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【閑話】魔獣の口 ※R15要素があり、苦手な方は読まなくても大丈夫です



「ねえ、アール起きて」



 耳元で囁かれて目を開く。


「・・・・シェンねえさんどうしたの」


 暗闇の中、アールのそばに仲間の一人がぺたんと座り込んでいた。


 わざわざ尋ねなくても、シェンがなぜ今ここにいるのか分かっていた。


 でも、ほかに言葉が思いつかない。



「うん・・・。あのね。肉を持ってきたの。あげる」


 起き上がると布の包みを差し出された。


 布を開いて現れたのは骨付き牛のロースト。



「ありがとう」


「うん」


 今食べてしまわないと、あいつらに見つかったら殴られる。


 即刻、証拠隠滅せねばならない。


 アールは肉を両手で持ち、思いっきりかぶりつき咀嚼する。



「ねえ・・・。アール」


「・・・なに?」


 口いっぱいにほおばった肉を嚥下して応えた。



「明日・・・。私に近づかないでね」


 はちみつ色の髪が濡れていて、毛先からしずくがぽたりと床に落ちる。


 ほのかに石鹸の匂いがした。


「おねがい、アール」


 金色の瞳と相まって、シェンは綺麗な少女だった。


「・・・わかった」


 彼女の求める返事を返す。


「ありがとう。大好きよ」


 白い花びらが開いて咲くように、ゆっくりと笑った。


 シェンとの、最期の会話だった。






 『アール』が生まれたのは帝都から遠く離れた辺境だった。



 そこはよく魔獣が出る地域で、守りの要。


 要塞のような城の中で育ち、大人たちはいつも討伐と訓練に明け暮れていた。


 家族は父とたくさんの兄たち、そして叔父だの従兄弟だの男ばかり。


 着飾った若い女がたまにふらりとやってきては誰かとくっつき、長くはいつかずいつの間にか消えていく。


 母もそんな女の一人で、女児を産んでいくらも経たないうちにいなくなったらしい。


 父は一応伯爵だったが、男所帯で女子をどう育てたらよいかわからず、彼女をほったらかしにしていた。


 同じく女は抱く以外に知らない兄たちも妹の処遇に困り、弟もしくはペットのように接した。


 虐げはしない。


 彼らなりに可愛がってはいたが、真剣に向き合うことはなく、誰かが面倒を見ているだろうと片手間だった。


 結果、七歳を迎えても数字を数える程度しか知らないまま裸足で野山を走り回る野生児になってしまった。



 そんな時、一人の魔導士が辺境に現れた。


 彼は侯爵家の出で魔導士庁でそこそこ良い地位についている男だった。


 訪問するなり、『魔導士庁系列の学校でお嬢さんを帝都で淑女に育てます』と持ち掛けた。


 辺境伯はめったに帝都へいかず、社交も関わりがほとんどない。


 だから知らなかった。


 その男が魔導士庁専属の人買いで、魔力のある子どもを集めて実験や討伐の捨て駒に使っていたことを。


 父も兄も男の肩書を信用し、有難がりながら娘を送り出した。



 帝都に着いた瞬間、幼い少女は魔獣に使うはずの従属の首輪を装着され、名前を奪われ、アルファベットの『アール』と呼ばれるようになった。


 ちなみにこれは数日前に亡くなった子供の名で、自分が何代目かわからないほどたくさんの子どもが死んだことを知るのに時間はかからなかった。




 地獄という言葉と意味を知ったのは、『アール』になってからだ。



 魔導士庁お抱えの魔道具師が研究を重ねた末に作り出した『従属の首輪』の効力と苦痛ははめられたものにしかわからないだろう。


 ほんの少しでも『大人たち』に逆らうと即座に感電し、時にはじわじわと締め上げられた。


 子供たちは人さらいに遭ったもの、奴隷を安く買い叩いたもの、そして世間知らずの貴族たちを騙して手に入れたもののどれかだった。


 共通点は、助けてくれるあてはなく、帰る家がないこと。


 魔力の強いものは討伐の駒として育成され、それほどでもないものは実験体にされた。


 余計な知恵を付けさせないため、教育は一切施されない。


 待遇は生かさず殺さず。


 寝るときは適当な部屋に押し込められ、冷たい床に薄い毛布。


 具合が悪くなれば新薬を飲まされ、治療魔法の練習台にされた。



 この、治療魔法がいつでも受けられることが更なる苦しみを生む。


 治るのだから、はけ口としてどんなに暴行をふるっても構わない。


 アールはもともと男児にしか見えない上に不細工だった。


 だから、腹いせに殴る蹴る、または『冗談半分の』攻撃魔法を受ける専門になった。


 火傷、脱臼、骨折、断裂、裂傷、ありとあらゆる傷を経験し、治癒魔法で治され、また傷を負わされる。



 しかしそれでも、アールはまだマシなほうだ。


 見た目が『女の子』らしい子たちはたいていて性的虐待を受け、心を壊していく。


 治癒魔法は身体の傷を治しても心は治せない。


 しかも、治癒魔法を受けた直後にまた『大人たち』に連れていかれる。


 抵抗すれは『首輪』が作動し、自殺をすれば実験で蘇生され、精神疾患も闇魔法を試される。



 いつしか少女たちはその地獄に耐えられなくなった時、『魔獣討伐に参加』することを手段として選ぶようになった。


 魔獣と戦っている最中に、『うっかり食べられて』しまえば。


 それが、丸呑みしてしまうような大型魔獣なら。


 遺体の回収と蘇生はできない。


 ただ、近くにアールがいるとそれは不可能だった。


 辺境で魔獣慣れしており、父親の能力を受け継いだアールはあっという間に討伐隊でなくてはならない戦力となり、大型魔獣ですら対峙して時には独りで討ち取るまでに成長した。


