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おともだちができました


「あ、すみません。食事中に無作法を」


 司祭は慌てて謝った。


「いえ、もう食事は十分頂きましたのでお気になさらないでください」


 ふとヘレナはワンピースのポケットに携帯していた物を思い出す。


「あの…。些少で申し訳ないのですが、どうかこれをお納めくださいませ」


 ハンカチを一枚ずつ、彼らの前に置いた。


「これは…」


「お礼をするときのために持ち歩いているものでして」


 司祭たちはゆっくり手に取り、膝の上に広げた。


「とても、見事な刺繍ですね」


 白いハンカチにはそれぞれ、ヤドリギと青い鳥を細かく縫い散らしている。

 吉祥のモチーフとしてよく使われるものの、一か所ではなく四方をぐるりと囲まれている上に綿密に絡み合ったデザインとなるとかなり手間がかかる事を二人は理解していた。


「実は私。親に内緒で、縫物の内職で日銭を稼いでいたのです」


 父はこうなった今でも浮世離れしたままで、人は生きているだけで金がかかるという単純なからくりがどうしても理解できない。

 「生活費がない」と訴えても、ピンとこないのだ。


 金がないなどあるはずはない。

 貴族なのだから。


 子どもながらに危機感を持ったヘレナが今後について問うた時、父はきょとんとしていた。

 明らかに困窮しているのに、現実をかたくなに認めない。

 このままでは冬になるころに確実に餓死か凍死する。

 生きるためには内職をするしかない。

 しかし、父の貴族としての矜持と寄生虫のような友人たちが障害になる。

 ヘレナは隠れて稼ぐ道をを選んだ。



「なるほど、これほどの出来栄えならば取引相手も満足なさるでしょうね」


 助祭はじっくりと刺繍を眺め、感心したようにうなずく。


「ありがとうございます。こういったものなら父たちは仕事だと気づかないので」


 幸いなことに手習い程度と思ってくれた。


「…しかも、これはかなり強力な加護縫いですね」


 ハンカチを広げた膝の上に目を落としたまま司祭はぽつりと言う。


「お気づきになられましたか」


「ええ、ヘレナ様は魔力がおありだ」


「いえ、『持っている』というほどではありません。どれも微弱で生活魔法がやっとです」


「いや、まんべんなく魔力をお持ちの方が実際は希少なのですよ」


 ヘレナは、火、水、風、土、光、闇の六大魔法を少しずつ操ることができる。

 それらを駆使して、刺繍に加護を込めた。


「例えば、お二人のようにですか」


 背筋を正し、まっすぐに正面を見つめる。

 助祭はぎょっと動揺した顔をしたが、司祭の表情は凪いだままだ。


「ああ、やっぱりね」


 くすりと司祭が笑う。


「目が合った時、あなたにはばれたなって思ったんです」


「あ~。そうだったんだ…。ならもういいですかね」


 二人が同時に指をぱちりと鳴らすと、空気が揺れた。

 ドブを走り回るネズミのように薄汚れた毛並みだった司祭の髪は同じ濃い鼠色ながらも絹糸さながらの艶やかな髪質に変わり、ごつごつだった輪郭とあばた面が、きめの細かい白い肌の細おもて、そしてラピスラズリの瞳になった。

