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初対面


 随分と斬新な結婚式だこと。


 教会の祭壇前に立ち、ヘレナは高い位置に施された薔薇窓を目を細めて見上げた。

 ステンドグラスから差し込む色とりどりの光の筋に照らされて、細かい白埃が宙を舞いながらきらきらと輝いている。


 なんて美しい光景なのだろう。

 心が洗われていくような心地がする。

 この一瞬の奇跡に人は信心深くなるのだろうか。

 …と、くどくど脳内で御託を並べているが、実は現実逃避しているだけだ。


 なぜなら。


 祭壇の真正面には豪華な意匠の純白のウェディングドレスに最高級のレースをあしらったヴェールをまとい、大輪の白薔薇のみで作られた豪勢な花束を両手に持つ黒髪の女性と、同じモチーフの刺繍をあしらった純白のスーツを着て寄り添う金髪碧眼の美青年が立ち、二人は司祭の祝福が流れるなか感極まっているのか目を潤ませている。


 当事者のはずのヘレナは、彼らの傍らで侍女のごとく付き添っているだけだ。


 そしてヘレナの服装は一切の飾りのない灰色のワンピースで、もちろん自前である。

 偽装結婚とはいえ教会への呼び出しに、花嫁役をさせられるのだとばかり思っていた。

 しかし結果はこの通り。


 ならば自分がここにいる必要はないのではないか。


 石造りの広い空間ゆえに足元から立ち上る冷気に足踏みしてしまいたい衝動と戦いながら、早く終わるのを願う。



 そもそも、どれだけ大雑把な企てなのだろう。

 二千ギリアは彼らにとってはした金かもしれないが、打合せなしのいきなり本番など三文芝居でもここまでいかない。

 所詮は多くを持つ者の気まぐれに過ぎないのか。


 ヘレナは神妙な面持ちで光の筋を見つめながら心の中は悪態まみれの真っ黒で、さながら闇夜のようだった。







 それは、さかのぼることほんの一時間にも満たない前のこと。


 教会を訪ねたヘレナが控室の中へ足を踏み入れた瞬間、出迎えた面々は石と化した。


「…こびと?」


 彼らは没落寸前とはいえ子爵家の、十七歳の令嬢が現れると思っていたはずだ。

 そこへ貧弱な子どもが入ってきたのだからさぞ面食らったことだろう。


 騎士らしき者がぽろりとこぼした正直な言葉に、隣の従僕らしき者が肘鉄をしたが、熊のような大男の鍛えられた腹筋に負けたのか、肘を抑えてうなりだす。

 いきなり喜劇から始まり、ヘレナは笑いをこらえた。


「初めてお目にかかります。ブライトン子爵の長女ヘレナです。本日は…」


 プラチナブロンドにアクアマリンの瞳と最高級の衣装。

 一目で高貴な身分と解る美しい男を結婚相手のリチャード・アーサー・ゴドリー伯爵と理解し、素早く頭と腰を低めて貴族の挨拶を行ったが、地を這うように低く不機嫌な物言いにさえぎられる。


「…お前は、替え玉か」


 予想通りの。

 いや、自分はまだまだ甘かった。

 予想を超えた扱いとなるのだろう。


「いいえ」


 両手でスカートの端をつまんだ姿勢をそのままに、ヘレナはさらに首を垂れる。


 もう後戻りはできない。

 仕損じれば牢獄行きか闇に葬られるか。


「お言葉ごもっともでございます。間違いなく私は契約主の娘ですが、このような見た目ゆえに疑われるであろうと思いこれを持参しました。どうぞご覧ください」


 バッグから家紋入りの封筒をとりだして近くの従者に渡し、再度礼の姿を保つ。


「これは…。ストラザーン伯爵の」


 封を開けた執事らしき身なりの男が顔色を変えた。

 叔父は伯爵位ながらに誰よりも王の信頼が厚い。


「父の妹の嫁ぎ先でございます。昨日、事の次第を知った叔父が来訪し契約書を確認のうえ、後見人を買って出てくださいました」


 そして、もう一通、封書を出す。


「私は確かにブライトン子爵の実の娘ですが、今朝行政官立会いのもとブライトン家より除籍し、エドウィン・カッツェ・ストラザーン伯爵の養女となりました。よって現在の名前はヘレナ・リー・ストラザーンとなります」


 これは、弟のクリスも同じである。

 昨夜、叔父夫婦は捕らえた父と会って子どもたちとの離縁を迫った。

 これから先、いかなる負債も引き継がせないためである。

 唯一の財産だったタウンハウスすら失った借金まみれのブライトン子爵になりたいと思う者はいないだろう。

 事実上の断絶と相続放棄だ。

 爵位返還だけは本人が拒絶するのでできなかった。

 こうなると名ばかりの爵位でも欲しい者は世の中に存在するし、嗅ぎつけるのも早い。

 新たな誰かが父を騙してブライトン子爵を名乗る可能性は十分あるだろう。

 最悪の場合を考え、完全に離籍することをヘレナとクリスは望んだ。



「ヴァン…」


 ゴドリー伯爵が背後の侍従に声をかけると、彼は恭しく頭を下げる。


「…すぐに、確認いたします」


 叔母カタリナは、今も帝国の花と称せられる美女。

 その姪にもかかわらずヘレナは全く似ていない。

 容姿ばかりか身なりも貧層で、どうにも信用できないらしい。

 この反応は想定内なので怒る気にもなれない。


「叔父夫婦はいま登城しています。叔父は会議、叔母は皇后様主催のお茶会に出席しておりますが、どちらもゴドリー伯爵の使いの方なら中断してでもお会いすると伝言が」


「確認します」


 ヴァンと呼ばれた男は最後まで聞くことなく身をひるがえして退室した。

 閉じた扉を眺めていると、「おい、お前」と呼ばれた。


「はい」


 視線を戻すと、ゴドリー伯爵がヘレナを睨みつけ、テーブルの上の手紙を小刻みに音をたてて指先で叩く。


「これ以上待てない。だからお前が何者であろうとも、とりあえず挙式はこのまま予定通りに行う」

「左様でございますか」

「もし、お前が偽物だったら、ゴドリーの私刑を行う」

「なるほど…」


 国の警備隊に突き出すわけにはいかない。

 なぜなら、そもそもこれは国を欺く結婚だから。


「わかりました。ご随意に」


 あっさりヘレナが答えると、全員眉をひそめた。


「…ここまで平然としているなら、本物では」

「しかし…」


 堂々巡りの会話が続くなか、ヘレナはすこし頭を上げて質問を試みる。


「あの」

「なんだ!」


 くわっと噛みつかんばかりの形相だ。

 十も年上で身分も高く、かつ、経験も積んだであろう男とはとても思えない男の反応に、内心ため息がつきたくなる。


「それで、挙式のための着替えはどちらで」


 ドレスの支度はどうなったのだろう。

 既製服であってもヘレナの身体に余るに違いない。

 糸と針があればあるいは。


「そんなものはない」

「は?」

「そのまま、祭壇前で待ってろ」


 ほんとうに。


「なんてこと…」

「なんだ」

「いえ」


 ヘレナは口角を上げて今一度しっかりと頭を下げた。 



「承知致しました。ではのちほど」



 もうどうにでもなるがいい。



 後ろを振り返ることなく、控室を後にした。



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