【閑話】カタリナの仕置き⑥ ~ハリ・ブルー~
「この一か月。本当に色々調べたわ。それでようやく気が付いた。あなたたち七人のそもそもの出発点は王立学院でないことに。三十五年前の夏のヴェンティア湖だったのね」
三十五年前。
貴族の流行の最先端はヴェンティア湖周辺で夏を過ごすことだった。
裕福なものは別荘を構え、昼夜を問わず趣向を凝らした遊びに興じる。
別荘を持たない者は宿をとるか、または別荘に招かれ滞在するなど様々で、帝都とは別の社交界が出来上がっていた。
そんななか、とある侯爵夫人が別荘の庭を開放しての大掛かりなお茶会を開催した。
招待客は彼女と同世代の貴婦人たち。
子供も同伴可能だったため、侍女や乳母も含めけっこうな大人数が邸内でくつろいだ。
その中に五、六歳の子どもたちがいた。
スワロフ男爵長男、ジェームズ五歳。
リース子爵長男、デイビッド五歳。
ペレス伯爵次男、マイク六歳。
ヘザー準男爵長男、ドナルド五歳。
スターズ子爵次男、ギブリー六歳。
パット男爵次男、ミカエル六歳。
彼らは、出会ったのだ。
『わたしのなまえは、ハリ・ブルー。ごさい』
白いレースのワンピースに身を包んだ天使に。
腰まで延ばしたまっすぐな金髪。
きらきらと、ガラス玉のような青い目。
バラ色の頬。
王都でもこれほどの美少女に会ったことがない。
彼らは、恋に落ちた。
子供だったから、分からなかった。
ハリはブルーと名乗ったが、彼女の手を引いている美しい母親はブライトン子爵夫人。
そして。
ブライトン子爵家にいる五歳児は、ハンス・ブライトンであることを。
彼らはもちろん知らなかった。
ブライトン子爵夫人の故郷である南部貴族の一部に根強く残る習慣と迷信を。
子どもたちは半日の間楽しく遊び別れ際はまた会うことを固く約束していたのに、結局それきりだった。
理由は、お茶会の数日後にハリが川へ落とされ、あわやという事態になり、半狂乱になった夫人が即刻引き上げ領内の奥深くへ引きこもってしまったからだ。
以来、ブライトン子爵夫人は公の場に子供を連れ出すことをやめた。
隠し続けていた節もある。
そうしているうちに年月は流れ、流行り病で夫人が亡くなった翌年、少年たちが真実を知る。
避暑地での出会いからおよそ八年後の王立学院入学式の日だった。
『僕の名前はハンス・ブライトン。昔、ハリって愛称を名乗っていたのだけど、覚えていないかな?』
衝撃だった。
長い髪をばっさり切ったハリ・ブルーが、男子学生の制服を着ていたのだから。
そもそもの元凶は、ハンスの母であるアザレア・ブライトンだとカタリナは思う。
アザレアは、南部の広大な地を有する侯爵家の娘だった。
生家は長年の経営怠慢と浪費で資金繰りに行き詰り、羽振りの良いブライトン子爵家へとんでもない縁談を二つも持ち込んだ。
まずは、ブライトン長男と侯爵令嬢アザレアの婚姻。
そして、休眠していたパット男爵位を侯爵と妾の間に生まれた娘に継がせ、ブライトンの次男を婿養子にする。
どちらも生まれてくる子供は侯爵家の血を引くため、次代での縁組が高位貴族を狙えるようになるというので、ブライトン家はその話に乗った。
これで両家間のつながりは強固となり、資金と経営顧問を融通してもらったことにより侯爵家は復活した。
しかしそれは、子爵家への降嫁だけでも十分耐えがたく、更に異母妹とセットで売り払われたことはアザレアのプライドを粉々に砕いた。
結婚当初は初夜も拒否、数か月私室に籠城したうえ隙を見て実家へ逃げ帰ったが、父に殴られ、今度ブライトンを飛び出したなら平民に落とすと言い渡され泣く泣く戻った。
実際に暮らしてみれば実家よりはるかに裕福で贅沢三昧を許され、ようやく生まれたハンスは見たこともない程美しい赤ん坊で、そこからアザレアの暴走が始まる。
実家のある南部では子供が病気で命を落としやすく、とくに男児が弱かったため、病魔の目を欺くために七歳くらいまで女児の服を着せるという習慣があった。
信心深いつもりはなかったが、興味本位で女児のベビードレスを着せてみるとこれがとても似合っていたため、ハンスを着飾らせることにのめりこみ、二年後にはカタリナも生まれたが姑に丸投げし、ひたすらハンスだけを溺愛した。
ついには誘拐を恐れるあまり、呼び名も変える。
『ハリ・ブルー』と。
お揃いのドレスを着て外出し、立ち居振る舞いも淑女になるよう教え込むなど、異常な状態は長く続いた。
さらに付け加えると、先に男児二人をぽんぽんと産んだ異母妹をアザレアが憎むあまり、パット男爵家と没交渉にさせられていた。
もともとは仲の良いブライトン兄弟たちはこのことに長年頭を悩ませ、ようやく場を設けたのがヴェンティア湖での社交だったのだ。
まずは子どもたちから、という計画も悪くなかった。
ハンスとパット家次男のミカエルは半年ほどしか歳の差がなく、容姿が似ている二人はまるで男女の双子だった。
彼らはお茶会で会うなりすぐに仲良くなり、それにつられて両家も久々の親交を温めた。
しかし喜びもつかの間、お茶会の数日後、大人たちの目を盗んで子どもたちが川遊びをしている最中に事件が起きた。
ミカエルが、ハンスを川の中へ突き飛ばしたのだ。
そのまま落下したハンスはあっという間に急流にのまれた。
幸い、少し下流で遊んでた大人たちが異変に気付きすぐに助けたため、大事に至らずに済んだ。
ミカエルの凶行の原因は、『ハリ』が『ハンス』で男児だと知ったことにあった。
「おとこがおんなのかっこうして、きもちわるかった」と泣くミカエルを、ほとんどの大人たちは強くは責められなかった。
女装の迷信は、いわば侯爵家独特のもの。
妾腹ゆえに別邸で育ったミカエルの母すらなじみがない。
良い機会なので、ハンスを女装させるのをやめるべきだという意見が出た。
それに激怒したアザレアはハンスだけを連れて即刻私領へ行き、引きこもった。
ブライトン家もアザレアの機嫌を取り続けるほど暇ではない。
しばらく冷却期間を置いたつもりがますます手に負えない事態になり、気が付いた時にはもう遅かった。
女装は解かれていたが、ハンスはすっかり主体性のない子供に育った。
ききわけが良過ぎる、美少年。
『アザーリ(アザレアの愛称)のお人形さん』と化していたのだ。