 そんな彼女が近くにいては『うっかり』死ねないのだ。


 だから、少女たちは死に時を決めたら事前にアールへ会いに行く。


 そして言う。


 「遠く離れていて」と。


 何人も、何人も見送った。




 それなのに、『大人たち』は平然と言う。



「女はすぐ死ぬから使えない」



 お前たちが下半身の言いなりにならなければ、死なないとどうして気づかない。


 全員、お前たちが貪りつくした子じゃないか。


 『シェン』の名は何度も何度も現れては消えた。


 しかし、いつまでも同じことが繰り返される。


 ここは嗜虐趣味の大人たちの『盛り場』だ。


 足りなくなれば次をすぐに補給し、いつまで経ってもその宴は終わらない。




 従属の首輪を付けていない者も魔獣の口に飛び込むことがあった。


 子どもたちに治癒魔法を施すことを命じられた魔導士や聖女だ。


 彼らもまた身寄りのない者や人質をとられている者で抗えず、虐待の加担から逃れようとするなら選択肢は一つしかなかった。




 魔窟に放り込まれて二年ほど経ったところでアールは身の危険を感じ始めた。


 己の意思と関係なく、身体がどんどん女性らしくなろうとしている。


 最初はやせこけていれば食指がわかないかと思い、食を抜いた。


 しかし、すごく痩せている『おねえさん』が彼らに連れていかれた。


 ならばと、今度は逆を行った。


 まず討伐隊の騎士たちとなるべく行動を共にするようにした。


 上の連中はもちろん『盛り場』の常連だ。


 ずうずうしい猫のように下士官たちの中に潜り込み、訓練に参加させてもらい、食事も相伴させてもらい、食べて食べて食べた。



 当時の下士官で一番チョロい男はバウムだった。


 アールと年の近い親戚がいるらしく、傍若無人に振舞っても突き放されることはなかった。


 なんだかんだと世話を焼いてくれるが、驚くことに全く下心がない。


 身体目当てじゃないのかと試しに聞いたら、ものすごく悲しそうな顔をした。


 『おまえ・・・。このままでは死ぬぞ。やめろ』


 本気で心配してくれているのは分かる。


 だが、貧乏男爵の次男で発言権も何もないバウムがアールを守るなんて不可能だった。


 身体をいじられて死ぬくらいなら、思いつく限りの方策を限界まで挑戦して死にたい。


 食べ過ぎで夜中に吐くこともあったが、とにかく食べ続けた。


 そして『アール』はいつしか少し小柄な成人男性並みに背を伸ばし、豚のように太り『タンク』と騎士たちに呼ばれるようになるまでの体型になった。


 肌は荒れ、裂傷と火傷はあまり治さないものだからますます不細工になり、『大人たち』には魔獣とも陰口をたたかれ、目論見通りとほくそえんだ。


 筋力を増強し身体強化を会得して、中型程度の魔獣なら武器を使わずに殴り殺せた。


 それでも物好きはいるもので、そんな姿になっても粘着質の視線を送る大人はいる。


 そこで今度は『盗み』を覚えた。


