新たな生活に向けて
「ミカ……。やっぱりこっちに来ていたのか」
数台の荷馬車を先導してきたテリー・ラッセルが馬から降りた。
「きちんと説明も聞かずに馬に飛び乗って行ってしまったって、ベンから知らせが来たからさ。まあ、目指すのはここしかないけれど、よく門番が通したな」
全員でラッセル商会を出迎えると、その中にミカを見つけたテリーはあきれ顔だ。
「ああ。そういや親父の商会章をくすねたんだった。テリー、返しといて」
ペンダントを首元から引っ張り出して外すと、ミカはテリーに向かって投げた。
どうやらゴドリーの門番は、ミカがラッセル商会の幹部を証明するペンダントを持っていた為、通してくれたらしい。
「っと……。わかったよ。しかし、これのせいでベンたちが足止めを食ったらどうするつもりだったんだよ」
両手で受け取り苦笑するテリーにミカは平然と答える。
「別にぃ? そもそもあそこの国境警備、顔パスで章紋みせたことないし、もし止められたら兄貴がそいつの懐に金貨を突っ込むだけでしょ」
マーサが斜め後ろからものすごい顔で睨んでいることに気付かないミカの未来を、ヘレナは真剣に祈った。
どうか、拳骨一つで済みますように。
「ミカはマーサに任せるとして、ヘレナ様。新たな物資を運んできました。飼育用の山羊と鶏ももちろん、この間の獲物も加工してきましたよ」
鴨肉はおおむね燻製に、羽も洗って干してくれたそうだ。
「ありがとうございます。とても助かります」
テリーの背後では、商会の人々が荷下ろしを始めている。
荷馬車の中からリネン類や衣類、薪に至るまで次々と現れ、整理されていく。
最後尾からは山羊の親子や鶏が軽快な足取りで小屋を目指しているのが見えた。
従業員たちは前回の訪問で要領を得たらしく、慣れた様子で裏口へ荷物を運びそれぞれの貯蔵庫へ納めてくれるようだ。
「そういや、ミカをどこに置きますか」
視線の先ではマーサに拳骨をくらってミカがいる。
「それなのですが、一階の私の部屋で同居ではいけないのでしょうか。寝台が広いので一緒に寝ても十分ですよ」
マーサの時で味を占めたヘレナはうきうき提案するが、テリーは首を振った。
「うーん。マーサと違ってミカは大きいし、何より寝相が悪いので。ヘレナ様、一緒に寝るとケガしますよ」
「それって、いったいどちらからの情報ですか?」
「スミス一族です」
きっぱりと断言された。
「あら。まあ……」
マーサの実家、スミス家は数代も前にラッセル商会の用心棒を引き受けたことから始まり、共同経営者に近い存在だ。
切れ目なく警護をするために一族で仕事を融通し合い、住居も一つの区画に固まって暮らし、子供たちは共同養育される。
女児の中で一番元気もののミカは帝都で過ごすことを好まず父たちの旅について回ることが多く、自由に育ってしまったとマーサはこぼす。
「なら、寝台は別の同室暮らしでは? 客間だっただけにあの部屋自体は広いので、学校の寮生活のような感じでどうでしょう。地下の使用人室にしても屋根裏にしても私からは遠すぎます」
寝台を部屋の両端に配置すれば、互いに気兼ねのいらない空間を作ることは可能だろう。
「それは確かに。では、寝台を客間に運んで、家具の配置を変えます」
折よく、荷馬車からベッドが降ろされるところだった。
テリーが手を上げて指示し、着々と果たされていく。
「それと、これらはどうします?」
小さな車輪のついた板の上に乗せられて運ばれてきた大きな木箱の蓋をテリーは開けて見せた。
「わあ……。ありがとうございます。すごくうれしいです」
中に詰められているのは大量の布や糸。
そして、刺しゅうやレース編みの器具。
「これはまだほんの序の口。まだまだ荷下ろししますよ。ここで腰を据えて作業できそうだから、こちらで預かっていたものを全部お持ちしました」
「今までありがとうございました。本当に助かります」
ヘレナの手仕事は多岐にわたる。
小さなハンカチなどの刺繍程度ならごまかしがきくが、大掛かりなものはそれぞれ機材が必要だ。
父とご学友に気付かれることを避けるため、一つの依頼ごとに材料や道具を受け取り、修了したらいったん返すようにしていた。
しかしそれはあまりにも効率が悪く、思うままに手掛けたいヘレナとしては我慢のいることだった。
「ものが大量だから、二階の書斎あたりにいったん収めた方が良いのではないかと思うのですが。応接室を男性の部屋にしてしまっていますし」
「そうですね。あちらに納戸がいくつかあることですし、そうしましょう。よろしくお願いします」
「了解しました」
二人の会話を聞いていた従業員はすぐさま玄関から荷物を運び入れる。
「なんだか……ようやく、という気がしてきました。私はここで二年間を過ごすのですね。少しわくわくしている自分がいて、不思議です」
父の土下座を見下ろしてからまだ一月も経っていない。
その間に色々あったせいか、ずいぶん遠い昔に思える。
「まあ……。私たちとしてはこんな無茶苦茶な案件、とっとと切り上げてほしいところではありますが。以前よりヘレナ様が集中して創作に取り掛かれるなら、とりあえず悪くないですね」
十二歳の時に救い出してくれてから五年。
テリーとは長い付き合いだ。
色々心配をしてくれ、手仕事をお金に換えてくれた。
さらに今、こんなにも支えてくれている。
「ありがとう、テリー。あなたがいてくれて良かった」
ヘレナが手を差し出すとテリーはきゅっと力強く握り返し、大きな飴色の瞳を細めてゆっくり笑った。
そして、耳元に口を寄せて囁く。
「大丈夫だ、ヘレナ。俺に任せろ」
「うん」
兄のように、父のように。
包み込んでくれるテリーのぬくもり。
骨太の手が、心地よい。
あの時と同じように。
「ところでヘレナ様」
すっと背筋を伸ばすと、テリーはラッセル商会の跡取りの顔に戻る。
「マーサからの伝言で驚いたのですが」
「なんでしょう」
思わず、ヘレナもぴんと背筋を伸ばした。
「もう、貯蔵庫内の小麦粉をほとんど食べ尽くされてしまったというのは本当ですか」
テリーの視線の先には、シエル、ヒル、クラーク。
「う……うん。なんか、なくなってしまったのよね。不思議だわ」
思わず吹き出してしまった。
「これからも、よろしくね?」
ミカも加わると、食卓はもっとにぎやかになるだろう。
「はい。おまかせを」
楽しいことが、増えた。




