美形でも屑でも
ようやく迎えの馬車に乗りたどり着いたゴドリー伯爵邸は、都の最北で郊外との境目に広大な敷地を擁しており、門から見える邸宅も立派なものだった。
「書類上、お前は私の妻にはなったが、妻として遇することはない」
執務室の豪勢なソファに行儀悪く足を組んで座ったリチャード・アーサー・ゴドリー伯爵は、まるで敵を見るかのような鋭いまなざしでヘレナをにらみつけていた。
背後には主人に倣ってヘレナを見下す風情の男が四人。
身なりから推測するに執事と、秘書と、侍従と、騎士と云ったところか。
この場に四人も立ち会わせる必要はあるのだろうか。
それぞれなかなかお目にかかれないような整った容姿ではあるが、全員リチャードと変わらぬ年代、つまりいい大人だ。
この場に揃った美形五人すべてが弱者であるはずのヘレナに居丈高な態度をとる。
ようは、揃いも揃って屑の可能性が高い。
父とご学友に引き続き、また、顔だけの屑を多数引き当ててしまった。
一生このような男とばかり関わる星の下に生まれてきたのかもしれない。
だとしたら。
あまり楽しくない人生だ。
ヘレナはいっそのこと帰りたい気持ちになった。
「いいか、勘違いするな。お前のような者を愛する気はない。一切期待するな」
リチャードに対するヘレナの評価は現在マイナスを通り越してひたすら地面を掘り続けている。
いい大人が。
大人の基準とはいったい何だろう。
少なくとも顔と金は除外だ。
「私が侯爵位を継ぐまでの二年間、両親の前でのみ妻のふりをするのがお前の仕事だ」
お前呼ばわりを繰り返す元提督。
この国はこれで大丈夫なのだろうか。
愛する気はない?
そうでしょうとも。
お前も一緒にたっぷり可愛がってやると言わないだけましだが、この高慢ちきな俺様よ。
あの感涙ものの結婚式が本日挙げられたのはいったい誰のおかげだと思っているのだ。
偽装妻のなりてがなくて困っていたんじゃないのか!
心の中でリチャードの顔へ拳を繰り出し罵倒しながら、渾身の愛想笑いを浮かべる。
「それにつきましては昨日拝見した契約書に書いてありましたので、存じております」
結局、教会の祭壇であれこれを聞かされてからゆうに三時間経った。
リチャード様はすべてを綺麗さっぱり洗い流したらしく、真新しい衣装に着替え毛先から指の爪までキラキラ輝いていらっしゃる。
プラチナブロンドの長めの髪を後ろへ流し、アクアマリンの瞳はシャンデリアの光を受けて燦然と輝いた。
きっちり左右対称に整えられた眉と適度な高さの細い鼻梁。
貴公子然として容貌は、宮中で女子たちの視線を一身に集めたことだろう。
それなのにヘレナがこの部屋に通されたのはとっぷり日が暮れてからで、長い道を歩き続けた馬のように疲れはてている。
三十分ほど前にようやく表れたゴドリー家の御者の様子から、実はどうやらヘレナの存在を忘れ去っていたことも判明した。
律儀に迎えを待たずに叔母の元へ帰るべきだったと後悔する。
「…これからの生活について申し渡しておくことがある」
「はい」
次は何を言うのだろうか。
今更なにも驚かない気がしてきた。
「繰り返し言うが。お前はしょせん名前だけの妻で、俺の真の妻、そしてこの家の女主人はコンスタンスだ。一切の権限は彼女であり、使用人の差配、夜会や茶会への参加のすべては今まで通りコンスタンスがやる。俺が指示しない限り、貴族との交友は許さん」
「はい」
「当然、俺の隣の女主人部屋はコンスタンスだ。お前は敷地内の別邸で暮らせ。そして、そこから出るな。本邸への立ち入りを禁ずる」
「はい」
「どうせ贅沢な暮らしを当てにしていたのだろうが、諦めるのだな。お前はしょせん金で買った女に過ぎず、使用人と同列だ。こちらにドレスや宝石を要求するな。すでにお前の父親に多額の金を払っている。どうしても欲しいなら、あいつに頼んで融通してもらえ。それ込みの契約だ。そもそも持参金なしにしてやったのだから感謝しろ」
その金がすでにないことくらい把握しているだろう。
にもかかわらず、敢えて言うのか。
「はい」
目を伏せてヘレナは答えた。
「諸所、承知しました」
何事もあっさり頷くことは想定外だったのか、リチャードは美しい額にわずかなしわを寄せてじっとヘレナを見つめる。
「…妙に従順だな。何か企んでいるのか」
今度は企んでいるのか、と?
