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助っ人登場


「ああ、やっぱり」


 翌日の夕方に学生服姿で現れたクリスの、開口一番の言葉だった。


「いつもこんななの? アタシ、初めてだから若干引いてるんだけど」


 ミカが引きつった顔で書斎の扉を支える。


 結局、ヘレナはテリーとマーサが帰った途端、書斎に引きこもり型紙を引き刺繍の原案をいくつか描き並べて熟考、選んだものから原紙を作り、必要な道具を納戸から出して机に並べ、ヴェール用オーガンジーの裁断と端になる部分の刺繍を始めた。


 その間、ミカたちが話しかけてもほとんど上の空だ。


 仕方ないので書斎を生活できるよう、ミカとヒルとシエルの三人で広めの長椅子を運び込み部屋の隅に設置、寒くないよう色々と結構大掛かりな模様替えをしている間も、ヘレナは一心に針を刺し続ける。


 おそらく、周囲で何が起きているかなんて、全く気付いていない。

 凄まじい集中力だ。

 ヘレナはただただ布を見つめ、針と糸を操っていく。

 しかも、尋常ではない速さだ。


 ミカは、そんなヘレナの変わりようを本気で怖いと思った。

 五年前に出会って以来、ヘレナは年齢の割に幼い容姿で妹のような存在だった。

 ろくでもない父のせいで大人びたことばかり言うので素の部分を出させたくなり、ついちょっかいかけては泣かせて兄たちに叱られたものだ。


 誘拐され娼館へ売り飛ばされていたところを母とテリーが保護してすぐに、ヘレナは父に内緒で働けないか相談してきた。


 没落貴族の令嬢の定番の内職と言えば針仕事だ。


 試しに様々な小物を作らせてみて、それはいわゆる『令嬢のたしなみ』の域を超えていることを商会の全員が認めた。


 しかも、それから間もなく亡くなったヘレナの母ルイズは独身時代に王宮のお針子だったうえに、国境の山岳地帯の集落の出身だった。

 彼らは雪に閉じ込められている期間に様々な手仕事を行う習慣がある部族で、その技の全てをすでにヘレナは習得していることが判明し、有名ドレスメーカーの下請け仕事を回すようになった。


 最愛の妻を亡くし人生を直滑降していく父親は、妻の面影を宿す子どもたちから目をそらし、なにかと理由を付けては不在になっていく。

 おそらく、ろくでなしの仲間たちに炊きつけられ放蕩三昧をしていたのだろう。

 使用人の給与などはさすがに父が管理していたが生活費はザルだったため、ラッセル商会の仕事で糊口をしのいだ。


 そして今。

 ドレスメーカーたちの間で囁かれる言葉がある。


 謎のお針子、アリ・アドネ。


 ラッセル商会の扱うアリ・アドネ名義のレースや刺繍布など部品の数々は争奪戦で、本人を己の傘下に入れるために脅迫まがいの交渉してくる者もいたが、作り手は繊細な人物で、無理強いすると一切の新作が見られなくなるぞとテリーたちが跳ね除け、ようやく収まったと聞く。


 それにしてもミカは商会で品物はよく目にしていたが、今までヘレナが仕事をする姿を見たことがなかった。

 父について世の中を色々見て回り経験したつもりでいたけれど、それはまだうわべに過ぎないのだと痛感する。


「うーん。まだ一日目だし、人間らしさが残っている方じゃないかな……」


 ヘレナは床の上に敷かれた広いクッションの上に胡坐をかき、ひたすら広い木枠に張られた白い絹織物に針を刺している。


 時折、左手を落として傍らで丸まっている子犬を撫で、また布の上に戻す。


「犬を撫でるだけマシだよ。あの子、せっかく来たのに構ってもらえなくてかわいそうに。俺が外に連れ出してもいいかな」


 パールはヘレナの太ももにぴったり身体を寄せ、あからさまにつまらなそうな目をして前足に顎を載せている。


「そうだね。うちらだと絶対きかないけど、弟ならイケるかも」


「よし、やってみよう。『パール』。姉さんは今大変みたいだから、俺と一緒にいよう」


 クリスがしゃがみ軽く舌を鳴らして呼びかけると、不満げな顔はそのままに、むくりと起き上がった子犬はてとてとと歩いて近寄ってきた。


「ほら。姉さんと似た匂いだろ」


 唾で湿らせた指をパールの鼻面の前に差し出すと、くんくんと匂いを嗅ぎ、じっとクリスを見上げた。


「俺はクリス・リア・ブライトン・ストラザーン。ヘレナの二つ下の弟だよ。今は俺で我慢しな」


 くう……と不承不承な声を上げ、ぺろりとクリスの指を撫でた。


「ほら、抱っこしてやるよ」


 両手を広げて見せると太い前足をクリスの膝に乗せ、よじ登る。


「ああ、かわいいな。こんなかわいい子を放って仕事だなんて、つくづく姉さんは運のない」


 あん!とパールは短く吠え、ぱたぱたと尻尾を振り始めた。


「……なんか、もう、とりあえずそれでいいか。そのフェンリル犬、いきなりこんなことになって世話をどうしようって困っていたから助かるわ」


「あ、やっぱりフェンリルなんだ」


 クリスはパールの額に鼻をうずめてくんと匂いを嗅ぐ。


「あは、でも犬の匂いがする」


 あっけらかんと笑う少年に、ミカは兄妹の血を感じる。


「連れて来た魔導士が言うには、雑種犬でフェンリル率九割だって」


「ふうん。お前凄いな」


 褒められると、ますますパールは盛大に尻尾を振り喜びを身体で示した。


「ああ、そうだ。叔母様と話し合って、納品するまで俺もここにお邪魔しようと思うんだけど、いいかな」


 クリスの言葉に、パールの耳がぴくりと動いた。


「部屋は一階の男子部屋に混ぜてもらえばよいだろうから、アタシは構わないけど、学校はどうするの?」


「馬で通うよ。ミカさんたちの了承が取れたら、明日当面の荷物を取りに行ってくるつもりだったんだ」


「うん。ヘレナのことをよく知っているクリスがいてくれた方がアタシは助かるよ」


 ミカの返事が終わるやいなや、パールがはしゃぎだす。


「あははは。パールってすごいね。こんなに小さいのにもう人間の言葉が分かるんだ」


 興奮しすぎてふがふが鳴き出したパールをクリスが撫でくりまわす。


「……すごいのは、あんただと思うよ、クリス」


 ミカはふう、とため息をついた。


「とりあえず、寝床を作るか……」


 助っ人が増えて、嬉しい限りだ。




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