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司祭様たちと茶話会


「お疲れさまでした。寒かったでしょう。小さな教会だというのに参列者は少なく、がらんどうでしたからね」


 通されたこぢんまりとした部屋には薪ストーブに火がともされていて、ほっとする空間だった。


「こちらへお座りください。ひざ掛けもどうぞお使いくださいね」


 ヘレナをソファに座らせ、司祭は暖かな飲み物淹れてくれた。

 スプーンを添えた大ぶりなカップからは甘い香りが立ち上る。


「ありがとうございます。これは…」


 このコルク色の飲み物は、ヘレナの貧しい生活ではなかなか口にすることができない。


「チョコレートと蜂蜜を温かいミルクで溶かしたものです。沈殿しやすいのでちょっとかき混ぜたほうが飲みやすいと思います」


 水すら与えられないまま待たされ続けたことを、ヘレナは今更ながら思い出した。

 おそらく、この人はお見通しなのだろう。

 気遣いがなんとも暖かい。


「いただきます」


 ヘレナは一口含んでこくりと飲み込んだ。

 身体の隅々まで広がる甘さを目を閉じて味わう。


「何から何までありがとうございます。とてもおいしいです」


「お口に合って何よりです。この様子だとすぐに迎えは来ないでしょう。どうぞゆっくりなさってください」



 横から助祭が皿に装った食べ物を出してくれる。

 クッキーやマドレーヌ、そして薄く切ったパンに白いチーズをはさんだ一口サイズのサンドイッチ。


「まあ、こんなに…」


「これらは売り物にならない品なので、気兼ねなく召し上がってください。それと私たちもこの式の準備で食事ができなかったものですから、ご相伴させていただきますね」


 この教会は聖職者たちで焼き菓子を作って販売し、収益を運営費に充てている。

 ヘレナの皿の上の焼き菓子はどう見ても十分上等なものだ。

 これほどのもてなしを受けても良いのだろうか。


「あ…」


 正面に座った二人は軽く神に祈ってからすぐに自らの皿に手を付け食べ始める。


「感謝します」


 頭を下げて、ヘレナはありがたく頂くことにした。


「おいしい…」


 マドレーヌを口に入れると、噛みしめたスポンジから質の良いバターの風味がじわりと広がる。

 顎がつんと痛み、思わず頬に手を当てた。


「紅茶もありますよ。どうぞ遠慮なく飲みたいものを言ってくださいね。ここは多くを持つ方々の寄付のおかげで見た目よりもずっと潤沢なので、実は何でもあるのですよ」


「ありますね。とくにここはこういう案件にうってつけで…」


 司祭と助祭はふふふ…と暗い笑みを交わしながら、サンドイッチを豪快に頬張った。


「…なるほど」


 なんとなく言わんとすることを察した。

 遠慮なく頂くこととしよう。


「こんなのもありましたよ」


 クリーム色の頭髪を短く刈り込んだ助祭はよほどお腹が空いていたらしく、とうとう別室から出来立てのスープが入った壺を拝借してきてスープマグに注ぎ始めた。

 彼曰く演奏者たちの控えの間の方でも慰労会が行われているとのことで、チョコレートと交換してきたらしい。

 魅惑的な香りに誘われてヘレナもありがたく頂く。

 ジャガイモとニンジンとセロリと玉ねぎを濾して作られたポタージュスープは絶品だった。

 滑らかな舌触りと野菜の甘みと香り豊かなクリーム、そしてアクセントの塩味。

 正直、おかわりをお願いしたいくらいだ。


「それにしても、この度はとんだことでしたね」


 スープをお腹に納めて人心地ついたところで、司祭が話しかけてくる。


「実はこの件を知ったのが昨日でしたので、何も用意が出来ず身一つで来たのですが。まさかこうなるとは思いもせず」


「以前お会いした時には、あのようなことをなさる方には見えませんでしたがねえ」


 司祭は老いた鼠ののような頭をこてんと傾けた。


「もしかして、ゴドリー伯が提督に就任される前、ということでしょうか」


「ヘレナ様は察しがよい。その通りです」


「事情はある程度、叔母夫婦が探ってくれたのでなんとか」



 叔母夫婦とラッセル姉弟が今朝までにかき集めてくれた情報は以下の通りだ。

 

