞳がじっとハンスを射抜き、たじろぐ。
「ヘレナ様いわく、彼女の王立学院在学中はそこまで暇ではない学生が多かったおかげで被害は軽微で済んだそうですが、クリス様の同学年は暇つぶしにいじめをするのが好きな子息たちが多くいて、彼らは家柄も体格も良かったため、毎日のように暴力や持ち物の損壊など受けたようです。ヘレナ様は弟の傷の手当てと制服の修復が毎日の日課でした。もちろん、お二人に『学友』なんて存在しません。醜聞にまみれたブライトン子爵家は学校では最底辺でいじめても文句は言われないからです。高位貴族の『ちょっとした悪ノリ』を咎め助ける者は教師すらもちろんいない。その件は、ご存じですよね?」
「・・・すこしは、聞いていたが・・・しかし」
カタリナにも責められたが、あまり深刻に受け止めていなかった。
しょせん、子供たちのもめごとだと。
怪我なんて、子どもなら当たり前だと。
多少の衝突を経て人づきあいを学ぶものなのだと。
上手く過ごせないなら、それはお前たちが未熟だからだと。
ヘレナとクリスに説いた。
だって、学生時代は、学校は、長い人生で一番楽しい所だ。
「醜聞?一体どういうことだ」
確かに財産はどんどん目減りしていった。
しかし、それは事業の行き詰まりや貸し倒れが続いたせいだ。
没落が醜聞というならば、他にも似たような境遇の貴族はいくらでもいる。
「『羽振りの良いころは金にものを言わせ、人身売買や薬物の密輸で荒稼ぎし、高位令嬢を騙しては純潔を奪っていた』だそうです。だから、そんな家の子どもは正義の鉄槌の元に成敗して良いと…言う名目でクリス様は追いかけまわされていた」
クリス・ブライトンは獲物だ。
学校生活は暇を持て余している子息たちの狩場も同然。
いつ、どこで捕まえて、何をして楽しむかが彼らの流行りのゲームだった。
「そんな、ブライトンは代々、才気で道を切り開いて財を成した。後ろ暗いことは何一つない。ましてや貴族令嬢を騙すなど、それが本当なら罪に問われるはずだろう・・・」
「そう、常識で考えるととっくに取り潰されておかしくない内容なのに、巷で噂は広まっていた。たいていの人は事実なんて、どうでもいいのです。いくつかの情報の中でスキャンダルが一番面白いからそれをあたかも真実として選択し伝聞する。ブライトン様も同じです。自分の都合の良いことだけを信じて、目の前の事実を認めようとなさらない」
そんなことない。
声を大にして否定しようと思った。
しかし、灰色の魔導士の濃紺の瞳がそれを阻む。
「ここで、ブライトン様に質問です。学内は平等というのはしょせん建前というのは先ほど申した通りです。もしまともに反撃したなら家門からの報復が待っています。この場合、どうすれば切り抜けられると思いますか」
「・・・俺なら。躱したり、やり過ごす」
「そうですね。でも、それが通じない場合は?」
彼らは勉学そっちのけで『狩り』を楽しみに登校していた。
学歴は金と親の権力でなんとでもなるものと気づいた途端、努力などばかばかしくてやめた。
「それは・・・」
「我々が見せたほどの『変身』はさすがに無理でも、『存在を気づかせない、又はなんとなく忘れる』ように意識操作するしかありませんよね。それが、『視覚阻害』という魔術です。これは主に光、闇、風あたりの魔力を有する者なら使うことができます。クリス様は風魔法で視覚阻害する術を習得し実践することにより、加害者たちの目を欺き続けました。それでぐんと怪我が減ったそうです」
「そう・・・だったのか・・・」
クリスが王立学院へ通い始めて二年。
問題なく過ごしているものと思っていた。
いつからか、子供たちの自分に向ける冷めた目が不快になり、金策を理由に関わりを避けていた。
彼らはあっという間に幼子でなくなり、ハンスを頼りにすることはなく、たまに会話をすればため息をつくばかり。
いたたまれない。
妻がいた時はこうでなかった。
冷え切った、がらんどうの家。
「しかし、クリス様の魔力量はけっして多くはありません。座学の時はともかく、実技などの時もおそらく術をかけていたことでしょう。そうなれば身体に相当負担がかかります。それ故、放課後には魔力切れを起こしかけることがあったようですね」
「魔力切れとは・・・どのような症状なのか」
基礎知識の座学で少しは習ったように思うが、かかわりのない事と、単位を取れば直ぐに忘れた。
「貧血や極度の空腹、もしくは脱水症状と似ています。力が入らなくなり、立ち上がる事すら難しくなり、最もひどい場合は内臓が停止し・・・死に至る」
最後の一言に、背筋が凍る。
「そんな・・・。まさか。クリスはさすがにそこまでは」
別れ際のクリスは変わりなかった。
いつもの、息子だった。
「はい。ぎりぎり家に帰りつき、玄関前で倒れたこともあったそうです。魔力は休めば少しは戻ります。ただ、地面と同じで乾ききってしまうとなかなか体調は戻らない」
シエルという男の説明は、すんなりとハンスの頭に入る。
危険な状態を潜り抜けての今なのだということがようやく理解できた。
「まったく…知らなかった」
「ハンス様が魔力保持者を忌避されていることは重々承知だったからです。そんなハンス様をぎりぎりのところで支え続けていたのは、ヘレナ様です」
ヘレナ。
その名を聞くだけで。
わけもなく不安と嫌悪が、重く、暗く、胸の奥で渦巻く。
「ここからが本題です、ハンス様。そもそも、なぜクリス様は魔力保持について、父親である貴方様に黙っていたのか。そして」
カタリナ、義兄、魔導士たち、そして侍女に騎士。
全員の視線がハンスに集まる。
彼らはみな知っていて、ハンスだけが知らない真実。
「奥方のルイズ様の最期について、本当のことを包み隠さず、貴方様にお話ししたいと思います」
パンドラの箱が、今、開かれようとしていた。