 滅多にお目にかかれない美形の若い男が目の前にいる。

 そして、白髪に近いクリーム色の散切り頭に青白いそばかす顔だった助祭は、ひよこの産毛のような金髪にアクアマリンのような薄い水色で、彼もまた美しい青年だった。


「ああ…。瞳の色は一瞬見えてしまったのですが。やはりお綺麗ですね、お二人とも」


 ヘレナは感嘆のため息をついた。

 いざ目の前に並ばれると圧巻である。

 まるでエルフ族を思わせる美しさだ。


「ありがとうございます。この場限りということで、しばし内密にお願いします」


 長い人差し指を形の良い唇に当ていたずらっぽく笑われ、こくりと首を縦に振る。


「はい」

「ありがとうございます」


 経験上、外見が美しい人にはどうしても警戒心を抱いてしまう。

 しかしこの二人は、心根がまっとうだ。

 安堵のため息をついた。


「視覚阻害の魔法が念入りにかかっているなと思っていたのです。あえて破る気はなかったのですが」


「あなた自身、意識阻害をかなり用いているから気づいたのですね」


「はい。私と弟の衣服を縫う時に、片っ端からかけています」


 特に弟は制服から下着、靴下まで、ヘレナは全ての縫い目に執拗なまでの意識阻害を念じた。


「最近、成長とともに弟は格好良くなってきたので。まずいなあと」


 姉の欲目ではない。

 幼いころはヘレナとそっくりの目立たない容姿だったが、身体的にも弟は父の家系の良いところがだんだん発芽してきたように思う。


「備えはあるに越したことないですねえ。貧しい場合は特に」


「私たちのように売り飛ばされますからね、身内に」


「売り飛ば…されたのですか?」


 ここは教会。

 そして二人は宗教者だ。


「知る人ぞ知るですね。男児を金に換えられるのは娼館だけではなく、修道院もなのです。ほら、どちらかというとあからさまでない分、売る側も罪悪感がないんで」


 ひらひらと助祭が手を振る。


「十年前後の従属を条件に金が貰えるなんて、普通に考えたらおかしいでしょう?どう扱われるのかわかっているくせに、神への奉仕という建前を信じたふりをして引き渡すんです」


 この国の宗教は男女を別とし、宗教者の婚姻禁止と禁欲を律する。

 しかし、それはあくまでも表向きのこと。

 金を積めばどのような結婚式も承認するように、子供の修道士たちが欲の餌食になっていた。


「そんなことが…」


 なんとなく優しい世界ではないだろうとは思っていたが、想像以上に腐敗している。


「ちなみに私たちはたとえ死んでも奉仕はしたくない派だったので、同じ考えの仲間に身を隠す術をこっそり教わり、まあ、ぎりぎり全部は持っていかれませんでしたが」


 それでも、今もこうして厳重に術をかけていたということは気の抜けない日々だったということで。


「それは…大変でしたね。ご苦労様でした」


「いえいえ。実は我々最後のご奉公だったのです。この挙式」


 ねえ、と二人は顔を見合わせて笑っている。


「え?」


「これでようやく円満に契約終了となりましたので、数日後には還俗して野に下ります」


「まあ、そうなのですか。おめでとうございます」


 初対面ながらも彼らに親しみを覚えるヘレナは、解放されることを心から喜んだ。


「まさか最後の最後でこれとは…。まあ、誰もやりたくないので私たちのような若造によく押し付けられるのですよね」


「それは、この偽装結婚がばれた時の責任問題が生じるからでしょうか」


 偽りは意外と明るみに出やすいものだ。

 高位貴族たちの勢力争いや愛憎に巻き込まれ、リチャード・アーサー・ゴドリーを陥れるときの手札とされた場合。

 それを教会の幹部連中が考えないわけはない。


「その通りです。裁判沙汰にでもなった時、誰が執り行ったかと責められること間違いなしですから、いなくなる私たちはうってつけだったのでしょう」


 なんとなく、同志めいた気持ちが湧き上がる。


「これから、どうなさるのかお聞きしても?」


「ええ、もちろん。魔法庁に就職できました。我々の能力を売り込み、なんとか転がり込むことができましたので」


 二人は、晴れやかな顔をしている。

 彼らの美しさは、経験と心に基づくものだ。

 これから、存分にその力を発揮できるだろう。

 ヘレナはその笑顔の眩しさに目を細めながら、少し、うらやましく感じた。


「お二人のこれからに、幸多くありますように」


 目を閉じ、二人の幸せを祈った。


「祝福をありがとうございます。そういえば、自己紹介が遅れました。私はサイモン・シエルと申します」


 司祭は立ち上がり、胸に当てて軽く礼をする。


「ぼくは、リド・ハーン」


 助祭も立ち上がり、朗らかに笑った。


「これも何かの縁です。私たちの友になっていただけませんか、ヘレナ様。」


 サイモンの言葉に目を見張る。


「なんとなく、これからもかかわりがありそうな気がします。良い意味で」


 そもそも、今の時点で秘密を共有しあっている。

 というか、ついつい色々さらけ出してしまった気がする。


「たしかに、お二人のこと…。なんだか他人でない気がしてきました…」


「きまりですね」


「嬉しいなあ」


 ふわふわとした気持ちになり、三人で笑いあった。


「これからもどうぞよろしくお願いします」


 今まで魔力の使い方で相談できる人があまりいなかったので、心強い。

 すっと二人は背筋を伸ばし、祈りの姿勢をとった。

 古代語らしき言葉を詠唱しだす。

 サイモンの低く深い声と、リドの高く透明な声が絡み合い、新たな音を作り出す。

 ああ。

 本当に二人の声は綺麗だ。

 流れる旋律が心地よい。


「ヘレナ・リー・ストラザーン伯爵令嬢。またの名をヘレナ・リー・ゴドリー伯爵夫人。どちらのあなたも未来に幸多からんことを、我々はこれからずっと祈り続けるでしょう」


 やわらかな光がヘレナをゆっくりと包みこんだ。


「…何よりの宝をありがとうございます」


 身体の奥底がじんわり暖かい。

 これから何があっても、頑張れそうな気がしてきた。


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