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蜘蛛の巣の上


「へえ・・・。さすがは侯爵令息のお屋敷」



 絢爛豪華なホールに立ち、シャンデリアと装飾品、そして正面の大理石の階段をぐるりと眺めてミカがつぶやく。


「別邸の内装も凝っているなあと思ったけど、こっちは帝都でも指折りだね」


 商会は貴族の御用聞きとしてたいていどの屋敷にも出入りしている。


 帝都にいる時のミカは、服飾と装飾に強いテリーの姉のマリアムの護衛兼侍女として活動することが多い。


 扉を開けたホール係以外の使用人たちはちらちらと遠巻きにラッセル商会の二人を見ているだけで、整列も挨拶もせずにひそひそと会話をしている。



「さて、仕事をしますか」


 上階からの気配にミカはウエストの前で両手を組んで背筋を伸ばし、テリーより一歩後ろに引き、いわゆる「侍女立ち」をした。


「ようこそおいでくださいましたラッセル様。奥様がお待ちかねです」


 階段を降りて出迎えに現れた若い女は、おそらく女主人付きの侍女。


 途中で足を止めて見下ろし、居丈高な調子で言う。


 商人風情がと蔑む態度を隠さない。


「・・・」


 テリーは黙ってその侍女の顔を見つめた。


「な、なんですか。さっさと・・・」


 耳障りな声がホールに響く。



 そこで再び玄関の扉が開いた。



「ドリス。君はとても忙しいようだな」


 遅れてやってきたクラークとヒルに侍女はさっと顔色を変えた。


「彼らは私たちが案内する。君は先に戻るが良い」


 低く抑えたクラークの声に、息をのみ動揺をあらわにする。


 おそらく、彼らが同行しているとは知らなかったのだろう。


「は、はい・・・。では私はこれで」


 慌ててドレスの裾をひるがえし、足音も高らかに去っていくのを四人は見送った。


「へえ・・・」


 ミカが首を巡らし一階を見回すと、ホール係や取次の侍女たちが口をつぐみ、一斉に視線を落とした。


「ますます面白いね、ここ」


「本当にすまん・・・」


 目をキラキラと輝かせるミカに、ヒルはため息をついた。




 クラークの案内で二階へ上がると、今度は執事のウィリアム・コールが足早に近づいてきた。


「ご多忙な中、申し訳ありません。こちらになります」


 ラッセルの二人に頭を下げ、手で行き先を指し示す。


「・・・コール?俺はコンスタンス様からサンルームへお連れするようにと聞いていたが」


「変更になった。執務室横の応接間だ」


 女主人専用の場ではなく、男主人が使う部屋に変更になったことを全員が理解した。


「うわ、ますますわくわくしちゃうや」


 ぽろりとこぼしたミカの肘を素早くテリーが小突く。


「・・・要するに、リチャード様もご一緒にお会いになるということですね。わかりました」


 軽く咳払いをしてテリーはなんとか取り繕うとするが、ミカは至って自由だ。


「ねえ、コールさん、それって秘書の人も臨席するのかな」


「はい。おります」


「いいねえいいねえ。これで関係者が一堂に会すってことか」


 舌なめずりせんばかりの声に嗜めることをあきらめたテリーはふと考える。


 確かに、これは絶好の機会かもしれない…と。




「久しぶりだな、ラッセル」


 案内されて入った豪華な応接室には、軽くジャケットを羽織ったリチャード・ゴドリー伯爵と、豊かにうねる黒髪を背に流した女性がぴったりと寄り添って長椅子に座っていた。


「ご無沙汰しております」


 テリーとミカは頭を下げ深く礼の形をとった。


「こちらが、私の妻のコンスタンスだ」


「初めまして。コンスタンス・マクニールと申します。ようやくお会いできてうれしいですわ」


 リチャードに身を預けたまま、唇の端を上げて妖艶に微笑む。


 来客と接するにはずいぶんと砕けた服装で、テリーは困惑した。


 前も留めずに羽織っている長いガウン状の上着の下はシュミーズドレスといったところで非常になまめかしい。


 これは高級娼婦の昼間の衣装そのままだ。


 ずいぶんと挑発してくれる。


 男性たちはさすがに慣れたもので、ゴドリー夫妻の背後にホランドとクラークが立ち、扉側にヒル、そして少し奥でコールが茶を入れ始めた。


 ちなみに、先ほどの侍女はいない。



「失礼ですが、マクニールと言えば奥様は我が国と同盟関係にあるリンデマン国のお方ですか?」


「まあ、ご存じなのね。嬉しいわ」


 コンスタンスはぱあと顔を輝かせる。


「父はリンデマンのマクニール男爵ですの」


 挙式直後のコンスタンスに関する調査結果では、リンデマンの名は出ていなかった。


 おそらく、ヘレナがストラザーン家の保護下に入った後に何らかの手を使って籍に入ったのだろう。


 ということは、当初の計画ではブライトン子爵家を買い取るつもりだったのかもしれない。


 しかし、何もわからぬふりをしてテリーは愛想よく話をつづけた。



「ああ・・・。父がずいぶん昔に、商用でご一族の領地を通らせていただきました。ほんの数時間の滞在でしたが、良いところだったと聞いています。当時私はまだ幼く、ついていくことができず残念でした」


