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斬新すぎる結婚式



 それからヘレナは教会の聖堂にある木の椅子に座ってずいぶんと長い間待ち続けた。

 やがて聖歌隊席に白いローブをまとった人々が並び、聖職者たちが支度を始める。

 そしてようやく立会人らしき人々が最前列から座り始めたところで、ヘレナは司祭に呼びよせられ祭壇近くに立った。

 

 二階のパイプオルガンが聖歌を奏で始める。

 すると聖堂入口の扉が両側とも開き、現れたのはリチャード・ゴドリー伯爵と超絶豪華なドレスに身を包んだ女性だった。

 この国でも最高峰の細工であろうレースを頭に付け、後ろにたなびくヴェールとドレスの長い裾を六人の侍女たちが手に静々と後に続く。

 まるで王族のもののような壮麗な行進。

 しかし、ゴドリー伯爵の親族は一人も参列しておらず、先ほど会った家臣たちのみ。

 身分と知名度を考えると、あまりにもちぐはぐな結婚式だ。

 それよりなによりヘレナはあっけにとられた。


 偽装結婚って、ここからなのか。


 予想外の事態に、ヘレナは思わず司祭へ視線を投げる。

 すると鼠色の傷んだ髪で覆われた頭に、額と頬骨とアゴが妙に突き出た独特な顔立ちの男はどうやら若いようで、一瞬、分厚い唇をにへらとゆがめた後、帯の前に豪華装丁の聖書を捧げ持っていたが、片手を外してさっと親指と人差し指で円の形に作り、また何事もなかったかのように姿勢を戻した。


 …カネ、頂いたので。


 おそらくはそういうサインだと思う。

 お金は大事だ。

 建物は維持費が常にかかるものだし。


 冷静になって周囲見渡すと、ゴドリー家の家臣たちもパイプオルガンの演奏者や聖歌隊の人々も、この場に関わるものみな動揺のかけらも見せていない。


 つまりは事前にきまっていたということ。

 出来る事なら少しは説明してほしかったが、もう始まってしまったのだから仕方がない。

 暴走している馬は止められないものだ。

 精一杯務めるしかないだろう。


 ヘレナは背筋を伸ばして顎を上げ、二人がたどり着くのを待つ。



 こうして結婚式は粛々と進められていった。

 ろうろうと聖典をそらんじる司祭の声が心地よい。

 低く低く空気と流れて、耳からじわりと身体にしみいるように響く。

 まだ三十代前後と思われるが、その年で司祭という職につけたのはこの声が理由の一つかもしれないなとヘレナは感じ入った。

 そして、ふと己について考える。


 父を、どうしても憎むことができなかった。

 昔は本当に。

 ほんとうに。

 とてもとても、幸せだったのだ。

 だから、この偽装結婚はやりおおせてみせよう。

 でもこれが、最後。

 子どもとして父への恩を返すのはこれが最後だ。



 司祭の丁寧な言葉と光と一緒に振ってくるパイプオルガンの旋律に包まれながら、ヘレナは心の中で父に別れを告げた。


「そうですね…。ではここで、先に結婚証明書の署名をしていただきましょうか」


 パイプオルガンと聖歌も併せて雰囲気が頂点まで盛り上がったところで、司祭はいきなり軽い口調ですべてを現実へ戻した。


「え?」


 思わず、ヘレナは声を上げた。

 隣の方からなにやら不穏な空気が漂ってきて怖い。



 荘厳な演出が途切れたことに、お客様はかなりご立腹のご様子だ。

 しかも迂闊にもヘレナの上げた声は聖堂に大きく響いた。

 とんだ失態で家臣たちの視線が痛い。


 もう、帰りたい。

 というか、とにかく寒い。


 しかし、司祭は全く意に介さずにこりと笑って軽く頭を下げ、言葉をつづけた。


「普段のお式と順番が違いますが、国へ提出すべき書類をいま署名しそちらで控えておられる行政官へお渡しすれば無粋な手続きも終了します。それを片付けてから神への宣誓と誓いのキスのをなさった方が、お二人の愛もより深まりませんか」


 一理あると思ったのか、「良いだろう。任せる」と伯爵はあっさり頷いた。

 そこで慌てた様子の助祭が紙とペンを書記台の上にさっと揃える。


「ではまず、リチャード・アーサー・ゴドリー伯爵。こちらにご署名願います」


「ああ、わかった」


 左手は新婦の腰に手を回したまま、ガリガリガリと投げやりに書き込み、羽ペンを放り投げた。

 こんと台に当たって床に跳んでいったのを哀れな助祭が走って拾いに行き、定位置に置きなおす。


 これはいったい、どんな喜劇なんだろう。


 ヘレナは目を瞬いた。


「では、ヘレナ・リー・ブライトン子爵令嬢もお願いします」


「あの…。私、今朝より籍が変わりまして、ヘレナ・リー・ストラザーンとなっているのですが、サインはそちらでよろしいでしょうか」


「はい…?」


 どうやら司祭へ話を通していなかったらしい。

 艶のない濃い鼠色の髪の間から彼の見開かれた瞳が見え、偶然にも一瞬、ヘレナと見つめあってしまった。

 きん、と高い金属音が鼓膜を叩く。


「あ…」


 ヘレナはぱしぱしと数度瞬きをすると音は消え、何事もなかったのように彼も視線をそらした。


「はい。ではストラザーン伯爵家のお名前で記入願いします」


「わかりました」


 渡された羽ペンを持ち、一字一字丁寧に書く。

 


