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マーサの勘


「夜分遅く失礼します。マーサです」


 応接室の扉を軽く叩く音と囁き声に、二人の男は身構える。


 室内の灯火は落とし、明かりは暖炉の火のみ。

 どちらも今夜は寝ずの番をするつもりだった。

 しかし、ヘレナと寝室へ移ってさほどたたないのにマーサが尋ねてくるとは予想外だ。

 蝋燭を付けないまま、扉に近いほうの場所にいたシエルがすぐさま立ち上がった。


「どうぞ。お入りください」


「失礼します」


 入室したマーサの顔色が悪い。


「どうしたのですか」


「実は…。いえ、まず、シエル様にお願いがあります。テリー様に言付けを飛ばしていただきたいのです」


 ただならぬ様子にシエルは一つ頷き、右手の手のひらを上に向け構えた。

 すると、淡い光の玉がその上にふわりと浮かぶ。


「わかりました。どのように?」


「ヘレナ様が、五年前に月光館でコンスタンス様とお会いしたことがあると」


 二人の男は、その内容に目を見張った。


「…。わかりました」


 シエルがその光を一度握りしめ、天へ向かって放つ。

 一瞬強い光を放ち、白い鳥の形を作ったそれは、やがてまたすうっと夜の闇に飲み込まれていった。


「これは…。俺は今まで見たことがないが、伝言を飛ばす術ということか」


 ヒルが感嘆の声を漏らす。


「そうです。戦場では魔道具を使用されることが多いでしょう。その方が魔導士を臨場させずに済む」


「なるほど」


「高位魔導士様にいきなり術の使用をお願いし、ご無礼致しました。なにぶん、急を要することでしたのでご容赦ください」


 マーサが深く頭を下げるのを、シエルが慌てて止めた。


「どうかお構いなく。私はそのためにここに残ったのですから」


「ありがとうございます」


「ところで今のは、どういう意味でしょう。月光館とは高位貴族や大商人御用達の最高級の娼館ですよね」


 ヒルが暖炉の前に椅子を一つ運び、マーサを座らせる。


「はい。今から話すことは、どうかお二人の胸にお納めください」


「わかりました」


 シエルとヒルはマーサの両脇の床に腰を下ろし、それぞれ暖炉を囲む形に座り、燃え盛る火を見つめた。


「実は。今から五年ほど前にブライトン子爵の奥方のルイズ様…、ヘレナ様の母君が不治の病に倒れました。その時点で余命数か月の診断で、手の施しようがないのは誰の目にも明らかだったそうです」


 薬草や魔術や神聖力で治せるものもあるが、物事には限界がある。

 ルイズの病は死を待つのみだった。


「奥方を深く愛されていたブライトン子爵は、諦められませんでした。持てる限りの資産を投じてなんとしても治してみせると…。必死でした。そこに付け込んだのが詐欺師です」


「ああ…。まじないの類ですか」


「はい。まじない師は最初、薬だと言って汚水を飲ませ続けました。当然悪化したため今度は子爵に囁いたのです。『すべては、あなたの娘のせいだ』と」


 この不幸の根源は、ブライトン家に悪運まみれの娘が生まれたことだ。

 考えてみてごらん。

 それを証拠にその子が生まれてから、家がだんだん傾いていったではないか。

 

 まじない師の言葉は、毒の針のようなものだった。

 もちろん最初は強く否定したが、じわじわとしみこんでいき男の頭の中を支配していく。


「一時は侯爵家も凌ぐと言われるほど栄えたブライトン家が衰退していった理由は別の要因だったのですが、追い詰められたハンス・ブライトンは素直に信じてしまわれました。そしてとうとう、まじない師の言うまま薬で眠らせたヘレナ様を密かに運び出し貧民街の路地裏へ捨てたのです」


 妻が娘を大切にしていることは十分承知している。

 だから彼は、屋敷内の皆が寝静まっている時間を選んだ。

 手順の全ては指示されるまま。

 男は正義感と達成感で高揚していた。


 悪しきものは、最も汚れた場所へ。

 そうすれば状況は好転し、二度と悪いことは起きないと。

 まじない師はそう告げたのだから。


「…なんてことだ」


 ヒルが呻く。


「ええ、あり得ないことです。しかし、子爵はこれで全て良くなると本気で信じていました。病床のルイズ様はもうほとんど寝たきりで、看病してくれる娘が突然いなくなればさすがに気付きます。使用人たちも不審に思いましたが、『ヘレナは母のために霊験あらたかな教会へ泊りがけで祈りを捧げに行った』と言い張るので、追及できませんでした。しかしクリス様はその夜に異変を感じておられ、すぐ我々の商会に駆け込んだのです。子爵家で見かける大人たちの中で一番信用できるからと」