 名前は知っているが深くは知らないと言うのが今は妥当だろう。


「そうなのですね。ところでそちらの女性は?」


 ちらりとミカへ流し目をくれる。


「ご挨拶が遅れました。ミカ・スミスと申します。カタリナ・ストラザーン伯爵夫人のご指名でラッセル商会より侍女としてヘレナ様のお付きを務めることになりました。以後お見知りおきください」


 貴族社会で培った、最高の礼をコンスタンスに行うと、満足げに微笑んだ。


「あら。貴方だったの。騎士からあちらで山羊を両脇に抱えて歩く女性がいると聞いたときはもっと大柄で農民みたいな人だと思っていたわ。普通なのね」


 さすがに熊や牛などとは言わないようだ。


 しかしこれで、別邸の様子を彼女に流しているものが騎士団にいると解る。


「ああ・・・。私は父に従って他国へ渡ったりもしておりますので。山越えなどありますからこの身体でも上手く荷を運ぶコツを心得ています。それに別邸にいる種は小柄ですしね」


 顔を上げにっこりとほほ笑むと、二人は座ることを許される。


 じっくり見られていることを承知しているミカは、母親仕込みの動きで優雅に腰を下ろす。


「意外と所作がきれいなのね」


 コールとクラークがそれぞれの前に紅茶を並べると、部屋の中にアールグレイの香りが漂った。


 おそらく、コンスタンスの好みなのだろう。



「ありがとうございます。いついかなる時も無礼を働かぬよう心がけておりますが、そのようにお褒めいただけるならこれほど光栄なことはありません」


「・・・気に入ったわ。貴方、私の侍女にならない?相場の三倍の給与を保証するわ。ねえ、リック。いいでしょう?」


 リチャードの腕に手をかけて上目づかいで覗き込み、ねだる。


「・・・ああ。コニーがそうしたいなら」


 身体を少し傾けて愛妻の額に口づけを落とす。


「なら、決まりね。今日はさすがに無理でしょうから仕方ないけれど、明日からこちらへいらっしゃいな。お部屋も良い場所を用意させるわ」


 すっかりその気になり、両手を叩いて喜ぶコンスタンスとその肩を抱いて愛し気に眺めるリチャード。


 勝手に盛り上がり決めてしまう二人に、テリーは呆れかえる。


「あの・・・。大変申し訳ありませんが、明日というのは無理です」


 ミカは申し訳なさそうに口をはさんだ。


「・・・あら・・・」


 すると、ぴたりとコンスタンスの表情が固まる。


「何故かしら?」


 先ほどまでの甘ったるい声が一転して、冷え冷えとしている。


「もったいないお言葉、ありがとうございます。大変光栄なお話ですが、残念ながらわたくしはカタリナ・ストラザーン伯爵夫人に雇われた身。こちらに決定権はありません。まずはストラザーン伯爵夫人とお話していただけませんでしょうか」


「なら、そのまま雇われたふりしていればいいじゃない。別にわかりはしないでしょう?同じ敷地内のことなのだからあちらにいようが私のそばにいようが」


 赤く塗られた唇に美しく整えられた指先を当てて片目をつぶった。


「それに、私が追加であなた方に払えば、儲かる話でしょ?」


 報酬の二重どりをしろと、ミカたちをそそのかす。


「ああ、なるほど・・・。そういうお話でしたか」


 ミカが深く息をつくと、ここまでかと、テリーが口を開く。


「誠に申し訳ありません。それではわがラッセル商会の信用に瑕がつきます。長年商いをやっていくうえで、踏み越えてはならない事ですので、どうかご勘弁ください」


 しっかりと腹に力を入れて二人を見据えると、興がそがれた様子のコンスタンスが口を尖らせた。


「あら・・・つまらないわ。貴方がたって案外真面目なのね」


 くすくす笑いながら、紅茶のカップを手に取り口にする。


「申し訳ありません。愚直なのが、わがラッセル商会の伝統なので」


 胸くそ悪いここから早く退出したいが、これはまだ前座だろう。




「そんなことより、あなた。『アリ・アドネ』を知っているわね?」


 やはり、これか。


 テリーとミカは内心ため息をついた。




 さて・・・どうするか。


 今、自分たちは蜘蛛の巣にわざわざかかっている。


 目の前の女がどのように仕掛けてくるかを見極めねばならない。


 巻かれてしまうか。


 飛び立つか。



 糸を見極めろ。



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