なら、少しは踏み込んで見せても良いか。
「今はこの家の流儀が何もわからない状態なので、『はい』と答えるしかありません。ただ」
「ただ?」
「一つだけお願いがあります」
「…なんだ。聞くとは約束せぬが、とりあえず言ってみろ」
明らかに、面倒だという声を前面に出す。
それにひるんではならないというのは、これまでの経験から十分にわかっている。
「私がこれから過ごす予定の別邸とやらですが。今から貴方様と執事、秘書…。少なくとも三名ご同行願います。そしてご一緒に施設の状態を確認のうえ、どのように暮らすべきなのかきちんとご指導いただきたいのです」
ヘレナの要求に、リチャード本人だけでなく背後に控える男たちも顔をこわばらせた。
「なんで俺がわざわざ…」
おそらく、この話を切り上げたらすぐにでも新妻の元へ走るつもりだったのだろう。
彼の全身から発せられた苛立ちが部屋を包み込み、ヘレナをねじ伏せようとする。
「契約というものは、何事も確認が必要かと思います。ましてや我々は本日初めて顔を合わせなのに、これから二年その生活を続けねばなりません。
偽装結婚は貴方様自身初めての試みですよね? 綿密にご準備なされたでしょうが、慣れない故に想定外のこともあるかもしれないとはお思いになりませんか。
私が何度も皆さんを呼び出してしまう事態になるよりも、今、一括で片づけた方が楽だと思うのですが」
見た目が十代前半の極貧地味顔小娘がここまで言うとは思わなかったのだろう。
彼らは口を半開きにしてヘレナを見つめている。
「わたくしの勝手な推測ですが。これほどの規模のお屋敷であれば、たった一つの指示でも幾人もの使用人を通してようやく実行することとなります。しかもこれほど変則的な内容では、現場は混乱し、上の方の計画通りにいかないこともあるかと思うのですが」
使用人を束ねている執事の顔色が変わりもの言いたげな様子だったが、気づかぬふりをして言葉を重ねた。
「それとも、みなさん」
ここは、挑発が必要。
彼らの機嫌をさらに損ねたところで、痛くも痒くもない。
「昨日の今日ですべて間違いなく行われていると自信をもって断言できますか?」
この手の男たちはプライドがとてつもなく高い。
仕事ができてないのではと言われると、意地になるだろう。
そもそも…。
ヘレナの予想が当たっていればおそらく。
「・・・そこまで言うなら、今すぐ案内しよう。お前たちも良いな」
「はっ」
かかった。
ヘレナは踊り出したいのをきゅっと全身に力を入れて耐える。
神経を逆なでされた男たちは、簡単にえさに食いついてくれた。
全員やる気満々だ。
荒馬のように気が逸っている様子に、ヘレナは心の中で勝利のこぶしを握る。
この男たちが立ち会ったところでたいして事態は好転しないかもしれないが、いま下級使用人に引き渡されるよりはるかにましだろう。
「私のわがままを許してくださり、ありがとうございます」
「勘違いするな。けっしてお前の頼みを聞いたわけじゃない。これは、仕事だ」
結局、リチャードたちは不機嫌な面持ちのまま、まるで罪人を引っ立てるようヘレナを連れて執務室を後にした。