 魔導士、騎士、全員の『術』と『技』を盗み見て、身に着けていく。


 途中で気づいたバウムが古代文字をこっそり教えてくれ、魔道具の材料を横流ししてくれた。


 その過程で独自の『術符』を編み出していき、一気に防御のレベルを上げた。


 それで生き残った『おねえさん』たちと『妹』たちを、大人たちに気取られることなく守ることができるようになった。


 完全ではない。


 しかし、ましになった。





 そして、十二歳になってしばらくしたある日。


 『大人たち』は一斉に屠られ、自由になった。

 



 『大人たち』が消えた日の朝、金髪碧眼の美しい女性が黒いドレスの裾をひるがえし、大勢の騎士たちを連れて魔導士庁に現れた。


 『時間がかかってごめんなさい』


 バウムたち下士官に首輪を解除させながら謝られたが、どこか現実味がなくてアールはただただぼんやりと見つめるしかなかった。




 そうしてようやく、『アール』は『スカーレット・ラザノ』という名前を取り戻した。



 辺境を出て、四年。


 長いのか短いのかわからない。


 とにかく、生き延びたのだ。




 その後もあっという間だった。


 内部告発者の一人だったバウムが、ざっくり刈り取りすぎて草木も生えない状態になった魔導士団の団長のひとりになり、総長になり、結婚を機に事務方の長官へ転身。


 スカーレットは事態をようやく知った家族が駆け付け帰郷を促されたが断り、バウムの下で研鑽を積んでいるうちに容姿は人並みになり、いつの間にが第二団長になっていた。


 休みなく各地の魔獣を倒しまくり続けて十五年近くの月日が経ち、今となっては半数以上の職員が腐敗したころの魔導士庁の惨状を知らない。


 皆、生き生きと仕事に励み、平和なものだ。


 当事者たちの記憶もだいぶ薄れただろう。


 あるべき姿になったのだ。




 それでも、スカーレットは夜が来ると思い出す。


 瞼を閉じれば見えてくる。


 『これをあげる』


 別れに来た『おねえさん』たちを。


 決意に満ちた哀しい眼差しを。


 そして、彼女たちを飲み込んだ魔獣のおぞましい口を。





「レティ」


 指先に柔らかな感触を覚え、目を開ける。


 自分は白いシーツの上に裸で横たわっていた。


「おはよう。今日もいい天気だよ」


 スカーレットの指に唇を押し当て、ミルクのように白くなめらかな肌を惜しげもなくさらす青年が、息のかかるほど間近で澄んだ水色の瞳を細めて笑う。


「リィン・・・」


 手を伸ばし頬に触れると、彼はレモンの果実のような薄い金色の長い睫毛をゆっくり閉じた。


「おはよう」


 唇に触れる直前、胸がきゅっと締まるような感覚がした。


 苦しい。


 でも。


 甘くて。


 あたたかくて。


 柔らかい。




 生きていて、良かった。



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