長い夜
「スワロフ男爵は、どのように言っていましたか。できれば詳細を教えてください」
至って冷静な姪に、カタリナは違和感を感じる。
「ええ・・・。まず、マイク・ペレスがハンスを酔わせ、デイビッドが使用人たちに睡眠薬入りの酒をふるまって全員動けなくしたと。そして三人はルイズ様の寝室へ合流し、媚薬を飲むことを強要して事に及んだ・・・。死ぬ前に良い思いをさせてやったのだから今頃あの世で感謝されているさとこの期に及んで世迷言を言うから、とりあえず夫が何発か殴ったけど・・・」
彼らは、媚薬を渡してルイズに告げた。
俺たちと気持ちよくなって逝くか、
無理やりされてひいひい泣きながら逝くか、
どちらかを選べ。
三人とヤることは決まっている。
お前の夫の『ご学友』のよしみで選ばせてやる。
ちなみに助けはこない。
夫も使用人も今頃夢の中さ。
ルイズは震えながら媚薬を飲むことを選び、
三人の男は同時に襲い掛かった…。
「ありがとうございます。そういうことだったのですね。これでようやく全容が分かりました」
「・・・どういうこと?」
「とても聞ける状態ではなかったのです。母が這うようにして私の部屋へたどり着いた時には、もう。なぜなら母は・・・」
ヘレナは一度ふかくふかく、息をついた。
「魔力切れを起こしていましたから」
それも、かなり重症な。
「え・・・?どういうことなの」
「あの夜のことは、叔母さまにもまだ詳しくはお話していませんでしたね。前にも言った通り、母はそれなりの魔力量保持者で闇魔法が主力でした。しかし父は魔力持ち、特に闇魔法に偏見を持っていたので、秘密にしたいというのが母の願いだったので・・・」
「なぜ?確かにハンスは魔力持ちでなかったから・・・。ある意味コンプレックスを持っていたわ。でも、だからと言って・・・」
「父は不思議なことにまじない師や迷信は信じるたちでした。だからこそ言えなかったのです。闇魔法が使える女を妻にしたということは、今の生活は彼女に魅了されてのことではないかと疑い始めるのではないかと・・・母はそれが怖かった」
「私とクリスにとって、不可解でしかないのですが・・・。母は、父のことをとてもとても・・・。愛していたのです。だから、愛を疑われることだけは耐えがたかった。そしてあの夜、死と引き換えに挑んだのです。三人の男に対して」
なぜ、あんな男のために。
何度思ったことだろう。
「おそらく母は、三人が襲い掛かった瞬間にしばし時を止め、媚薬の大半を吐き出し、彼らに術をかけました。『彼らの望み通りの夢を見せる』ようにと」
あの夜。
慌てて母をヘレナのベッドへなんとか導いて寝かせた。
彼女は息も絶え絶えな中、力を振り絞ってヘレナに告げた。
まずは、夜が明けるまでこの部屋を出てはならない。
とくに絶対に母の寝室へ行くな。
今、『ご学友』たちの計略にはまったがなんとか逃れられた。
しかし、時を止めて『夢』を見せるために力を使いすぎてしまった。
自分の命ももう持たないだろうけれど、彼らの思い通りにならなかったことだけは誇らしく思う。
言い終えるなり、母は血を吐いた。
「あの三人の中に、騎士のマイク・ペレスがいました。彼は魔力持ちで一応王立騎士団の隊長格でした。おそらく彼の記憶と魔力をねじ伏せるのが一番困難だったと思われます。三人の時を留めて眠らせ、『いい夢を見せる』ために最大限の魔力を放出し、母の中の器に傷がつきました。今思えば、あの衰弱した身体で即死しなかったのが不思議なくらいです」
「そんな・・・。たとえ一瞬でも時を止めるなんて、魔導士庁でも最上級よ?そんなことが」
魔導士庁にはカドゥーレ出身者がいないため全く情報がない。
盲点だった。
「母の集落はいわゆる『山の民』ですが、辺境の護りと魔獣狩りで代々生計を立ててきました。短命な理由は遺伝病のほかに特異な魔力のせいでもあったのです。そうですね。『時を止めた』というより、正確には『意識を縫い合わせた』ということだと思います。力のない私にはとうていできませんが」
男たちを見送り、家と家畜を守る女たちが自然と編み出し受け継いでいった魔法。
奇襲を受けても、一瞬の隙さえ作ればなんとか生き残る可能性ができる。
だから、『闇魔法』に特化する血脈が生まれた。
「だから、魔力切れ・・・なのね」
「はい。ポーションの類が当然家にはなく、魔導士の知り合いもいない。ましてや就学前の私には対処法の知識が全くなくどうにもできませんでした。できたのは、私の中の魔力を母に渡すことだけ」
「それって・・・」
以前、御者の死の件について検証した折にカタリナがヘレナから聞いたことだ。
魔力のやり取りを学び、母に渡したことがあると。
「あの日の母の器は、大きく、ひび割れていました。どんどん・・・どんどん、命と魔力が漏れていくのを感じながら、一生懸命、母の手を握って私の中で作られる魔力を注ぎ続けました」
しかし。
ヘレナのつぎ込む魔力よりも、母の身体から零れ落ちていくそれのほうが勝った。
カンカン照りの太陽に照らされ干からびつつある器に、指先に付着した程度のわずかな水をたらすようなものだ。
「間に合わないのは分かっていました。どうにもならないのも。でもどうして諦めることができるでしょう。私は母から魔力を渡すすべを習って、出来るのに」
光魔法を駆使出来ればひびを埋められるのではないか。
一瞬でも母の時間を止めたら。
色々考えが頭を駆け巡る中、必死で魔力を作って渡し続けた。
けれど。
「私ごときでは救えなかった。母も、もう良いから・・・と、そう言うのがやっとで。もうそのあとは・・・」
明け方、異変に気付いたクリスが隣室から駆け付け、すぐに酔いつぶれた父を見つけ出し、バケツに水を汲んできてぶちまけ、たたき起こした。
ようやく正気に戻った父が駆け付けて。
手を握り続けていたヘレナを突き飛ばし、今際の際のルイズにすがった。
魔力を注ぐヘレナの手が離れたからなのか。
それとも、本当にそれが限界だったのか。
今となっては分からない。
父が泣き喚く中、母は朝日を浴びながら静かに息を引き取った。
「もしも、スワロフ男爵たちがこなければ・・・。父が家へ迎え入れなければ。母はあと数日生きられたかもしれない。あんな思いをさせずに穏やかに旅立てたはずだ。そう思いました。でも、もうどうにもならない。母は死んでしまった」
半狂乱の父を、さも思いやりのあるふりをして慰める三人の男。
彼らが出てきた母の寝室は、惨憺たる有り様だった。
まだ十二歳だったけれど。
ほんのひと時でも娼館へ売り飛ばされたおかげで、いらぬ知識がついていた。
これは、彼らの夢の跡。
だけど、父に見られてはならない。
使用人たちが慌てふためく中、ヘレナはひそかに証拠隠滅をし、母の名誉を守った。
「母は、父を愛し、貞操を守るために精一杯戦って死んだ。それが私の知る真実です」
今もスワロフの中でその汚らわしい『願望』が『真実』ならば。
母は、勝ったのだ。
最後の最後に。
長い。
長い夜が。
ようやく明けた。




