戦闘服と布の服
「お前、どういうつもりだ」
ゴドリー夫妻との会談から辞して再び別邸へ戻った後、ベージル・ヒルはヴァン・クラークには『話がある』と別邸の中へ誘い、入るなり彼のタイをつかんで壁に肩を打ち付けた。
ダン・・・と低い振動がホールに響きわたる。
「・・・っ、痛っ・・・。いきなりなんだお前」
顔をしかめ、首元を握りしめる拳を両手ではがそうとするがびくともしない。
「さっき。コンスタンス様が泣き出した途端、お前言おうとしただろう、『アリ・アドネ』が誰かを」
「・・・何が悪い。かわいそうだろう。こっちに来て貴族の女たちに無視され続けているんだ。ドレス一つで改善するなら、安いもんじゃないか」
「ドレス一つ?お前、本気で言っているのか!!」
ヒルが繰り出した拳がクラークの頬に直撃し、そのまま彼は床に転がった。
「・・・っ」
「お前、ここに顔を出している間、何を見ていた。ヘレナはあの衣装を作るだけでも十日近く休みなく命を削るような仕事ぶりだったのを忘れたのか!!」
「春の社交シーズンといったら何か月も先じゃないか!!それなら十分時間もあるだろう、こんなに近くに何とかしてやれる人がいるってのに、なぜ秘密にする必要がある」
「ああ、やはり、言おうとしましたね」
応接室のドアが開いて、ひょっこりシエルが顔を出した。
その前には毛布をマント代わりに巻かれたヘレナが立っている。
おそらく毛布の下にはパールを抱いているのか、もぞもぞと前が動く。
「やはりって?」
ヘレナが背後を見上げると、彼は慈愛に満ちた笑みを浮かべ両腕をヘレナの首の前で交差させた。
「クラーク卿は口を滑らせそうだなと思ったので、もしそうなったら喉が少しだけきゅっと締まるおまじないを・・・」
「お前・・・。やはりお前か」
クラークは頬を抑えて立ち上がり、ラッセルたちを迎えに来た時にシエルからすれ違いざまに肩を叩かれたことを思い出す。
妙になれなしいと思ったが本邸のことに気を取られていて深く考えず、術をかけられたことに全く気付かなかった。
「あれはちょっとどころじゃなかったぞ、しばらくまともに呼吸ができなかったじゃないか!」
「でも暴露するのを思いとどまったら、息ができるようになったでしょう?」
ヘレナを背後から抱いたまま、冷たい視線をクラークへ飛ばす。
「良かったですね、その程度で済んで。無理矢理言ったなら、喀血くらいはしたでしょうから」
まるで他人事のように恐ろしい事実を告げるシエルに、クラークは青ざめた。
「うわ。アレ、そういうことだったんだ・・・」
クラークが呼吸困難を起こしていた時、ゴドリー夫妻の向かいに座ってクラークを見ていたミカとテリー、そして彼らの背後にいたヒルは固唾をのむ。
異変には気づいていたが、まさか。
「魔導士さん、容赦ないわ・・・」
当の本人はヘレナの温め係が楽しいのか言うだけ言ったらご機嫌になっている。
「あー。私は別にいいのですけどね。バレたところでその時はその時なので」
ヘレナは背後の暖房はそのままに、こてんと首を傾け、「クラーク卿、頬骨と喉大丈夫ですか?」と尋ねた。
「なら・・・」
期待に満ちた表情を浮かべ、ヘレナに向け一歩を踏み出す。
ヒルがクラークに食って掛かろうとするのをミカとテリーが止めた。
「でも、バレることと仕事受けるのは別ですよ?クラーク卿、奥様は私にドレスを作らせたいのですね?」
テリー・ラッセルとの面会をコンスタンスが望んでいると聞いた時から、おおよその見当はついていた。
別邸からラッセル商会を引きはがすか、『アリ・アドネ』へのつなぎを取らせるかのどちらかだろうと。
「そうだ。夜会、正餐会、お茶会でとりあえず一着ずつ、社交シーズン再開までに」
「ばかですか」
「は?」
