コノミノモンダイ
「そういや、猫もご入用だと伺っていたのですが、ちょっと今はまだ……」
無事名づけも終わり、ヘレナはラザノからパールを受け取る。
その様子を覗き込んだハーンが申し訳なさそうに眉を下げるのを見て、慌てて首を全力で振った。
「いいえ。もうこの子だけで十分です。家畜を飼うからにはネズミが出るだろうと思っていましたが、パールがいればそんな心配はまずないでしょうから」
ここで欲しいと言ってしまえば、次に現れるのは魔改造猫だろう。
これ以上は手に余る。
「そうなんですか……? 良い感じのヤマネコと神獣がもうすぐ北国から手に入ると聞いていたのですが」
とてもとても名残惜しそうな顔のハーンに、五分未満のイエネコがやってくる気配をひしひしと感じる。
ここは、いつから魔導士庁の出張所になったのだ。
「ええと、とりあえずですね。パールと仲良くなってからでないと、関係性が築けないと思うので」
腕の中で、名を呼ばれたのが嬉しかったのかパールが尻尾を激しく振り喜びの舞を踊る。
落としてしまいそうになったので慌てて腕の力を籠めると落ち着いた。
「確かに。では、焦らずゆっくりと研究を重ねて精度を上げてからお届けしますね」
魔改造猫をねじ込んでくるのは決定事項なのか。
「あは……ははは。そうですか」
遠まわしの断り文句を思いつけず愛想笑いを浮かべたヘレナに、ラザノは無言でハーンの肩を抱き寄せ強引に唇を寄せる。
「あ、レテ……っ」
かぷっと口にかぶりつきハーンの生気をちゅーっと吸い上げるのを、ヘレナと魔犬は間近で拝見することとなった。
さっきまで盛んに振られていたパールの尻尾の動きがぴたりと止まる。
今二人の身長はヒールの高いブーツを履いたラザノの方が高く、そもそも彼女は武人だ。
力で勝るラザノにハーンが翻弄されるのは致し方ない。
それにしても、急にこれは何なのだろう。
突然ムラムラきたのだろうか。
でも、何故。
「ええと……。もしかして」
「焼きもちって言うんならカワイイけど、牽制なら意味ないよ、団長さん」
ミカがそばにやってきてパールの頭を撫でながらラザノに話しかけた。
「アタシたち、ハーンさん趣味じゃないから」
しっかり聞こえていたのか、ラザノが唇を離し解放する。
ふらりとよろめくハーンを抱き寄せ、強いまなざしでミカを見た。
「趣味じゃない? リドはこんなに素敵なのに?」
それはそれでちょっと不服そうな様子にミカは腰に手を当ててため息をついた。
「めんどくさいな……。あのね。アタシ、ミカ・スミス。これからこの子の護衛をするからよろしくね。そんで、アタシの好みは見た目頑丈でハンマーで殴っても立っていられる男。ハーンさんは綺麗すぎるし触ったら壊しそうで怖いわ」
果たしてこの世の中に、ミカの腕力でハンマーで殴り飛ばして生きていられる男は存在するのだろうか。
マーサを含めラッセル商会一同疑問に思う。
「それにね。ヘレナの初恋はビョーク街のパン屋のケニーで、その次が肉屋のトムだから」
ラザノより頭一つ低いミカは顔をそらせてふんぞり返り、とんでもないことを暴露した。
「あああーっ!!」
思わずヘレナは両手を前に出し、パールの頭でミカの口をふさぐ。
「ふぐ……」
『ぎゃん』とパールの悲鳴が聞こえたが、それどころじゃない。
「ミカ、ひどい。何もこんなにたくさん人がいるところで言わなくても!」
ヘレナの身体の中をとてつもない速さで血液が巡った。
「あは、ごめん。ほらパールも痛いってよ」
魔犬を抱きとり、反省のないミカはへらへら笑う。
「パン屋の……ケニー……。肉屋のトム……」
ラッセルの人々がざわつく。
「なんだ? どうした」
クラークが顎に手をやり考え込むテリーに問う。
「その……。独特な……味のある……感じ?」
引きつりながらテリーは言葉を選ぶ。
「はあ? 要するになんだ」
「いやだから……」
「不細工好きなんだよ、ヘレナは」
ばーんとミカが言葉のハンマーを振り降ろす。
「不細工なんかじゃない、すっごく、すっごくかっこいいの! どこにもなくて唯一無二だったんだから」
ヘレナは半泣きになってミカに食って掛かる。
「なにげに……。食べ物屋続きですね」
シエルがぽそっとつぶやく。
「う……っ。食うに困らない職業って素敵じゃないですか」
だって、仕方ないじゃないか。
パンをこねる姿も、肉をさばく姿もかっこよかった。
生活のためにパン作りを教わった時にケニーを好きになり、害獣に困った時にはトムが相談に乗り助けてくれた。
どちらも大人で、ヘレナよりもずっとしっかりした大人と結婚してしまい、片思いは終わった。
「そもそもこの子はろくでなしハンスとお仲間のせいで、徹底した美形嫌いなんだよね」
ねー、とミカが首をかしげてパールを覗き込むと、『きゅうん?』と彼女も仲良くいっしょに首をかしげている。
ひどい。
ヘレナは置いてけぼりだ。
「嫌いじゃないもん、ちょっと好みじゃないだけだもん」
ついついミカにあおられて、ヘレナの口調が幼くなってしまう。
本来のヘレナはこうなのだ。
まだ十七歳になったばかりなのだから。
ミカのやり方は宜しくないが、たまにはこうして素の部分が出るのも良いではないかとマーサが暖かいまなざしで見守る一方で、自他共に認める美形たちが複雑な顔をする。
「美形嫌いの不細工好き……」
誰の呟きだったかは定かではない。
「えー。嘘ばっかり。あんたがちょっとイイかもって言う男、みんな……」
ミカがさらに爆弾を投下しそうな気配に、ヘレナは慌てて蓋をする。
「わーっ。もう、その件はおしまいにしよう! とにかく、ラザノ様! ミカの言うように、心配ご無用です。私、どっちかというとハーン様もシエル様も前の顔の方が好みでしたし!!」
頭に血が上って言わなくていいことを言ってしまったことに気付いた時には、後の祭りだった。
「え……。マジ?」
繰り返しになるが、誰のつぶやきだったのかは定かではない。
「……なるほど。承知した」
ラザノが深く、深くうなずく。
「すまなかったな」
「いいえ……。ゴリカイイタダケタノナラ、ナニヨリデス……」
さあああと、一陣の風が吹き抜けた。
晩秋特有の、透き通って気持ちの良い風がヘレナの額をやんわりと冷やす。
なんて日だ。




