マーサとヘレナのお泊り会
マーサと一緒に寝られるなんて、嬉しいわ」
ぱんぱんと枕を軽く叩いて膨らませながら、ヘレナはうきうき寝台の支度をする。
「本当は、侍女とベッドを共有するなんてあり得ないのですよ、ヘレナ様?」
「わかっているわ。今夜だけ。マーサの寝台が用意できるまで…ね?」
客間の寝台は広くて立派だ。
おそらく特別な客をもてなすために作られたのだろう。
子供並みの体格のヘレナと標準の女性体型のマーサの二人が載っても十分余るほどなので、甘えてみた。
「昔も一緒に寝てくれたじゃない」
「あの時、ヘレナ様はまだ十二歳でしたから…」
じいっとマーサを見つめると、彼女は観念したようにため息をついた。
「今夜だけですよ」
「はあい。ありがとう、マーサ」
マーサが侍女を務めてくれると決まった時、始めは半地下にある旧使用人休憩室で寝起きする予定だったが、ヘレナは猛烈に反対した。一階の応接室にヒルとシエルが護衛として泊まる話が進んだこともあり、強引にヘレナの部屋へ引き込むことに成功した。
話し合いの場でカタリナが最後に依頼したのは『ミカが到着するまで、ヒル卿に護衛として夜はこの屋敷に泊まってもらうこと』で、ヒルは快諾してくれたが、シエルが反対した。
『ヘレナ様とヒル卿が深い仲だと言いがかりをつけられかねません』
何故か揉めに揉め、最終的には折衷案でシエルも夜の護衛が決定し、一階で最も広い応接室にて二人仲良く宿泊してもらうことになった。
「あちらのお二人は大丈夫でしょうか・・・」
カタリナたちが引き上げた後、ヘレナとマーサで簡単な夕食を用意している間に二人は騎士団の建屋から簡易ベッドを運び込み、宿泊施設としての体裁は整えられたようだが。
食事中も微妙な空気が漂うのでヘレナはせっかく楽しみにしていたマーサの手料理がのどを通らず、問題に二人に心配され何やかや世話を焼かれそうになり、無理をして口いっぱいに詰め込みさらにもっと死にそうになる…という悪循環が生じた。
彼らは仲が良いのか、悪いのか、どっちなのだろう。
「まあ…。もしかしたらミカが明日にでも到着するかもしれないし」
「そうですね」
ぱふんとヘレナはマーサにぴたりとくっつくように横になる。
「マーサは私の命の恩人だから、そばにいてくれるだけですごく安心できるの」
マーサがヘレナの顔にかかった髪を指先でそっと耳にかけてくれた。
優しい指使いが遠い昔に母に撫でられた記憶を呼び覚まし、ついヘレナは微笑む。
「たいした事はしていませんよ。あの日、月光館の上客からの無理な注文がなければ私がヘレナ様にお会いすることもなかったのですから」
五年前、ラッセル商会に急な依頼が入った。
花街随一の高級娼館である月光館へ、この季節はまず手に入らない果物を至急届けよと。
月光館は王族がお忍びで現れることもある娼館。
おそらく国の接待であると想定し、ラッセル商会は裏の伝手を使って手に入れ、マーサが名代として訪れた。
その時、勝手口でばったり鉢合わせしたのがヘレナだった。
「あの時は本当にありがとう。マーサが助けてくれなかったら今頃どうなっていたことか」
ラッセル商会内では一週間前に緊急の通達があった。
ブライトン子爵家の長女ヘレナ十二歳が誘拐され、ストラザーン伯爵夫人の依頼で内密に捜索中。見つけ次第確保するようにと。
特徴としては、腰に届くまっすぐな黒い髪、灰色にけぶる青い瞳、小柄で痩せ気味の少女。
マーサが出会った少女はゾエと呼ばれ、髪はまだらな茶色で路地裏に転がる子供のように短く不揃いに刈られていた。
条件とは違ったが、瞳の色と孤児にはない品のある所作に該当する子だと判断した。
マーサは即刻商会へ連絡し、依頼の果物を女将に手渡す時に事実確認を行ったところ、一週間前に売られてきたがあまりにもみすぼらしいので裏方の雑用係として使っていたことが判明。
駆け付けたテリーとストラザーン家の秘書官、月光館が協議し、ラッセル商会が買い取ることでヘレナは解放された。
ここで、ヘレナがいまだに知らないことが一つある。
それは、ヘレナがいつの間にか幼女好きの男に転売されていて、引き渡される予定だったこと。
テリーたちが密かにヘレナを保護して連れ帰ったのと入れ違いに買い手の仲介者が月光館へ現れ、約束が違うと騒ぎ立てたが、館主が現れて花街の掟に反すると詰め寄るとしどろもどろになって逃げだし、彼は後に貧民街の下水路で死体となって見つかった。
この件に月光館が関わっていないことはすぐ立証できたが、誰が口利きをしたのかはわからずじまいだ。
もしマーサの動きが遅ければ、おそらくヘレナは。
「カタリナ様もルイズ様もクリス様も、必死で探しておられましたから。いずれにせよ見つかっていましたよ」
商会へ連れ勝ったのが深夜だったため、その日はマーサが預かり世話をした。
風呂に入れて清潔な服を着せ、同じベッドで眠った。
過酷な環境でもくじけない小さな少女があまりにも哀れで、思わず抱きしめたのを覚えている。
その少女は、五年も経ったのに身体は以前とたいして変わらず子どものように小さなままだ。
母に似ているなんてものじゃない。
これは虐待だ。
彼女の父親に対して、マーサは怒りを覚えた。
「そういえば…」
マーサの袖を幼子のように掴んだままうとうとし始めたヘレナは、小さくあくびを一つついたのちぽつりと呟いた。
「コンスタンス様、どこかでお会いしたことあるなあとおもったら、月光館だったわ…」
そのまますとんと幼子のような顔で眠ってしまったが、マーサは驚愕に目を見開く。
植民地で一番高級な娼館の、最高位として君臨していたコンスタンス。
そもそもあの店が月光館の系列だと、どうして誰も気づかなかった。
「ちょっと待ってください、ヘレナ様」
すっかりくつろぎ微笑みすら浮かべて眠る少女を、今更揺り起こす勇気はない。
しかし。
「テリー様にお知らせせねば」
マーサはそっと寝台から降りた。