 養子縁組の届け出書類は除いて、ストラザーンの名で書く初めての署名。

 この後からは、ゴドリーになる。

 そして、契約満了すればストラザーンへ戻るだろう。

 そもそも家政を全く任されないならば、おそらくゴドリー姓を使う機会はないのではないか。



 そして更にゴドリー伯の立会人二名と司祭が署名し、手続き完了した書類を待機していた行政官は速足で去っていった。

 一刻でも早く提出したいのだろう。



「ありがとうございます。これで手続きは完了しました。おめでとうございます」


 司祭は、白い衣装の二人にゆっくりと頭を下げる。

 パイプオルガン奏者は一気に音量を上げ、超絶技巧の曲を弾き始めた。

 聖堂の中は荘厳な雰囲気へと戻っていく。

 全ては演出。

 全ては金の為である。

 

「それでは、宣誓の儀式を行いたいと思います。お二人は私の質問に対し、簡単にお答えくださるだけで充分です。お解りいただけますね?」


 司祭の言葉に二人は頷く。

 助祭が二階へ合図を送ると、演奏の音量が下がり穏やかな旋律へ変わった。


「では新郎。汝はこの女性を妻とし、病めるときも健やかなるときも愛し敬うと誓いますか」


「はい。誓います」


 ゴドリー伯は胸を張り意気揚々と宣言する。


「次に新婦。汝はこの男性を夫とし、病めるときも健やかなるときも愛し敬うと誓いますか」


「…はい。誓います」


 なんともなまめかしい声がヴェールの下から聞こえた。



「それでは、この言葉をもってお二人は夫婦になったことを教会は認めます。では、誓いのキスをお願いいたします」



 演奏者の技巧も聖歌隊の歌声も最高潮に達しつつある中、ゴドリー伯はヘレナに背を向けて女性と向かい合い、彼女のヴェールをゆっくりと持ち上げた。


 ヘレナが伯爵の肩越しにちらりと見ると、花嫁と一瞬目が合った。

 つやつやうねる情熱的な黒い巻髪、くっきりと形の良い眉と長い睫毛、大きな瞳はサファイアのような煌めき。

 だがしかし、彼女は。

 にい、と目を細めて嗤った。

 金で買われた書類上の妻を。


「コンスタンス・・・」


 男に名を呼ばれゆっくり瞼を閉じながら、女は顎を上向ける。

 真っ赤に塗られた煽情的な唇を開きながら。


「・・・!」


 ヘレナは己の目を疑った。

 そして、石になる。


 花嫁と花婿は口を開き、舌を絡め、びちゃびちゃと音を立ててキスを始めた。

 しかも、ぴったりとくっつけたまま身体をせわしなくくねらせ、なんかいやらしい手つきでお互いに身体をまさぐりあっている。


 これはまるで発情期の獣たちそのもの。 


 結婚式、とは。

 結婚式とは、なんだろう。

 どういうものだったかな。


 親族とは断絶状態。

 父のおかげで結婚式に呼んでくれるような友人は皆無に近い。

 そういや何年か前にラッセル商会の姉のほうの式に参列したが、そちらのほうがもっともっと清らかで神聖なものだった。


 これは、私の知らない結婚式だ。


 呆然としているヘレナの肩を誰かがぽんと叩く。


「行きますよ、ヘレナ様」


 呪縛が解けて見上げた相手は、司祭だった。

 彼はまったく平然としている。

 そして彼の背後にはヘレナに同情のまなざしを投げかけてくれている助祭もいた。


「お疲れ様です。私共の部屋でお茶でも致しましょう。ゴドリーの方には連絡済みです」


 気付くと演奏はとうに終わっていて聖歌隊たちも伯爵家の関係者も誰もいない。

 全員撤収した後だった。


「・・・うわ」


 置き去りだなんて、ひどい。


 三人で、祭壇近くの隠し扉目指して走り出す。

 背後から、聞きたくもない衣擦れと、ガシャーンと何かが床に落ちる音が追いかけてきた。

 もしかしてあの、花嫁のティアラを投げ捨てたのだろうか。


 ほんの一瞬だったが、誓いのキスの時にヘレナはしっかり見た。


 ティアラもイヤリングもネックレスも真珠なんてかわいらしいものではなく、人を殴れるダイヤモンドだった。

 装着したままでは重くてたまらないだろうが、だからといって投げるとかありえない。

 ドレスの生地も刺繍も最高級で、真珠がたっぷり縫い付けられていたようだが、それをめいいっぱい引き裂く音がした上に、ぱらぱらコンコンといくつもの球が弾んで転がる音も哀しいかな耳が拾ってしまった。

 ドレスメーカーのスタッフが徹夜で作ったであろう渾身の作は、もう二度と日の目を浴びることはないだろう。


 金持ちはやることが豪快すぎて理解できない。

 何より、その資本力がうらやましすぎる。


「はあ…ん」


 花嫁が甘い声が止めを刺したところで、三人は廊下に出た。

 いやもう、転がり出たと言って良い。

 重い扉を素早く閉めた途端音は遮断され、ヘレナはほっと息をつく。


 正直言って、あれはない。

 斬新どころか彼らは頭がおかしいだろう。


「何を見せられているの、何を聞かされているの、私…」


 これまで、色々あった。

 人よりも経験豊富だと自負してきたけれど、まだまだだった。

 上には、上がいる。


「お気の毒に…」


 少年のような青さの残るひょろっとした助祭は、両手を胸の前で組み潤んだ目でヘレナを憐れんだ。


「ええ、ほんとうに」


 今なら、多少やさぐれても許されるだろう。





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