【閑話】カタリナの仕置き⑤ ~処罰へ向けて~
柔らかな光が瞼の上を通り過ぎる。
ふいに喉が開いて空気を取り込んだ。
「あ、もう大丈夫ですね」
低い声が歌うように告げた。
ああ、俺はまだ生きていたのか。
ゆっくりと目を開くと、そこにはドブネズミ色の頭をした、信じられない程醜い男が顔を覗き込んでいた。
「ぶさ・・・いく・・・」
かすれてうまく紡ぎだせないが思ったままを口にする。
「ああ、脳も通常通りですね」
やたらと大きく分厚い唇を歪めて男が笑う。
「ありがとう、魔導士様。死にかけたせいで善人になられていたら寝覚めの悪いところだったわ」
花が匂いたつような艶のある声は、あの女しかいない。
「なんだ・・・。カタリナ、お前まだいたのか」
言った瞬間、いきなり全身にびりっと痛みが走る。
「っ・・・?」
衝撃に、せっかくまともに動いていたはずの心臓が止まりかけたように思う。
自分の意志とは関係なしに、手足が痙攣する。
「うん、こちらも想定通りの動作を確認できました」
白髪のような金髪の青白い顔の細い青年が鶏のような細い指で首元を触れてようやく、己の首に金属の輪がはめられていることに気付く。
「これはなんだ」
全身がなまりのように重く、指一本動かせない。
辛うじて使える声帯で問うと、乗馬服姿の女は冷たく笑う。
「勘の良い男ね。なのにここまで落ちぶれてしまった理由は、破滅思考だからなのかしら」
黄金の糸のような髪、深い海のような瞳、三十代後半とは思えない若々しく整った造作。
カタリナ・ブライトン。
「マリラ、マーサ、マレナ・・・。スミスの魔女・・・。アイツらさえいなかったら、あん時、とっくに美味しく頂いていたものを・・・ぐっ!」
言った瞬間、また、全身にびりりと痛みが走り、寝台の上で打ち上げられた魚のようにガタガタと身体が勝手に跳ね回る。
今度は舌を思いっきり噛んでしまい、口の中に鉄の味が広がる。
「これのどこが勘が良いと?いらぬ口をきいて、自滅しているじゃないか。しかも、後生大事に二十年以上前の護衛の名前を憶えている執心ぶりだぞ」
冷え冷えとした緑の瞳で見下ろすのは、カタリナを手に入れた男。
エドウィン・ストラザーン伯爵。
「まあ、三姉妹の返り討ちは容赦なかったから忘れたくても忘れられなかったんじゃないの」
夫婦でいちゃついている間に視界を探る。
寝台しかない狭い部屋の中に現在いるのは、ストラザーン夫妻と、ローブ姿の不細工な男二人。
いつもしつこくついている護衛騎士たちがいないのに気づいた。
それならば・・・逃げることは可能か・・・?
「ああ、今、この面子なら逃げられるかな?とか思いましたね。残念ながら逃げられませんよ。貴方は本当に頭の悪い男ですね。さっきからカタリナ様に無礼な口をきくだけで全身に雷を通されているというのに、どうやって襲い掛かるおつもりですか?そもそも、まだ粉砕された足の骨を接いでいないから立ち上がれませんよ」
ドブネズミの男が説教しながら足元へ移動した。
もう一人の棒切れのような男と二人で足首に触れ、何かをしたと分かった。
ひやりと金属めいた何かを感じる。
「・・・足に鎖でも嵌めたのか。俺は単に金を巻き上げようとしただけだぜ。私怨でそこまでしていいのかよ」
「そうね、ハンスにねだって使い込んだ金は二十五億ギリア程度かしら。親友の皆様と豪遊したのまでは足していないから、実際はもっとだろうけれど、会計士たちもいいかげんうんざりしていたから打ち切ったわ」
会計士?
眉を顰めると、カタリナが唇を上げた。
「ハンスはザルだけど、父とヘレナは違うから。金の収支はきちんと追って付けていたのよ。デイビッドとあなたがハンスを嵌めて転売しようとしたあの屋敷、隠し部屋に帳簿を保管していて、クリスがちゃんと回収してくれたから会計士を複数雇って一か月がかりで解析したわ。そのせいで、お二人の涙あふれる友情決別劇場をお待たせすることになったのだけど」
一か月。
気が遠くなる時間をずっと地下牢で過ごした。
昼夜問わず責め立てられたり、放置されたり。
朝なのか昼なのかわからない状態が続き、ようやく終わりを告げたのが今日だった。
「でも、長く待たせたおかげで、あなたはとってもキレ易く、ものの数分で本性を晒してくれたから助かったわ。ありがとう。ハンスの目を覚まさせてくれて」
「あれは・・・計算のうちだったのか」
自分がルイズのことをぶちまけ、ハンスを発狂させることが。
「そうよ。あなたはそのために生かされていたの。わざわざ」
女が青い瞳を細めると、光が増したように見えた。
「ハンスがあなたの口から本当のことを聞いて、あなたたちを本気で憎まない限り、ブライトンは幕を引いたことにならない。これでようやく一つ片が付いたわ。それで今度はあなたの番」
「俺の・・・番だと?」
これは、何を企んでいる?
「ええ、そうよ。ジェームズ・スワロフ男爵。ハンスがずっとあなたを親友だと信じたかったように、あなたも顔を背けてきたことがあるわよね?」
バラ色の唇が妖艶に笑った。
「ハリ・ブルー」
「・・・っ」
「知らないとか、覚えていないとか今更見え透いた嘘は言いっこなしよ?」
暗い灯りとカーテンのない窓からの月明かりに、女の無慈悲な笑みがくっきりと浮かぶ。
「そんな因縁のせいでこうなるなんて」
馬鹿なのか、純情なのか。
ハンス・ブライトンの妹はあきれ返ったため息をついた。