 もともと、ラッセル商会は子爵家の監視と内情を探るようカタリナに依頼され、日用品や食材などの小商いで出入りしていた。

 まだ十歳足らずのクリスの慧眼に、ヘレナは救われたのだ。

 しかし報せを受けすぐに夫人は商会へ駆け付けたが、生家との関わりを禁じ監視までさせている義父が当主として権威をふるっている以上、大々的に捜索することはかなわない。


「手をこまねいている間に一週間経ち、私が偶然月光館に呼び出され訪れた折に裏口の戸を開けたのが、なんと変わり果てた姿のヘレナ様でした」


 寝巻のまま路地裏に捨てられたヘレナはすぐに攫われ、小屋に連れていかれた。

 犯人はもちろん、父をそそのかしたまじない師。

 最初からヘレナを誘拐し売る目的だったのだ。

 まず彼は、ヘレナの髪を売り物用に極限まで切り取り汚い色になるよう染めた。

 そして、いかにも孤児が着るような汚れた服を着せ、脅した。


 『お前の名前は今からゾエだ。本名を名乗ろうとしたり、家へ帰ろうとしたら、お前の家族を殺す』


 さらには顔を数発殴ってわざと痣を作って顔を変えさせ、歓楽街の売人に引き渡した。


 しかし目論見は大きく外れ、あまりにもみすぼらしいのでたいした金額にならなかった。

 念のためにかき集めた髪の方がよほど高く売れ、まじない師は悪態をつく。


 『使えねえガキだな。ああそうだ。お前の親父からの伝言だ。ルイズに二度と近づくなだと』


 捨て台詞を残して去ったまじない師とは、それで最後だった。


 しかし彼が去った後、たまたまそこに居合わせた月光館の従業員がヘレナを雑用係として買いとった。

 強面の男たちに囲まれ手荒に扱われたにもかかわらず、全く怯えず泣かなかった点を高く評価し、元の髪は稀に見る質のよさだったので貧相だが化けるかもしれないと踏んだからだ。


「と、ここまでが保護した当時にヘレナ様から聞いた話もおりまぜて私の知る話をお話ししました。しかし問題はここからです。先ほどヘレナ様が眠りに入る直前に仰いました。『コンスタンス様とどこかでお会いしたことあると思ったら、月光館だった』と。あの方が月光館とかかわりを持っていたのはその誘拐されていた時のみです。何らかの因縁があるのでは考えてしまうのは、私の思い過ごしでしょうか?」


 マーサの疑問に、ヒルは戸惑いを見せた。


「それは…偶然なのでは。奥方様となる方がヘレナ様と決まった時、コンスタンス様はヘレナ様もブライトン家も知らない様子だったように俺には見えたが」


 シエルはきっぱりと反論する。


「知らないふりをした可能性もあるのでは? もし今の状況が意図的に作られたなら尚更ですよ」


「しかし…」


 煮え切らない様子にシエルははっきりと苛立たしそうな顔をして、マーサが苦笑した。


「私がそう思ってしまうには理由があります。これだけはヘレナ様のご存じない話なので、どうか絶対耳に入れないでください」


 当事者だからこその勘だ。

 本人すら知らない秘密を、この二人になら明かしてよいと。

 きっと、ストラザーンもラッセルも思うはず。


「後日判明したことが一つあります。私たちが保護するのが数刻遅れていたら、ヘレナ様は、幼女を性的身体的に虐待するのが趣味の大使に買い取られ、他国へ連れだされる予定だったのです。

 もちろん契約書は偽造で、月光館の家令のサインが複製されていたそうです。

 まず仲介業者らしき男が現れて騒ぎ立てましたが、形勢不利になると逃げだしました。

 そしてしびれを切らしたのか次は件の大使が品物を寄こせと怒鳴り込んでくれたおかげで、ようやくすべてが明るみに出たのですが…。

 最初に現れた男は数日後に貧民街の下水路で死体となって見つかり、大使に至っては騙されたの一点張りで、隙をみて逃亡し帰国したと思われますが。未遂ですしあまりにも不名誉な話なので、両国ともになかったことにされました。結局誰がその取引を成立させたのかが、未だにわからないのです」


 まじない師も当然行方不明。

 彼も関わっているのではと思われるが、これもまた足取りが途中で消えてしまった。


「これが偶然と言えるでしょうか。奇妙だと思いませんか?ヘレナ様およびブライトン家はいつからか、ずっと悪意に晒され続けているのです」


 愚鈍なハンス・ブライトンのせい。

 彼を食い物にする『ご学友』のせい。

 次々とヘレナとクリスに降りかかる困難を、それらのみを原因にするには…。


「コンスタンス様が関わりないというなら、それに越したことはありません。むしろそうであってほしいのが私の本音です。あまりにも…考えるだけでも恐ろしい」


 ヒルはリチャードの臣下であり、コンスタンスに騎士の忠誠をささげているようにも見える。

 最初から好意的なシエルと比べ、ヒルは危うい存在。

 しかし今日、疲労困憊しているヘレナを何度も心配し過保護なまでに守ろうとしていた。

 それはまるで獣の親のように。


「ヒル卿がコンスタンス様の潔白を信じ、証明したいとお思いならなおさら、秘密裏にかつ綿密に調べるべきかと」


 子どものように頼りない少女を守りたいのも真実。

 主君の愛する女性を信じたいのも真実。

 二つの狭間でヒルは揺れている。


「…ああ。そうだな…」


 どこか呆然とした男の低い声がじりじりと夜の闇に溶けていった。



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