ちょっとくらい休憩しようよ
右手で針の先を布に埋めて、受け止めた左手がそれを返して下から針を出す。
上下上下上下。
次はここに金色を加えないと。
針を持ち換えようとしたときに、ふわりと風が通った。
「ねえさん、起きて」
背中にぬくもりを感じてふっと我に返る。
「あら?クリス?どうしてここに?久しぶりね」
軽く振り返ると、クリスが両腕をヘレナの腹に回し、肩の上に顎を載せていた。
「昨日もいたよ」
自分に似た、でも少し青みの増した瞳がじっと覗き込んでいる。
「う・・・ん。そうだったかな・・・。ごめんね、覚えてない」
「うん、いつものことだから構わないよ」
クリスだ。
とても賢く、いつも淡々として大人びた態度だけど、実は甘えっ子の可愛い弟。
困難を一緒に切り抜けてきた仲間。
「ん?クリス、なんか腕が長くなった?」
腹の前で交差している彼の腕が前とは違う気がする。
「俺がストラザーンに行ってからまだちょっとしか経ってないよ」
「うん・・・でも違う。指もなんか長くなった気がする」
「じゃあ、立ってみてみる?」
そう言いながら、背後から抱え上げられ、床に足を降ろした。
「いた・・・たたた。ちょっと足が」
「そりゃそうだよ。三時間ずつと座り続けていたんだから。しびれはない?」
「それはないんだけど、なんかギシギシしているというか」
固まった感覚のある背筋を何とか伸ばして立つと、優しい目が見下ろしていた。
自分は標準以下の身長だからとっくの昔に追い越されている。
それでも、貧しい食生活と成績上位を維持するための努力のせいで、おそらく同年代の男の子たちの間では小さいほうなのだと思う。
「どう?俺、大きくなった?」
「うん。なった。絶対」
見上げる首の角度が確実に違う。
離れていたのは数週間だったけれど、成長期なのだ。
「なら、叔母さまのおかげかな。とても良くしてもらっているから」
「そうなの・・・。良かった」
叔母夫婦の厚意で養子にしてもらったけれど、ブライトンの悪評が使用人たちに影響しないとも限らない。
見えないところで粗略な扱いを受ける可能性は十分にあった。
「うん。だから、ねえさんは何も心配しないで。俺はもう大丈夫だよ」
手を取られ、長椅子に導かれた。
「だから、ちょっと食べようか」
隣に座ったクリスがにっこり笑う。
「ん?」
「俺、おなか空いたんだ。だから姉さんも食べよう」
言い終わるや否や、ばーんと書斎の扉が開いた。
熟睡していたパールが驚いて、座布団の上でぴょんと飛び上がる。
「クリス、ありがと!さあさあ、ヘレナ、どんどん食べてもらうからね!!」
闘志みなぎる空気を放出するミカが、ティーセットを抱えて現れた。
そして、テーブルの上にどんどん食べ物を並べていく。
「ねえさん、まずスープを頂こうか」
手渡されたスープカップの中には人参とジャガイモのポタージュが湯気を立てていた。
「温かい・・・」
まずは匂いを堪能してから一口飲んだ。
「おいしい。ミカは腕を上げたわね」
「当たり前でしょ。アタシを誰だと思ってんの。スミス家の女よ」
他にも肉やチーズなどの入った数種類のペイストリーとスコーン、ジャム、ジンジャーブレッド、野菜のオーブン焼き、ブレッドプディングなどがテーブルを占拠した。
いつの間にかヘレナの足元に座ったパールがくんくんと鼻をうごめかせる。
「食べられるものを食べな。ただし無理はしなくていいよ。残りはうちらが食べるし」
「豪華・・・」
心づくしの料理が何よりもうれしい。
「ヘレナが作業をしているところをみるのは今回が初めてだから、クリスに教わりながら手伝わせてもらうよ。至らない点もあるだろうけど、それは大目に見てちょうだい」
「十分よ。何もせずただ仕事に没頭できるなんて、なんて贅沢なの。ありがとう、ミカ、クリス」
二人に礼を言うと、足の甲にとすっと重みを感じた。
「きゅううん」
パールが両足を置いて切ない顔をしている。
「パール。あなたもそばにいてくれてありがとう。我慢ばっかりでごめんなさいね」
「ああ、その子のごはんも持ってくるよ。おとなしくしていたご褒美あるからね」
「あんっ!」
小さな尻尾をふるふる振るわせた。