 リチャード・アーサー・ゴドリー伯爵、二十五歳。

 彼は半年前まではるか南の植民地であるシエナ島の提督だった。

 提督としての在任期間は二年。

 着任してまもなく風土病にかかり、高熱におかされ意識不明の重体だった彼を看病した女性が今日の新婦、コンスタンス・マクニー。

 そして、このコンスタンス・マクニーは騎士団駐屯地そばにある高級娼館の看板娼婦であること。

 コンスタンス・マクニーの出身地は不明。

 おそらくこの都にある色街で生まれ育ったのではないかと思われ、娼婦となってからは美しい容姿と希少なサファイアの瞳から貴族の落しだねという噂があったらしい。

 


「彼女のおかげで回復したなら、まさに糟糠の妻でしょうか」


 ヘレナはサンドイッチを食んだ。

 留守番している弟に食べさせてあげたいくらい、パンとチーズが絶妙だった。


「何と言っても命の恩人ですもの」


 蛮族を征服して手に入れた飛び地の提督になんてなりたい者はそうそういない。

 前任者は言動に少し問題のある老将軍で、真面目に任務をこなしているとはいいがたく、あちこちで小競り合いが発生していた。

 なので、リチャード・ゴドリーの着任において国は多額の手当てを積んだ。

 その金で彼はさくっとコンスタンス・マクニーを身受けし、提督屋敷の部下たちに女主人として遇するよう命じ、二年間の日々を薔薇色に変えた。

 やがて任期満了。

 二人は手を取り合い、意気揚々と帰国したのだ。



「うーん、まあ、そうです・・・かねえ」


 今度は反対側にこてんと頭を傾けて、司祭はうなる。



 唯一の息子の思わぬ奇行に、ゴドリー侯爵夫妻は驚いた。

 大量の死傷者が出た過酷な前任務からようやく解放された矢先の辺境での任務。

 少なくとも息子の技量なら前任者の尻ぬぐいはたいした手までなく、ゆっくりと心身の傷を癒せるだろうと思っていた。

 なのにその南の島でまさか愛欲の日々に溺れていたとは。

 リチャードにはもちろん高位貴族の許婚がいたが、赴任寸前に破談になった。

 辺境へ帯同したくない令嬢が従者との間に子供を作ったのが原因だった。

 その後、彼が提督である限り同じ理由で縁談は進まず、結局彼は高級娼婦と凱旋してしまった。

 リチャードの馬にコンスタンスを相乗りさせて帝都入りし、宮殿まで道のりをその仲を見せつけるかのようにぴたりと寄り添い堂々と進んだ。

 その様は目撃者たちを唖然とさせ、あっという間に国中の話題をさらった。

 そもそもコンスタンスの華やかな美貌は一度見たら忘れられない。

 おかげで、良家の女子を妻とすることは到底望めない状況になってしまったのだ。



 最後にゴドリー侯爵夫妻の出した結論は、『貴族の血をひかぬものを妻とするならば、廃嫡とする』。

 階級はこの際問わない。

 とにかく貴族であること。

 親として最大限の譲歩だった。


 一方のリチャードはコンスタンスとの愛を貫く意志は固かった。

 だが、貴族の身分を捨てる気はさらさらない。

 二十五年間、高位貴族として生きてきたのだ。

 平民として暮らしていけるはずがないことは自覚している。


 考えた末の結論はこうだった。


 ほとぼりが冷めるまで、とりあえず低位貴族の娘と偽装結婚をしてやり過ごす。


 そこでたまたま拾い上げられたのが、破産寸前・爵位返上寸前のヘレナ・リー・ブライトン子爵令嬢だったのだ。



「飛んで火にいる夏の虫ですね、私って」


 つらつらと事情を話したヘレナが結論付けると、二人はぐほっと紅茶を吹いた。


「そんな…」


 人の好い助祭がなんと慰めようかと慌てだしたのがなんとも申し訳ない。


「いえいえ、どうかお気になさらないでください。私は大丈夫です」


 助祭手ずから焼いたというサブレはさくっと割れ、口の中でほろりと溶けた。

 最高にうまい。

 ああ、これほど美味しいものにありつけた今を神に感謝せねばとヘレナは思う。


「まあ、慌てて掴んだ割には冷静で策士でしたね、ゴドリー伯は。父があっという間に金を使ってしまうことを見込んでいた感じなので」


 ラッセル姉弟は、そこまで掴んでくれていた。

 スワロフ男爵が父を賭場へ連れて行ったのは、計画のうち。

 見返りを手に入れて高飛びしようとした男から『ご学友』のあれこれがさらに明らかになった。

 おかげで、これから冷静に対処できそうだ。



「なんでそこまで曲がってしまったのかなあ、リチャード坊ちゃんは…」


 がしがしと、司祭は頭をかいた。



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