「いや、馬鹿にしていますね?部屋着ならともかく、社交界で競い合う為の戦闘服を素人に作らせるなんて、帝都中のドレスメーカーたちを敵に回すようなものです」
首元からもぞもぞと頭をのぞかせたパールと二人でびしっと険しい顔を決めた。
毛布の間から顔だけ出したフェンリル犬、毛布ぐるぐる巻きで立つ小さなヘレナ、それを後ろから抱きしめる高身長のシエルの三人が合体したような見た目で、ミカとテリーは口元に拳を当てて笑いの衝動をやり過ごす。
「それはどういう・・・。戦闘服とか、大げさだろう」
しかし、『アリ・アドネ』にこだわるクラークはその視覚の暴力は通じないらしい。
なんとか説得を試みようと頑張っている。
「これでわかりました。クラーク卿は正装の女性のドレスをご存じない」
「夜会くらいは行ったことある」
「でも、脱がしたことはないですね」
見た目子ども中身は十七歳のヘレナの大人な発言に、全員、驚きの目を向けた。
「当たり前だ!!」
クラークは何の話をしているのか、だんだん分からなくなる。
「だからわからないのです。構造が複雑すぎて、簡単に脱げないし着られない代物だということを。ドレスによっては留め具が一切なく、着衣の時に侍女が糸で縫い閉じるものもあるのです。当然ながら糸を切ってもらわねば脱げません。ただ一人の人を誰よりも美しく見せるために知恵と技術をつぎ込んだ衣装、それが正式な場で身に着けるドレスです」
「は・・・。なんだそれは・・・」
「貴族の女たちの正装を舐めちゃいけません。あなたがたはドレスに関わる事象をあまりにも甘く見ている」
ヘレナは母の死後から下請けを始めた。
最初は信用も経験もないから、些細な仕事しかもらえなかった。
今の状態になるまで、およそ五年だ。
「下請けが長年ドレスを作り続けた人々を乗り越えることは無理です。知識、才能、技術のどれも足りないし、私のやるべきことはそれじゃない」
袖一つをとっても複雑怪奇な型紙をひき、縫い合わせて立体化していく。
出来上がった時の感動と恐れは今でも変わらない。
一からデザインして構築するなんて、ヘレナ程度にはまだ荷が重すぎる。
「もしコンスタンス様が私の作ったドレスを一度着たら、笑いものになるばかりか、帝都内で衣装を作ってもらえなくなるでしょう。下手したら装飾品も靴もバッグも、全て」
それは、社交界からの追放に等しい。
少なくとも、コンスタンスが試みてはならない賭けだ。
「なんでそこまで断言できる」
「身元調査でご存じかと思いますが、亡き母が王宮のお針子だったからです。母は亡くなる直前まで、私に様々なことを教えてくれました。その一つが、貴族社会の決まりごとの多さと人の恐ろしさです」
貴族社会の秩序は女性たちによって保たれている。
社交界はダンジョンにも等しいとヘレナは思う。
「ここは慎重になるべきではないでしょうか。コンスタンス様に今必要なのは、社交界で優位を見せつけることではなく、融和です」
知れば知るほど建前と暗黙の了解が多すぎて色々面倒だとしみじみ思う。
だから、ブライトン子爵家が消滅しても別にかまわなかった。
平民として生きる準備はそれなりにできていたのだから。
「それを、俺がリチャード様に進言すべきと?」
「ええ。まあ、耳に届くかどうかはなはだ疑問ですが」
すると、クラークは髪をかき上げ、ため息をついた。
「・・・悪かったな。無断であんたのことを報告しようとして」
「いえ。ヒル卿の一発は結構痛かったでしょう。それで十分です」
クラークの頬は赤くはれて、端正な顔が台無しだ。
「めちゃくちゃ手加減したぞ。そんなんでいいのか」
不満げなヒルの一言に、ヘレナは思わず笑った。
ヒルが本気を出したら、床に転がる程度では済まなかっただろう。
「たしかに。手加減をありがとうございます」




